2020/03/05
ライブ中止のお知らせ
この度の新型コロナウイルスの日本国内での感染が拡大している状況を鑑み、
お客様の健康と安全を最優先に協議し、
2020年3月8日(日)に予定しておりました横浜ベイシスでのライブ
「THE NEUTRAL&BAYSIS PRESENTS『Yokohama Fanfare vol.2』」を中止とさせて頂く事となりました。
楽しみにされていたお客様に関しましては、
大変申し訳ございませんが、
何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
尚、BAYSIS店頭にて既にチケットをお買い求め頂いたお客様におかれましては、
払い戻しをさせて頂きます。
大変お手数ですが再度BAYSISまでご足労頂けますようお願い申し上げます。
お客様の健康と安全を最優先に協議し、
2020年3月8日(日)に予定しておりました横浜ベイシスでのライブ
「THE NEUTRAL&BAYSIS PRESENTS『Yokohama Fanfare vol.2』」を中止とさせて頂く事となりました。
楽しみにされていたお客様に関しましては、
大変申し訳ございませんが、
何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
尚、BAYSIS店頭にて既にチケットをお買い求め頂いたお客様におかれましては、
払い戻しをさせて頂きます。
大変お手数ですが再度BAYSISまでご足労頂けますようお願い申し上げます。
2020/03/03
気付かなければよかった
眠れない夜、たまにやる事。
鑑賞済みの映画を再度見る。
集中しなくて良いし寝落ちしても問題ないしね。
と言っても視聴する映画のレパートリーは、10本いかないくらいで、
ほぼ同じ映画を繰り返し見ています。
面白いもので、何度も同じ映画を見ていると、普段流し見するようなところに目が行ってしまう。
主役の後ろにいるエキストラの動きや、小道具とかね。
あと時代設定にそぐわない物が写りこんでないか探してみたりとかしてね。
粗探しってホントは良くないんですけどね。
見つけた時、純粋に映画を楽しめなくなるからね。
でもついついね、やっちゃうんです。
やらなきゃいいのにね。
やっちゃうんです。
で、、、、、、見つけちゃいました。
ホントやっちまった。。。
時代設定がローマ時代中期の映画なんですが、転倒した戦車(馬が引くタイプのね)の荷台に、ガスボンベが。
ちらっ、とかじゃないんです。
メーターやパイプがはっきり見えるくらい、そりゃもうガッツりと。
恐らく、土煙を舞い上げる為の装置だったんでしょう。
場面移りが激しいシーンなんですが、制作会社は、こんな重大なミスに何故気付かなかったのか。
20年近く繰り返し見ているかなりお気に入りの映画だっただけにショックの大きさは、もう。。。
気付かなければ良かった。。。
清正
鑑賞済みの映画を再度見る。
集中しなくて良いし寝落ちしても問題ないしね。
と言っても視聴する映画のレパートリーは、10本いかないくらいで、
ほぼ同じ映画を繰り返し見ています。
面白いもので、何度も同じ映画を見ていると、普段流し見するようなところに目が行ってしまう。
主役の後ろにいるエキストラの動きや、小道具とかね。
あと時代設定にそぐわない物が写りこんでないか探してみたりとかしてね。
粗探しってホントは良くないんですけどね。
見つけた時、純粋に映画を楽しめなくなるからね。
でもついついね、やっちゃうんです。
やらなきゃいいのにね。
やっちゃうんです。
で、、、、、、見つけちゃいました。
ホントやっちまった。。。
時代設定がローマ時代中期の映画なんですが、転倒した戦車(馬が引くタイプのね)の荷台に、ガスボンベが。
ちらっ、とかじゃないんです。
メーターやパイプがはっきり見えるくらい、そりゃもうガッツりと。
恐らく、土煙を舞い上げる為の装置だったんでしょう。
場面移りが激しいシーンなんですが、制作会社は、こんな重大なミスに何故気付かなかったのか。
20年近く繰り返し見ているかなりお気に入りの映画だっただけにショックの大きさは、もう。。。
気付かなければ良かった。。。
清正
2020/02/29
誕生祭ライブ
めっちゃ遅くなったけど2/24のライブに来てくれたみんな、ありがとう!
しげるの誕生日ライブ昼・夜公演で
お昼は唄人羽との2マンライブでした。
もうこの上ない楽しいライブでしたね。
羽とのライブはいつも楽しいね。
ライブってのはやっぱり会場にいるすべての人で作っていくものなんだと改めて強く思った日でした。
だからこそただただ音楽の波に乗っかって、楽しんで表現して相手に伝えることが、また互いに熱量を上げていく要因になるってことで、やっぱり演奏だけじゃなく、身体全体で音と一緒に発さないと。
とわかっていたけど、やっぱ大切なことで、
それが瞬時に体感できるライブって、音楽ってやっぱりいいもんだなぁ。てね。
ありがとう唄人羽!
ありがとう、来てくれたみんな!
そして誕生日おめでとう、しげる!
年を重ねるにつれて、強さや優しさだけじゃなく思慮の深さや思考の速さもさらに増して、バイタリティがどんどん上がっているのが凄いね。
で、ちゃんと新曲も5曲ちゃんと書いてね。
ほんと偉い!
ただただ驚くばかり!
素敵な5曲なので、みんな是非とも聴いてね。
代谷

Blue spring
スプリンター
主人公のいない映画
萌ゆる春
Love
しげるの誕生日ライブ昼・夜公演で
お昼は唄人羽との2マンライブでした。
もうこの上ない楽しいライブでしたね。
羽とのライブはいつも楽しいね。
ライブってのはやっぱり会場にいるすべての人で作っていくものなんだと改めて強く思った日でした。
だからこそただただ音楽の波に乗っかって、楽しんで表現して相手に伝えることが、また互いに熱量を上げていく要因になるってことで、やっぱり演奏だけじゃなく、身体全体で音と一緒に発さないと。
とわかっていたけど、やっぱ大切なことで、
それが瞬時に体感できるライブって、音楽ってやっぱりいいもんだなぁ。てね。
ありがとう唄人羽!
ありがとう、来てくれたみんな!
そして誕生日おめでとう、しげる!
年を重ねるにつれて、強さや優しさだけじゃなく思慮の深さや思考の速さもさらに増して、バイタリティがどんどん上がっているのが凄いね。
で、ちゃんと新曲も5曲ちゃんと書いてね。
ほんと偉い!
ただただ驚くばかり!
素敵な5曲なので、みんな是非とも聴いてね。
代谷

Blue spring
スプリンター
主人公のいない映画
萌ゆる春
Love
2020/02/22
バンド人生
昨日のワンマンライブに来てくれたみなさん、ありがとう!
僭越ながらオレのWアニバーサリーライブだったので、オレのヒストリーを10代から振り返りながらお届けしました。
西日の差すヨウゾウの部屋から始まったと言っても過言じゃないオレのバンド人生は、気がつけばもう20年を越えた。
こんなにも長くバンドをしてるなんて思いもしなかった。
というのも、そんな長い時間を目標にしてきた訳じゃなく、自分たちの目指す場所へ1年1年積み重ねて来たら、気がつけば今になっているという感じ。
昨日はそれをライブで、音楽と思い出話を通して振り返りました。
それぞれの年代で、メンバーとたくさんの愛すべき楽曲たちとの思い出がありました。
染谷さんの『青い果実』は『いつかバンド組んだらやろうよ』ってしげるとヨウゾウの部屋で話してたのが、昨日少し叶って、なんだか17歳の頃に一瞬で戻ったような感覚で嬉しかったし、
『ブルースマン』や『雨上がり』は初めて見たニュートラルのライブを見た時のようなフレッシュで初々しい気持ちになるし、
『チャンス』や『パンとピストル』は、デビュー当時の『ここがゴールじゃなくて、ここからがスタートだ!』と、さらに息巻いて頑張ってた気持ちを思い出すし、
『輝け!オレの30代』『さよなら僕らの1DK』『花束の日々』は、人生の優先順位をバンドだけに注いで積み重ねて来て、やっとバンドマンとして個人的に何かを掴んだ時期だったし、
そして、40代に入ってもさらに音楽がバンドが楽しくて楽しくてね。
さらに嬉しいことが今も前作よりいい楽曲を作れて、ライブができてること。
これに尽きると思う。
『この僕も40歳』から『リリー』までのラスト6曲は、そういう歴史を感じつつ、冷静ながらも熱く気持ちのこもった演奏ができて楽しかった。
これからもバンドを続けていけるように1年1年、大切なニュートラルのロックンロールをロールさせて行きたい。
そしてその先に70歳を超えてもロールさせれたら素敵やね。。。
まだまだ転がったばかり。
ずっと熱い声援で応えてくれてるみんなと一緒に、THE NEUTRALの音楽を作っていきたい。
ありがとう!
ところで、みんなの魔法はもう解けちゃいましたか?笑
この先もずっと喜んでもらえるように、素敵な魔法をかけれるようにベースをベンベン弾いていくので、よろしく!!
さあ24日はしげるの誕生祭ですね。
みんな、昨日以上の熱量でライブを盛り上げましょう!
待ってるね。
・セットリスト
M1:バンドガール
M2:傘のない君
M3:陽のあたる場所
M4:君に会いたい
《 代谷ヒストリー 10代 》
M5:ヨウゾウ
《 代谷ヒストリー 20代前半 》
M6:ブルースマン
M7:雨上がり
《 代谷ヒストリー 20代後半 》
M8:チャンスはそこだ!!
M9:パンとピストル
《 代谷ヒストリー 30代前半 》
M10:輝け!オレの30代
《 代谷ヒストリー 30代後半 》
M11:さよなら僕らの1DK
M12:花束の日々
《 代谷ヒストリー 40代 》
M13:この僕も40歳
M14:さよなら8ビート
M15:スーパーボール
M16:おじさん
M17:リリー
En1:観覧車
En2:LDK
En3:僕のロックンロールは正しくないんだ
僭越ながらオレのWアニバーサリーライブだったので、オレのヒストリーを10代から振り返りながらお届けしました。
西日の差すヨウゾウの部屋から始まったと言っても過言じゃないオレのバンド人生は、気がつけばもう20年を越えた。
こんなにも長くバンドをしてるなんて思いもしなかった。
というのも、そんな長い時間を目標にしてきた訳じゃなく、自分たちの目指す場所へ1年1年積み重ねて来たら、気がつけば今になっているという感じ。
昨日はそれをライブで、音楽と思い出話を通して振り返りました。
それぞれの年代で、メンバーとたくさんの愛すべき楽曲たちとの思い出がありました。
染谷さんの『青い果実』は『いつかバンド組んだらやろうよ』ってしげるとヨウゾウの部屋で話してたのが、昨日少し叶って、なんだか17歳の頃に一瞬で戻ったような感覚で嬉しかったし、
『ブルースマン』や『雨上がり』は初めて見たニュートラルのライブを見た時のようなフレッシュで初々しい気持ちになるし、
『チャンス』や『パンとピストル』は、デビュー当時の『ここがゴールじゃなくて、ここからがスタートだ!』と、さらに息巻いて頑張ってた気持ちを思い出すし、
『輝け!オレの30代』『さよなら僕らの1DK』『花束の日々』は、人生の優先順位をバンドだけに注いで積み重ねて来て、やっとバンドマンとして個人的に何かを掴んだ時期だったし、
そして、40代に入ってもさらに音楽がバンドが楽しくて楽しくてね。
さらに嬉しいことが今も前作よりいい楽曲を作れて、ライブができてること。
これに尽きると思う。
『この僕も40歳』から『リリー』までのラスト6曲は、そういう歴史を感じつつ、冷静ながらも熱く気持ちのこもった演奏ができて楽しかった。
これからもバンドを続けていけるように1年1年、大切なニュートラルのロックンロールをロールさせて行きたい。
そしてその先に70歳を超えてもロールさせれたら素敵やね。。。
まだまだ転がったばかり。
ずっと熱い声援で応えてくれてるみんなと一緒に、THE NEUTRALの音楽を作っていきたい。
ありがとう!
ところで、みんなの魔法はもう解けちゃいましたか?笑
この先もずっと喜んでもらえるように、素敵な魔法をかけれるようにベースをベンベン弾いていくので、よろしく!!
さあ24日はしげるの誕生祭ですね。
みんな、昨日以上の熱量でライブを盛り上げましょう!
待ってるね。
・セットリスト
M1:バンドガール
M2:傘のない君
M3:陽のあたる場所
M4:君に会いたい
《 代谷ヒストリー 10代 》
M5:ヨウゾウ
《 代谷ヒストリー 20代前半 》
M6:ブルースマン
M7:雨上がり
《 代谷ヒストリー 20代後半 》
M8:チャンスはそこだ!!
M9:パンとピストル
《 代谷ヒストリー 30代前半 》
M10:輝け!オレの30代
《 代谷ヒストリー 30代後半 》
M11:さよなら僕らの1DK
M12:花束の日々
《 代谷ヒストリー 40代 》
M13:この僕も40歳
M14:さよなら8ビート
M15:スーパーボール
M16:おじさん
M17:リリー
En1:観覧車
En2:LDK
En3:僕のロックンロールは正しくないんだ
2020/02/21
ホームラン代谷誕生祭&ホームラン代谷20周年記念ライブ! 「代谷が見た世界は観覧車の中」
昨日のWネームワンマン@恵比寿aim、来てくれた貴方ありがとう!
加入20周年のホームラン代谷が主役、いやあ、楽しかったですな!
代谷君の10代から現在までの歴史、言動、変化を紐解き、オレも全然知らなかった彼のいろいろな一面を知れて面白かった。
と言うか、ステージ上であんなに笑ったのは人生初かも知んない。
本日、顔が笑いすぎからの筋肉痛になっております。
そして、アンコールでは彼の夢が次々に叶いましたね!
ボーカルパワーの名曲を歌いたい、客席からライブを観てみたい、、、
楽しめたかな、代谷君。
君が喜んでくれたなら僕は嬉しい。
そして、僕のロックンロールは正しくないんだ、のあのベースソロ!!
本当はさ、本当は、代谷に内緒であそこでブレイクしてすぐに
ハッピーバースデー!!
歌いたかったのに、君ったら弾き切っちゃうんだもの。
めちゃくちゃシビれたぜ!
「漢の演奏」だったよ。
君の43歳の誕生日、素敵だったぜ!
そして、またサシで飲みにいきましょう!
改めて、誕生日おめでとう!
そんな代谷加入20周年イヤーですが、皆様、ライブはまだまだ続きます!
次は、、明後日!!
真っ昼間からですが、天窓で待ってるぜ!
よろしく!!
追伸 せいしょーくんの弾いた「LDK」のベースが超カッコ良かったのは、代谷くんには内緒です。
タツオ
2020/02/18
ホームラン回顧録9
前田楽器でベースを買った。
blade(ブレード)という全然知らないメーカーのジャズベース(アクティブ)。
予算が10万円以内だったからおすすめされたのか、よく覚えてないけど初めて自分のベースをちゃんと買った。
なんかドラクエでロトの剣を手に入れた時のような高揚感があった。
(今思えばTHE BOOMが好きやったんやし、ベースの山川さんも使用していたフェンダージャスべを買っとけばいいものを、、、当時はフェンダーのフェの時も知らなかった。苦笑)
そして高2の11月か12月に、サテンドールでまた他校のバンドとライブをした。
これがライブハウスでの人生初ライブ。
今度はちゃんと出た。笑
そして、年明けにまさかの駅前の山陽キャスパホールでライブをした。
まさかのホールデビューである。笑
お客さんがどれくらい入ったのか、どんなライブだったが全然覚えてない。
とにかく新年早々というイメージと高いノルマを支払ったような気がする。
あと確かZIGGYの『I`M GETTIN`BLUE』とかコピーしてて、対バンもまさかの同じ曲をコピーしてて、比べられるの嫌やなーって記憶がかすかに残っている。
そんなこんなで高校3年生になって、高校最後の文化祭でのライブに向かうのだが、、、
オレは当時どうしてもTHE BOOMがやりたくて、ずっと『次はやろう』とオカリンに言っていた。
そして最後の文化祭でTHE BOOMがやりたいってまた言ったらオカリンが『じゃあ1曲だけ』と承諾してくれた。
けれど当時のオレは深刻なTHE BOOM熱に侵されており、笑
1曲では物足りず『全曲で文化祭に出たい』とお願いした。
そしたらまさかのオカリンが『THE BOOMやるならオレは遠慮しとくわー』とバンドを脱退した。
布袋が大好きなオカリンからしたらが「島唄」ぐらいしか知らないTHE BOOMなんて全く興味がなったみたいで。そらそうよね。苦笑
なんかそんなことになるなんて思ってもなかったから、すんごい申し訳ない気持ちになった。
で、結局THE BOOMは文化祭でやらなかった(なんじゃそら!)
どういう経緯でそうなったか覚えてないが結局ユニコーンを演奏した。(なんじゃそら!)
オカリンの代役として同じバレー部だった「ら」(フジワラだからあだ名が「ら」)がヘルプで加入しスラッシュばりのレスポールを弾いていた。
2回目の文化祭は確か『おかしな2人』と『ペケペケ』
この『ペケペケ』はベースがメインボーカルを取る曲で、オレが歌った。
これはちょっとモテるんちゃう?笑
と一年前と同じ下心が少し芽生えた。笑
で、いざ本番。
みんな歌ってるオレを見てる!!!
が、少し様子がおかしい。
まさかのマイクトラブルでオレの声が全然出ていなかった。
(PAもズブの素人の学生がやってたからなんか間違えたみたい)
結果、ここでも特に何も変わらなかった。苦笑
逆に遠くからヒソヒソと陰口を叩いてそうな女子を見かけて、逆に恥ずかしくなってそそくさとその場から退散した。苦笑
ヨシクニを始めユニコーン好きの友達が最前列で楽しそうにしてくれてたのが救いだった。
バンドってモテるんちゃうんかい!全然やんけ!笑(自分のせいのんやけどね、笑)
ただオカリンに申し訳ない気持ちをずっと引きずってた。
数年後、オカリンが1回、THE NEUTRALの京都でのライブを見に来てくれて、とっても楽しかったと喜んでもらえた。
なんかその時に、久しぶりにゆっくり話して『バンド頑張ってー』って応援してくれて、ほんまにええヤツやなー大人やなーと思った。(ただただオレのわがままやったのに)
こうして振り返ってみると、オレの思春期はバンドブームから人気を博したバンドとシンガーソングライター、あとは猛烈な勢いでクラスで流行った『X』とか『Mr.Children』とか、そしてガンズやボン・ジョビ・Mr.BIGといったアメリカのハードロックを少し。
懐かしい。
まだまだ邦楽中心だった。
この頃はカラオケ大好きやったから、まだまだ歌と歌詞を中心に聴いていて、次にベースといった感じで、今思えばすごい偏って聴いてたのかも。
全体の中での各々の楽器がどうとかではなく、ベース単体でっていう聴き方をしてたかも。
でも、この時代はまだまだ歌詞の個性が強くて独特なアーティストが多くて、それをたくさん聴いていたのは良かったと思う。
姫路の片田舎で育ったオレは、ただただ歌が好きで素直になんでも聴いていた。
そんな高校時代だった。
そして、大学に受かったオレは軽音楽部に入るのである。
blade(ブレード)という全然知らないメーカーのジャズベース(アクティブ)。
予算が10万円以内だったからおすすめされたのか、よく覚えてないけど初めて自分のベースをちゃんと買った。
なんかドラクエでロトの剣を手に入れた時のような高揚感があった。
(今思えばTHE BOOMが好きやったんやし、ベースの山川さんも使用していたフェンダージャスべを買っとけばいいものを、、、当時はフェンダーのフェの時も知らなかった。苦笑)
そして高2の11月か12月に、サテンドールでまた他校のバンドとライブをした。
これがライブハウスでの人生初ライブ。
今度はちゃんと出た。笑
そして、年明けにまさかの駅前の山陽キャスパホールでライブをした。
まさかのホールデビューである。笑
お客さんがどれくらい入ったのか、どんなライブだったが全然覚えてない。
とにかく新年早々というイメージと高いノルマを支払ったような気がする。
あと確かZIGGYの『I`M GETTIN`BLUE』とかコピーしてて、対バンもまさかの同じ曲をコピーしてて、比べられるの嫌やなーって記憶がかすかに残っている。
そんなこんなで高校3年生になって、高校最後の文化祭でのライブに向かうのだが、、、
オレは当時どうしてもTHE BOOMがやりたくて、ずっと『次はやろう』とオカリンに言っていた。
そして最後の文化祭でTHE BOOMがやりたいってまた言ったらオカリンが『じゃあ1曲だけ』と承諾してくれた。
けれど当時のオレは深刻なTHE BOOM熱に侵されており、笑
1曲では物足りず『全曲で文化祭に出たい』とお願いした。
そしたらまさかのオカリンが『THE BOOMやるならオレは遠慮しとくわー』とバンドを脱退した。
布袋が大好きなオカリンからしたらが「島唄」ぐらいしか知らないTHE BOOMなんて全く興味がなったみたいで。そらそうよね。苦笑
なんかそんなことになるなんて思ってもなかったから、すんごい申し訳ない気持ちになった。
で、結局THE BOOMは文化祭でやらなかった(なんじゃそら!)
どういう経緯でそうなったか覚えてないが結局ユニコーンを演奏した。(なんじゃそら!)
オカリンの代役として同じバレー部だった「ら」(フジワラだからあだ名が「ら」)がヘルプで加入しスラッシュばりのレスポールを弾いていた。
2回目の文化祭は確か『おかしな2人』と『ペケペケ』
この『ペケペケ』はベースがメインボーカルを取る曲で、オレが歌った。
これはちょっとモテるんちゃう?笑
と一年前と同じ下心が少し芽生えた。笑
で、いざ本番。
みんな歌ってるオレを見てる!!!
が、少し様子がおかしい。
まさかのマイクトラブルでオレの声が全然出ていなかった。
(PAもズブの素人の学生がやってたからなんか間違えたみたい)
結果、ここでも特に何も変わらなかった。苦笑
逆に遠くからヒソヒソと陰口を叩いてそうな女子を見かけて、逆に恥ずかしくなってそそくさとその場から退散した。苦笑
ヨシクニを始めユニコーン好きの友達が最前列で楽しそうにしてくれてたのが救いだった。
バンドってモテるんちゃうんかい!全然やんけ!笑(自分のせいのんやけどね、笑)
ただオカリンに申し訳ない気持ちをずっと引きずってた。
数年後、オカリンが1回、THE NEUTRALの京都でのライブを見に来てくれて、とっても楽しかったと喜んでもらえた。
なんかその時に、久しぶりにゆっくり話して『バンド頑張ってー』って応援してくれて、ほんまにええヤツやなー大人やなーと思った。(ただただオレのわがままやったのに)
こうして振り返ってみると、オレの思春期はバンドブームから人気を博したバンドとシンガーソングライター、あとは猛烈な勢いでクラスで流行った『X』とか『Mr.Children』とか、そしてガンズやボン・ジョビ・Mr.BIGといったアメリカのハードロックを少し。
懐かしい。
まだまだ邦楽中心だった。
この頃はカラオケ大好きやったから、まだまだ歌と歌詞を中心に聴いていて、次にベースといった感じで、今思えばすごい偏って聴いてたのかも。
全体の中での各々の楽器がどうとかではなく、ベース単体でっていう聴き方をしてたかも。
でも、この時代はまだまだ歌詞の個性が強くて独特なアーティストが多くて、それをたくさん聴いていたのは良かったと思う。
姫路の片田舎で育ったオレは、ただただ歌が好きで素直になんでも聴いていた。
そんな高校時代だった。
そして、大学に受かったオレは軽音楽部に入るのである。
2020/02/17
ホームラン回顧録8
いつものようにヨウゾウの部屋で麻雀をしてるとヨウゾウが新しいCDを流した。
それが染谷さんのデビューアルバム「愛にあいたかった」だった。
オレはすぐにハマった。
デビューシングル「崖っぷちの少年」を始め、「サイコロとマルボロ」を聞いてからタバコの銘柄もマルボロに変えた。笑
特に「青い果実」が一番のお気に入りだった。
たくさんの女の子たちが次々と出てきて、自分たちの短く蒼い青春を精一杯生きようとする姿が、同年代の僕らにはとても共感が持てた。
東京の高校生はこんな感じなのか?と想像しながら。
そしてセカンドアルバム「僕のたくらみ」サードアルバム「僕の両手」とどんどんファンになっていった。
俺はもう好きすぎて、アルバム購入特典のポスターを部屋に張り、学校の机に「染谷俊」と落書きするほどだった。(恥ずい、笑)
日テレの野球番組で「今夜勝ちに行こう」がタイアップされた時は、すんごい嬉しかった記憶がある。
後でわかったことだが、ヨウゾウに染谷さんを勧めたのはしげるだったらしい。
しげるの高校で流行っていて、御幸通りの姫路レコードでは染谷さんのCDがバカ売れし、「なぜ姫路でこんなに売れているのか?」とメーカーから問い合わせがあったとか、、、、
とにかく染谷さんの歌詞は、まだまだ大人になり切れていない高校生の僕たちにはドンピシャで、ありのままの日常を切り取った風景と心情が描かれていたし、聴きやすいメロディーとフックの聴いた単語が並ぶ歌詞が自然と心に染みた。
それから数年後の大宮ハーツでのライブで、オレたちは初めて染谷さんとライブとすることになった。
狭い楽屋で緊張しながら挨拶するオレたちに、優しい言葉をかけてもらった。
上京してからも何度かワンマンライブを見させてもらったりして、いつも染谷さんの曲は優しく温かく背中を押してくれた。
そして去年、とうとうオレたちのアルバムで2曲も演奏してもらえることになった。
染谷さんが弾いてくれたピアノで『平成が終わる』『頑張れオレ』は最高の曲になった。
あんなに一音一音噛み締めながら演奏したレコーディングはなかったかも。
本当に夢のような時間だった。
あのヨウゾウの部屋から約20年、ずっと今でも繋がっている音楽がある。
そう思えるだけでオレの音楽人生は素晴らしいものだったんだなぁと思う。
良かったら染谷さんの曲も一度聴いて下さい。
個人的に好きな曲をあと何曲か書いておきます。
『エール』
『あいのうた』
『ひまわり』
『life is music』
『青い果実+After story』
それが染谷さんのデビューアルバム「愛にあいたかった」だった。
オレはすぐにハマった。
デビューシングル「崖っぷちの少年」を始め、「サイコロとマルボロ」を聞いてからタバコの銘柄もマルボロに変えた。笑
特に「青い果実」が一番のお気に入りだった。
たくさんの女の子たちが次々と出てきて、自分たちの短く蒼い青春を精一杯生きようとする姿が、同年代の僕らにはとても共感が持てた。
東京の高校生はこんな感じなのか?と想像しながら。
そしてセカンドアルバム「僕のたくらみ」サードアルバム「僕の両手」とどんどんファンになっていった。
俺はもう好きすぎて、アルバム購入特典のポスターを部屋に張り、学校の机に「染谷俊」と落書きするほどだった。(恥ずい、笑)
日テレの野球番組で「今夜勝ちに行こう」がタイアップされた時は、すんごい嬉しかった記憶がある。
後でわかったことだが、ヨウゾウに染谷さんを勧めたのはしげるだったらしい。
しげるの高校で流行っていて、御幸通りの姫路レコードでは染谷さんのCDがバカ売れし、「なぜ姫路でこんなに売れているのか?」とメーカーから問い合わせがあったとか、、、、
とにかく染谷さんの歌詞は、まだまだ大人になり切れていない高校生の僕たちにはドンピシャで、ありのままの日常を切り取った風景と心情が描かれていたし、聴きやすいメロディーとフックの聴いた単語が並ぶ歌詞が自然と心に染みた。
それから数年後の大宮ハーツでのライブで、オレたちは初めて染谷さんとライブとすることになった。
狭い楽屋で緊張しながら挨拶するオレたちに、優しい言葉をかけてもらった。
上京してからも何度かワンマンライブを見させてもらったりして、いつも染谷さんの曲は優しく温かく背中を押してくれた。
そして去年、とうとうオレたちのアルバムで2曲も演奏してもらえることになった。
染谷さんが弾いてくれたピアノで『平成が終わる』『頑張れオレ』は最高の曲になった。
あんなに一音一音噛み締めながら演奏したレコーディングはなかったかも。
本当に夢のような時間だった。
あのヨウゾウの部屋から約20年、ずっと今でも繋がっている音楽がある。
そう思えるだけでオレの音楽人生は素晴らしいものだったんだなぁと思う。
良かったら染谷さんの曲も一度聴いて下さい。
個人的に好きな曲をあと何曲か書いておきます。
『エール』
『あいのうた』
『ひまわり』
『life is music』
『青い果実+After story』
2020/02/12
タツオです!
いよいよ寒さも本番じゃあないですか。二月、それはオレを除くTHE NEUTRALのメンバーの誕生月。
やっと、みんなおれと同い年になるのだ。2ヶ月間だけだが。
そかそか、彼奴らも厄年を抜けるわけか。色々ありましたな、事故って死にかけたし。
なぜか厄年を抜けたオレも事故に巻き込まれてるしね。笑
まあ、死ななかっただけありがたいもんだ。うむ。
そして我々、これからまたライブが多いすね!
楽しみにしていておくれよ。
そんなアタシの最近むちゃくちゃ聴いてるのが、CHAPA君の最新盤!
電車で車窓を見ながら、うちでビールを飲みながら、いろんなシチュエーションに合うんだな。
いやぁ、メロディメーカーだねぇ。キュンキュンするぜ。
やっと、みんなおれと同い年になるのだ。2ヶ月間だけだが。
そかそか、彼奴らも厄年を抜けるわけか。色々ありましたな、事故って死にかけたし。
なぜか厄年を抜けたオレも事故に巻き込まれてるしね。笑
まあ、死ななかっただけありがたいもんだ。うむ。
そして我々、これからまたライブが多いすね!
楽しみにしていておくれよ。
そんなアタシの最近むちゃくちゃ聴いてるのが、CHAPA君の最新盤!
電車で車窓を見ながら、うちでビールを飲みながら、いろんなシチュエーションに合うんだな。
いやぁ、メロディメーカーだねぇ。キュンキュンするぜ。
2020/02/10
ホームラン回顧録7
『黒く巨大な爆撃機〜 校舎の窓を〜 震わせたー1969年〜♪』
なぜかヨウゾウの部屋にあった「浜田省吾コードブック」を見ながら、『BLOOD LINE』をオレは弾き語りしていた。
『いやいや爆撃機って、おい!そこはジェットプレーンやんかー!笑。なんで英語のとこを日本語で歌ってんねん!笑』
と、即座にしげるが突っ込んできた。
『あ、歌詞が爆撃機って書いてたから、そのまま歌ってもたわー。恥ずいわー笑』とオレは返答し、少しホッとした。
初めましてのしげるとお互いジャブで探りを入れ合っていたのが嘘のように、そこから浜省談義に花を咲かせた。
『あ、そうなん?ギターやってるの?オレはベースやってるから、またいつか一緒にバンドしようやー』とお互い本気か社交辞令かわからん感じの中、いい感じで盛り上がった。
そして後日、なぜか覚えていないがヨウゾウとしげるとヨシゾーと4人でカラオケに行った。(暇やったんやろう。笑)
当時は、浜省のアルバム『その永遠の1秒に』が発売された時期で、オレは収録曲の『星の指輪』というラブソングを歌った。
このアルバムは全体的に重苦しい雰囲気の世界観の曲が描かれていて、どちらかといえばポップな楽曲はなかった。
けれど『星の指輪』はオレの中では唯一ポピュラリティーの高いラブソングで、一番好きな曲やったからカラオケに入ってすぐに歌った。
そしたらしげるが『このアルバムにこんな素敵なバラードがあったんやなぁー』と共感してくれた。
そしてそれから約10数年後、二人で見に行ったさいたまスーパーアリーナでの浜田さんのライブで『星の指輪』を聴くんやから、縁というのは面白い。
(ライブは二人とも感動しっぱなしだった。
曲の良さはもちろん、自分たちよりも上の世代の人たちが、夫婦で家族で来場し、目を少年少女のように輝かせている。
聴いているみんなが本当に幸せそうで、こんな素敵な空間を演出する浜田さんの楽曲とエンターテイメントに感動した。)
とにかくしげると初めて出会った17歳。
ただ音楽が好きな高校生だったオレたち。
何をするでもなくたまに会ったら、久しぶりと言ってダラダラ姫路の街をうろついて遊ぶ。
バンドもすぐに一緒にやった訳でもなく、22歳になってまさか社交辞令が現実になるとは?という感じでヘルブでベースを弾くことになるのだが、、、この時はまだ知る由もない。
音楽は好きやったけど、まだバンドが全てではなかったあの頃。
ただただ高校生活を標準的に過ごしていた。
来年は受験もあるし、みたいな。。。
劇的に動き出すのは、まだ5年後のことになる。
でも、あの西陽の刺すヨウゾウの部屋で笑い合った日々があったからこそ、今があると行っても過言ではないんやろうなー。
あれから25年経った今でも、あの部屋が色褪せることなく心にあるのはオレだけじゃないだろう。
もし戻れるのならもう1回行ってみたいなー。
そうこうしてるとオレは3年生になり、2回目の文化祭に向けて動き出していたのだが、、、またやらかすのである。苦笑
なぜかヨウゾウの部屋にあった「浜田省吾コードブック」を見ながら、『BLOOD LINE』をオレは弾き語りしていた。
『いやいや爆撃機って、おい!そこはジェットプレーンやんかー!笑。なんで英語のとこを日本語で歌ってんねん!笑』
と、即座にしげるが突っ込んできた。
『あ、歌詞が爆撃機って書いてたから、そのまま歌ってもたわー。恥ずいわー笑』とオレは返答し、少しホッとした。
初めましてのしげるとお互いジャブで探りを入れ合っていたのが嘘のように、そこから浜省談義に花を咲かせた。
『あ、そうなん?ギターやってるの?オレはベースやってるから、またいつか一緒にバンドしようやー』とお互い本気か社交辞令かわからん感じの中、いい感じで盛り上がった。
そして後日、なぜか覚えていないがヨウゾウとしげるとヨシゾーと4人でカラオケに行った。(暇やったんやろう。笑)
当時は、浜省のアルバム『その永遠の1秒に』が発売された時期で、オレは収録曲の『星の指輪』というラブソングを歌った。
このアルバムは全体的に重苦しい雰囲気の世界観の曲が描かれていて、どちらかといえばポップな楽曲はなかった。
けれど『星の指輪』はオレの中では唯一ポピュラリティーの高いラブソングで、一番好きな曲やったからカラオケに入ってすぐに歌った。
そしたらしげるが『このアルバムにこんな素敵なバラードがあったんやなぁー』と共感してくれた。
そしてそれから約10数年後、二人で見に行ったさいたまスーパーアリーナでの浜田さんのライブで『星の指輪』を聴くんやから、縁というのは面白い。
(ライブは二人とも感動しっぱなしだった。
曲の良さはもちろん、自分たちよりも上の世代の人たちが、夫婦で家族で来場し、目を少年少女のように輝かせている。
聴いているみんなが本当に幸せそうで、こんな素敵な空間を演出する浜田さんの楽曲とエンターテイメントに感動した。)
とにかくしげると初めて出会った17歳。
ただ音楽が好きな高校生だったオレたち。
何をするでもなくたまに会ったら、久しぶりと言ってダラダラ姫路の街をうろついて遊ぶ。
バンドもすぐに一緒にやった訳でもなく、22歳になってまさか社交辞令が現実になるとは?という感じでヘルブでベースを弾くことになるのだが、、、この時はまだ知る由もない。
音楽は好きやったけど、まだバンドが全てではなかったあの頃。
ただただ高校生活を標準的に過ごしていた。
来年は受験もあるし、みたいな。。。
劇的に動き出すのは、まだ5年後のことになる。
でも、あの西陽の刺すヨウゾウの部屋で笑い合った日々があったからこそ、今があると行っても過言ではないんやろうなー。
あれから25年経った今でも、あの部屋が色褪せることなく心にあるのはオレだけじゃないだろう。
もし戻れるのならもう1回行ってみたいなー。
そうこうしてるとオレは3年生になり、2回目の文化祭に向けて動き出していたのだが、、、またやらかすのである。苦笑
2020/02/07
ホームラン回顧録6
高校2年になると席が前後になったヨシクニと仲良くなった。
仲良くなり過ぎて、オレは授業中、身体を半身横に向け、いつも後ろのヨシクニと喋っていたもんやから、二人して数学のテストで30点台を叩き出し、ヘラヘラと笑っていた。
ある日、ヨシクニが麻雀しようと誘ってきた。
メンツを聞いてみるとヨシクニと同じバスケ部のハルオとヨウゾウだった。
高校1年の時、オレは3組で、ヨウゾウは4組だった。
3組は体育の授業の時に、合同で4組とやるのだが、初めて見た時から4組のヨウゾウが少し気に食わなかった。
地毛が茶色がかったサラサラとした長髪に、すらっとした体型とスマートな雰囲気、そしてたまにニヤニヤしてる感じが、「何をスカしてんねん!」と、ホント見た目だけで勝手に判断していた。
ま、思春期とはそんなもんで、高校入学時って特にそんなことに敏感な時期。
そしてバレー部だったオレは初対面だった2人と、まさかのすぐに意気投合した。
いざ喋ってみるとヨウゾウはめっちゃいいヤツで、面白いヤツだった。
あのスカしてる感じは、ただ本人が恥ずかしがり屋のため、照れ隠しから来ているためだった。
そして、この4人でヨウゾウの部屋で麻雀に明け暮れることになる。
麻雀する時はBGMとして好きな音楽をかけるのが決まっていて、「ユニコーン」「BEGIN」「スターダストレビュー」「THE BOOM」「尾崎」「浜省」「長渕」とか、誰かがCDをセレクトして色んな音楽をかけていた。
お菓子とコーヒー牛乳とマイセンを買ってきて、ヤニ臭い部屋で放課後、麻雀ときどきゲーム。
何を話したか覚えていないけれど、たくさん笑って音楽を聴いて、配牌を眺めていた。
退屈な授業とマンネリとなった部活、彼女はできないし、バイトはすぐに見つかって反省文、、、笑
自分には何もなくて、後先何も考えずダラダラと過ごし、上手くいかないことだらけの毎日。
そんなつまらない日常をいつも和らげてくれたのがヨウゾウの部屋だった。
あの部屋が高校生活の全てだったかもしれない。
そんな部屋やったから、たくさんの友達が自然とメンツに加わった。
そんなある日、一人でヨウゾウの部屋に遊びに行くとヨウゾウが言った。
『今日、中学の同級生が遊びに来るから』
それがしげるとの初めての出会いだった。
仲良くなり過ぎて、オレは授業中、身体を半身横に向け、いつも後ろのヨシクニと喋っていたもんやから、二人して数学のテストで30点台を叩き出し、ヘラヘラと笑っていた。
ある日、ヨシクニが麻雀しようと誘ってきた。
メンツを聞いてみるとヨシクニと同じバスケ部のハルオとヨウゾウだった。
高校1年の時、オレは3組で、ヨウゾウは4組だった。
3組は体育の授業の時に、合同で4組とやるのだが、初めて見た時から4組のヨウゾウが少し気に食わなかった。
地毛が茶色がかったサラサラとした長髪に、すらっとした体型とスマートな雰囲気、そしてたまにニヤニヤしてる感じが、「何をスカしてんねん!」と、ホント見た目だけで勝手に判断していた。
ま、思春期とはそんなもんで、高校入学時って特にそんなことに敏感な時期。
そしてバレー部だったオレは初対面だった2人と、まさかのすぐに意気投合した。
いざ喋ってみるとヨウゾウはめっちゃいいヤツで、面白いヤツだった。
あのスカしてる感じは、ただ本人が恥ずかしがり屋のため、照れ隠しから来ているためだった。
そして、この4人でヨウゾウの部屋で麻雀に明け暮れることになる。
麻雀する時はBGMとして好きな音楽をかけるのが決まっていて、「ユニコーン」「BEGIN」「スターダストレビュー」「THE BOOM」「尾崎」「浜省」「長渕」とか、誰かがCDをセレクトして色んな音楽をかけていた。
お菓子とコーヒー牛乳とマイセンを買ってきて、ヤニ臭い部屋で放課後、麻雀ときどきゲーム。
何を話したか覚えていないけれど、たくさん笑って音楽を聴いて、配牌を眺めていた。
退屈な授業とマンネリとなった部活、彼女はできないし、バイトはすぐに見つかって反省文、、、笑
自分には何もなくて、後先何も考えずダラダラと過ごし、上手くいかないことだらけの毎日。
そんなつまらない日常をいつも和らげてくれたのがヨウゾウの部屋だった。
あの部屋が高校生活の全てだったかもしれない。
そんな部屋やったから、たくさんの友達が自然とメンツに加わった。
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