2016/06/22
お土産文化
後輩が知人の結婚式に参加する為、沖縄にいくと聞いた。
とっさに「土産はいらんぞ。まじで。金かかるからな」と伝えていた。
このお土産代というのが旅行に行くと以外と思わぬ出費となる。
平気で一万円近く超えたりする。
会社を休んだから会社の人へ、家族へ、女子に至っては友達へ、あっちの友達に渡したらこっちの友達にもと、小学生のときの友達相関図の延長のような事をやっておりこれが原因で旅先にて喧嘩をする恋人達が多いと言う。
そもそもお土産は神社などにある「宮笥」からきていると記憶している。
江戸時代あたりから庶民も旅が出来るようになった。
いわゆるお蔭参り。伊勢神宮へのお参りだ。
が、はぁー車もねえ、電車もねぇ、の時代なのでもちろん歩いて。
江戸、今の東京からだと往復で一ヶ月以上かけての旅だったらしい。
もちろんいくのには金がかかる。
そこで組織を作ってみんなで金を集めて、くじ引きで当たった人が行けるというシステム。
そりゃお土産も買わないと、ってな話である。
僕は歴史が好きなので、こういう文化は大事にしたいのだが、やはりお土産代は気を抜くと恐ろしい事になるので、僕の知人に関してはお土産は物ではなく、おもしろい土産話をきかせてもらいたいと思っている。
あぁ、オレもどっかいきたいなぁ。
今思うとファンクラブ旅行楽しかったなぁ。
とっさに「土産はいらんぞ。まじで。金かかるからな」と伝えていた。
このお土産代というのが旅行に行くと以外と思わぬ出費となる。
平気で一万円近く超えたりする。
会社を休んだから会社の人へ、家族へ、女子に至っては友達へ、あっちの友達に渡したらこっちの友達にもと、小学生のときの友達相関図の延長のような事をやっておりこれが原因で旅先にて喧嘩をする恋人達が多いと言う。
そもそもお土産は神社などにある「宮笥」からきていると記憶している。
江戸時代あたりから庶民も旅が出来るようになった。
いわゆるお蔭参り。伊勢神宮へのお参りだ。
が、はぁー車もねえ、電車もねぇ、の時代なのでもちろん歩いて。
江戸、今の東京からだと往復で一ヶ月以上かけての旅だったらしい。
もちろんいくのには金がかかる。
そこで組織を作ってみんなで金を集めて、くじ引きで当たった人が行けるというシステム。
そりゃお土産も買わないと、ってな話である。
僕は歴史が好きなので、こういう文化は大事にしたいのだが、やはりお土産代は気を抜くと恐ろしい事になるので、僕の知人に関してはお土産は物ではなく、おもしろい土産話をきかせてもらいたいと思っている。
あぁ、オレもどっかいきたいなぁ。
今思うとファンクラブ旅行楽しかったなぁ。
2016/06/16
I love そば
最近そばが大好きになった。
関西はそもそもうどん文化。
そばはそんなに食べない。
が、東京はそば文化のように思う。
東京の汁は濃いと言われ、僕も思うところはあるが、そばにするとこの濃い汁こそが合うのだ。
新潟にへぎそばもおいしかったなぁ。
とにかく今僕の中でそばブームが来ている。
いや、知らんがな。
家でそば打ちをやってみたいとさえ思っている。
いや、知らんがな。
関西はそもそもうどん文化。
そばはそんなに食べない。
が、東京はそば文化のように思う。
東京の汁は濃いと言われ、僕も思うところはあるが、そばにするとこの濃い汁こそが合うのだ。
新潟にへぎそばもおいしかったなぁ。
とにかく今僕の中でそばブームが来ている。
いや、知らんがな。
家でそば打ちをやってみたいとさえ思っている。
いや、知らんがな。
2016/06/14
「for you」「for me」
先日兄貴が経験した話を聞いたり親父の話をしながら思った事がある。
人と話していて意見が合わなかったり、それで揉めてしまう時、そのほとんどがどちらかの考えが相手の考えに追いついていない事が原因だと思う。
お互い同じレベルで話していて、意見がそぐわないと言う事は実はまれなケースだ。
そう言う相手といくらゆっくり話したところで、話は平行線。
時間の無駄と書くのは少し違うのだが、どうしようもないので一度は諦める方が健全だと僕は思う。
いつか相手が理解してくれればいいなぁとは思うのだが、なかなかそう言う相手とはその先も交わる事がない。「あのときはオレが悪かった」なんて大人になればなるほど言えなくなるし、正当化する癖を覚え年月とともにそれを事実として大人は受け止めてしまうからだ。
話が通じない相手によくあるのが「for me」タイプの人だ。
大きく分けると人は「for you」の人と「for me」のタイプに分かれると思う。
誰かの為なのか、僕の為なのか。
子供のほとんどは「僕、僕」の「for me」タイプ。
とにかく褒めてほしい。手柄も何もすべて僕。話もすべて僕の話。
大人になればそんな「for me」も「for you」に変わっていく。
それは、、、。
感謝を覚えるからだと思う。
人はしてあげた事は一生覚えているが、してもらった事に関しては3日で忘れるとも言う。
今日まで出会って、誰もが誰かに助けてもらった事がある。
そのことを心の奥で受け止めていれば「for you」の心は育つ。
「for you」の心がある人は人の話を聞こうとするだけではなく、理解しようとする。
人の話を聞くけど自分の意見を曲げない、押し付けるのは信念ではなく「for me」だ。
もちろん「for you」の心で自分の意見を曲げない、押し付けることもあるのだが。
だが、人は全員、理性を奪えば、利己的で自己中心的でわがままで身勝手な生き物である。
みんな褒めてほしいし、欲だらけの生き物だ。
それを今日までの経験と受けてきた愛でそれらを表に出すのは恥ずかしいと言うパブリックな精神を身につけ成長する。
言葉だけではなく、感謝の気持ちを忘れずに生きていく。
この意味を大人になった僕らは今一度自分自身に戒める事が必要なのかもしれない。
この僕も。
人と話していて意見が合わなかったり、それで揉めてしまう時、そのほとんどがどちらかの考えが相手の考えに追いついていない事が原因だと思う。
お互い同じレベルで話していて、意見がそぐわないと言う事は実はまれなケースだ。
そう言う相手といくらゆっくり話したところで、話は平行線。
時間の無駄と書くのは少し違うのだが、どうしようもないので一度は諦める方が健全だと僕は思う。
いつか相手が理解してくれればいいなぁとは思うのだが、なかなかそう言う相手とはその先も交わる事がない。「あのときはオレが悪かった」なんて大人になればなるほど言えなくなるし、正当化する癖を覚え年月とともにそれを事実として大人は受け止めてしまうからだ。
話が通じない相手によくあるのが「for me」タイプの人だ。
大きく分けると人は「for you」の人と「for me」のタイプに分かれると思う。
誰かの為なのか、僕の為なのか。
子供のほとんどは「僕、僕」の「for me」タイプ。
とにかく褒めてほしい。手柄も何もすべて僕。話もすべて僕の話。
大人になればそんな「for me」も「for you」に変わっていく。
それは、、、。
感謝を覚えるからだと思う。
人はしてあげた事は一生覚えているが、してもらった事に関しては3日で忘れるとも言う。
今日まで出会って、誰もが誰かに助けてもらった事がある。
そのことを心の奥で受け止めていれば「for you」の心は育つ。
「for you」の心がある人は人の話を聞こうとするだけではなく、理解しようとする。
人の話を聞くけど自分の意見を曲げない、押し付けるのは信念ではなく「for me」だ。
もちろん「for you」の心で自分の意見を曲げない、押し付けることもあるのだが。
だが、人は全員、理性を奪えば、利己的で自己中心的でわがままで身勝手な生き物である。
みんな褒めてほしいし、欲だらけの生き物だ。
それを今日までの経験と受けてきた愛でそれらを表に出すのは恥ずかしいと言うパブリックな精神を身につけ成長する。
言葉だけではなく、感謝の気持ちを忘れずに生きていく。
この意味を大人になった僕らは今一度自分自身に戒める事が必要なのかもしれない。
この僕も。
2016/06/12
最後の晩餐
「お前はグルメなのか?」と聞かれれば首をかしげてしまうが、おいしいものは大好きだ。
そんな僕に美味しいものを教えてくれたのはすべて親父だった。
が、子供の頃から美味しいものを食べさせられて、それが当たり前となっていて成人してからその美味しさに気付くものばかりだった。
その度に親父は「お前らは不幸じゃ!こんなうまいもん知ったら他もんが食えんようになる」と笑っていた。
親父の最後の半年はみるみる食欲が落ちていった。
僕は出来るだけよく2人で食べにいったお店のものをテイクアウトした。
時には神戸の南京町まで行って民生のイカの天ぷらも持ち帰った。
それでも少しだけ食べて終わってしまう。
みるみる痩せていく親父を見るのが辛かった。
そんな親父の最後の晩餐はお昼が母の誕生日ケーキの生クリームの部分。
夜は病院で出されるメイバランスというカロリーが高いアイスクリームを7口ほど。
つまりアイスクリームと言う事だ。
おれにうまいもんをたらふく教えてくれた親父の最後に口にしたのはアイスクリームだった。
その次の日の昼に体調を崩したのだが、朝に「おい、しげるピノを買うてきてくれ」とお願いされた。
アイスクリームがお気に召したと思うと嬉しくなる。
結局そのピノは冷凍庫に入ったままだった。
親父が息を引き取る時、いろんな言葉をかけたが、その中に「親父、もうピノはオレが食べるぞ!」と涙ながらも笑いながら伝えた。
聞こえていただろうか。
聞こえていたら笑ってくれただろうな。
僕は美味しいものが大好きだ。
僕は不幸だ。美味しいものを知りすぎているから。
でもだからこそいえる。
美味しいものを食べまくった僕は、僕らは、最後の晩餐なんてなんでもいいのだ。
それまでに満足のいく食事をしてきたから。
きっと生きるってそう言う事のように思う。
最後にこだわるのではなく、こだわった日々を経て最後はなんでもいいのだ。
なんでもいいのだと笑えればいいのだと。
そんな僕に美味しいものを教えてくれたのはすべて親父だった。
が、子供の頃から美味しいものを食べさせられて、それが当たり前となっていて成人してからその美味しさに気付くものばかりだった。
その度に親父は「お前らは不幸じゃ!こんなうまいもん知ったら他もんが食えんようになる」と笑っていた。
親父の最後の半年はみるみる食欲が落ちていった。
僕は出来るだけよく2人で食べにいったお店のものをテイクアウトした。
時には神戸の南京町まで行って民生のイカの天ぷらも持ち帰った。
それでも少しだけ食べて終わってしまう。
みるみる痩せていく親父を見るのが辛かった。
そんな親父の最後の晩餐はお昼が母の誕生日ケーキの生クリームの部分。
夜は病院で出されるメイバランスというカロリーが高いアイスクリームを7口ほど。
つまりアイスクリームと言う事だ。
おれにうまいもんをたらふく教えてくれた親父の最後に口にしたのはアイスクリームだった。
その次の日の昼に体調を崩したのだが、朝に「おい、しげるピノを買うてきてくれ」とお願いされた。
アイスクリームがお気に召したと思うと嬉しくなる。
結局そのピノは冷凍庫に入ったままだった。
親父が息を引き取る時、いろんな言葉をかけたが、その中に「親父、もうピノはオレが食べるぞ!」と涙ながらも笑いながら伝えた。
聞こえていただろうか。
聞こえていたら笑ってくれただろうな。
僕は美味しいものが大好きだ。
僕は不幸だ。美味しいものを知りすぎているから。
でもだからこそいえる。
美味しいものを食べまくった僕は、僕らは、最後の晩餐なんてなんでもいいのだ。
それまでに満足のいく食事をしてきたから。
きっと生きるってそう言う事のように思う。
最後にこだわるのではなく、こだわった日々を経て最後はなんでもいいのだ。
なんでもいいのだと笑えればいいのだと。
2016/06/04
母の車よ!動け!!
母の車が壊れたらしい。
運転していると横ぶれしだしたとか。
詳しく調べてもらうとどうやらコンピューターが壊れてしまったらしい。
今の車はコンピューターがほとんど指示を出しているらしく、まさに人間で言うところの脳みそみたいなもの。
ところがこれを修理するとなると、新しいコンピューターを30万ほどで取り寄せて、さらに20万近くのセッティングをしてもらいとアホみたいな金額がいくとの事。
家族全員が「手放せ!」「廃車にしろ!」のシュプレヒコールをあげる中、母が渋っているのを僕は知っていた。
今の車に乗る前、母はずっと僕より年上のフォルクスワーゲンのビートルに乗っていた。
この車、後に僕も乗り回したのだが、なんというかすぐ壊れるし癖が強くて僕と母にしか運転は出来なかったんだけど、それがまた可愛くて。
でも母も遠出をするようになり、もう少し安定した車を買おうと言う事になり、家族会議を開くも母は何一つ気に入らない様子。
でも唯一この車なら乗っていいかも!と言ったのが今の車だ。
ちなみにベンツの2人乗りのオープンカー。
いや、贅沢すぎるがな。。。
親父はこれを母にプレゼントし、母の誕生日をナンバーにした。
親父がいなくなり、まるで主をなくし目的を見失ったかのように車が壊れてしまった。
でも、なんとかしてあげたくて、1/5くらいの値段で直るようになんとか僕の持てる力や仲間にも協力をお願いしたりして、今日その修理が終わるらしい。
無事にもう一度動いてくれる事を願う。
それは車としてだけではなく、僕らの家族の思い出をもう一度だけ動かしたいのだ。
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