2018/01/29
女性の指輪
僕は人生に於いて片思いをした数が圧倒的に少ない。
が、20歳の頃に経験した片思いは他の人の数倍もの想いが溢れていた。
今はもう忘れてしまってはいるが、劣等感の固まりの僕が彼女に見合うような男になりたくてTHE NEUTRALをやったという動機もあった気がする。
その彼女に想いを伝えようとしたある日、彼女が僕に向かっておはようと手を振る両手の薬指に指輪が。。。
僕はすぐにすべてを納得してその想いを沈めた。
それ以来、僕は女性を見ると指輪の一をチェックするという何とも言いがたいクセがついてしまった。
相手が美人でも、そん反対方面の多少デッサンの狂った方でも関係ない。
僕は指輪の位置を見てしまい、それで自分の恋心を調節するようになってしまったのだ。
先日、仲間の一人が一目惚れをしたと報告してくれた。
その相手の右手の小指に指輪があったらしい。
これはどういうことだろう、と相談された。
小指ならば関係ないよな、と思ったが、僕も40歳。
今の流れとは違うかもしれない。
そんなこんなでTwitterで恋日の指輪の理由をフォロワーに問うた。
便利な世の中だ。
ちなみに話は戻るが、僕が大好きだったのかのジョとは、それから10年後の同窓会で再会したのだが、すでにイタリア人ばりの女性免疫が出来ていた僕は彼女に軽口で「実は学生の頃大好きで、告白しようとしたらさ、両手の薬指に指輪があってさ」と当時の想いを伝えたところ。
「えーーー、なんで言ってくれなかったのー。あれはただオシャレでしてただけなのにー」と話してくれた。
結局のところ指輪の位置も大事だが、想いを伝えろということだ。
もちろん伝えるにもタイミング、言葉、場所、いろいろ頭を使うべきところはあるのだが、それはまたいつかの機会に。
が、20歳の頃に経験した片思いは他の人の数倍もの想いが溢れていた。
今はもう忘れてしまってはいるが、劣等感の固まりの僕が彼女に見合うような男になりたくてTHE NEUTRALをやったという動機もあった気がする。
その彼女に想いを伝えようとしたある日、彼女が僕に向かっておはようと手を振る両手の薬指に指輪が。。。
僕はすぐにすべてを納得してその想いを沈めた。
それ以来、僕は女性を見ると指輪の一をチェックするという何とも言いがたいクセがついてしまった。
相手が美人でも、そん反対方面の多少デッサンの狂った方でも関係ない。
僕は指輪の位置を見てしまい、それで自分の恋心を調節するようになってしまったのだ。
先日、仲間の一人が一目惚れをしたと報告してくれた。
その相手の右手の小指に指輪があったらしい。
これはどういうことだろう、と相談された。
小指ならば関係ないよな、と思ったが、僕も40歳。
今の流れとは違うかもしれない。
そんなこんなでTwitterで恋日の指輪の理由をフォロワーに問うた。
便利な世の中だ。
ちなみに話は戻るが、僕が大好きだったのかのジョとは、それから10年後の同窓会で再会したのだが、すでにイタリア人ばりの女性免疫が出来ていた僕は彼女に軽口で「実は学生の頃大好きで、告白しようとしたらさ、両手の薬指に指輪があってさ」と当時の想いを伝えたところ。
「えーーー、なんで言ってくれなかったのー。あれはただオシャレでしてただけなのにー」と話してくれた。
結局のところ指輪の位置も大事だが、想いを伝えろということだ。
もちろん伝えるにもタイミング、言葉、場所、いろいろ頭を使うべきところはあるのだが、それはまたいつかの機会に。
2018/01/22
1月20日のライブを振り返り
姫路での結成20周年記念ライブが終わりました。
初日は姫路BETAで。
一生懸命からはじまり、ドアを開けようへ。
あの頃のようなセットリスト。
そしてドラムに鎌田竜生を正式メンバーに迎えて。
詳しいライブのことは代谷さまあたりがあげるであろう。
なので僕は初日のエンドSEに流した、僕からのMessageを載せます。
本当にありがとう。
20年前、夢と野望と希望を持ってこのステージに立った。
あれから僕たちは何が変わって何が変わっていないのだろうか。
デビューした時に僕はマスコミ関係者を招いたパーティでこう答えていた。
「売れる売れないは分からないけど、10年後も僕たちがまだ続けていたら、それは成功だと思う」と。
ならば今は成功なのだろうか。
ゆっくりと沈む夕陽を眺めている。
川のせせらぎに心を座らせる。
公園のベンチに腰掛け 老人と子供の狭間で空に息を吹きかける。
眠れずに開けた カーテンから差し込む朝日に涙を流す。
シャッフルから偶然流れた来た歌に勇気をもらう。
くだらない冗談だと笑い飛ばせずに ふてくされる。
下り坂で自転車のペダルから脚を離す。
急に懐かしい匂いがして君を思い出す。
君の声が聴きたくなった。
なぜだかもう一度歌いたくなった。
曲を書いた。
ライブをした。
新しい夢が出来た。
君の笑い顔を守ってあげたいと思った。
20年間で僕たちの歌を聴いてくれた人、ライブに来てくれた人、そしてなによりも、今日この場にいてくれた君に深い感謝をする。ありがとう。
僕たちの人生は2つに別れている。
THE NEUTRALを始める前とあとだ。
THE NEUTRALをは始める前までは一人で生きてきたけど、20年前からはずっと君たちが横にいた。
それがどれほど心強かったか。
それがどれほど愛おしかったか。
それがどれほど僕らを強くさせたか。
今日からまた新しい1年がはじまる。
君と始めていく。
長い付き合いになりそうだ。
僕たちと君たちの共通点は音楽が好きだと言うこと、そして
THE NEUTRALが好きだということだ。
本当にありがとう!また次のライブで会おうな!!
君との日々をすべて愛している。
THE NEUTRAL ヴォーカル 三木茂
初日は姫路BETAで。
一生懸命からはじまり、ドアを開けようへ。
あの頃のようなセットリスト。
そしてドラムに鎌田竜生を正式メンバーに迎えて。
詳しいライブのことは代谷さまあたりがあげるであろう。
なので僕は初日のエンドSEに流した、僕からのMessageを載せます。
本当にありがとう。
20年前、夢と野望と希望を持ってこのステージに立った。
あれから僕たちは何が変わって何が変わっていないのだろうか。
デビューした時に僕はマスコミ関係者を招いたパーティでこう答えていた。
「売れる売れないは分からないけど、10年後も僕たちがまだ続けていたら、それは成功だと思う」と。
ならば今は成功なのだろうか。
ゆっくりと沈む夕陽を眺めている。
川のせせらぎに心を座らせる。
公園のベンチに腰掛け 老人と子供の狭間で空に息を吹きかける。
眠れずに開けた カーテンから差し込む朝日に涙を流す。
シャッフルから偶然流れた来た歌に勇気をもらう。
くだらない冗談だと笑い飛ばせずに ふてくされる。
下り坂で自転車のペダルから脚を離す。
急に懐かしい匂いがして君を思い出す。
君の声が聴きたくなった。
なぜだかもう一度歌いたくなった。
曲を書いた。
ライブをした。
新しい夢が出来た。
君の笑い顔を守ってあげたいと思った。
20年間で僕たちの歌を聴いてくれた人、ライブに来てくれた人、そしてなによりも、今日この場にいてくれた君に深い感謝をする。ありがとう。
僕たちの人生は2つに別れている。
THE NEUTRALを始める前とあとだ。
THE NEUTRALをは始める前までは一人で生きてきたけど、20年前からはずっと君たちが横にいた。
それがどれほど心強かったか。
それがどれほど愛おしかったか。
それがどれほど僕らを強くさせたか。
今日からまた新しい1年がはじまる。
君と始めていく。
長い付き合いになりそうだ。
僕たちと君たちの共通点は音楽が好きだと言うこと、そして
THE NEUTRALが好きだということだ。
本当にありがとう!また次のライブで会おうな!!
君との日々をすべて愛している。
THE NEUTRAL ヴォーカル 三木茂
2018/01/15
20周年企画 THE NEUTRAL history「バンド名」
順平が入院したと聞いてお見舞いに行った。
数週間の入院の間に数回通った。
ある時、順平が「清正がさっききとったぞ。あいつバンド辞めたい言うてたぞ」といらん助言をくれた。
ブルータスお前もか。。。
どうやらみんな同じ気持ちだったようだ。
バンドにもはや魅力を感じなくなり、辞め時を探していたのだ。
1997年が終わろうとしていた。
僕はメンバーを集めた。
「今から1年後、なんの結果も出なかったらバンドを辞めよう」。
後に名言のように語られるこの言葉だが、言った本人からしたら「お前ら辞めたいんやろ?分かってるで。オレもそうやもん。でもオレに考えがあるから、それに付き合ってもらう。1年間は辞めさせへんで。」という束縛の意味を込めた言葉だった。
「まずオレたちのダメなところを言おうと思う」。
この時から僕は物事をはっきりというようになった。いや、言うようにしたのだ。
言いにくいこともすべて。
今の僕らにないもの、なぜ2年間もやって何にもなれていないのか。
それを一人で話した後、これからはオレが曲を書くと伝えてミーティングを終えた。
でも僕には確信に近い自信があった。
やることをやればきっと変わるはずだと。
親父の車に乗りながら信号待ちをしていた。
1年はあっという間だ。
なにがどれくらいできるのか。
バンド名も変えなきゃいけない。
何が良いだろう。
ふと目をやると、シフトレバーが見えた。
ギアはニュートラルになっていた。
これだ!と直感が走った。
バンド名が「THE NEUTRAL」になった。
2018/01/11
20周年企画「THE NEUTRAL history」
1997年と、僕の20歳が終わろうとしていた。
高校を出てからぼんやりと続けてきたバンドが2年目を終えようとしていた。
誰も悲しまない解散というものも世の中にはあるのだ。
ダサい歌、ダサいメンバー、ダサいライブにダサい打ち上げ。
未来なんてどこにもない。
潮時くらいは分かる。
今だろ。
階段を駆け上った。
いつも悩むとマンションの屋上に出た。
5歩くらい歩いて空を見た。
少し星が光っていた。
音楽を辞めようか、自分に問いかけた。
「やめれんのか?おまえ!?」声が聞こえた。
「あのスポットライト浴びるのを辞めれるのか?」
「劣等生だったお前が輝けるのは歌ってる時だけだっただろ?」
気がつくと踵を返し階段を駆け下りていた。
「オレはすべてをやったのか?後悔しないのか?まだやれる事はあるんじゃないのか?」
THE NEUTRALのはじまりだった。
高校を出てからぼんやりと続けてきたバンドが2年目を終えようとしていた。
誰も悲しまない解散というものも世の中にはあるのだ。
ダサい歌、ダサいメンバー、ダサいライブにダサい打ち上げ。
未来なんてどこにもない。
潮時くらいは分かる。
今だろ。
階段を駆け上った。
いつも悩むとマンションの屋上に出た。
5歩くらい歩いて空を見た。
少し星が光っていた。
音楽を辞めようか、自分に問いかけた。
「やめれんのか?おまえ!?」声が聞こえた。
「あのスポットライト浴びるのを辞めれるのか?」
「劣等生だったお前が輝けるのは歌ってる時だけだっただろ?」
気がつくと踵を返し階段を駆け下りていた。
「オレはすべてをやったのか?後悔しないのか?まだやれる事はあるんじゃないのか?」
THE NEUTRALのはじまりだった。
2018/01/02
Happy New Year!
1998年1月17日。
バンド名をTHE NEUTRALにして全作詞作曲をすることにして再出発をした。
この年、僕は教職課程を取るのを辞めた。
あれから20年。
2018年。
この1年は僕は誰の為に何の為にどこへ向かうのか。
それを確かめるように、それを気にしないで、どちらなのかもわからずスタートしていく。
でも心は晴れやかだ。
とにかく生きている限り、一曲でも多く作品を残したい。
それは強く思っている。
マンスリーワンマンライブが決定された。
出来るなら完全制覇を目指してほしいと思うのはわがままだと思うが目指してほしい。
それと同時に、最近出来た新曲「ハイエース」じゃないけど、君の街にいくという小さなツアーもやってみたい。
20周年。
こんなメモリアルはない。
ぜひ俺たちに会いにきてくれ!
では、まずは結成された聖地、故郷、姫路で待っている。
今年もロックンロールの中で。
バンド名をTHE NEUTRALにして全作詞作曲をすることにして再出発をした。
この年、僕は教職課程を取るのを辞めた。
あれから20年。
2018年。
この1年は僕は誰の為に何の為にどこへ向かうのか。
それを確かめるように、それを気にしないで、どちらなのかもわからずスタートしていく。
でも心は晴れやかだ。
とにかく生きている限り、一曲でも多く作品を残したい。
それは強く思っている。
マンスリーワンマンライブが決定された。
出来るなら完全制覇を目指してほしいと思うのはわがままだと思うが目指してほしい。
それと同時に、最近出来た新曲「ハイエース」じゃないけど、君の街にいくという小さなツアーもやってみたい。
20周年。
こんなメモリアルはない。
ぜひ俺たちに会いにきてくれ!
では、まずは結成された聖地、故郷、姫路で待っている。
今年もロックンロールの中で。
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