2016/10/21
横浜のライブを終えて
今日のライブは、本当に、、、なんていうか、、、僕のソロライブの一番正しいやり方だったように思う。
心から歌いたい歌があり、それを喉でも腹からでもなく、心からでもなく、ただ話すように伝える。
そんなライブだったと思います。
12月24日のクリスマスイブにソロワンマンライブがあります。
僕にとって大切な日になりそうであり、来てくれた人の心と会話が出来るのじゃないかと、今はそんな事を思っています。。
いいライブになりそうというには僕の2016年は複雑な形していますが、だからこそこのライブは特別なライブになりそうです。
ぜひ来てやってください。
心から歌いたい歌があり、それを喉でも腹からでもなく、心からでもなく、ただ話すように伝える。
そんなライブだったと思います。
12月24日のクリスマスイブにソロワンマンライブがあります。
僕にとって大切な日になりそうであり、来てくれた人の心と会話が出来るのじゃないかと、今はそんな事を思っています。。
いいライブになりそうというには僕の2016年は複雑な形していますが、だからこそこのライブは特別なライブになりそうです。
ぜひ来てやってください。
おかしいぞ、なんか、、、
ラグビーの平尾選手が亡くなった。
本当にかっこ良かった。
神戸製鋼7連覇の立役者。
それにしても2016年はおかしいぞ。
どうしてこんなにも人が亡くなるのだ。
そんな気がしてならない。
本当に偶然なのか。。。
さ、はやく寝ないと。
明日は横浜でライブだ。
本当にかっこ良かった。
神戸製鋼7連覇の立役者。
それにしても2016年はおかしいぞ。
どうしてこんなにも人が亡くなるのだ。
そんな気がしてならない。
本当に偶然なのか。。。
さ、はやく寝ないと。
明日は横浜でライブだ。
2016/10/19
ライブが決まってるなぁ
ふと気がつくとワンマンライブが4本も決まっており、僕のソロワンマンを合わせると5本も。
あんなに下半期はライブが入ってなかったのに帳尻合わせかっ!と苦笑してしまうくらいライブが、しかもワンマンが決まっている。
もちろん送別会ライブや、新しい一歩のライブや、今年を振り返るライブなどひとつひとつに趣が違うのでこれまた大変な事だけど、この大変な事こそが幸せなのだなぁと感じている。
というか、金曜日も横浜でソロライブなんよなぁ。
あまりの慌ただしさにうっかりしそうになるけど。
肌寒くなってきた。
2016年を駆け抜けよう。
あんなに下半期はライブが入ってなかったのに帳尻合わせかっ!と苦笑してしまうくらいライブが、しかもワンマンが決まっている。
もちろん送別会ライブや、新しい一歩のライブや、今年を振り返るライブなどひとつひとつに趣が違うのでこれまた大変な事だけど、この大変な事こそが幸せなのだなぁと感じている。
というか、金曜日も横浜でソロライブなんよなぁ。
あまりの慌ただしさにうっかりしそうになるけど。
肌寒くなってきた。
2016年を駆け抜けよう。
2016/10/15
ありがとうとこれからを
LIVE 情報を更新しました。
http://www.the-neutral.com/live.html
まずは4人で最後のワンマンライブを2本なんとか決める事が出来ました。
平日となってしまいましたが、決めれて良かった。。。
ワンマンだしね!気持ちよく送り出せるよ。
それと同時に年末のカウントダウンワンマンライブと1月の結成記念のワンマンライブを決めました。
これはダイスケのいない3人でやる事になります。
つまり僕たちのこれまでと、僕たちのこれからを決めました。
脱退の話になってからの1年に近い数ヶ月、僕は本当に悩みました。
発表するまで苦しい日々を繰り返し、清正や代谷のこと、この道を続けていくにしても4人の音でなきゃいけないという先入観、それらに勝てるのかと。
発表してからの日々も人生で一番悩みました。
悩みましたけど、答えが出るのは本当にはやく一週間もかかりませんでした。
それはみなさんからのMessageがあったからです。
脱退は4人とスタッフで話し合って決めました。
でも、THE NEUTRALとしての今後はファンのみんなと僕らと一緒に決めているような感覚になりました。
脱退はもちろん悲しい事。
今でもそう。いくら時系列的に僕らの方が先に知っていて行動していたとはいえ、やはり寂しい。
簡単に割り切れるものでもない。
でももっと悲しいのは「解散」なんですよね。
もちろん「潔く解散」というのもありますが、諦めが悪いとかではなく、少なくとも僕にも代谷にも清正君にも解散は「今じゃない」という思いがあったので。
とはいえ、4人で出した音はもう出ない。
でもそれは4人で出した音を超えないというのではなく、超える日が来たとしても認めてもらえないかもしれない。
何百回と演奏してきた「チャンスはそこだ!!」をどんなにうまいプレイヤーと演奏しても十回未満の演奏と何百回との差はなかなか埋まらない。
でも、いつかは埋まるし、やる以上は埋まるように演奏し、今を超えなければバンドを続ける意味がない。
しかも横を見れば2人もオリジナルメンバーがいる。
求めている音に向かうのにこんなに頼もしい人達はいない。
そして多くの人が僕らの歌を待っている。
脱退を悲しみながらも、僕らの次なる歌とライブを待ってくれている。
それならばかっこ悪くても不細工でも3人で立ち上がり、すべてを払拭するくらいかっこいいバンドにならなきゃな。
そう思いました。
気が遠くなるような道のりだと思いましたが、一生バンドと付き合っていくならば18年なんてまだまだ半分も来ていないかもしれないと。
今回の事でたくさんの仲間が連絡をくれました。
その中で「困ってたら金なんかいらねぇーからドラム叩くからいつでも言って!」という素敵な仲間もいました。
ダイスケの最後のライブの発表だけで終わると、本当にバンドが終わってしまう気がして、今考えられる未来のライブを同時に決めました。
カウントダウンも今やるべきかどうか、かもしれないけど8年も続けてきて。
これはまた書くけど、どんな時でもステージに上がってきて。。。
何でも手放すのは簡単、継続はいかに難しいか。
苦しい2016年だったからこそ、音楽で1年を終わり音楽で1年を迎えたいな、迎えるべき何じゃないかと。
ただ来てくれる人もいきなりダイスケじゃないドラムが叩いていても違和感しかないと思うので、声をかけてくれた仲間のドラマーの何人かに入れ替わり立ち替わりで演奏してもらいながら、音を楽しみながら、未来のニュートラルを覗いていこうと決めました。
結成記念ワンマンライブも同じ。
こんな日が来るなんて思ってもいなかった。
でもだからこそやるべきだと。
いつの日は19周年は苦しい中でもやったよね、と誇れるように。
これからの道は険しい道です。
かっこ悪いところも何度もあるだろうし、その他の苦難も山積みです。
それでも歩かねば。
でも大丈夫です。
それは君がいてくれるからです。
今回君がくれたMessageのほとんどに「ニュートラルの歌が、ライブが、あの日の私を支えてくれた」と書いてあって、その言葉に自分たちのやってきた道を誇れる気持ちになったし、その愛を今返してもらったという思いがあるので、もう一度、君に返さなきゃ、そう思っています。
最後にはっきりと。
THE NEUTRALを継続していく。
それが僕の答えです。
追記、僕の病気の事を心配してくれてありがとう。
たいした事はないのですが、ちょっとした腫瘍ができて今は取り除き病理に回してもらって一ヶ月後の結果待ちです。
本当はこの病理の結果が出てからいろいろ決めようと思っていたのですが、そんなこともどうでもよくなるくらい、みなさんからのMessageで胸が熱くなりました。
これで動かなきゃ男じゃねぇー!心配かける時間を長くするのはよくねぇー!って。
病理の結果も大丈夫でしょう。
オレには親父もついてるしね!!
みんなも応援よろしくな!
http://www.the-neutral.com/live.html
まずは4人で最後のワンマンライブを2本なんとか決める事が出来ました。
平日となってしまいましたが、決めれて良かった。。。
ワンマンだしね!気持ちよく送り出せるよ。
それと同時に年末のカウントダウンワンマンライブと1月の結成記念のワンマンライブを決めました。
これはダイスケのいない3人でやる事になります。
つまり僕たちのこれまでと、僕たちのこれからを決めました。
脱退の話になってからの1年に近い数ヶ月、僕は本当に悩みました。
発表するまで苦しい日々を繰り返し、清正や代谷のこと、この道を続けていくにしても4人の音でなきゃいけないという先入観、それらに勝てるのかと。
発表してからの日々も人生で一番悩みました。
悩みましたけど、答えが出るのは本当にはやく一週間もかかりませんでした。
それはみなさんからのMessageがあったからです。
脱退は4人とスタッフで話し合って決めました。
でも、THE NEUTRALとしての今後はファンのみんなと僕らと一緒に決めているような感覚になりました。
脱退はもちろん悲しい事。
今でもそう。いくら時系列的に僕らの方が先に知っていて行動していたとはいえ、やはり寂しい。
簡単に割り切れるものでもない。
でももっと悲しいのは「解散」なんですよね。
もちろん「潔く解散」というのもありますが、諦めが悪いとかではなく、少なくとも僕にも代谷にも清正君にも解散は「今じゃない」という思いがあったので。
とはいえ、4人で出した音はもう出ない。
でもそれは4人で出した音を超えないというのではなく、超える日が来たとしても認めてもらえないかもしれない。
何百回と演奏してきた「チャンスはそこだ!!」をどんなにうまいプレイヤーと演奏しても十回未満の演奏と何百回との差はなかなか埋まらない。
でも、いつかは埋まるし、やる以上は埋まるように演奏し、今を超えなければバンドを続ける意味がない。
しかも横を見れば2人もオリジナルメンバーがいる。
求めている音に向かうのにこんなに頼もしい人達はいない。
そして多くの人が僕らの歌を待っている。
脱退を悲しみながらも、僕らの次なる歌とライブを待ってくれている。
それならばかっこ悪くても不細工でも3人で立ち上がり、すべてを払拭するくらいかっこいいバンドにならなきゃな。
そう思いました。
気が遠くなるような道のりだと思いましたが、一生バンドと付き合っていくならば18年なんてまだまだ半分も来ていないかもしれないと。
今回の事でたくさんの仲間が連絡をくれました。
その中で「困ってたら金なんかいらねぇーからドラム叩くからいつでも言って!」という素敵な仲間もいました。
ダイスケの最後のライブの発表だけで終わると、本当にバンドが終わってしまう気がして、今考えられる未来のライブを同時に決めました。
カウントダウンも今やるべきかどうか、かもしれないけど8年も続けてきて。
これはまた書くけど、どんな時でもステージに上がってきて。。。
何でも手放すのは簡単、継続はいかに難しいか。
苦しい2016年だったからこそ、音楽で1年を終わり音楽で1年を迎えたいな、迎えるべき何じゃないかと。
ただ来てくれる人もいきなりダイスケじゃないドラムが叩いていても違和感しかないと思うので、声をかけてくれた仲間のドラマーの何人かに入れ替わり立ち替わりで演奏してもらいながら、音を楽しみながら、未来のニュートラルを覗いていこうと決めました。
結成記念ワンマンライブも同じ。
こんな日が来るなんて思ってもいなかった。
でもだからこそやるべきだと。
いつの日は19周年は苦しい中でもやったよね、と誇れるように。
これからの道は険しい道です。
かっこ悪いところも何度もあるだろうし、その他の苦難も山積みです。
それでも歩かねば。
でも大丈夫です。
それは君がいてくれるからです。
今回君がくれたMessageのほとんどに「ニュートラルの歌が、ライブが、あの日の私を支えてくれた」と書いてあって、その言葉に自分たちのやってきた道を誇れる気持ちになったし、その愛を今返してもらったという思いがあるので、もう一度、君に返さなきゃ、そう思っています。
最後にはっきりと。
THE NEUTRALを継続していく。
それが僕の答えです。
追記、僕の病気の事を心配してくれてありがとう。
たいした事はないのですが、ちょっとした腫瘍ができて今は取り除き病理に回してもらって一ヶ月後の結果待ちです。
本当はこの病理の結果が出てからいろいろ決めようと思っていたのですが、そんなこともどうでもよくなるくらい、みなさんからのMessageで胸が熱くなりました。
これで動かなきゃ男じゃねぇー!心配かける時間を長くするのはよくねぇー!って。
病理の結果も大丈夫でしょう。
オレには親父もついてるしね!!
みんなも応援よろしくな!
2016/10/14
ただの日記
オレ、14歳の時に彼女にギターが弾けるって嘘をついて音楽を始めてさ、そんなもんやったんやなぁ。
そんなもんやった音楽が大好きになってさ、シャワー浴びる時でも音楽を聴きたくて浴室用の安いステレオ買ってたっけな。
15歳で初めて文化祭で歌ってさ、900人の前でギター一本よ。
こんなオレが「キャーキャー」言われてさ。校内を歩くと指差されたりさ。そりゃ勘違いもするよな。
高校2年生のスキー修学旅行のゴンドラの中でさダイちゃんにバンド組もうって誘ってさ。オレ一週間くらいどうやって口説こうか考えてたのに、ラーメン誘ったときくらいあっさりOKの返事言いやがってさ。
18歳になって姫路にサウンドフェスティバルってのがあってさ、仲間たちにその予選オーディションがあるから見に来てってさ、当時ボーカルやってた清正君が落ち込んでてさ。どうしたのって聞いたら「オレ今日ボーカルやったんやけど、歌詞が一番からまったく出てこーへんかった」ってさ。
オレ笑ってもてさ。
やっぱり落選しててさ。
来年はってことでオレに声がかかってさ。もちろん県外から100組くらい出る中、予選2位突破よ。
でも、こっからはただダラダラとバンドやってるだけやったなぁ。
21歳の時にこれじゃいかんと思ってTHE NEUTRALをはじめるのよ。
一年間一生懸命やって何も「今」が変わらなきゃ解散だってさ。
で、この一年間が地獄なのよ。
当時全部の作詞作曲をやってたダイちゃんにこれからはオレが書くからって言うてさ、チケットのノルマを達成してないメンバーには駅前に売りにいかせたりさ。服のダメだしとかさ。
でも思いつくダメなところは全部直したくてさ。
その甲斐あってかその1年後はワンマンライブでお客さんいっぱいになっててさ。
初めて自分を自分で誇れたっけな。
でも22歳の時にさ、当時のベースが辞めていくわけよ。
この時にワンマンライブ2DAYSとかしてるのよ!?そりゃ困ったよ。
こいつ人気もあったからさ、当時のファンの人からさ、辞めてくベースよりも残った僕らを批判する声が多くてさ。
「そっか、残った俺たちが責められるのかぁ、、、なんでやろ」って当時嘆いたのを覚えているなぁ。
で代谷を誘うわけよ。
あいつ気持ちは100%やりたいんやけどさ、もともとまじめで進学校にも通ってたりしてさ石橋を叩いて渡るようなやつやから不安やったんやろうなぁ。
オレをファミレスに呼び出して「オレとニュートラルとファン」っていう相関図出してきてさ、誰の思いがどう届いてそれがどう意味をなすのかみたいなこと書いてるのよ。
まじめやねん。
しかもちょっとピントずれてるねん。
もう好きになるよね。こんなやつ。背中押してほしいだけやったやろうから、「しげ、現実って何?」の熱い言葉の後に「そんな事より目玉焼きハンバーグ食おうぜ!」って答えて、食べた後にバンドやろうぜ!って伝えたのを覚えてるなぁ。
24歳で上京、26歳でデビュー。
やっぱりデビューは大きかったなぁ。
デビューした時に当時の彼女が部屋で俺たちとランキングを争っているバンドの歌を聴いてるのよ。
「消してくれ」って言ったの覚えてる。
今にして思うと別にええやんって思うけど、やっぱライバルの曲を聴いてほしくないし聴きたくないしさ。戦ってる真っ最中やからさ。でも彼女からしたら今流行ってる曲を普通に聴いてるだけだからなんも悪くないわけで、、、。この時から音楽は単純に好きとか楽しいだけじゃないんだなぁって、思ったっけな。
今日はもうこの辺にしとこうかな。
そっからもう、13年やもんなぁ。
いろいろあるよ。
最近解散した知人のバンドのTwitterが頭をよぎるよ。
「僕は音楽が好きなわけでもバンドが好きなわけでもなく、このバンドが好きだったんだ」と。
その通りやなぁ。わかるわ。
THE NEUTRALは解散はしないと名言をしてきたつもりだけど、今になって思うのはそれはあくまで4人揃っての事だったんだなぁと、我が発言ながら痛感してる。
でもオレもTHE NEUTRALが好きで、THE NEUTRALがオレのすべてで、THE NEUTRALがオレのIDで、オレがソロ活動をしてるのも音楽に関わる事やっているのはすべてTHE NEUTRALがあるからでTHE NEUTRALの為になるからであって、THE NEUTRALが解散となると、、、なぁ。
うまくまとまらないや。
代谷から今日空いてる?ってLINEがあった。
あいつなりにオレを励まして楽しませて、別れ際にバンドやろうぜ!って言いにくるんやろうなぁと思うから先にここに書いたった。
あの頃と逆になっとるがな。
オレの今の気持ちは、、、代谷に会うまで胸に秘めておこう。
そんなもんやった音楽が大好きになってさ、シャワー浴びる時でも音楽を聴きたくて浴室用の安いステレオ買ってたっけな。
15歳で初めて文化祭で歌ってさ、900人の前でギター一本よ。
こんなオレが「キャーキャー」言われてさ。校内を歩くと指差されたりさ。そりゃ勘違いもするよな。
高校2年生のスキー修学旅行のゴンドラの中でさダイちゃんにバンド組もうって誘ってさ。オレ一週間くらいどうやって口説こうか考えてたのに、ラーメン誘ったときくらいあっさりOKの返事言いやがってさ。
18歳になって姫路にサウンドフェスティバルってのがあってさ、仲間たちにその予選オーディションがあるから見に来てってさ、当時ボーカルやってた清正君が落ち込んでてさ。どうしたのって聞いたら「オレ今日ボーカルやったんやけど、歌詞が一番からまったく出てこーへんかった」ってさ。
オレ笑ってもてさ。
やっぱり落選しててさ。
来年はってことでオレに声がかかってさ。もちろん県外から100組くらい出る中、予選2位突破よ。
でも、こっからはただダラダラとバンドやってるだけやったなぁ。
21歳の時にこれじゃいかんと思ってTHE NEUTRALをはじめるのよ。
一年間一生懸命やって何も「今」が変わらなきゃ解散だってさ。
で、この一年間が地獄なのよ。
当時全部の作詞作曲をやってたダイちゃんにこれからはオレが書くからって言うてさ、チケットのノルマを達成してないメンバーには駅前に売りにいかせたりさ。服のダメだしとかさ。
でも思いつくダメなところは全部直したくてさ。
その甲斐あってかその1年後はワンマンライブでお客さんいっぱいになっててさ。
初めて自分を自分で誇れたっけな。
でも22歳の時にさ、当時のベースが辞めていくわけよ。
この時にワンマンライブ2DAYSとかしてるのよ!?そりゃ困ったよ。
こいつ人気もあったからさ、当時のファンの人からさ、辞めてくベースよりも残った僕らを批判する声が多くてさ。
「そっか、残った俺たちが責められるのかぁ、、、なんでやろ」って当時嘆いたのを覚えているなぁ。
で代谷を誘うわけよ。
あいつ気持ちは100%やりたいんやけどさ、もともとまじめで進学校にも通ってたりしてさ石橋を叩いて渡るようなやつやから不安やったんやろうなぁ。
オレをファミレスに呼び出して「オレとニュートラルとファン」っていう相関図出してきてさ、誰の思いがどう届いてそれがどう意味をなすのかみたいなこと書いてるのよ。
まじめやねん。
しかもちょっとピントずれてるねん。
もう好きになるよね。こんなやつ。背中押してほしいだけやったやろうから、「しげ、現実って何?」の熱い言葉の後に「そんな事より目玉焼きハンバーグ食おうぜ!」って答えて、食べた後にバンドやろうぜ!って伝えたのを覚えてるなぁ。
24歳で上京、26歳でデビュー。
やっぱりデビューは大きかったなぁ。
デビューした時に当時の彼女が部屋で俺たちとランキングを争っているバンドの歌を聴いてるのよ。
「消してくれ」って言ったの覚えてる。
今にして思うと別にええやんって思うけど、やっぱライバルの曲を聴いてほしくないし聴きたくないしさ。戦ってる真っ最中やからさ。でも彼女からしたら今流行ってる曲を普通に聴いてるだけだからなんも悪くないわけで、、、。この時から音楽は単純に好きとか楽しいだけじゃないんだなぁって、思ったっけな。
今日はもうこの辺にしとこうかな。
そっからもう、13年やもんなぁ。
いろいろあるよ。
最近解散した知人のバンドのTwitterが頭をよぎるよ。
「僕は音楽が好きなわけでもバンドが好きなわけでもなく、このバンドが好きだったんだ」と。
その通りやなぁ。わかるわ。
THE NEUTRALは解散はしないと名言をしてきたつもりだけど、今になって思うのはそれはあくまで4人揃っての事だったんだなぁと、我が発言ながら痛感してる。
でもオレもTHE NEUTRALが好きで、THE NEUTRALがオレのすべてで、THE NEUTRALがオレのIDで、オレがソロ活動をしてるのも音楽に関わる事やっているのはすべてTHE NEUTRALがあるからでTHE NEUTRALの為になるからであって、THE NEUTRALが解散となると、、、なぁ。
うまくまとまらないや。
代谷から今日空いてる?ってLINEがあった。
あいつなりにオレを励まして楽しませて、別れ際にバンドやろうぜ!って言いにくるんやろうなぁと思うから先にここに書いたった。
あの頃と逆になっとるがな。
オレの今の気持ちは、、、代谷に会うまで胸に秘めておこう。
2016/10/11
「夢の隙間に」
書きかけの歌詞の中に「夢の隙間に」という言葉があった。
「夢の隙間に」の後になにを書きたかったのだろう。
夢の隙間に滲んだ明日
夢の隙間に流した汗
夢の隙間に君といただけさ
????
何を書きたかったんだろう。
ただそのあと5行ほどの空白があって
「未来を少し 覗けるならば 君が必ず 笑っているように
その笑顔の先に 僕がいるなら 僕らの今日は 間違いじゃない」
と書いてあった。
間違いだらけの日々でも最後の最後に笑えたら間違いじゃないと言える。
夢の隙間は、、、きっと今。
それもいつもの「今」ではなく、立ち止まりそうな「今」こそ夢の隙間かもな。
今日は眠る前に「夢の隙間に」この後の言葉をもう少しだけ考えてみようと思う。
「夢の隙間に」の後になにを書きたかったのだろう。
夢の隙間に滲んだ明日
夢の隙間に流した汗
夢の隙間に君といただけさ
????
何を書きたかったんだろう。
ただそのあと5行ほどの空白があって
「未来を少し 覗けるならば 君が必ず 笑っているように
その笑顔の先に 僕がいるなら 僕らの今日は 間違いじゃない」
と書いてあった。
間違いだらけの日々でも最後の最後に笑えたら間違いじゃないと言える。
夢の隙間は、、、きっと今。
それもいつもの「今」ではなく、立ち止まりそうな「今」こそ夢の隙間かもな。
今日は眠る前に「夢の隙間に」この後の言葉をもう少しだけ考えてみようと思う。
2016/10/10
バンドのルール
バンドって治外法権っていうか、100個バンドがあれば100通りのルールがあると思います。
そしてそのどれもが他の人に話しても分かってもらえないルールであり、例えバンドマンであっても他のバンドの内情に関しては口出し出来ないと言う特殊な集合体です。
僕らで言えば、イベントライブでは事前にリハーサルに入らないというのがありました。
いろんな意見もあるだろうけど、僕たちのいい演奏とは「きちんと上手に」ではなかったからです。
当日のリハーサルで演奏したい曲を何曲かやってみて本番に挑む。
より「生々しく」今日しか出来ない演奏を精一杯演奏していました。
もちろんここにいくまでに10年はかかりました。
THE NEUTRALを続けていくという事はそれくらいの覚悟はあるのか!?と問われている気がしていました。
でも今たくさんのMessageが送られてきています。
今はその言葉達と真剣に向き合っています。
水曜日に病院です。
今は心を休めてゆっくりと今日までと、今と、これからを考えます。
そしてそのどれもが他の人に話しても分かってもらえないルールであり、例えバンドマンであっても他のバンドの内情に関しては口出し出来ないと言う特殊な集合体です。
僕らで言えば、イベントライブでは事前にリハーサルに入らないというのがありました。
いろんな意見もあるだろうけど、僕たちのいい演奏とは「きちんと上手に」ではなかったからです。
当日のリハーサルで演奏したい曲を何曲かやってみて本番に挑む。
より「生々しく」今日しか出来ない演奏を精一杯演奏していました。
もちろんここにいくまでに10年はかかりました。
THE NEUTRALを続けていくという事はそれくらいの覚悟はあるのか!?と問われている気がしていました。
でも今たくさんのMessageが送られてきています。
今はその言葉達と真剣に向き合っています。
水曜日に病院です。
今は心を休めてゆっくりと今日までと、今と、これからを考えます。
2016/10/09
メンバー脱退発表の夜に
まずはここにコメントを書きました。
まだの方はこちらを先に読んでもらえればと。
http://www.the-neutral.com/info/index.php
今回の件は、、、苦しかったなぁ。
ここに至るまでも本当に苦しかったし、今度はみんなに伝えるのを苦しかった。
脱退したメンバーが音楽から足を洗うと言う時は、嘘でも明るくエンターテイメントを貫けるのですが、そうじゃない場合、、、正直な言葉で伝えたかったんだなぁと代谷と清正のコメントを読んで思いました。
不器用な彼らなりの本当の言葉です。
そこを、、、分かってもらえたらと、、、勝手ながら思います。
ファンの人を思うと前向きにと言う言葉もたくさんあったのですが、ファンの人を思うと誤摩化しきれない事もあって書いたのだと思います。
つまりは彼らなりの今度も音楽を続けていく上で嘘をつくとのちのちに良くないと思ったのでしょう。
脱退の理由はいろいろあると思います。
ただこういうのは思い違いや、思い込みや勘違いも双方にたくさんあると思っていて、脱退する側の正義、その他の正義と必ず対立はしてしまいます。
なのでそこを掘り下げても健康的ではないと思いました。
愛する人であってもずっと一緒にいるといろんなことがあります。
思いがすれ違います。
それを男4人ともなると。。。
言うのも辛いし、言われるのも辛い。
別れとはそう言うもの。
ただ一度は離れないといけない時期、だったと思います。
そしてその上でダイスケを責めてはいないし、旧知の仲として責めて欲しくないとも書き残しておきます。
少なくとももう僕は消化して、受け止めています。
僕に今出来る事は4人最後のライブをはやく決めて、そこまでに以前のようなニュートラルに戻す事です。
あと、代谷と清正のコメント文を読みながら僕を気遣ってくれるのは嬉しいけど、僕のこれからの一挙手一投足が大事になってしまうではないか!?と焦ってしまいますが。。。
何とも言えないです。
解散すれば、とアドバイスした人もやはりいましたし。
私ごとなんだけど、実は先日簡単な手術をしまして(情報が多くてごめんなさい、、、たいした事はないです)。
そのいろいろなあれを待っている段階で、そういうのを踏まえて物理的に今は何も言えないのと、少し気力体力が落ちているのでこういう時に何かを決断するのはよくないなぁということでいろんな事を保留にしています。
2016年。
なかなか苦しい1年です。
ただみなさんからのMessageが支えてくれます。
力になります。
ありがとう。
2016/10/08
自炊
本棚に溜まった本は段ボールに入れて、実家に送っていた。
が、僕も故郷を離れてもう16年くらい。
さすがにそんな事もしてられない。
と、思ったとき、本をデータ化にして保存するといういわゆる「自炊」というものにたどり着いた。
この「自炊」という作業なのだが、一度本を裁断機でぶった切ってそれを専用のスキャンで取り込んでデータ化すると言うもの。
大学時代の僕だったら「本を裁断してバラバラにするなんて!!」と目くじらを立てていた思う。
しかしながらipad等で本を読むのに慣れてしまった今の僕にはこれほど望ましいものはない。
基本的には一度読んだ本を繰り返して読む事のない僕だけど、名作と呼ばれる本はさすがに側に置いておきたい。
そこで自炊だ。
どれどれと調べていくとびっくり。
裁断機、専用スキャナーを買うとなかなかの値段になる。
さぁ、どうすべきか。
年末の大掃除前に腹を決めないとな。
が、僕も故郷を離れてもう16年くらい。
さすがにそんな事もしてられない。
と、思ったとき、本をデータ化にして保存するといういわゆる「自炊」というものにたどり着いた。
この「自炊」という作業なのだが、一度本を裁断機でぶった切ってそれを専用のスキャンで取り込んでデータ化すると言うもの。
大学時代の僕だったら「本を裁断してバラバラにするなんて!!」と目くじらを立てていた思う。
しかしながらipad等で本を読むのに慣れてしまった今の僕にはこれほど望ましいものはない。
基本的には一度読んだ本を繰り返して読む事のない僕だけど、名作と呼ばれる本はさすがに側に置いておきたい。
そこで自炊だ。
どれどれと調べていくとびっくり。
裁断機、専用スキャナーを買うとなかなかの値段になる。
さぁ、どうすべきか。
年末の大掃除前に腹を決めないとな。
2016/10/03
ありがとうFm yokohama
遅くなったけど、6年間Fm yokohamaを愛してくださったみなさんありがとうございました。
僕はこれまでもkiss FMで3年ほどレギュラーをしていたり、FM PORTでも1人で1時間ほどの番組をやっていた事もあり、意気揚々と挑んだ覚えがあります。
実際は、ブランクがひどくて思うようにしゃべれなくて一回目は凹んで返ったのも覚えています。笑。
Fm yokohamaでついてくれたディレクターからは、「リスナーのみなさん」ではなく「リスナーのあなた」という気持ちでしゃべってみては!?というアドバイスを受け、毎回毎回ラジオを聴いてくれている「君」をイメージしてしゃべっていました。
面白くしゃべれた時にはスキップしたくなるような、うまく噛み合なかった時には反省会をしながら車で1時間ちょっとの距離を一喜一憂しながら通っていました。
いろんな事情で今回は辞めなければいけなかったのですが、いつかまたきっと、という思いはあります。
いつかきっと、そう思う気持ちはいつだって未来へ。
ね。
本当に6年間ありがとうございました!!
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