2016/12/09
トップのピラフ
人生で忘れられないピラフがある。
今まで食べた中で一番美味しいピラフだったと思う。
中学1年生の5月頃から僕たちはプールバーでビリヤードをするのが日課だった。
プールバーとはビリヤードが出来るバーの事らしい。
数ヶ月前まで小学生だった奴らがいくところではないが、なぜか僕らはそこに入り浸っていた。
ろくでもない中学生やな。。。
姫路の銀ビル近くのパンダというパチンコ屋の2階にあったトップというお店。
ここのピラフがピリ辛くてもう最高で。
中学生が出入りできない怪しげなところでビリヤードをしながらピラフを食べるという行為にも酔いしれていたのでうまさは倍増だった。
今では、銀ビルもパンダももちろんトップすらない。
今一度、トップのピラフを食べてみたいと思う事がある。
だれか探偵ナイトスクープにお願いしてくれないかとも思った事がある。
他にもあんなに美味しかったのになくなってしまったお店というのがたくさんある。
時代の流れなんだろう。
うまいものはやはり、、、なんとしても残していくべきだ。
正直者が馬鹿を見ない時代になりますように。
2016/12/07
主観の域を超えれない
『君は君の人生の主人公である』
今年の日めくりカレンダーのとある1日の言葉。
日めくりカレンダーなので前向きな言葉で留めておいたが、実はこの言葉には続きがある。
大学生の時、僕が見ている世界と人が見ている世界は違うんだ!
僕は僕の世界の主人公なんだ!
と気付いていて震えた。
しかしその数ヶ月後気がついた。
ん?ってことはオレは常に主観で物事を見ているってことか!?
つまり一生人は客観的に自分を見れないってことか!?と。
客観的に自分を見ていているつもりでも、やはり主観の域を超える事は出来ない。
自分の尺度でしか物事を計る事が出来ないのだ。
でもそれから数年後に気づく。
その自分が置かれた場所を客観的に見る方法は一つ。
人からどう映っているかだ。
仲間がいるか。
恋人はいるか。
信頼されているか。
愛されているか。
僕の持っている物差しはたかが知れている。
だからこそその長さを長くしようと、僕は周りの人と触れ合いながら大きくしている。
周りの人というのはいい加減な付き合いのものではなく、本当に苦しい時に損得を考えずに助け合える人達だ。
日々、感謝と反省と、愛なんだと思う。
今年の日めくりカレンダーのとある1日の言葉。
日めくりカレンダーなので前向きな言葉で留めておいたが、実はこの言葉には続きがある。
大学生の時、僕が見ている世界と人が見ている世界は違うんだ!
僕は僕の世界の主人公なんだ!
と気付いていて震えた。
しかしその数ヶ月後気がついた。
ん?ってことはオレは常に主観で物事を見ているってことか!?
つまり一生人は客観的に自分を見れないってことか!?と。
客観的に自分を見ていているつもりでも、やはり主観の域を超える事は出来ない。
自分の尺度でしか物事を計る事が出来ないのだ。
でもそれから数年後に気づく。
その自分が置かれた場所を客観的に見る方法は一つ。
人からどう映っているかだ。
仲間がいるか。
恋人はいるか。
信頼されているか。
愛されているか。
僕の持っている物差しはたかが知れている。
だからこそその長さを長くしようと、僕は周りの人と触れ合いながら大きくしている。
周りの人というのはいい加減な付き合いのものではなく、本当に苦しい時に損得を考えずに助け合える人達だ。
日々、感謝と反省と、愛なんだと思う。
2016/12/05
しげる歌うまくなったなぁ
先日東京のライブに来てくれた先輩に「お前歌がうまくなったよなぁ」と言われた。
「すげぇ高い音出んじゃん。この間、昔の逆走天国のCD聴いててさ(15、6年前)、『歳の取り方』聴いてたんだけどさ、お前すっげぇヘタでさ。だからうまくなっててびっくりしたよ」。
僕はただただ苦笑いした。
確かに僕はずっと歌がヘタだった。
よくデビューできたなぁと思うくらいヘタであり、デビューしてからの作品も聴き返してみるとボーカリストとして基本中の基本、腹式呼吸が出来ていないのが分かるくらいヘタだ。
もちろん今でもうまい方ではないが、少なくとも人前でプロだとは言える程度になったと思う。
たぶん死ぬほどレコーディングしたからだと思う。
どれだけ家で歌おうが何をしようが、一回のレコーディングほど歌を成長させるものはない。
あと、僕には「あっ、今歌がうまくなった!」と実感した出来事があった。
ちょうど『君に届け』のレコーディングをしている時だろうか、僕はいつものようにプロデューサーに「僕歌ヘタですから」と逃げの口実をたれているとはじめて「しげる君はうまいよ。すごくいいヴォーカルだよ」と言ってもらえて、少し自信がついた。
その流れで渋谷O-EASTで行われた全力投球と言うイベントで『風の吹く場所』を歌った時に自分でもびっくりするくらい声が出て声が伸びた。
たぶんあれが初めてきちんと腹式呼吸が出来た瞬間だと思う。
自分で今変わった、と思える瞬間て少ないけど、この時確かに思えた。
もちろん音楽はうまいヘタではない。
人の心を震わすのはもっと違う次元のものだと分かっている。
しかしながらやはりうまいに越した事はないと思う。
この歳になっても、いや、この歳になったからこそ、今更歌の練習をしている。
と書きたいが、僕はロックボーカリストなので練習なんかしてねぇぜ。
てきとーだよ。
さぁ、腹筋しよ。
2016/12/03
ビートダイスケとの日々
長い長い旅路で分かれ道が出来て、今日はその分岐点に立ち最後の別れに音を重ねた。
高校の修学旅行、ゴンドラの中で意を決してバンドをやろうと声をかけてから4半世紀。
前身バンドがどうにもならなくてTHE NEUTRALを立ち上げて今日まで本当に走ってきた。
いや、立ち止まったりもしたっけな。
迷いもしたし、座ってしまいそうな時もあったし、でもその度にファミレスで喫茶店で実家でスタジオでスカイプで4人で話し合い今日まで来た。
僕らは本当にバンドが好きなだけだったんだ。
ロックンロールが好きなわけでもなかった。
僕らはバンドが好きだったんだ。
で、いつの頃からか本気でやりたいって思ってさ。
自分たちがどこまでいけるか知りたくなって、いけるとこまでいこうぜってさ。
デビューが決まってさ。
職業になってさ。
売れてるか売れてないかにこだわってさ。
誇らしくなったりさ、悔しい思いをしたりさ。
いろいろあったよ。
それは僕らにしか分からない。
本当にいろんな事があった。
僕は僕でロックンロールが好きになってしまった。
僕は変わったのか。
僕らは変わらなかったのか。
今はダイスケに対しておつかれさまと肩を叩いて、そっとしてあげたい。
高校生からの長い付き合いだった。
オレのどうしようもない時代も一緒に歩いてくれた仲間だ。
ありがとう。
最後の最後の千葉LOOKで完全に俺たちのTHE NEUTRALの音に戻って良かった。
僕らはバンドが好きだったんだって思い出した。
僕も僕で苦しい苦しい2016年に一つの区切りがついて心が少しだけ元の位置に戻った。
バンドを続けるという決断はなかなかの事だなと今本当に思う。
本当にまだ伝えたいメッセージが2016年が終わる前に残っているんだ。
12月24日のクリスマスイブのソロライブ、年末のカウントダウンライブ、来てほしい。
伝えたい言葉が、歌がある。
今日までの俺たちの日々を消さない為にもオレは歌い続けないと。
まだもう少しだけ2016年の12月を僕らにください。
最後にもう一度、ダイスケ、おつかれさま。ありがとう。
追記、ダイスケの為にもHPの写真を変えないといけないと思っています。
変わっても悲しまないでね。俺たちの音はCDと君たちの心の中にあるからさ。
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