2017/03/31
箇条書きの日々
千葉ルックのライブは最高だった。
先輩が打ち上げにきてくれた事も最高だった。
帰ってコイケさんとやる曲の歌詞を追い込んだ。
3曲中、2パターンくらい違う歌詞を書いたけど、色々考えて決めた。
良いのが書けたと思う。
それのレコーディングと姫路のライブのリハーサルの日々。
焼き鳥を食べに行った。
大好きなスープ焼きおにぎりのお味が少し変わっていた。
残念な方だった。
徹夜明けで作業をして、新幹線に飛び乗った。
江坂駅でコイケさんが迎えにきてくれてリハーサルというかピアノとギターを弾きながら打ち合わせをした。楽しい時間だった。
体が疲れすぎていたので新幹線で姫路に帰る事した。
新幹線だと指定席で約4000円。
電車だと倍の時間はかかるが1490円。
しかも在来線だと新快速と言うやつに乗るのだが、これが時速120kmくらいの速度で走り、しかもすわれない事の方が多く、120kmを立って乗るのだ。
昔は普通に乗っていたけど、東京暮らしが長くなってしまいこれが怖くなってしまった。
結果、2500円で時間を買った。
姫路駅に着いた。
タクシーを拾おうとしたけど、少しだけ歩く事にした。
ギターを背負い10kgを余裕で超えるキャリーバックを持って。
さっきは時間を買ったのに、今は時間をかけて歩いている自分が不思議だった。
風は春の暖かさだった。
いとこのお兄ちゃんにアイコスをあげた。
喜んでくれた。
ふなこしをごちそうになった。
今日も親父の話しになった。
二人で爆笑した。
このお兄ちゃんも親父に可愛がってもらった一人だ。
今日は母の誕生日だった。
夜は二人でお好み焼きを食べた。
もうすぐ親父の一回忌だ。
今僕が向かっている机の先にふすまがあり、そこには笑っている親父の写真がある。
少しあつくなってきた。
そろそろ寝ようと思う。
明日から3日連続ライブなんだ。
そろそろ寝ようと思う。
春のささやきを子守唄に。
2017/03/24
先輩達カッケー
先日ハイパービームと言う千葉の先輩のライブを見に千葉LOOKに行った。
昨今の禁煙ブームなんてなんのその、会場の煙い事煙い事。
革ジャン率もかなり高くて、バンド仲間なんかも集まってなんだか懐かしい空気に包まれていた。
ラストの愛する人へが心に響いた。
名曲だ。
ボーカルの良さんは2011年に喉頭癌が発覚して声帯の2/3を取った。
それでも歌っている。
その事が発覚したとき、僕はすぐにメールを打った。
返ってきた言葉は「ま、なっちまったもんは仕方ない」だった。
とても素敵で良さんらしい、千葉のバンドらしい言葉だった。
はじめの頃は聴こえにくかった声も、いまではすっかり。
歌っている時の方がなんなら言葉が飛び込んでくる。
そこには良さんのパワーだったり、長い付き合いのPAさんの愛だったリが感じられて、それだでもグッと来る。
そして良さんは喉頭癌になり声帯の2/3を取った今もタバコを吸っている。
世の中的にはどうなのか分からないけれど、かっこいい。
一昨日はショウタローさん、アリトモさん、アサポンさんというこれまた大先輩とライブだった。
先輩達のライブは気負いがない。
ふらっと演奏していく。
でも実はとんでもなくうまい。
そして考えられないほどの客いじりをしながら、最後には会場のみんなが笑っている。
良いライブだったなぁというのを感じさせてくれる。
この人達の前に行くといつでも僕は小僧になる。
そして昔よりも先輩達に褒めてもらう事が多くなってそれもそれでとても幸せな気分になる。
僕もあぁやって歳を重ねていきたいと強烈に思ったここ最近でした。
昨今の禁煙ブームなんてなんのその、会場の煙い事煙い事。
革ジャン率もかなり高くて、バンド仲間なんかも集まってなんだか懐かしい空気に包まれていた。
ラストの愛する人へが心に響いた。
名曲だ。
ボーカルの良さんは2011年に喉頭癌が発覚して声帯の2/3を取った。
それでも歌っている。
その事が発覚したとき、僕はすぐにメールを打った。
返ってきた言葉は「ま、なっちまったもんは仕方ない」だった。
とても素敵で良さんらしい、千葉のバンドらしい言葉だった。
はじめの頃は聴こえにくかった声も、いまではすっかり。
歌っている時の方がなんなら言葉が飛び込んでくる。
そこには良さんのパワーだったり、長い付き合いのPAさんの愛だったリが感じられて、それだでもグッと来る。
そして良さんは喉頭癌になり声帯の2/3を取った今もタバコを吸っている。
世の中的にはどうなのか分からないけれど、かっこいい。
一昨日はショウタローさん、アリトモさん、アサポンさんというこれまた大先輩とライブだった。
先輩達のライブは気負いがない。
ふらっと演奏していく。
でも実はとんでもなくうまい。
そして考えられないほどの客いじりをしながら、最後には会場のみんなが笑っている。
良いライブだったなぁというのを感じさせてくれる。
この人達の前に行くといつでも僕は小僧になる。
そして昔よりも先輩達に褒めてもらう事が多くなってそれもそれでとても幸せな気分になる。
僕もあぁやって歳を重ねていきたいと強烈に思ったここ最近でした。
2017/03/18
講師をやる事に
親父が亡くなったとき、僕は自分のバンドが揺れに揺れている真っ最中だった。
僕の心はまるで空中にあるような、それでいてアスファルトの下に埋め込まれたようなヘンテコな感覚だった。
親父は一代で会社を大きくした。
その葬儀も誰を呼ぶかで兄貴と母と親戚はバタバタしていた。
東京で好き勝手やっている僕は蚊帳の外だった。
はじめて、、、本当に始めて僕は自分の人生を省みる事になった。
「オレは今日まで何をしてきたんだ。」
「オレバンドなくなったらどうするんだろう。。。」
「オレ食ってくだけじゃなくてもっと稼いでなきゃいけなかったのか」
今まで考えてもなかった事だった。
親父の葬儀を終え東京に帰ってきてから僕は初めてバンド以外の職業を探してみる事にした。
とはいえ長年やってきて身に付いたのはこのスキルだけ。
音楽スクールの講師募集の欄を指で追うように見ていた。
そんなある日、偶然にもその見ていた音楽スクールの方から連絡を受けライブの審査員をやってくれないか?という依頼を受けた。
すんなりと僕はそれをやってみる事にした。
僕にしてはやけにすんなりと受けたなぁと自分でも思った。
それからさらにしばらくして、同じ方から「講師をやってみないか」と誘われた。
ここにもいろんな経緯があったのだけれども、少し悩んだけれどもこれも何かの縁だなぁと思ってやってみる事にした。
これも僕にしては珍しい決断だった。
昨年いろんな事があったからなのか、それとも僕が新しい世代に突入したからなのか、自分への規律を緩めてあげたくなった。
「よくやったよお前は」親父は亡くなる前にそう言ってくれた。
でも今日までよくやったから規律を緩めているだけでもなく、もうそんな事をきつくしなくとも僕は揺るがないものを手に入れたような気がするのだ。
僕の書く歌は不変だ。
もっとはやく気づいていても良かったのかもしれないが、今だからこそ分かる事なのかもな。
後もう一つは、親父が時が亡くなった時に思った事を忘れない為にも。
40代に突入した僕は少しだけいろんな世界を見てみたくなった。
もっと言えば僕はデビューしてからバンドしかしてこなかったので、1年間で12ヶ月違う仕事についてみたいと言うなんともアホな気持ちがある。
12ヶ月違う仕事に就いてそれを作品として残したいと(現実的に厳しいが)。
一回切りの人生、色々やってみたくなった。
音楽スクールの講師かぁ、似合わなそうだけどやってみる。
個人的には作詩の講師もやってみたとも思っている。
一生懸命。
どんな事にも目の前のドアを開けてみる。
合わなけりゃ閉じれば良い。
でもビビらずに開けてみる事。
結局20代の頃に誓った事と同じところに戻ってくるのだから人生は面白い。
ドアの向こう、その先に待っている僕の作品はどんなものになるのか、我が事ながら楽しみにしている。
武者修行ツアー初日が終わりました
武者修行ツアー初日が終わりました。
これをツアーと呼ぶのかどうなのか分からないけれど、THE NEUTRALがTHE NEUTRALとしてあるためのライブの日々という位置づけで宜しくどうぞ。
古い曲と新曲を半々で演奏するというのは前にも書いたのだけれども、このツアーでのアンコールは何も考えず、時間の許す限りやるというものになっている。
バンドの生感を養いたいからだ。
なので必然とアンコールの声の熱気のよって演奏する曲も変わる。
まさにライブ!
最後までこの形で行くかどうかは分からないけれど。。。
とりあえず自分たちが納得するまで、飽きるまではこの形で行こうと思う。
よくよく考えると昨年末からずっとワンマンライブをやっている僕ら。
いろんな事があったのに振り返ると充電期間もなくライブをしている事に気がつく。
そして僕はここ最近はステージに上がる度に僕をここに連れ戻してくれたみんなに感謝をしている。
さぁ今日は横浜でライブだ!!
今日もステージに上がっているぜ!!
いつでも会いにきてくれ!
2017/03/15
2月24日25日を振り返り
パソコンが2ヶ月も壊れていたため、感想が書けなかったけれど2月24日と25日のライブ胸に深く刻まれました。
本当に時間がない2月でした。
仕事もプライベートもやる事いっぱいで。
バンドとしても当然今までの倍以上リハーサルを入らないといけないし。
それでも楽しみながらアイデアを出し、イメージして挑みました。
ソロワンマンライブの日は40歳の誕生日でした。
この節目にライブをするという事。
ずっと考えて考えて、自分の作品を振り返りつつ「20代の僕」「30代の僕」「40歳になった僕」とテーマを分けてやる事にしました。
年代ごとに一度楽屋に帰って着替えて、そして気持ちを切り替えてまたステージにあがるというライブでしたが、20代が終わって楽屋に帰ってきたときに後輩のCHAPAが見に来てくれていたらしく、まだライブの途中だというのに「今まで見たソロのライブの中で一番良いです!!」と伝えにきてくれました。
それがすべてだったと思います。
個人的にも大変心に残ったライブでした。
その次の日は毎年恒例の誕生会2017でした。
この日をココロランドリーにして良かったなぁと思いました。
ただドラム&パーカッションをやってくれた鎌田竜生@タッピーは覚える事多すぎて大変そうでしたけど。
いろんなことがあって、言いたい事もあって、でも口を閉ざし歩く事にして、後押しされ、今ステージ上がり、手紙の中の愛に触れ、、、。
何度も涙腺が緩んでしまいました。
今目の前にいる人達が「しげる歌えよ!ニュートラル聴かせてくれよ!」って言ってくれて歌っていて、うまく言えないけど心と心の間を歌と手紙でつないでいく、そんなライブでした。
若い頃は誕生日は生まれ変わるチャンスだと思っていました。
でも、今は今日までの軌跡を振り返るのが誕生日なのかなと思います。
少し時間が経ってしまいましたが、最高の24日25日をありがとう。
本当に時間がない2月でした。
仕事もプライベートもやる事いっぱいで。
バンドとしても当然今までの倍以上リハーサルを入らないといけないし。
それでも楽しみながらアイデアを出し、イメージして挑みました。
ソロワンマンライブの日は40歳の誕生日でした。
この節目にライブをするという事。
ずっと考えて考えて、自分の作品を振り返りつつ「20代の僕」「30代の僕」「40歳になった僕」とテーマを分けてやる事にしました。
年代ごとに一度楽屋に帰って着替えて、そして気持ちを切り替えてまたステージにあがるというライブでしたが、20代が終わって楽屋に帰ってきたときに後輩のCHAPAが見に来てくれていたらしく、まだライブの途中だというのに「今まで見たソロのライブの中で一番良いです!!」と伝えにきてくれました。
それがすべてだったと思います。
個人的にも大変心に残ったライブでした。
その次の日は毎年恒例の誕生会2017でした。
この日をココロランドリーにして良かったなぁと思いました。
ただドラム&パーカッションをやってくれた鎌田竜生@タッピーは覚える事多すぎて大変そうでしたけど。
いろんなことがあって、言いたい事もあって、でも口を閉ざし歩く事にして、後押しされ、今ステージ上がり、手紙の中の愛に触れ、、、。
何度も涙腺が緩んでしまいました。
今目の前にいる人達が「しげる歌えよ!ニュートラル聴かせてくれよ!」って言ってくれて歌っていて、うまく言えないけど心と心の間を歌と手紙でつないでいく、そんなライブでした。
若い頃は誕生日は生まれ変わるチャンスだと思っていました。
でも、今は今日までの軌跡を振り返るのが誕生日なのかなと思います。
少し時間が経ってしまいましたが、最高の24日25日をありがとう。
2017/03/13
武者修行ツアーの前に
水曜日から「武者修行ツアー」が始まる。
僕らはキャリア20年を超えるが、バンドとしては1年目のような旅に出る。
腕を磨いた職人さんだけど、店舗改装によって少し店の配置が変わって戸惑いながらもやっていくような、、、、いや、全然違う。なんで例えようとしたんだオレ!?ばかやろう。愛してる。
さぁ、これからTHE NEUTRALをどうやってやっていくのか。
その考えはある程度は決まっていたけれど、大晦日に3人のドラムを交えて演奏した。
それはそれで面白いものになった。
けどそれは一過性のものでバンドそのものが持つ太さ強みではない。
ちなみに海外のライブハウスではリハーサルがないのが当たり前なのをご存知だろうか?
そんなもんだからバンドの演奏もヘロヘロでようやく3曲目くらいから合ってくるのだが、そのうちの1曲は震えるほどかっこいいシーンがある。
これがバンドの、、、僕が思うロックバンドの在り方だ。
それには出来るだけ同じドラムで一つの音を出したかった。
僕はいつだって「明日見ても同じようなライブ」だけは絶対にしたくないのだ。
ドラムに鎌田竜生ことタッピーにお願いしてたくさんライブをする事にした。
このツアーではここ最近創った新曲達と過去の曲を半分半分で演奏していこうと思う。
過去のおさらいもファンの人にとっては大切な事(過去の曲一切やらないならニュートラルでなくてもいいもんね。)。
バンドとしては新曲をやっていくのもそれを少し上回るほど大切な事。
この両方を体にしみ込ませながら演奏していくのが武者修行ツアー。
水曜日から僕らは旅に出る。
それは長い長い旅路になると思う。
いろんな失敗をするだろう。
でもそれを超える歓喜の瞬間を創れば良い。
年末には最強バンドTHE NEUTRALとして君臨したいと思う。
どうぞ末永くよろしくです。
追記、たくさんライブもやっていきますね。
できればマンスリーでワンマンライブが出来れば良いと考えています。
しかしながら嬉しい悩みですが、僕が創作意欲にかられていて新曲をたくさん作ってそれをアレンジする時間が必要で、怒濤のライブとなるのはもう少しだけ後になるかもですが、、、それってつまり、、、という事なのでお楽しみに。
僕らはキャリア20年を超えるが、バンドとしては1年目のような旅に出る。
腕を磨いた職人さんだけど、店舗改装によって少し店の配置が変わって戸惑いながらもやっていくような、、、、いや、全然違う。なんで例えようとしたんだオレ!?ばかやろう。愛してる。
さぁ、これからTHE NEUTRALをどうやってやっていくのか。
その考えはある程度は決まっていたけれど、大晦日に3人のドラムを交えて演奏した。
それはそれで面白いものになった。
けどそれは一過性のものでバンドそのものが持つ太さ強みではない。
ちなみに海外のライブハウスではリハーサルがないのが当たり前なのをご存知だろうか?
そんなもんだからバンドの演奏もヘロヘロでようやく3曲目くらいから合ってくるのだが、そのうちの1曲は震えるほどかっこいいシーンがある。
これがバンドの、、、僕が思うロックバンドの在り方だ。
それには出来るだけ同じドラムで一つの音を出したかった。
僕はいつだって「明日見ても同じようなライブ」だけは絶対にしたくないのだ。
ドラムに鎌田竜生ことタッピーにお願いしてたくさんライブをする事にした。
このツアーではここ最近創った新曲達と過去の曲を半分半分で演奏していこうと思う。
過去のおさらいもファンの人にとっては大切な事(過去の曲一切やらないならニュートラルでなくてもいいもんね。)。
バンドとしては新曲をやっていくのもそれを少し上回るほど大切な事。
この両方を体にしみ込ませながら演奏していくのが武者修行ツアー。
水曜日から僕らは旅に出る。
それは長い長い旅路になると思う。
いろんな失敗をするだろう。
でもそれを超える歓喜の瞬間を創れば良い。
年末には最強バンドTHE NEUTRALとして君臨したいと思う。
どうぞ末永くよろしくです。
追記、たくさんライブもやっていきますね。
できればマンスリーでワンマンライブが出来れば良いと考えています。
しかしながら嬉しい悩みですが、僕が創作意欲にかられていて新曲をたくさん作ってそれをアレンジする時間が必要で、怒濤のライブとなるのはもう少しだけ後になるかもですが、、、それってつまり、、、という事なのでお楽しみに。
2017/03/12
MUSIQUA 石橋沙弥香
今日はMUSIQUAの石橋沙弥香ちゃん(以後「さやかちゃん」で)のshowroomにゲストとして参加させてもらった。
時間ギリギリで抜歯した親知らず@下の方ね、が痛くなったけどそれ以外は楽しいひとときを過ごさせてもらった。
さやかちゃんとの出会いは僕の家だった。
普段人を家に入れない僕だけど、そのとき後輩を通り越して最近ではマブダチのCHAPAがテレビの企画で曲を作るというのやっていてCHAPAはCHAPAなりに人生をかけていて力をかしてくれという事で僕も歌詞を作ったり録音を手伝ったりで出来る事をやっていた。
さぁ曲も出来上がって誰に歌ってもらうと相談していた時にCHAPAが「MUSIQUA のさやかさんが良い」と僕にさやかちゃんの存在を教えてくれた。
そんなこんなで挨拶もそこそこにさやかちゃんは僕の家に来てストレッチをしてさらっと歌って帰った。
きっと僕の事をエンジニアさんだと思っただろうなぁと。
ちなみにその時に録ったのがまだ一番しか出来ていなかったvocal powerの「たたかう君へ」と「わたしたちの明日」だった。
あれからvocal powerの一員としていろんな場面を一緒に過ごしてきた。
それはそれはいろんな事があった。
それがあったからこそ、今はたぶん、、、いや、きっと、ぼくもさやかちゃんも胸を張って「仲間」だと言えると思う。
仲間とは時間が作るものではない。
苦楽を共にしてこそ、なのだろう。
最近、楽曲制作を頼まれる事があって、僕が書いた歌を誰かに歌ってもらうかという機会が何度かあったが、女性ボーカルとなった時にさやかちゃんを超える人になかなか見つからない。
さやかちゃんの歌声は広く深い、そして優しい。
純粋に歌がうまいのも相まって感動する。
でも僕は知っている。
さやかちゃんが新曲を歌う前にはいつも歌詞カードにビッチリ歌うところのチェックポイント書き込んでいるのを。
ものすごく努力もしているのだろう。
今日もshowroomおわりにもう少し練習してから帰ると言っていた。
天才が努力をするとあの歌声になるのだろう。
もっともっと今よりもっと陽の目を浴びてほしいと心から思う。
とんでもない才能だと思う。
腐らずに諦めずに座り込んでも立ち止まっても、不変の歌声は彼女が何歳になっても結婚しようと子供が産まれようと何一つ変わる事はない。
きっと僕らは彼女が歌うと立ち止まってしまうだろう。
そんなさやかちゃんは5月7日のマウントレーニアに向けて頑張っている。
仲間がストリートして頑張っている。
さやかちゃんだけではない。
Minx Zoneも5月18日のマウントレーニアに向けて頑張っている。
ゆかりちゃんも大切な仲間だ。
仲間が闘っている時に何かしてあげたくなってしまう。
それが僕なのだ。
良い格好しているわけではない。
してしまうのだ。
なぜなら僕も今日までの日々でたくさんの仲間に助けられたから。
今月の15日の恵比寿ワンマンのスタートの少し前にさやかちゃんに歌ってもらう事にした。
それが良いと思った。
どっちみちスタートは少し押すんだから(ちなみに押すのは僕らのせいじゃないのよ)、だったらどうぞ歌ってくださいと。
僕らが演奏する曲数は変わらないので、早く来れる人はぜひさやかちゃんの歌を堪能してほしい。
最後に余談を。
昨年末、vocal powerのミーティングが遅くなりさやかちゃんを車で送っていく事になった。
ちょうどさやかちゃんの家まであと半分くらいになった頃に、「大変でしたね。大丈夫ですか?」と話し出した。
何の事かはすぐに分かった。
僕は精一杯「まぁね」と明るく返した。
さやかちゃんはMUSIQUAももともとはバンドだった事。
メンバーの脱退があってその時に感じた事。
いろんな話をしながら僕の話の横にいてくれた。
何か励まされたわけでも、じっくり僕の話を聞いてくれたでもないのに、1人の帰り道、僕の心の扉が少し開いている事に気がついた。
久しぶりに車の中で僕は声を出して歌っていたのを覚えている。
時間ギリギリで抜歯した親知らず@下の方ね、が痛くなったけどそれ以外は楽しいひとときを過ごさせてもらった。
さやかちゃんとの出会いは僕の家だった。
普段人を家に入れない僕だけど、そのとき後輩を通り越して最近ではマブダチのCHAPAがテレビの企画で曲を作るというのやっていてCHAPAはCHAPAなりに人生をかけていて力をかしてくれという事で僕も歌詞を作ったり録音を手伝ったりで出来る事をやっていた。
さぁ曲も出来上がって誰に歌ってもらうと相談していた時にCHAPAが「MUSIQUA のさやかさんが良い」と僕にさやかちゃんの存在を教えてくれた。
そんなこんなで挨拶もそこそこにさやかちゃんは僕の家に来てストレッチをしてさらっと歌って帰った。
きっと僕の事をエンジニアさんだと思っただろうなぁと。
ちなみにその時に録ったのがまだ一番しか出来ていなかったvocal powerの「たたかう君へ」と「わたしたちの明日」だった。
あれからvocal powerの一員としていろんな場面を一緒に過ごしてきた。
それはそれはいろんな事があった。
それがあったからこそ、今はたぶん、、、いや、きっと、ぼくもさやかちゃんも胸を張って「仲間」だと言えると思う。
仲間とは時間が作るものではない。
苦楽を共にしてこそ、なのだろう。
最近、楽曲制作を頼まれる事があって、僕が書いた歌を誰かに歌ってもらうかという機会が何度かあったが、女性ボーカルとなった時にさやかちゃんを超える人になかなか見つからない。
さやかちゃんの歌声は広く深い、そして優しい。
純粋に歌がうまいのも相まって感動する。
でも僕は知っている。
さやかちゃんが新曲を歌う前にはいつも歌詞カードにビッチリ歌うところのチェックポイント書き込んでいるのを。
ものすごく努力もしているのだろう。
今日もshowroomおわりにもう少し練習してから帰ると言っていた。
天才が努力をするとあの歌声になるのだろう。
もっともっと今よりもっと陽の目を浴びてほしいと心から思う。
とんでもない才能だと思う。
腐らずに諦めずに座り込んでも立ち止まっても、不変の歌声は彼女が何歳になっても結婚しようと子供が産まれようと何一つ変わる事はない。
きっと僕らは彼女が歌うと立ち止まってしまうだろう。
そんなさやかちゃんは5月7日のマウントレーニアに向けて頑張っている。
仲間がストリートして頑張っている。
さやかちゃんだけではない。
Minx Zoneも5月18日のマウントレーニアに向けて頑張っている。
ゆかりちゃんも大切な仲間だ。
仲間が闘っている時に何かしてあげたくなってしまう。
それが僕なのだ。
良い格好しているわけではない。
してしまうのだ。
なぜなら僕も今日までの日々でたくさんの仲間に助けられたから。
今月の15日の恵比寿ワンマンのスタートの少し前にさやかちゃんに歌ってもらう事にした。
それが良いと思った。
どっちみちスタートは少し押すんだから(ちなみに押すのは僕らのせいじゃないのよ)、だったらどうぞ歌ってくださいと。
僕らが演奏する曲数は変わらないので、早く来れる人はぜひさやかちゃんの歌を堪能してほしい。
最後に余談を。
昨年末、vocal powerのミーティングが遅くなりさやかちゃんを車で送っていく事になった。
ちょうどさやかちゃんの家まであと半分くらいになった頃に、「大変でしたね。大丈夫ですか?」と話し出した。
何の事かはすぐに分かった。
僕は精一杯「まぁね」と明るく返した。
さやかちゃんはMUSIQUAももともとはバンドだった事。
メンバーの脱退があってその時に感じた事。
いろんな話をしながら僕の話の横にいてくれた。
何か励まされたわけでも、じっくり僕の話を聞いてくれたでもないのに、1人の帰り道、僕の心の扉が少し開いている事に気がついた。
久しぶりに車の中で僕は声を出して歌っていたのを覚えている。
2017/03/11
東日本大震災6年目に寄せて
30歳になる時に「カメラを片手に一人旅に行く!」という企画があった。
各々行きたかった場所へ行くのだが、ここでも性格が出る。
僕なんかは青森まで行く。旅費は出るけれどスタッフに気を遣い知り合いに頼んで安くしてもらったり。僕らしい。
清正君は鎌倉という近場で済ます。清正君らしい。
そこでさすがのホームラン代谷。
ノープランでとりあえずヒッチハイク!という外国人のようなスタイルで挑んだ。
しかし高速道路の入り口で何時間も待つも誰も止まってくれず心折れかけた時に止まってくださった方がいた。高橋さん(仮名)だ。
高橋さんは岩手まで帰るところだったそうで乗せてやるよ!と快諾してくださった。
そこから当時の映像を見ると若い代谷がテンションあがりまくって高橋さんに話しかけている。
高橋さんも急にカメラを向けて話し出す怪しげな男を相手に優しく話しかける。
そうこうしている間に高橋さんの実家に到着。
高橋さんはこの日に代谷にフカヒレを食べさせ、さらにはホテルまでとってくださった。
だけでなく!
次の日には市場のようなところに連れて行ってくださり、あわびを食べさせたりと、もう代谷はアラブの王様のごとくの接待を受けていた。
そして感動的な別れのシーン、、、はなぜかカメラ川が廻っていない。
いきなり次のヒッチハイクのシーンに映る。
代谷らしい。
一番大事なところを押さえていない。
それから数年後の3月11日。
大地震が三陸を襲った。
あれからも交流は続いていたとは聞いていた。
「岩手のお父さんだよ!」と電話があり、農産物を送ってくれるんやと代谷が言っていたっけ。
高橋さんどうなったんやろう。。。
恐る恐る代谷に尋ねてみたら、「分からへんねん。。。オレも安否確認とかやってるけど分からへんねん。でもオレが泊まってたホテルとかはもうあかんかった。。。」と言ったきり黙ってしまった。僕もこれ以上聞けなかった。
それからしばらくして代谷から高橋さん生きてた!と知らせを受けた。
どうやって知ったんだ?と聞くと代谷が興奮して話し出した。
「高橋さんって建設業やってはるんやけど、あの辺りいったい流されてもう街も何も残ってないんやけど、高橋さんがみんなの為にって残ってた資材とかを集めて無料のお風呂を作ったんやって。それが新聞に載ってて。あの人の名前やって。年齢も一緒やって。自分の大変な時なのに、高橋さんもう誰かの為に動いてるねん。あの人らしいわ。」話し終えると代谷の目が潤んでいた。僕も鼻の奥がツーンとなった。
あの日、何処の馬の骨変わらない男を乗せてくれた心優しき高橋さんは、やはり今も誰かの為に動いている。変わっていない。生きているだけでなく変わらず生きているという事に僕も代谷も心を打たれたのだろう。
あれから6年。
今も代谷と高橋さんとの関係は続いている。
追記、あらためて震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
各々行きたかった場所へ行くのだが、ここでも性格が出る。
僕なんかは青森まで行く。旅費は出るけれどスタッフに気を遣い知り合いに頼んで安くしてもらったり。僕らしい。
清正君は鎌倉という近場で済ます。清正君らしい。
そこでさすがのホームラン代谷。
ノープランでとりあえずヒッチハイク!という外国人のようなスタイルで挑んだ。
しかし高速道路の入り口で何時間も待つも誰も止まってくれず心折れかけた時に止まってくださった方がいた。高橋さん(仮名)だ。
高橋さんは岩手まで帰るところだったそうで乗せてやるよ!と快諾してくださった。
そこから当時の映像を見ると若い代谷がテンションあがりまくって高橋さんに話しかけている。
高橋さんも急にカメラを向けて話し出す怪しげな男を相手に優しく話しかける。
そうこうしている間に高橋さんの実家に到着。
高橋さんはこの日に代谷にフカヒレを食べさせ、さらにはホテルまでとってくださった。
だけでなく!
次の日には市場のようなところに連れて行ってくださり、あわびを食べさせたりと、もう代谷はアラブの王様のごとくの接待を受けていた。
そして感動的な別れのシーン、、、はなぜかカメラ川が廻っていない。
いきなり次のヒッチハイクのシーンに映る。
代谷らしい。
一番大事なところを押さえていない。
それから数年後の3月11日。
大地震が三陸を襲った。
あれからも交流は続いていたとは聞いていた。
「岩手のお父さんだよ!」と電話があり、農産物を送ってくれるんやと代谷が言っていたっけ。
高橋さんどうなったんやろう。。。
恐る恐る代谷に尋ねてみたら、「分からへんねん。。。オレも安否確認とかやってるけど分からへんねん。でもオレが泊まってたホテルとかはもうあかんかった。。。」と言ったきり黙ってしまった。僕もこれ以上聞けなかった。
それからしばらくして代谷から高橋さん生きてた!と知らせを受けた。
どうやって知ったんだ?と聞くと代谷が興奮して話し出した。
「高橋さんって建設業やってはるんやけど、あの辺りいったい流されてもう街も何も残ってないんやけど、高橋さんがみんなの為にって残ってた資材とかを集めて無料のお風呂を作ったんやって。それが新聞に載ってて。あの人の名前やって。年齢も一緒やって。自分の大変な時なのに、高橋さんもう誰かの為に動いてるねん。あの人らしいわ。」話し終えると代谷の目が潤んでいた。僕も鼻の奥がツーンとなった。
あの日、何処の馬の骨変わらない男を乗せてくれた心優しき高橋さんは、やはり今も誰かの為に動いている。変わっていない。生きているだけでなく変わらず生きているという事に僕も代谷も心を打たれたのだろう。
あれから6年。
今も代谷と高橋さんとの関係は続いている。
追記、あらためて震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
2017/03/07
僕の40歳
パソコンが故障している間に僕は40歳になった。
30歳になった時と同じだ、何かが変わったようでいて何も変わらない。
厳密に言うと、僕は変わらないけれど周りの僕を見る目は変わるってことだと思う。
世代世代に生き方があると僕は思う。
今の僕はどこかの線引きが緩くなり、どこかはきつくなった。
ファンの人との距離もそうだろう。
先日のココロランドリーのMessageを読みながら今までどれだけ昔の僕がファンの人に怖いイメージを持たせていたか、、、思い知った。
みんな「怖かった」「怒られそうだった」「チンピラかと思った」など言いたい放題。
寄せ付けないにもほどがある怖さだったようで。
ちなみに今の僕が昔の僕の映像を見ても怖い。。。
道であったら目をそらしてしまう。。。
それを今も続けるのも良いが、無理もせず今は人との距離が近くなったのでそれが僕なりの40代だと思う。
昨年のいろんな騒動の中、たくさん自分を見つめなおし考え、この40代からはいろんなことを挑戦したいと思うようになった。
昨年の苦しい時に、音楽スクールの講師のお話をいただいたり、本を書いてみようかとお話をいただいたり、一緒にライブハウスをやらないか?など、バンド以外の事でいくつかお誘いをいただいた。
昔の僕ならバンド以外はすべてNO!!だったけれど、今はライブハウスをやる以外は(←これは無理だろう)やってみたい気持ちがある。
これは自分の中でも変わったところだと思うし、本人的には悪くないかな、むしろ自分のスキルを磨くにも良いかなぁと思うし、そのスキルを誰かに伝える年代にきたのかなぁとも思う。
結婚だって出来るのであれば悪くないと思う(これはまた改めて結婚観として書きたいけれど。)。
僕は先日メンバーとも話してTHE NEUTRALの向かうべきところも見えた気がしている。
40代のTHE NEUTRALは楽しく!!をモットーに!
と言い出したらしばいてほしい(笑)。
楽しくはもちろんだけど、クオリティを重視でもなく、、、、。
うまく書けないので、これから創られていく作品に思いを残していきたいと思う。
昔の刺々しい僕が好きな人もいると思うけど、僕自身がどうであれ、作品は新しい方が良くなっていると僕は思っているので、作品が生きていればすべてOKだと僕は思う。
僕が変わってなきゃ、作品もずっとあの頃のまま成長してないだろうしね。
そんなわけで40代に突入しました。
改めて。
僕はTHE NEUTRALのボーカルのしげるです。
よろしくな。
30歳になった時と同じだ、何かが変わったようでいて何も変わらない。
厳密に言うと、僕は変わらないけれど周りの僕を見る目は変わるってことだと思う。
世代世代に生き方があると僕は思う。
今の僕はどこかの線引きが緩くなり、どこかはきつくなった。
ファンの人との距離もそうだろう。
先日のココロランドリーのMessageを読みながら今までどれだけ昔の僕がファンの人に怖いイメージを持たせていたか、、、思い知った。
みんな「怖かった」「怒られそうだった」「チンピラかと思った」など言いたい放題。
寄せ付けないにもほどがある怖さだったようで。
ちなみに今の僕が昔の僕の映像を見ても怖い。。。
道であったら目をそらしてしまう。。。
それを今も続けるのも良いが、無理もせず今は人との距離が近くなったのでそれが僕なりの40代だと思う。
昨年のいろんな騒動の中、たくさん自分を見つめなおし考え、この40代からはいろんなことを挑戦したいと思うようになった。
昨年の苦しい時に、音楽スクールの講師のお話をいただいたり、本を書いてみようかとお話をいただいたり、一緒にライブハウスをやらないか?など、バンド以外の事でいくつかお誘いをいただいた。
昔の僕ならバンド以外はすべてNO!!だったけれど、今はライブハウスをやる以外は(←これは無理だろう)やってみたい気持ちがある。
これは自分の中でも変わったところだと思うし、本人的には悪くないかな、むしろ自分のスキルを磨くにも良いかなぁと思うし、そのスキルを誰かに伝える年代にきたのかなぁとも思う。
結婚だって出来るのであれば悪くないと思う(これはまた改めて結婚観として書きたいけれど。)。
僕は先日メンバーとも話してTHE NEUTRALの向かうべきところも見えた気がしている。
40代のTHE NEUTRALは楽しく!!をモットーに!
と言い出したらしばいてほしい(笑)。
楽しくはもちろんだけど、クオリティを重視でもなく、、、、。
うまく書けないので、これから創られていく作品に思いを残していきたいと思う。
昔の刺々しい僕が好きな人もいると思うけど、僕自身がどうであれ、作品は新しい方が良くなっていると僕は思っているので、作品が生きていればすべてOKだと僕は思う。
僕が変わってなきゃ、作品もずっとあの頃のまま成長してないだろうしね。
そんなわけで40代に突入しました。
改めて。
僕はTHE NEUTRALのボーカルのしげるです。
よろしくな。
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