2020/12/31
今年を振り返る。その3
コロナウイルスが流行っているらしい。
今年に入ってそんなニュースが流れてきた。
しかし俺には関係ないだろう、またマスコミが大きく入っているだけだろうと思い、中国人の友達に
「んなこといってるけど、中国ではそんなに話題にもなってないんじゃない?」と聞いたところ、まさかの「深刻な問題になっている」との回答。
そうなのか。。。と思っているうちにあっという間にコロナは世界を奪った。
まだコロナというものへの対処法がない中、ライブをするかどうかの検討もしていた。
恐ろしい。今なら迷わず中止だ。
コロナになってのメンバーミーティングで伝えた。
「今回はみんなの意見なんかに合わさなくてもいい。一人でもコロナが怖いからライブを今はやりたくない。会いたくない。というのは言うべきだ。一人一人回答が違って当たり前。そしてニュートラルとして一人でもその意見が出ればキャンセル料を払ってでも中止にしよう」
どの仕事でもそうだと思う。
12月のこの今だって正解がない中、みんな手探りでルールを作り反発の声に向き合いながら闘っている。
先の見えないとはまさにこのようなときに使うのだろう。
先の見えない中、一筋の光を照らすような、歌とはそう言う力があると信じて今も歌っている。
来年こそ、再来年こそ、いつか、いつかきっと。
今でもそう信じて歌っている。
今年に入ってそんなニュースが流れてきた。
しかし俺には関係ないだろう、またマスコミが大きく入っているだけだろうと思い、中国人の友達に
「んなこといってるけど、中国ではそんなに話題にもなってないんじゃない?」と聞いたところ、まさかの「深刻な問題になっている」との回答。
そうなのか。。。と思っているうちにあっという間にコロナは世界を奪った。
まだコロナというものへの対処法がない中、ライブをするかどうかの検討もしていた。
恐ろしい。今なら迷わず中止だ。
コロナになってのメンバーミーティングで伝えた。
「今回はみんなの意見なんかに合わさなくてもいい。一人でもコロナが怖いからライブを今はやりたくない。会いたくない。というのは言うべきだ。一人一人回答が違って当たり前。そしてニュートラルとして一人でもその意見が出ればキャンセル料を払ってでも中止にしよう」
どの仕事でもそうだと思う。
12月のこの今だって正解がない中、みんな手探りでルールを作り反発の声に向き合いながら闘っている。
先の見えないとはまさにこのようなときに使うのだろう。
先の見えない中、一筋の光を照らすような、歌とはそう言う力があると信じて今も歌っている。
来年こそ、再来年こそ、いつか、いつかきっと。
今でもそう信じて歌っている。
今年を振り返る。その2
渋谷クアトロを成功させるために。
と銘打ったが、おそらく六本木モーフ東京の店長阿部さんに誘われたからだと思う。
カウントダウン誘われてるけどどうする?ガキ使あるしなぁ、みたいけどなぁ。。。それくらいの気持ちだったと思う。
だのに10年以上も六本木モーフ東京でカウントダウンをすることになった。
書いていて阿部さんに電話したくなって、文章を一度止め電話をした。
が、特筆することなく。。。
それでいいのだ。特筆することはない。そう言う人間関係が一番心地よい。
コロナの影響をダイレクトに受け、六本木モーフ東京は11月に幕を閉じた。
天窓もそうだ。
そして、、、多くのバンドマンも再来年にかけて戻らぬ動員に憔悴し解散、フェードアウトしていくだろう。
遅かれ早かれだったのでコロナのせいではない、なのか、コロナのせいなのか。
考えてもどうしようもない。
だから考えない。
僕らはバンドがしたい。
それだけ。
今年はカウントダウンの代わりに5時間の配信ライブとなった。
時間の長さに比例して金額が高くなったがこれもしかたない。
バンドを続けると言うことはもちろん綺麗事だけではないのだから。
なので毎晩毎晩ミーティングを重ね、アイデアを出している。
嘆いてもしかたがない。
やれることを精一杯やる。
これが2020年だったな。
と銘打ったが、おそらく六本木モーフ東京の店長阿部さんに誘われたからだと思う。
カウントダウン誘われてるけどどうする?ガキ使あるしなぁ、みたいけどなぁ。。。それくらいの気持ちだったと思う。
だのに10年以上も六本木モーフ東京でカウントダウンをすることになった。
書いていて阿部さんに電話したくなって、文章を一度止め電話をした。
が、特筆することなく。。。
それでいいのだ。特筆することはない。そう言う人間関係が一番心地よい。
コロナの影響をダイレクトに受け、六本木モーフ東京は11月に幕を閉じた。
天窓もそうだ。
そして、、、多くのバンドマンも再来年にかけて戻らぬ動員に憔悴し解散、フェードアウトしていくだろう。
遅かれ早かれだったのでコロナのせいではない、なのか、コロナのせいなのか。
考えてもどうしようもない。
だから考えない。
僕らはバンドがしたい。
それだけ。
今年はカウントダウンの代わりに5時間の配信ライブとなった。
時間の長さに比例して金額が高くなったがこれもしかたない。
バンドを続けると言うことはもちろん綺麗事だけではないのだから。
なので毎晩毎晩ミーティングを重ね、アイデアを出している。
嘆いてもしかたがない。
やれることを精一杯やる。
これが2020年だったな。
今年を振り返る。その1
今年も最後ということで振り返ろうかな。
近いところではクリスマスライブ。
思い返せば数年前、ナカノさんに誘われ天窓に出演した。
その時僕は大変あのライブハウスを気に入ったが、天窓の人はそこまで僕にハマっていない気はしていた。
がしかし数日後、スタッフから「クリスマスの日にライブはどうか?」と誘われているとの連絡を受け少し驚いたのを覚えている。向こうからしたらスケジュールの穴埋めだったのかどうかは分からないが、この日から天窓との長い付き合いが始まっていく。
そして勝負に出たvocal powerも天窓があってこそだったな。
結果、僕はあのプロジェクトによって沢山のものを失ったが、気づいたことも多く、少し音楽への情熱であったり、人の見方が大きく変わった。
ただもう僕は誰かのために生きるとしたら、メンバーとファンの人のためだけにしようと決めている。
話がそれたが何年も続けてきたクリスマスライブがまさかの配信でのお届け。
配信が生を超えることはない。
そんなのわかっている。
でも、だったら僕らはずっと部屋にいなければならない。
そういうわけにはいかないので、動かなきゃの思いで今回も届けた。
僕のようなひねくれ者でも、心の奥では「みてくれている人がクリスマス感を味わって、もうすぐ1年も終わるのか」という年末ならではの思いを感じてもらいたいというシンプルな思いがある。
ま、クリスマスを振り返るのはこの辺にしょう。
近いところではクリスマスライブ。
思い返せば数年前、ナカノさんに誘われ天窓に出演した。
その時僕は大変あのライブハウスを気に入ったが、天窓の人はそこまで僕にハマっていない気はしていた。
がしかし数日後、スタッフから「クリスマスの日にライブはどうか?」と誘われているとの連絡を受け少し驚いたのを覚えている。向こうからしたらスケジュールの穴埋めだったのかどうかは分からないが、この日から天窓との長い付き合いが始まっていく。
そして勝負に出たvocal powerも天窓があってこそだったな。
結果、僕はあのプロジェクトによって沢山のものを失ったが、気づいたことも多く、少し音楽への情熱であったり、人の見方が大きく変わった。
ただもう僕は誰かのために生きるとしたら、メンバーとファンの人のためだけにしようと決めている。
話がそれたが何年も続けてきたクリスマスライブがまさかの配信でのお届け。
配信が生を超えることはない。
そんなのわかっている。
でも、だったら僕らはずっと部屋にいなければならない。
そういうわけにはいかないので、動かなきゃの思いで今回も届けた。
僕のようなひねくれ者でも、心の奥では「みてくれている人がクリスマス感を味わって、もうすぐ1年も終わるのか」という年末ならではの思いを感じてもらいたいというシンプルな思いがある。
ま、クリスマスを振り返るのはこの辺にしょう。
2020/12/11
おもろいか、おもろくないか
関西という街は特殊な街だ。
どれほど人が良かろうが最後の最後には「おもろいかどうか」で人を見極める。
子供の世界でもそれは顕著に出る。
「しげ、3組の山崎ってやつおもろいらしいで」
入学式を終えたばかりの中学1年生4月。
そんな言葉が飛び込んでくる。
喧嘩強いらしいで、はよく聞く話だが、「おもろいらしいで」なのだ。
別にええやないかと今なら思うのだが、当時は「どれほどのもんやんねん。ちょっとお手並み拝見したろかい」と覗きに行く。
「なんやあれ、、、テンションだけやんけ。全然おもんない。ガキの笑いやん」と声変わりもしていないやつが答える。
当時、兄貴がいた世代はブレイク直前のダウンタウンに触れていたので、言葉少なにあまり笑わずにセンスある一言で刺す!というのが僕らの中では流行っていた。
授業中に当てられる=大喜利だ。
なんの話か忘れたが、古典か能かの話で、ある日急にクマになるというものがあった。
先生が僕を当てる。
「みきくん、ある日急にクマになったらどうする?」
大喜利開始。
「とりあえず、電話する」
当時はこれで爆笑だった。
お恥ずかしいが、間と言い方もあるのでご了承。
面白いということは頭の回転がはやいということであり、柔軟であるということ。
「おもろいかどうか」で人を見極めるという関西の悪しき文化もなかなかどうしてなのかもしれないなと今は少し思う。
どれほど人が良かろうが最後の最後には「おもろいかどうか」で人を見極める。
子供の世界でもそれは顕著に出る。
「しげ、3組の山崎ってやつおもろいらしいで」
入学式を終えたばかりの中学1年生4月。
そんな言葉が飛び込んでくる。
喧嘩強いらしいで、はよく聞く話だが、「おもろいらしいで」なのだ。
別にええやないかと今なら思うのだが、当時は「どれほどのもんやんねん。ちょっとお手並み拝見したろかい」と覗きに行く。
「なんやあれ、、、テンションだけやんけ。全然おもんない。ガキの笑いやん」と声変わりもしていないやつが答える。
当時、兄貴がいた世代はブレイク直前のダウンタウンに触れていたので、言葉少なにあまり笑わずにセンスある一言で刺す!というのが僕らの中では流行っていた。
授業中に当てられる=大喜利だ。
なんの話か忘れたが、古典か能かの話で、ある日急にクマになるというものがあった。
先生が僕を当てる。
「みきくん、ある日急にクマになったらどうする?」
大喜利開始。
「とりあえず、電話する」
当時はこれで爆笑だった。
お恥ずかしいが、間と言い方もあるのでご了承。
面白いということは頭の回転がはやいということであり、柔軟であるということ。
「おもろいかどうか」で人を見極めるという関西の悪しき文化もなかなかどうしてなのかもしれないなと今は少し思う。
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