2019/01/31
ころっそ
僕の故郷では「あほかー」が褒め言葉であり、「しばくぞー」も仲間意識を強める魔法の言葉。
「あほかーー!おまえしばくぞーーー!」は最高のともだちんこ。
ガラの悪い街だと思わないでくれ。
もう少し奥の赤穂までいくと「ころっそ!」というのがつっこみの主流であり、訳すと「殺すぞ!!」の意味。
もはや殺人予約。どこもかしこも殺人予告。「ころっそ!」が響き渡る街。アウトレイジな街、それが赤穂。
もし関東の子供が引っ越してきて転校初日に「ころっそ!」を聞いたとしたら、もう学校に行く気は無くすだろう。
相手は友達になろうとしての発言なのに。
数年前、近くの駅で高校生@男子が別れ際に友達グループに「じゃね!愛してるよ!」と言っていたのを聞いて驚いた。
友達も別に笑っていない。
これが普通なのだ。
彼らの中では別れ際に「愛してるよ!」と同性間でもいうのだ。
もうアメリカだ。
A「愛してるよ!」B「あぁ、俺も愛してるよ」ほっぺ同士を合わせるキス。A「なかでチェリーパイでも食おうか」Bくいぎみに「あぁ最高だ!」。絵が浮かんでくる。エディーマーフィーが出てくる。
この東京の男子高校生が赤穂に引っ越してきたなら、
帰り際、チャリを立ち漕ぎしているともだちに「じゃ、またね!愛してるよ!」
ともだちはベルを5回ほど鳴らして「なんやねん!きもっっ!ころっっそ!!!また明日な」と田んぼをかけていくのだろう。
あぁ青春。
「あほかーー!おまえしばくぞーーー!」は最高のともだちんこ。
ガラの悪い街だと思わないでくれ。
もう少し奥の赤穂までいくと「ころっそ!」というのがつっこみの主流であり、訳すと「殺すぞ!!」の意味。
もはや殺人予約。どこもかしこも殺人予告。「ころっそ!」が響き渡る街。アウトレイジな街、それが赤穂。
もし関東の子供が引っ越してきて転校初日に「ころっそ!」を聞いたとしたら、もう学校に行く気は無くすだろう。
相手は友達になろうとしての発言なのに。
数年前、近くの駅で高校生@男子が別れ際に友達グループに「じゃね!愛してるよ!」と言っていたのを聞いて驚いた。
友達も別に笑っていない。
これが普通なのだ。
彼らの中では別れ際に「愛してるよ!」と同性間でもいうのだ。
もうアメリカだ。
A「愛してるよ!」B「あぁ、俺も愛してるよ」ほっぺ同士を合わせるキス。A「なかでチェリーパイでも食おうか」Bくいぎみに「あぁ最高だ!」。絵が浮かんでくる。エディーマーフィーが出てくる。
この東京の男子高校生が赤穂に引っ越してきたなら、
帰り際、チャリを立ち漕ぎしているともだちに「じゃ、またね!愛してるよ!」
ともだちはベルを5回ほど鳴らして「なんやねん!きもっっ!ころっっそ!!!また明日な」と田んぼをかけていくのだろう。
あぁ青春。
2019/01/30
ブルルンGO!
ロックバンドのギターはリフに限る。
そう信じていたし、今でもそう思っている。
リフとはリフレインの略。
同じフレーズを冒頭で何度も繰り返すことによってその曲のイメージをつける。
といったものだ。
同じくこの当時のぼくはパワーコードで同じコードを印象的に鳴らすというのもかっこいいに入っていて、そんな歌を書きたいと思い作ったのが「ブルルンGo!」だった。
かなりの自信を持っていたと思う。
メンバーに意気揚々とリハーサルで聴かせた。
反応は今と変わらない。
いいとの悪いとも言わず淡々とそれをこなすメンバー。
ただ当時のベースだけが「これいいっすね!」とベースをスライドさせてかっこいいフレーズを当て出した。
『ブルルンGo!』の完成だ。
初めて歌った時からこの歌もヒットした。
一生懸命、雨上がり、ブルルンGo!これらがこの時期に同時にできたからこそ、姫路でロックバンドは成功しないと言われ続けている中、大きな功績を残せたのかもしれない。
だからこそ、ぼくは未だに歌さえ良ければ現状を突破できると信じているのだろう。
そう信じていたし、今でもそう思っている。
リフとはリフレインの略。
同じフレーズを冒頭で何度も繰り返すことによってその曲のイメージをつける。
といったものだ。
同じくこの当時のぼくはパワーコードで同じコードを印象的に鳴らすというのもかっこいいに入っていて、そんな歌を書きたいと思い作ったのが「ブルルンGo!」だった。
かなりの自信を持っていたと思う。
メンバーに意気揚々とリハーサルで聴かせた。
反応は今と変わらない。
いいとの悪いとも言わず淡々とそれをこなすメンバー。
ただ当時のベースだけが「これいいっすね!」とベースをスライドさせてかっこいいフレーズを当て出した。
『ブルルンGo!』の完成だ。
初めて歌った時からこの歌もヒットした。
一生懸命、雨上がり、ブルルンGo!これらがこの時期に同時にできたからこそ、姫路でロックバンドは成功しないと言われ続けている中、大きな功績を残せたのかもしれない。
だからこそ、ぼくは未だに歌さえ良ければ現状を突破できると信じているのだろう。
2019/01/29
ファン第一号
僕らのファン第一号は誰だ?と聞かれれば真っ先に思い出す4人組がいる。
当時女子高生だった彼女たち。
しかも普通の女子高生ではない。
白陵高校という偏差値73という恐ろしく頭のいい学校の女の子たちだった。
頭のいい子たちはトレンドも自分たちで作るのだろうか。
とにかく彼女たちはどのライブにも足を運んでくれた。
そのグループの一人が「うそのない街」という歌が好きだと言ってくれた。
ああいうことを書ける人はいないと褒めてくれた。
でも、実は他のファンの人からはなんて冷たいうことを歌うの!と批判されていた。
『この恋もいつかは終わる日がくるのだろう そしていつか君は僕を忘れてしまうだろう
だから今だけは僕のそばにいてくれよ いつかは僕も君を忘れてしまうから』 20歳の男のがこんなに冷めた視線で書いていると思うと恐ろしくなる。
ちなみにこの歌詞は3番。
1番2番は、君はいつでも僕の話を聞いてくれる。だから今は君のために歌おうというラブソングで進んでいるのだ。
そしてこの歌のように、僕は死ぬほど愛した人たちを死ぬ前に手放してきた。
そのファン第一号の女の子が僕らのルックなんかじゃなく、この歌を褒めてくれたことが嬉しかった。その思いは20年経った今でも時折強烈に思い出すことがある。
ちなみにその女の子は東京大学に現役合格したと聞いた。
さすがやな、と思った。
『この恋もいつかは終わる日がくるのだろう そしていつか君は僕を忘れてしまうだろう
だから今だけは僕のそばにいてくれよ いつかは僕も君を忘れてしまうから』 20歳の男のがこんなに冷めた視線で書いていると思うと恐ろしくなる。
ちなみにこの歌詞は3番。
1番2番は、君はいつでも僕の話を聞いてくれる。だから今は君のために歌おうというラブソングで進んでいるのだ。
そしてこの歌のように、僕は死ぬほど愛した人たちを死ぬ前に手放してきた。
そのファン第一号の女の子が僕らのルックなんかじゃなく、この歌を褒めてくれたことが嬉しかった。その思いは20年経った今でも時折強烈に思い出すことがある。
ちなみにその女の子は東京大学に現役合格したと聞いた。
さすがやな、と思った。
2019/01/28
カリスマ誕生
「カリスマと呼ばれていることにどう思いますか?」全盛期の長渕剛さんに渋谷陽一が質問した時、長渕さんは「おれはバカだからカリスマって意味わかんなかったの、ヘっへぇ」と笑っていた。
このように「あなたはカリスマですか?」と聞かれたらなんと答える?という大喜利のように、みんなカリスマであるということを認めずに自分なりの答えてお洒落に回答。
だが、僕は自分がカリスマになった瞬間を覚えている。
僕が痛いやつだと思われないように、もう一度整理しよう。
当時姫路の町でロックバンドは成功しないと言われていた。
姫路=ビジュアル系の町。
そんな中で20歳の僕らが登場し、シーンがガラッと変わった。
ライブハウスに縁のなかった女子高生たちが集まり、3歳ほど年上の僕らを羨望の眼差しで見つめている。
圧倒的に人気のあるバンドがいる。
それだけで何かしらのブームを町中が感じ取っていたのだろう。
その中でもボーカルは何かとメッセージが強いときたもんだ。
もうカリスマの下ごしらえはできている。
とあるライブ。
アウトロに乗って僕はシャウトしていた。
「おまえらーーー!夢を持てヨーーーーー!!」
すると女子高生たちが「はい!!」と申し合わせたように返事。
「おまえらーー!恋をしろヨーーーー!」
「はい!」はさらに増長している。
「おまえらーーー!どんなことがあっても諦めんなヨーーーー!」
「はい!」はもう人数を超えている。
「おまえらーーーーー!音楽聴けヨーーーー!」
僕の方はネタ切れだけど、客席は「はい!」に涙まで加わり出した。
あとは、あっっ、3年B組ぃぃぃーーーー!と叫ぶだけだ。
叫べば間違いなく僕は泣きながら胴上げされていただろう。
カリスマの誕生だ。
そんな頃の歌が「今こそ僕らの一番大事な時だろう」。
みんな指を「No1」の形で空に掲げ、そのど真ん中で僕が立つ。
当時この歌が盛り上がっていたのはそういう背景があったからだろう。
この歌も当時の僕らを支えてくれた歌だ。
今載せるのはケツに化粧して見せるほどはずいけど、のせるよ。
今こそ一番大事な時だろう
イカした音をかけてくれ 不抜けた音はくたばれ
自信があるなら威張れ そうすりゃみんなの憧れ
AH いいぜ
やりたいようにやってやれ やりたいようにやってやれ
赴くままにやってやれ 間違いながらやってやれ
AH いいぜ
一度っきりの人生を後悔なんてしたくない 後ろ指を指されても気にはしないぜ
やってやれよ!(やってやれよ)見せてやれろ!(見せてやれろ!)
きっと今こそ僕らの一番大事な時だろう
あの娘のハートをくすぐれ 邪魔する奴らは殴れ
告白するなら夕暮れ うまいこといったらまぐれ
AH せつないぜ
あれこれそれどれ彼オレ 女心は気まぐれ
うまいこと気持ちを探れ そうすりゃあの娘はべた惚れ
AH 素晴らしい
友達と口説き方を何通りも考えた 他にすることなんか何もなかった
それでいいぜ!(それでいいぜ)それがいいぜ!(それがいいぜ)
きっとそれが僕らの一番大事な事だろう
意味のないことでさえ 朝まで騒ぎ続けた 他にすることなんか 何もなかった
笑い飛ばせ!(笑い飛ばせ)わめき散らせ!(わめき散らせ)
きっとそれが僕らの一番大事な事だろう (一番大事な事だろう)
一番大事な事だろう (一番大事な事だろう)
きっと今こそ僕らの一番大事な時だろう
このように「あなたはカリスマですか?」と聞かれたらなんと答える?という大喜利のように、みんなカリスマであるということを認めずに自分なりの答えてお洒落に回答。
だが、僕は自分がカリスマになった瞬間を覚えている。
僕が痛いやつだと思われないように、もう一度整理しよう。
当時姫路の町でロックバンドは成功しないと言われていた。
姫路=ビジュアル系の町。
そんな中で20歳の僕らが登場し、シーンがガラッと変わった。
ライブハウスに縁のなかった女子高生たちが集まり、3歳ほど年上の僕らを羨望の眼差しで見つめている。
圧倒的に人気のあるバンドがいる。
それだけで何かしらのブームを町中が感じ取っていたのだろう。
その中でもボーカルは何かとメッセージが強いときたもんだ。
もうカリスマの下ごしらえはできている。
とあるライブ。
アウトロに乗って僕はシャウトしていた。
「おまえらーーー!夢を持てヨーーーーー!!」
すると女子高生たちが「はい!!」と申し合わせたように返事。
「おまえらーー!恋をしろヨーーーー!」
「はい!」はさらに増長している。
「おまえらーーー!どんなことがあっても諦めんなヨーーーー!」
「はい!」はもう人数を超えている。
「おまえらーーーーー!音楽聴けヨーーーー!」
僕の方はネタ切れだけど、客席は「はい!」に涙まで加わり出した。
あとは、あっっ、3年B組ぃぃぃーーーー!と叫ぶだけだ。
叫べば間違いなく僕は泣きながら胴上げされていただろう。
カリスマの誕生だ。
そんな頃の歌が「今こそ僕らの一番大事な時だろう」。
みんな指を「No1」の形で空に掲げ、そのど真ん中で僕が立つ。
当時この歌が盛り上がっていたのはそういう背景があったからだろう。
この歌も当時の僕らを支えてくれた歌だ。
今載せるのはケツに化粧して見せるほどはずいけど、のせるよ。
今こそ一番大事な時だろう
イカした音をかけてくれ 不抜けた音はくたばれ
自信があるなら威張れ そうすりゃみんなの憧れ
AH いいぜ
やりたいようにやってやれ やりたいようにやってやれ
赴くままにやってやれ 間違いながらやってやれ
AH いいぜ
一度っきりの人生を後悔なんてしたくない 後ろ指を指されても気にはしないぜ
やってやれよ!(やってやれよ)見せてやれろ!(見せてやれろ!)
きっと今こそ僕らの一番大事な時だろう
あの娘のハートをくすぐれ 邪魔する奴らは殴れ
告白するなら夕暮れ うまいこといったらまぐれ
AH せつないぜ
あれこれそれどれ彼オレ 女心は気まぐれ
うまいこと気持ちを探れ そうすりゃあの娘はべた惚れ
AH 素晴らしい
友達と口説き方を何通りも考えた 他にすることなんか何もなかった
それでいいぜ!(それでいいぜ)それがいいぜ!(それがいいぜ)
きっとそれが僕らの一番大事な事だろう
意味のないことでさえ 朝まで騒ぎ続けた 他にすることなんか 何もなかった
笑い飛ばせ!(笑い飛ばせ)わめき散らせ!(わめき散らせ)
きっとそれが僕らの一番大事な事だろう (一番大事な事だろう)
一番大事な事だろう (一番大事な事だろう)
きっと今こそ僕らの一番大事な時だろう
2019/01/27
真夜中の強盗
19歳のとある夏の日。
ずっと好きだった女の子と僕を含め3対3で遊ぶことになった。
海に行ってカラオケに行って。
僕は自慢の歌を得意げに披露したはずだが、自分のことは覚えていない。
ただその子がJUDY AND MARY を歌っていて、その意外性とyukiちゃんを超える可愛さに悶絶しそうになったことだけははっきり覚えている。
どれくらい歌ったのかわからないけど、帰りに女の子たちを送って帰ることになった。
僕の好きな子だけは別方向。
僕がその子を好きなことは男性陣を含めて誰も知らない。
プライドだけ高くて言えなかった、そんな時期あるよな。
他の男の子が送る流れになっていたが強引に「俺が送るよ!」と誘った。
僕の圧がすごかったのか、友達はすぐに僕に譲ってくれ彼女を車に乗せた。
70年代の白のワーゲンビートル。
she say!
「この車乗りたかったんだぁ。」
そう、オールドのワーゲンビートルは珍しかったのと、自分で言えるほど僕はモテていたのでこの町で白のビートルに乗るというのは、マー坊のフォア、九州男のキャデラック、藤原拓海のハチロクに乗るくらいのステイタスだった。はず。。。
「この車乗りたかったんだぁ。」なんて今言われると、すぐさま「じゃこれからずっと乗れるな!」「おれはずっと乗せたかったんやで」などと軽口を叩けるのだが、当時の僕は好きな子の前ではなにもできなくて、たぶん、、、カーステ流したんちゃうかな、意味なく。ださい。。。
二人で緊張しながらいろんな話をした。
僕はいつもの調子が出ずに、おもろくない相槌「そうなんやぁ」を繰り替えすばかり、キャッチボールにもならない。
何よりも彼女のナビを聞く前に彼女の家に着きそうになるという、以前にストーキングまがいのことをしたことがばれそうになりかけるという失態をしそうになったり、、、。
それでもその1日だけを大切に大学生活を送ったような気がする。
「真夜中の強盗」という曲は、好きな人を奪いに行くという歌。
車の免許を取って2年も経っていないからこそ書いた歌。
彼女を奪いに行くという行為を「真夜中の強盗」としたことに、自分自身抵抗があり、恥ずかしいタイトルだなぁと書いてすぐに思った。
とくにラストサビに行く前に「そうさ おれは真夜中の強盗だ!」といってしまうのだが、書いたその年からこの部分を歌うのが恥ずかしくなっていたが、すでにライブで浸透していたため、訂正ができなかった。
やはり歌詞は主観で書いてはいけないという一例だろう。
※ この歌の冒頭。イントロが終わり、Aメロには入るまえに「こんばんはTHE NEUTRALです」というと大きな歓声が帰ってきて、それが大好きでいつもこの曲を前半でやっていたことを思い出す。だせぇーけど、なぜだか好きな歌なのだ。
真夜中の強盗
君の住む街へ すぐに すぐに いくよ
君はそこにいて すぐに すぐに 迎えにいくよ
突然降り出した激しい雨の中
君のために今 車を走らすぜ
ガソリンはギリギリだけど このまま突っ走っていこう
朝がくるその前に 君を連れ出したいのさ
誰もじゃまさせない いくぜ いくぜ すぐに
真夜中の道を 一人 一人 とばしていくぜ
ワイパーも限界だ 前も見えやしない
だけど俺は 止まりはしないぜ
車の調子は最高 このまま夜をぶったぎれ
この雨が終わる果てを 目指してアクセル踏み込め
少し不安げに 君は震えてた
そうさ俺が 真夜中の強盗だ
このまま君を 連れ出したいのさ
何にも持たずに 黙って車に乗り込め
突然降り出した雨は 止む事をしらないけど
朝が来て晴れる頃は 二人はもう夢の中
ずっと好きだった女の子と僕を含め3対3で遊ぶことになった。
海に行ってカラオケに行って。
僕は自慢の歌を得意げに披露したはずだが、自分のことは覚えていない。
ただその子がJUDY AND MARY を歌っていて、その意外性とyukiちゃんを超える可愛さに悶絶しそうになったことだけははっきり覚えている。
どれくらい歌ったのかわからないけど、帰りに女の子たちを送って帰ることになった。
僕の好きな子だけは別方向。
僕がその子を好きなことは男性陣を含めて誰も知らない。
プライドだけ高くて言えなかった、そんな時期あるよな。
他の男の子が送る流れになっていたが強引に「俺が送るよ!」と誘った。
僕の圧がすごかったのか、友達はすぐに僕に譲ってくれ彼女を車に乗せた。
70年代の白のワーゲンビートル。
she say!
「この車乗りたかったんだぁ。」
そう、オールドのワーゲンビートルは珍しかったのと、自分で言えるほど僕はモテていたのでこの町で白のビートルに乗るというのは、マー坊のフォア、九州男のキャデラック、藤原拓海のハチロクに乗るくらいのステイタスだった。はず。。。
「この車乗りたかったんだぁ。」なんて今言われると、すぐさま「じゃこれからずっと乗れるな!」「おれはずっと乗せたかったんやで」などと軽口を叩けるのだが、当時の僕は好きな子の前ではなにもできなくて、たぶん、、、カーステ流したんちゃうかな、意味なく。ださい。。。
二人で緊張しながらいろんな話をした。
僕はいつもの調子が出ずに、おもろくない相槌「そうなんやぁ」を繰り替えすばかり、キャッチボールにもならない。
何よりも彼女のナビを聞く前に彼女の家に着きそうになるという、以前にストーキングまがいのことをしたことがばれそうになりかけるという失態をしそうになったり、、、。
それでもその1日だけを大切に大学生活を送ったような気がする。
「真夜中の強盗」という曲は、好きな人を奪いに行くという歌。
車の免許を取って2年も経っていないからこそ書いた歌。
彼女を奪いに行くという行為を「真夜中の強盗」としたことに、自分自身抵抗があり、恥ずかしいタイトルだなぁと書いてすぐに思った。
とくにラストサビに行く前に「そうさ おれは真夜中の強盗だ!」といってしまうのだが、書いたその年からこの部分を歌うのが恥ずかしくなっていたが、すでにライブで浸透していたため、訂正ができなかった。
やはり歌詞は主観で書いてはいけないという一例だろう。
※ この歌の冒頭。イントロが終わり、Aメロには入るまえに「こんばんはTHE NEUTRALです」というと大きな歓声が帰ってきて、それが大好きでいつもこの曲を前半でやっていたことを思い出す。だせぇーけど、なぜだか好きな歌なのだ。
真夜中の強盗
君の住む街へ すぐに すぐに いくよ
君はそこにいて すぐに すぐに 迎えにいくよ
突然降り出した激しい雨の中
君のために今 車を走らすぜ
ガソリンはギリギリだけど このまま突っ走っていこう
朝がくるその前に 君を連れ出したいのさ
誰もじゃまさせない いくぜ いくぜ すぐに
真夜中の道を 一人 一人 とばしていくぜ
ワイパーも限界だ 前も見えやしない
だけど俺は 止まりはしないぜ
車の調子は最高 このまま夜をぶったぎれ
この雨が終わる果てを 目指してアクセル踏み込め
少し不安げに 君は震えてた
そうさ俺が 真夜中の強盗だ
このまま君を 連れ出したいのさ
何にも持たずに 黙って車に乗り込め
突然降り出した雨は 止む事をしらないけど
朝が来て晴れる頃は 二人はもう夢の中
2019/01/26
恋の約束
「恋の約束」という歌があった。
昔の彼女と交わした約束にしがみつく情けない男の話。
当時ちょっと気になっていた女の子にこの歌の歌詞を見せたところ、と歌詞の一文「情けないほど僕はチッポケなやつで」から、なんかちっぽけ。。。と言われたのを強烈に覚えている。
それでも僕はこの歌に妙な自信があり、当時のベース@神戸在住を大学の一人暮らしの家に呼びこんな歌ができたんや!と聴かせたくらいだ。
ちなみに余談だが、この時、僕には彼女(パンとピストルのモデルとなった人)がいたのだが、その子にはメンバーの写真だけ見せていて、ちょうどベースが帰った一時間後に彼女が来たのだが、「梅田駅でベースの子?見たで。なんで大阪におったんやろ」と言ってたのを聞いて、この子はなんて記憶力がいいのだろうとびっくりしたことを思い出す。
今でこそJPOPはいろんな歌詞が出た。
でもこれはそれより少し前の時代の話。
20歳の男の子が書いた等身大のラブソング。
みんな不器用で傷つきやすく恋に恋をする頃の歌。
今思うと蒼いのだが、当時は同じ気持ちを持った人が多かったのかたくさんの人に指示された。
※ 大した歌詞ではないけれど、オフィシャルで音源化されていないものは歌詞も載せます。
今なら添削しまくるけどね。。。
恋の約束
「ずっとずっと二人で 二人でいようね」
それが君との恋の約束だった
君の居場所はもう僕には分からない
帰らぬ日々をただ悔やんでみるだけ
情けないほど僕はチッポケな奴で
君の面影を探しては泣いた
君と交わしたあの約束を 今も一人噛みしめてる
もう二度と叶わないのに
他に何もいらないただ君がいてくれれば
大切な夢は君へと変わったのに
「ずっとずっと二人で 二人でいようね」
そう話してくれた君はもうどこにもいない
街で偶然君を見つけたんだ
僕に見せたあの可愛い笑顔で
他の誰かと手をつないで歩いてた
僕はただそれを黙って見ていた
もう君が僕に戻ることはない
それがわかった瞬間に君への恋は終わった
僕に何ができるの? ただ君を忘れるほかに
信じてた愛も脆く崩れたというのに
「ずっと二人でいよう」と誓った言葉は
あの日の思い出とともに壊れて消えた
君の名前をつぶやいてみる でも僕の声はもう君には届かない
もしも僕に素敵な女性ができたとしても
君との約束は二人だけのものだよ
あの日のようには僕達もう戻れないけど
共に過ごした日々をどうか忘れないでね
いつかは必ず言うよ「幸せになって」と
溢れるほどの思い出をくれて「ありがとう」と
昔の彼女と交わした約束にしがみつく情けない男の話。
当時ちょっと気になっていた女の子にこの歌の歌詞を見せたところ、と歌詞の一文「情けないほど僕はチッポケなやつで」から、なんかちっぽけ。。。と言われたのを強烈に覚えている。
それでも僕はこの歌に妙な自信があり、当時のベース@神戸在住を大学の一人暮らしの家に呼びこんな歌ができたんや!と聴かせたくらいだ。
ちなみに余談だが、この時、僕には彼女(パンとピストルのモデルとなった人)がいたのだが、その子にはメンバーの写真だけ見せていて、ちょうどベースが帰った一時間後に彼女が来たのだが、「梅田駅でベースの子?見たで。なんで大阪におったんやろ」と言ってたのを聞いて、この子はなんて記憶力がいいのだろうとびっくりしたことを思い出す。
今でこそJPOPはいろんな歌詞が出た。
でもこれはそれより少し前の時代の話。
20歳の男の子が書いた等身大のラブソング。
みんな不器用で傷つきやすく恋に恋をする頃の歌。
今思うと蒼いのだが、当時は同じ気持ちを持った人が多かったのかたくさんの人に指示された。
※ 大した歌詞ではないけれど、オフィシャルで音源化されていないものは歌詞も載せます。
今なら添削しまくるけどね。。。
恋の約束
「ずっとずっと二人で 二人でいようね」
それが君との恋の約束だった
君の居場所はもう僕には分からない
帰らぬ日々をただ悔やんでみるだけ
情けないほど僕はチッポケな奴で
君の面影を探しては泣いた
君と交わしたあの約束を 今も一人噛みしめてる
もう二度と叶わないのに
他に何もいらないただ君がいてくれれば
大切な夢は君へと変わったのに
「ずっとずっと二人で 二人でいようね」
そう話してくれた君はもうどこにもいない
街で偶然君を見つけたんだ
僕に見せたあの可愛い笑顔で
他の誰かと手をつないで歩いてた
僕はただそれを黙って見ていた
もう君が僕に戻ることはない
それがわかった瞬間に君への恋は終わった
僕に何ができるの? ただ君を忘れるほかに
信じてた愛も脆く崩れたというのに
「ずっと二人でいよう」と誓った言葉は
あの日の思い出とともに壊れて消えた
君の名前をつぶやいてみる でも僕の声はもう君には届かない
もしも僕に素敵な女性ができたとしても
君との約束は二人だけのものだよ
あの日のようには僕達もう戻れないけど
共に過ごした日々をどうか忘れないでね
いつかは必ず言うよ「幸せになって」と
溢れるほどの思い出をくれて「ありがとう」と
2019/01/25
路上からストリートへ
その日は珍しくBETAでリハーサルに入らなかった。
ペグというリペア専門のお店の奥にあるリハスタ。
GIBSON J-30を抱えてスタジオへ。
この日僕は新曲をおろすのだ。
少し前からプライベートで遊んでいるグループの女の子たちが騒いでいた。
「私はゆうじん」「私はがんちゃん」。
ゆず様降臨。
当時路上で歌ってる奴らは長渕剛か尾崎豊を熱唱する、そう、熱唱するのにギターケースを開けて小銭を少し恵んでくれというフリースタイルのストロングな奴らの聖地だった。
そこに爽やかな二人組が体操服を着て、ダサいはずのフォークギターで今の若者たちのちょうど良い気持ちをちょうど良いメロで歌って、しかもなんかかっこいい。
路上で歌うのはダサい!というのを一変させた。
震撼した。
姫路の街でも地元の体操服を着た奴らが下克上のごとくストリートの場所取りをし、ストロングスタイルのダメージジーンズにヘインズのTシャツの人たちはとんぼを歌いながらケツの据わりが悪そうにそそくさとその場を後にしていた。
バンドマンの多くは彼らをバカにしていたが、僕はその歴史を知っていたので、その凄さに、盲点に感心した。文句を言うバンドマンには必ず「お前らよりは彼らの方がモテるよ、いろんな意味で」と伝えていた。
とはいえ、彼らをよく聴いていたかと言えばそうではない。影響されるのが怖かったからだ。
ただ僕なりにこういうのがウケているか、と理解し分析した。
はじめてのマーケティング。
気がつけば僕はペグのスタジオでメンバーに新曲を披露していた。
ちょっとこんな歌ができてん。
歌うな。
この〜雨が〜あがれば〜♪ 君に会いに行こう〜♪♪
ペグというリペア専門のお店の奥にあるリハスタ。
GIBSON J-30を抱えてスタジオへ。
この日僕は新曲をおろすのだ。
少し前からプライベートで遊んでいるグループの女の子たちが騒いでいた。
「私はゆうじん」「私はがんちゃん」。
ゆず様降臨。
当時路上で歌ってる奴らは長渕剛か尾崎豊を熱唱する、そう、熱唱するのにギターケースを開けて小銭を少し恵んでくれというフリースタイルのストロングな奴らの聖地だった。
そこに爽やかな二人組が体操服を着て、ダサいはずのフォークギターで今の若者たちのちょうど良い気持ちをちょうど良いメロで歌って、しかもなんかかっこいい。
路上で歌うのはダサい!というのを一変させた。
震撼した。
姫路の街でも地元の体操服を着た奴らが下克上のごとくストリートの場所取りをし、ストロングスタイルのダメージジーンズにヘインズのTシャツの人たちはとんぼを歌いながらケツの据わりが悪そうにそそくさとその場を後にしていた。
バンドマンの多くは彼らをバカにしていたが、僕はその歴史を知っていたので、その凄さに、盲点に感心した。文句を言うバンドマンには必ず「お前らよりは彼らの方がモテるよ、いろんな意味で」と伝えていた。
とはいえ、彼らをよく聴いていたかと言えばそうではない。影響されるのが怖かったからだ。
ただ僕なりにこういうのがウケているか、と理解し分析した。
はじめてのマーケティング。
気がつけば僕はペグのスタジオでメンバーに新曲を披露していた。
ちょっとこんな歌ができてん。
歌うな。
この〜雨が〜あがれば〜♪ 君に会いに行こう〜♪♪
2019/01/24
君のそばに
人生で2曲目に書いた曲は「君のそばに」だったような気がしてやまない。
大好きな女の子を想い書いた歌。
打ち明けられない想いを歌にして。
甘酸っぱすぎるがなんせ20歳、許してやって欲しい。
このサビは「君のそばに いたい」というサビになっている。
そばにいたい、、、、そう願望なのだ。
頑張れよ20歳のオレ。。。
シンプルで聴きやすい歌を目指し書いた覚えがある。
結成当時はドラムの家に集まり、やる気のない清正くんも呼んで3人で曲作りをしていた。
この歌ができた時、嬉しくて嬉しくてドラムが友達とバスケットをやっているのを眺めながら、さっき完成したこの歌をずっと口づさんでいたのを覚えている。
これはこの歌ができた喜びよりも、好きな人への想いを歌にのせれたことに喜んでいたのかもしれない。
「ドアを開けよう」「Always this dance number」「rock’n roll night」「君のそばに」
この4曲の入ったデモテープ「できそこない」をその女の子に送ったことを今思い出した。
甘酸っぱすぎるがなんせ20歳、許してやって欲しい。
大好きな女の子を想い書いた歌。
打ち明けられない想いを歌にして。
甘酸っぱすぎるがなんせ20歳、許してやって欲しい。
このサビは「君のそばに いたい」というサビになっている。
そばにいたい、、、、そう願望なのだ。
頑張れよ20歳のオレ。。。
シンプルで聴きやすい歌を目指し書いた覚えがある。
結成当時はドラムの家に集まり、やる気のない清正くんも呼んで3人で曲作りをしていた。
この歌ができた時、嬉しくて嬉しくてドラムが友達とバスケットをやっているのを眺めながら、さっき完成したこの歌をずっと口づさんでいたのを覚えている。
これはこの歌ができた喜びよりも、好きな人への想いを歌にのせれたことに喜んでいたのかもしれない。
「ドアを開けよう」「Always this dance number」「rock’n roll night」「君のそばに」
この4曲の入ったデモテープ「できそこない」をその女の子に送ったことを今思い出した。
甘酸っぱすぎるがなんせ20歳、許してやって欲しい。
2019/01/23
Always this dance number
人生に4曲目に書いた曲が「一生懸命」だ。
と書いていたが、はやくも数え間違い発覚。
恥ずい。
俺のこと好きやと思ってた女の子が俺の友達の方を好きだったくらい恥ずい。
小学生の時にグラウンドを3周走ってタイム競うのがあって、まずは男子から走って女子は体育座りして待ってるんやけど、女子の前の時だけ加速するという今とあまり変わらない俺、それを2周目で気づいた担任教師が「しげる女子の前だけ速くなるな!かっこつけんとちゃんと走れ!」って叫ばれたくらい恥ずい。
話を戻そう、「ドアを開けよう」でさえ人生で3曲目に書いた曲だ。
もう記憶めちゃくちゃ。
人生で2曲目に書いた曲は「Always this dance number」だった。
実はデモテープ時代には作曲者の名前に清正(当時のステージネーム清正納言)もクレジットされていた。
これは曲を作ってる時にちょっと清正君が鼻歌で歌ったメロを使ったという理由だけで、当時バンドを辞めたがっていた清正君のモチベーションを上げるためだけの理由で名前を載せていたが、20年の付き合いになってわかるのが、彼はあまりそういうところに固執しないので載せようが載せまいが辞めるその時を待っていたのだろう。。。
結果、今は作曲に清正の名前は載っていない。
「Always this dance number」で忘れられないのは、初ワンマンの一曲目。
姫路ベータにはなかった緞帳(手作り)を持ちこみ、そこに清正のシルエットが映る。
当時なぜか死ぬほど人気のあった、ややビジュアル系のような、、、いやビジュアル系の格好をした、いや、T.M.Revolution大好きだった清正のシルエットだけが映され、「きゃーーーー!」というギャルよりの金髪率の高い女子からの奇声が上がり清正が「Always this dance number」のイントロを奏でる。
ほどよいところで幕がおり、ライブがスタート。
20年経った今の俺の記憶では、レッチリのSlane Castleみたいなイメージなのだが、振り返るとおそろしいのでそのままで閉じ込めておこう。
by the way、その頃の俺は金髪のメッシュをところどころに入れて仲間20人くらいを連れて歩く今の俺が道ですれ違うと目をそらしてしまうようなやつだった。
この記憶もいつかはスマートなものに変えたい。
と書いていたが、はやくも数え間違い発覚。
恥ずい。
俺のこと好きやと思ってた女の子が俺の友達の方を好きだったくらい恥ずい。
小学生の時にグラウンドを3周走ってタイム競うのがあって、まずは男子から走って女子は体育座りして待ってるんやけど、女子の前の時だけ加速するという今とあまり変わらない俺、それを2周目で気づいた担任教師が「しげる女子の前だけ速くなるな!かっこつけんとちゃんと走れ!」って叫ばれたくらい恥ずい。
話を戻そう、「ドアを開けよう」でさえ人生で3曲目に書いた曲だ。
もう記憶めちゃくちゃ。
人生で2曲目に書いた曲は「Always this dance number」だった。
実はデモテープ時代には作曲者の名前に清正(当時のステージネーム清正納言)もクレジットされていた。
これは曲を作ってる時にちょっと清正君が鼻歌で歌ったメロを使ったという理由だけで、当時バンドを辞めたがっていた清正君のモチベーションを上げるためだけの理由で名前を載せていたが、20年の付き合いになってわかるのが、彼はあまりそういうところに固執しないので載せようが載せまいが辞めるその時を待っていたのだろう。。。
結果、今は作曲に清正の名前は載っていない。
「Always this dance number」で忘れられないのは、初ワンマンの一曲目。
姫路ベータにはなかった緞帳(手作り)を持ちこみ、そこに清正のシルエットが映る。
当時なぜか死ぬほど人気のあった、ややビジュアル系のような、、、いやビジュアル系の格好をした、いや、T.M.Revolution大好きだった清正のシルエットだけが映され、「きゃーーーー!」というギャルよりの金髪率の高い女子からの奇声が上がり清正が「Always this dance number」のイントロを奏でる。
ほどよいところで幕がおり、ライブがスタート。
20年経った今の俺の記憶では、レッチリのSlane Castleみたいなイメージなのだが、振り返るとおそろしいのでそのままで閉じ込めておこう。
by the way、その頃の俺は金髪のメッシュをところどころに入れて仲間20人くらいを連れて歩く今の俺が道ですれ違うと目をそらしてしまうようなやつだった。
この記憶もいつかはスマートなものに変えたい。
2019/01/22
一生懸命
人生で4曲目に書いた曲。
それが「一生懸命」だ。
なぜかこのころの記憶は強烈に残っている。
1月17日、THE NEUTRALとしての初めてのライブは大成功を収めた。
次の2月のライブでは対バンしたジョニーを始め、その時見に来てくれたお客さんがデモテープを聞き込んで3組も来てくれた。リピーターが初めてできたのだ。
そのライブは昼に行われたのだが、夜に大学の仲間と飲む約束をしていて、そこに向かう電車の中で手応えを握りしめてずっとにやけていたのを覚えている。
記憶が正しければその次が3月を飛んで4月のライブだった。
リピーターが再来店、ここでもう来るのをやめるか、それとも好きになるかの分かれ道。
新曲ですと「一生懸命」を歌った。
2月の時以上の手応えを感じた。
THE NEUTRALがTHE NEUTRALになった瞬間だと思う。
新しいベース、パブロン畑山も加入し勢いは増した。
一生懸命をどのように創作したのかは全く覚えていない。
なのにライブの手応えや、その空気だけは今でも昨日のことのように覚えているのだ。
面白いことに、バンド仲間のジョニーも未だに一生懸命を初めて聴いた時のことを熱く語ってくれる。
紛れもなくあの時、あのタイミングで歌われる曲はあの曲以外なかったのだと思う。
あれから20年。
どこから切り取っても青臭いあの歌が、やけにこの頃まっすぐに照れずに歌っている。
一生懸命生きていくんだ かっこ悪くてもかまわない。
まるで20年前の僕に応援されているように。
それが「一生懸命」だ。
なぜかこのころの記憶は強烈に残っている。
1月17日、THE NEUTRALとしての初めてのライブは大成功を収めた。
次の2月のライブでは対バンしたジョニーを始め、その時見に来てくれたお客さんがデモテープを聞き込んで3組も来てくれた。リピーターが初めてできたのだ。
そのライブは昼に行われたのだが、夜に大学の仲間と飲む約束をしていて、そこに向かう電車の中で手応えを握りしめてずっとにやけていたのを覚えている。
記憶が正しければその次が3月を飛んで4月のライブだった。
リピーターが再来店、ここでもう来るのをやめるか、それとも好きになるかの分かれ道。
新曲ですと「一生懸命」を歌った。
2月の時以上の手応えを感じた。
THE NEUTRALがTHE NEUTRALになった瞬間だと思う。
新しいベース、パブロン畑山も加入し勢いは増した。
一生懸命をどのように創作したのかは全く覚えていない。
なのにライブの手応えや、その空気だけは今でも昨日のことのように覚えているのだ。
面白いことに、バンド仲間のジョニーも未だに一生懸命を初めて聴いた時のことを熱く語ってくれる。
紛れもなくあの時、あのタイミングで歌われる曲はあの曲以外なかったのだと思う。
あれから20年。
どこから切り取っても青臭いあの歌が、やけにこの頃まっすぐに照れずに歌っている。
一生懸命生きていくんだ かっこ悪くてもかまわない。
まるで20年前の僕に応援されているように。
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