2020/10/27
俺の歌は優しい
悪い男に引っかかっている女性がいる。
どうする?
そんなやつやめとけ、他にいい人いるって。
って言う?
そしたら
「あたしの年齢考えてよ。他にいい人と出会う確率、そいつもいいやつである確率、どう思うのよ」
こんなこと言われたらグーの音も出ない。
つまり年齢によって恋愛の捉え方や答えは違う。
そして世の中にあるラブソングはほとんど20代に向けて作られているので大人は下を向いて懐メロを聞く。
おれはそんな大人にこそ歌を届けたい。
家族を持った人、家族を持てなかったひと。家族を持てないだろうなぁと諦めている人。
だのに急に恋しちゃった人。
大人には大人が聞く、大人が書いた質の良い音楽が必要だ。
つまり俺が必要だっってことだ。
悪いことは言わない。
俺の歌を聴いていけ。
俺の歌は結果、優しいのだ。
2020/10/18
過去の日記
今はもう見れない昔の日記。
我が家から見る夏の風物詩
[2002年08月18日(日)]
「ドーン、ドーン!!」
部屋で本を読んでいた時、突然大きな音が聞こえた。
「下の住人が引っ越しか模様替えでもしてるのかな?」そう思ったが、その音は止む事なく「ドーン、ドーン」と鳴り響いていた。
「もしや!!」と思い玄関を開けると・・・。
見事な花火だった。
肉眼で花火を見たのは何年ぶりだろう??
色とりどりで壮大な花火がいくつも打ち上げられていた。
僕は読みかけの本のページに指を入れたまま、ただただその美しさに見とれていた。
気がつくと、アパートの住人のほとんどが出てきており、みんなで花火を眺めていた。
ふっと思った。
「またこれを見れるのは来年なのか・・・。」
来年僕はまだここに住んでいるのだろうか?
このアパートから同じように花火を見ているのだろうか??
色んな事を考えてしまった。
今日は他にも書きたい事があったんだけど、花火の美しさとはかなさ、終わった後の胸をキュンとさせるものにやられたので・・・。
なんだか手持ち花火でもしたくなった。
この日記から18年以上経って「中村橋に立っていた」という曲を書いた。
日記を見るとそれほどの内容ではないのだが、胸にくるものがあったのだろう。
そのとしまえんも閉園となった。
時代は変わる。
そして僕はその時代の中でいつだってもがいている。
我が家から見る夏の風物詩
[2002年08月18日(日)]
「ドーン、ドーン!!」
部屋で本を読んでいた時、突然大きな音が聞こえた。
「下の住人が引っ越しか模様替えでもしてるのかな?」そう思ったが、その音は止む事なく「ドーン、ドーン」と鳴り響いていた。
「もしや!!」と思い玄関を開けると・・・。
見事な花火だった。
肉眼で花火を見たのは何年ぶりだろう??
色とりどりで壮大な花火がいくつも打ち上げられていた。
僕は読みかけの本のページに指を入れたまま、ただただその美しさに見とれていた。
気がつくと、アパートの住人のほとんどが出てきており、みんなで花火を眺めていた。
ふっと思った。
「またこれを見れるのは来年なのか・・・。」
来年僕はまだここに住んでいるのだろうか?
このアパートから同じように花火を見ているのだろうか??
色んな事を考えてしまった。
今日は他にも書きたい事があったんだけど、花火の美しさとはかなさ、終わった後の胸をキュンとさせるものにやられたので・・・。
なんだか手持ち花火でもしたくなった。
この日記から18年以上経って「中村橋に立っていた」という曲を書いた。
日記を見るとそれほどの内容ではないのだが、胸にくるものがあったのだろう。
そのとしまえんも閉園となった。
時代は変わる。
そして僕はその時代の中でいつだってもがいている。
2020/10/16
no ストレス
僕は文字を書くことになんのストレスも感じない。
どんなテーマでもなんであっても止まることなくタイピングする。
読んだことのない本の説明もできるし、学んだことのない論文だって書ける。
僕は文字を書くことになんのストレスも感じないのだ。
ただ、その速さと確認作業は比例していない。
がゆえに誤字脱字が多い。
というか、、、頭の中では書いているが文章では端折ってしまっていることが多々ある。
恐ろしや。
しかし僕は確認をしない。
速さがあるうちには頭のまま指が追いつかなくても書いていく。
と、言い訳を自分にしている昼下がり。
どんなテーマでもなんであっても止まることなくタイピングする。
読んだことのない本の説明もできるし、学んだことのない論文だって書ける。
僕は文字を書くことになんのストレスも感じないのだ。
ただ、その速さと確認作業は比例していない。
がゆえに誤字脱字が多い。
というか、、、頭の中では書いているが文章では端折ってしまっていることが多々ある。
恐ろしや。
しかし僕は確認をしない。
速さがあるうちには頭のまま指が追いつかなくても書いていく。
と、言い訳を自分にしている昼下がり。
2020/10/12
アルバムホームランを振り返って
「俺もう今月1500円で生活せなあかんねん。」
「1週間もツアーに出るからバイトクビになるかもな。まぁ、また探すけど。」
2001年の僕らはこんな感じだった。
月に1週間はツアー、あとはアルバイト。
地元のワンマンライブで稼いだお金もレコーディング代で消えていく。
実家暮らしといえども、ツアーに出るお金を稼ぐために日々バイト。
スタジオに入れるのは深夜の0時。
ライブハウスの前のスタジオに入るのだが、中途半端に人気が出てしまい声をかけられるのを避けてライブが終わりお客さんがいなくなるまで身を潜め、機材を下ろし朝方5時まで練習。
仮眠を取りアルバイト。
そんな時期にプラスして「ホームラン」はレコーディングされていった。
そりゃデビューするわな、と思う。
人生をバンドにかけすぎだ。
しかしこのときは苦労とも思っていなかったし、むしろ日に日に成果が見えるのが嬉しくて、待っていてくれる人がいるのが嬉しくてやっていたと思う。
ま、今と同じか。
「ホームラン」
ファミレスでミーティングしているときに急にサビが降ってきた歌。
チリリンGO!とホームラン。
タイトルになるくらいこの歌たちはアマチュア時代とてもファンの人に愛されていた。
もちろん僕らからも。
「僕の本音」
僕らしい抜き具合が絶妙な歌だ。
当時のライブハウスの店長に「これで何年でも食っていける。お前が40歳になってもディナーショーで食っていける」と言われ、遠い20年後ラメのジャケットを着て会場を練り歩きおひねりをもらいながら「僕の本音」を歌っている自分を想像したが、現実の40代はコロナというわけわからんウイルスにめちゃくちゃにされながらも配信で歌っている。
「傘のない君」
少しだけ文学的、、、というのも恥ずかしいがその要素を入れ、それでいてロックに特化した歌。
なめられたくない。
いや別になめられてもええやん、と大人になるといなす美学を覚えるのだが、若い頃はこれでいいとも思う。なめられたくない。そんな思いの延長でできた歌。
「さよなら」
ロックバンドが歌うミドルな曲。
このアルバムの根底には「ロック」が常にある。
しかし今のようなロックではなく、ロックをやれるようになりたい、その気持ちが強かったように思う。
作品としては中学生の時に亡くなった友達の事をテーマにおいている。
大きなテーマだけに扱い切れているかどうかわからないが、このころの僕はこのテーマをいつか作品で描ききりたい、描ききれるのだろうかと自問自答していた。
今でも、、、そうかもしれないな。
「マッハ5」
関西はお笑い番組の宝庫だ。
ある時深夜放送を見ていたら、スピード違反したタクシー運転手を警察が捕まえて質問するというコントで、警察官が運転手に「君、飛ばしてたなぁ。マッハでてたで」「でるか!!戦闘機か!!」というくだりがあって、マッハか、、、と思って書いた曲。
ライブ中もいったがロックより、ロールがしたかった曲。
いや、、、、かっこよく言い過ぎか、、、ロックを探していた曲かな。
「アルバイトロック」
このころの僕たちはデビューもしていない。
だが街を歩けないほどの人気はある。
それでもそれで食ってけるほどの金はない。
そして人気があるだけに人知れずのアルバイトしかできない。
そんな辛い時期だった。
今でもこのアルバイトの記事を思い出すのだけはメンバー全員顔をしかめると思う。
バンドでする苦労は屁とも思わなかったが、アルバイトの時間は苦痛でしかなく「残り時間を気にしながらダラダラと働いていた」。
「サンダー」
teiscoのスペクトラム5というギター。
初見で惚れた。
音?知るかよ。見た目よ見た目。
大阪まで買いに行って、あまりの嬉し際に帰りの新快速(電車)の中で開けてみたほどだ。
デビューして、河合楽器さんから一本いただいたのと、もともと復刻版を持っていたのだが、1960年代のオリジナルも一本所有している。
ちなみに引越しの際、一本はリサイクルショップに売った。
しょーもない値段をつけられたけど、ファンの人にオークションで出すとかそういうのよりも、、、ネットオークションとかそういうのよりも、、、ざくっとさっぱり売りたかった。
思いがあればあるほどそういった乱暴な別れがいい時もある。
「1/100の強さ」
ライブハウスで歌われなかった曲。
その理由は配信ライブを見てくれ、、、なのだが。
作り手として客観的に見ると、やりたいことはわかる。
だが技量と知識が足りない。
がんばれ過去の俺。
お前には未来がある。
書いているとノスタルジックになってきた。
こういう日は明るい未来を想像して寝よう。
過去を振り返る時も最後は明日へ向かって、いいのだ。
「1週間もツアーに出るからバイトクビになるかもな。まぁ、また探すけど。」
2001年の僕らはこんな感じだった。
月に1週間はツアー、あとはアルバイト。
地元のワンマンライブで稼いだお金もレコーディング代で消えていく。
実家暮らしといえども、ツアーに出るお金を稼ぐために日々バイト。
スタジオに入れるのは深夜の0時。
ライブハウスの前のスタジオに入るのだが、中途半端に人気が出てしまい声をかけられるのを避けてライブが終わりお客さんがいなくなるまで身を潜め、機材を下ろし朝方5時まで練習。
仮眠を取りアルバイト。
そんな時期にプラスして「ホームラン」はレコーディングされていった。
そりゃデビューするわな、と思う。
人生をバンドにかけすぎだ。
しかしこのときは苦労とも思っていなかったし、むしろ日に日に成果が見えるのが嬉しくて、待っていてくれる人がいるのが嬉しくてやっていたと思う。
ま、今と同じか。
「ホームラン」
ファミレスでミーティングしているときに急にサビが降ってきた歌。
チリリンGO!とホームラン。
タイトルになるくらいこの歌たちはアマチュア時代とてもファンの人に愛されていた。
もちろん僕らからも。
「僕の本音」
僕らしい抜き具合が絶妙な歌だ。
当時のライブハウスの店長に「これで何年でも食っていける。お前が40歳になってもディナーショーで食っていける」と言われ、遠い20年後ラメのジャケットを着て会場を練り歩きおひねりをもらいながら「僕の本音」を歌っている自分を想像したが、現実の40代はコロナというわけわからんウイルスにめちゃくちゃにされながらも配信で歌っている。
「傘のない君」
少しだけ文学的、、、というのも恥ずかしいがその要素を入れ、それでいてロックに特化した歌。
なめられたくない。
いや別になめられてもええやん、と大人になるといなす美学を覚えるのだが、若い頃はこれでいいとも思う。なめられたくない。そんな思いの延長でできた歌。
「さよなら」
ロックバンドが歌うミドルな曲。
このアルバムの根底には「ロック」が常にある。
しかし今のようなロックではなく、ロックをやれるようになりたい、その気持ちが強かったように思う。
作品としては中学生の時に亡くなった友達の事をテーマにおいている。
大きなテーマだけに扱い切れているかどうかわからないが、このころの僕はこのテーマをいつか作品で描ききりたい、描ききれるのだろうかと自問自答していた。
今でも、、、そうかもしれないな。
「マッハ5」
関西はお笑い番組の宝庫だ。
ある時深夜放送を見ていたら、スピード違反したタクシー運転手を警察が捕まえて質問するというコントで、警察官が運転手に「君、飛ばしてたなぁ。マッハでてたで」「でるか!!戦闘機か!!」というくだりがあって、マッハか、、、と思って書いた曲。
ライブ中もいったがロックより、ロールがしたかった曲。
いや、、、、かっこよく言い過ぎか、、、ロックを探していた曲かな。
「アルバイトロック」
このころの僕たちはデビューもしていない。
だが街を歩けないほどの人気はある。
それでもそれで食ってけるほどの金はない。
そして人気があるだけに人知れずのアルバイトしかできない。
そんな辛い時期だった。
今でもこのアルバイトの記事を思い出すのだけはメンバー全員顔をしかめると思う。
バンドでする苦労は屁とも思わなかったが、アルバイトの時間は苦痛でしかなく「残り時間を気にしながらダラダラと働いていた」。
「サンダー」
teiscoのスペクトラム5というギター。
初見で惚れた。
音?知るかよ。見た目よ見た目。
大阪まで買いに行って、あまりの嬉し際に帰りの新快速(電車)の中で開けてみたほどだ。
デビューして、河合楽器さんから一本いただいたのと、もともと復刻版を持っていたのだが、1960年代のオリジナルも一本所有している。
ちなみに引越しの際、一本はリサイクルショップに売った。
しょーもない値段をつけられたけど、ファンの人にオークションで出すとかそういうのよりも、、、ネットオークションとかそういうのよりも、、、ざくっとさっぱり売りたかった。
思いがあればあるほどそういった乱暴な別れがいい時もある。
「1/100の強さ」
ライブハウスで歌われなかった曲。
その理由は配信ライブを見てくれ、、、なのだが。
作り手として客観的に見ると、やりたいことはわかる。
だが技量と知識が足りない。
がんばれ過去の俺。
お前には未来がある。
書いているとノスタルジックになってきた。
こういう日は明るい未来を想像して寝よう。
過去を振り返る時も最後は明日へ向かって、いいのだ。
2020/10/09
sosを断る
ライブハウスからSOSが来るが断ることにした。
理由はいくつかある。
まず数が多すぎる。
全てが全て救えない。でもすべてがすべてギリギリ。
どっからだれから助けていいかわからない。
もう一つ大きな理由。
助けるというのは聞こえがいいが、それらはファンの人が僕らのライブを見て払うお金。
それをむやみやたらと使うわけにはいかない。
俺が寄付するならいいけど、そうでないならばそれらは基本的にはニュートラルの活動のために使われるべきだと思う。
なので線引きをした。
僕らはもうライブハウスのためにライブをしないと。
胸は痛むが、しかたがない。
ただ僕たちのルールでやるべきだと思ったときはやる。
それでいく。
一番大切なのはバンドでありお客さんだ。
そこが狂うようであれば僕は何もやらない。
理由はいくつかある。
まず数が多すぎる。
全てが全て救えない。でもすべてがすべてギリギリ。
どっからだれから助けていいかわからない。
もう一つ大きな理由。
助けるというのは聞こえがいいが、それらはファンの人が僕らのライブを見て払うお金。
それをむやみやたらと使うわけにはいかない。
俺が寄付するならいいけど、そうでないならばそれらは基本的にはニュートラルの活動のために使われるべきだと思う。
なので線引きをした。
僕らはもうライブハウスのためにライブをしないと。
胸は痛むが、しかたがない。
ただ僕たちのルールでやるべきだと思ったときはやる。
それでいく。
一番大切なのはバンドでありお客さんだ。
そこが狂うようであれば僕は何もやらない。
2020/10/07
ホームランを狙わない、、、say!
土曜日に「ホームラン」の配信ライブをすることに。
18日には「ホームラン」の配信を購入された方へのアンコール配信として、昔の仲間との振り返りトーク配信。
なのだが。
「ホームラン」はアマチュア時代のアルバム。
2001年だそうだ。
21,2歳かな。
そりゃあんた。。。めちゃくちゃですがな。
どんな人だって駆け出しは、、、あれやがな。
ただこんな時じゃないとできないので、、、楽しみながらやるってばよ。
そういえば、僕はなんで音楽をやっているんだろうと先日やや真剣に考えてみた。
初期衝動は?
歌が好きだったから。
バンドを始めたのは?
インタビューとかで「モテたかった」と答えたりするが、本当は。
「かっかよかった」からだ。
バンドをやっているというのはかっこよかった。
好きなバンドみたいになりたかった。
つまり、俺が今日までやっているのはバンドをやっているのはかっこよくて、今でもその思いがあり、つまり音楽どうこうよりもバンドが好きなのだ。
そんなことに気がついた。
そしてその答えにもっとも近かった頃の「ホームラン」。
初期衝動を確かめるように楽しみたい。
18日には「ホームラン」の配信を購入された方へのアンコール配信として、昔の仲間との振り返りトーク配信。
なのだが。
「ホームラン」はアマチュア時代のアルバム。
2001年だそうだ。
21,2歳かな。
そりゃあんた。。。めちゃくちゃですがな。
どんな人だって駆け出しは、、、あれやがな。
ただこんな時じゃないとできないので、、、楽しみながらやるってばよ。
そういえば、僕はなんで音楽をやっているんだろうと先日やや真剣に考えてみた。
初期衝動は?
歌が好きだったから。
バンドを始めたのは?
インタビューとかで「モテたかった」と答えたりするが、本当は。
「かっかよかった」からだ。
バンドをやっているというのはかっこよかった。
好きなバンドみたいになりたかった。
つまり、俺が今日までやっているのはバンドをやっているのはかっこよくて、今でもその思いがあり、つまり音楽どうこうよりもバンドが好きなのだ。
そんなことに気がついた。
そしてその答えにもっとも近かった頃の「ホームラン」。
初期衝動を確かめるように楽しみたい。
2020/10/02
訃報
朝起きると女優の訃報が届いた。
2003年僕らはとある焼肉屋にいた。
そこが高級だったかどうかは知らない。味だって覚えていない。
なんせ僕はデビューシングルがいい加減な扱いされたことに腹を立てて、レコード会社に「どうなってんだ?こんなんじゃ次の自信作『パンとピストル』は出せへんぞ!」などと息巻いていたのだ。
味なんて覚えていない。
高級だったかどうか知らないが、なんか区切りが仕切られている個室というか選ばれた奴らしかこれないような所に作れてこられていた。
「こんなとこに連れてこられたからってごまかされへんぞ!!」スラム街育ちの僕はひねた目で業界人を見ていた。
すると2組しか入れない半個室に眩しいオーラが。
当時月9などで人気を博してた先述の女優さんだった。
おぉ、というよりも、そうかレコード会社は本気で俺たちのことを思っているんだなぁと再確認したのを覚えている。
だって今をときめく女優がいくような店の2組中の1組が僕らなんですもの。
ただ代谷はその女優さんに気がつかず、ただただめちゃくちゃ綺麗な人がいる。東京ってすげぇと天然を爆発させていたが。
先日亡くなった俳優さんもそうだが、ほんの少しではあっても近い距離で同じ時間を過ごした人が亡くなると、、、。
人の痛みは誰にもわからない。
そして長く生きていれば誰もが人に触られたくない部分ができてくる。
音楽でそれらすべてを救えるとは言い難いが、音楽をやる以上はそれらすべてを救う気持ちで創作したい。
2003年僕らはとある焼肉屋にいた。
そこが高級だったかどうかは知らない。味だって覚えていない。
なんせ僕はデビューシングルがいい加減な扱いされたことに腹を立てて、レコード会社に「どうなってんだ?こんなんじゃ次の自信作『パンとピストル』は出せへんぞ!」などと息巻いていたのだ。
味なんて覚えていない。
高級だったかどうか知らないが、なんか区切りが仕切られている個室というか選ばれた奴らしかこれないような所に作れてこられていた。
「こんなとこに連れてこられたからってごまかされへんぞ!!」スラム街育ちの僕はひねた目で業界人を見ていた。
すると2組しか入れない半個室に眩しいオーラが。
当時月9などで人気を博してた先述の女優さんだった。
おぉ、というよりも、そうかレコード会社は本気で俺たちのことを思っているんだなぁと再確認したのを覚えている。
だって今をときめく女優がいくような店の2組中の1組が僕らなんですもの。
ただ代谷はその女優さんに気がつかず、ただただめちゃくちゃ綺麗な人がいる。東京ってすげぇと天然を爆発させていたが。
先日亡くなった俳優さんもそうだが、ほんの少しではあっても近い距離で同じ時間を過ごした人が亡くなると、、、。
人の痛みは誰にもわからない。
そして長く生きていれば誰もが人に触られたくない部分ができてくる。
音楽でそれらすべてを救えるとは言い難いが、音楽をやる以上はそれらすべてを救う気持ちで創作したい。
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