2016/05/28
四十九日を終えて
父がこの世を去ってから、ずっと眠れない日々が続き、後悔、寂しさ、思い出が目を閉じると海の上に僕を浮かすように漂っていたけど、先日の四十九日を終えてから自分でも驚くほど心が軽くなった。
なんでなんだろう。
法要中に親父が旅立っていくイメージが出来たわけでもなく、なんなら親父がひょいっと現れそうな気さえしていたのに、終わった途端。。。
四十九日は俗世間でのいろんなものを落として、成仏する為の日数と言われているらしいけど、あれは本当かもしれない。
きっと成仏したんだと思う。
昔からの伝聞や儀式には意味があるように思える。
親父はもういない。
それをしっかり受け止められた気がする。
毎日毎日思い出す。
でもそれは決して胸が苦しくなるものではない。
ただ思い出すのだ。
それにしても不思議だ。
いつかこれを読んでいるあなたが同じような立場になった時、どうかこの日記を思い出してもらえたらと思います。
なんでなんだろう。
法要中に親父が旅立っていくイメージが出来たわけでもなく、なんなら親父がひょいっと現れそうな気さえしていたのに、終わった途端。。。
四十九日は俗世間でのいろんなものを落として、成仏する為の日数と言われているらしいけど、あれは本当かもしれない。
きっと成仏したんだと思う。
昔からの伝聞や儀式には意味があるように思える。
親父はもういない。
それをしっかり受け止められた気がする。
毎日毎日思い出す。
でもそれは決して胸が苦しくなるものではない。
ただ思い出すのだ。
それにしても不思議だ。
いつかこれを読んでいるあなたが同じような立場になった時、どうかこの日記を思い出してもらえたらと思います。
2016/05/25
親父にごちそうになった
子供の頃からずっと通っている、もはや僕にとってのお袋の味と言ってもいい中華料理「浜さき」船場店。
ここは前の大将の頃から通い詰めた店。
中学生の時、一人で食べにきていて食べ終わった後にお金がない事に気付きツケにして帰ったと言う可愛くないエピソードを持つ僕。
バンド仲間もたくさん連れてきた。
大勢で食べているといつも親父がやってきて「おう!」とお金を払って帰って行くのだ。
みんなはその背中に「あざーす!」と言う。
親父は「ワシは金払うだけかい!」と笑いながら出て行く。
いつも不思議だった。
どうして僕らがここで食べているを知っているんだろうと。
先日、代谷とスタッフとYohei Nakamura君とで食べに行った。
僕はいつものように僕のおすすめのメニューを初めましてのYohei君に勧める。
彼も「おいしーーー!」と笑顔になる。
いつもの風景。
そう後は親父がやってきて「おう!」と支払いを済ましてくれるだけだ。
僕はテレビを見る振りをして何度もお店の入り口に目をやった。
今にも親父が出てきそうだった。
でも、、、。
親父はもういない。
あと数日で49日。
少しずつ受け入れてきている僕がいる事に気がついた。
さぁ、帰ろうと伝票を持ってレジに行くと、店主と奥さんが「しげるくん、今日はごちそうさせて!」と言ってくださった。
当然そんなわけにはいかないので「いえいえ、お気持ちだけ受け取ります」と言ったのだが、奥さんに「社長には贔屓にしてもらってこれくらいさせて」と言われ、マスターには「ファンの人もたくさん紹介してもらってるしな」とかっこ良く笑われた。
ここまで言われたら、、、ありがたくごちそうになった。
ごちそうさまでしたと深々と頭を下げ、お店を出た時、なんだか今日も親父に奢ってもらった気がしたわぁと笑うと、代谷が目頭を押さえていた。
彼の中にも親父のごちそうしてくれるときのあの姿が浮かんでいたんだろう。
最近つくづく思う。
人は亡くなった後にその人柄がよくわかる。
僕は僕の知らなかった親父の話を今たくさん聞いて、その度に誇らしく思っている。
僕もそのような生き方をもっともっと太陽に向けてしていかないと、と強く思うのだった。
ここは前の大将の頃から通い詰めた店。
中学生の時、一人で食べにきていて食べ終わった後にお金がない事に気付きツケにして帰ったと言う可愛くないエピソードを持つ僕。
バンド仲間もたくさん連れてきた。
大勢で食べているといつも親父がやってきて「おう!」とお金を払って帰って行くのだ。
みんなはその背中に「あざーす!」と言う。
親父は「ワシは金払うだけかい!」と笑いながら出て行く。
いつも不思議だった。
どうして僕らがここで食べているを知っているんだろうと。
先日、代谷とスタッフとYohei Nakamura君とで食べに行った。
僕はいつものように僕のおすすめのメニューを初めましてのYohei君に勧める。
彼も「おいしーーー!」と笑顔になる。
いつもの風景。
そう後は親父がやってきて「おう!」と支払いを済ましてくれるだけだ。
僕はテレビを見る振りをして何度もお店の入り口に目をやった。
今にも親父が出てきそうだった。
でも、、、。
親父はもういない。
あと数日で49日。
少しずつ受け入れてきている僕がいる事に気がついた。
さぁ、帰ろうと伝票を持ってレジに行くと、店主と奥さんが「しげるくん、今日はごちそうさせて!」と言ってくださった。
当然そんなわけにはいかないので「いえいえ、お気持ちだけ受け取ります」と言ったのだが、奥さんに「社長には贔屓にしてもらってこれくらいさせて」と言われ、マスターには「ファンの人もたくさん紹介してもらってるしな」とかっこ良く笑われた。
ここまで言われたら、、、ありがたくごちそうになった。
ごちそうさまでしたと深々と頭を下げ、お店を出た時、なんだか今日も親父に奢ってもらった気がしたわぁと笑うと、代谷が目頭を押さえていた。
彼の中にも親父のごちそうしてくれるときのあの姿が浮かんでいたんだろう。
最近つくづく思う。
人は亡くなった後にその人柄がよくわかる。
僕は僕の知らなかった親父の話を今たくさん聞いて、その度に誇らしく思っている。
僕もそのような生き方をもっともっと太陽に向けてしていかないと、と強く思うのだった。
2016/05/11
偶然を装い仕事場を訪問
プライベートの仲間とご飯に言っている時に「ねぇねぇ、しげる君、伊勢丹って新宿以外にどこにあるの??」と聞かれた。
イタリアの恋愛大学で博士号を取った僕はすぐにピンと来た。
「やめときな」
相手はすぐに「え??」と聞き返してきたので出来るだけスマートに奥二重をぱっちり二重に変えて「だからやめときなって」と答えてやった。
「なんでわかるのーーー?」
と聞かれたが、こんなもの僕からすれば朝飯前の2度寝である。
読者の君は何が「やめときな」か分かっただろうか?
つまりこうだ。
彼は最近知り合った女の子がいて、どうやらその子を気に入ったらしくしかもその子が伊勢丹で働いていると言うのをなんとか聞き出して、偶然装ってそこに行こうと言うとても浅はかな恋愛プランを立てていたのだ。
「ねぇねぇ、しげる君、伊勢丹って新宿以外にどこにあるの??」
恋愛界のヒクソングレイシーと呼ばれる僕くらいになるとこの文字数でそれくらいの事は分かってしまう。分かってしまうのだ。
こんな話をしていると、横で聞いていたもう一人の友達が、「いや実はオレも昔、同じことやってもて」と話し出した。
なんでも当時の彼もお目当ての女子が雑貨屋で働いていて、「友達の誕生日プレゼントを買いにきた」というなんともプレパラートな建前で訪問。
しかもわざわざ閉店の1時間前にアタック!!
「あれ、もう終わるんだ、だったらこのあとちょっと行く?」作戦を決行。
一見スマートに見せるこの作戦、だが、なかなかこれを貫徹するには3ピースのスーツを着こなすくらい難しい。
案の定この友達も、来店30分で限界が来てしまい帰る事に。
そりゃそうだ。さほど大きくない雑貨屋に男が1時間もいれるはずもない。
しかしこの友人もこのままでは帰れない。
出来ればこの後彼女一緒に飲みたい。
だが恋愛の大鉄則「惚れた方が負け」に巻き込まれ言えない。
そこでとった行動が「この辺、いい飲み屋あるの?」って聞き出して、「じゃそこでちょっと飲もうかな」とちらっと相手を覗き見る作戦。
○彼女に教えてもらった彼女の仕事先の近くで飲んでいる
○彼女が仕事終わりにその店を覗く
○「えーーまだ飲んでたんだ!?じゃ私も」
というなんともアホな作戦だ。
もちろん彼女は訪れる事なかったそうで。
恋愛で最も良くないのはウェイティングプラス思考。
自分は特に動かず待ちの姿勢のくせに相手がこっちの意図を汲み取り近寄ってくれるという誇大妄想。
これをやっているうちはうまくいかない。
といいつつ、この僕も博士号を取る前は舞台をやっている女優さんに誘われて、ヘラヘラと楽屋見舞いを持って行き、なんかこの辺うまいもんないかなぁと腹減ったアピールをして楽屋を出ていくというなんとも奇天烈な行動をしてしまったことがあるからわかる。その後も連絡があるかもとなかなかその駅から帰らなかった思い出もある。
相手の職場に伺うと言うのは冷静に考えるとなかなか気持ち悪い行動だ。
相手もこちらに気があればいいが、そうでない場合は要注意。
だが、もうそれしか接点がない時もある。
その場合はできるだけスマートに店に入って、スマートに買い物して、次は友達(異性ならベスト)でも連れて行ってと頑張るのがいいのではないだろうか。
僕くらいになると、買い物して「今日はこの後は忙しい?」と素直に聞いて、ダメなら「そうか残念」と次のアポも取らずあっさり帰る。この気構えがあると以外とうまくいったりもする。
最後に、その雑貨屋に行った友達も近くその時の彼女とゴールインするとか。
やはり恋愛は最後の最後まで分からないものだ。
イタリアの恋愛大学で博士号を取った僕はすぐにピンと来た。
「やめときな」
相手はすぐに「え??」と聞き返してきたので出来るだけスマートに奥二重をぱっちり二重に変えて「だからやめときなって」と答えてやった。
「なんでわかるのーーー?」
と聞かれたが、こんなもの僕からすれば朝飯前の2度寝である。
読者の君は何が「やめときな」か分かっただろうか?
つまりこうだ。
彼は最近知り合った女の子がいて、どうやらその子を気に入ったらしくしかもその子が伊勢丹で働いていると言うのをなんとか聞き出して、偶然装ってそこに行こうと言うとても浅はかな恋愛プランを立てていたのだ。
「ねぇねぇ、しげる君、伊勢丹って新宿以外にどこにあるの??」
恋愛界のヒクソングレイシーと呼ばれる僕くらいになるとこの文字数でそれくらいの事は分かってしまう。分かってしまうのだ。
こんな話をしていると、横で聞いていたもう一人の友達が、「いや実はオレも昔、同じことやってもて」と話し出した。
なんでも当時の彼もお目当ての女子が雑貨屋で働いていて、「友達の誕生日プレゼントを買いにきた」というなんともプレパラートな建前で訪問。
しかもわざわざ閉店の1時間前にアタック!!
「あれ、もう終わるんだ、だったらこのあとちょっと行く?」作戦を決行。
一見スマートに見せるこの作戦、だが、なかなかこれを貫徹するには3ピースのスーツを着こなすくらい難しい。
案の定この友達も、来店30分で限界が来てしまい帰る事に。
そりゃそうだ。さほど大きくない雑貨屋に男が1時間もいれるはずもない。
しかしこの友人もこのままでは帰れない。
出来ればこの後彼女一緒に飲みたい。
だが恋愛の大鉄則「惚れた方が負け」に巻き込まれ言えない。
そこでとった行動が「この辺、いい飲み屋あるの?」って聞き出して、「じゃそこでちょっと飲もうかな」とちらっと相手を覗き見る作戦。
○彼女に教えてもらった彼女の仕事先の近くで飲んでいる
○彼女が仕事終わりにその店を覗く
○「えーーまだ飲んでたんだ!?じゃ私も」
というなんともアホな作戦だ。
もちろん彼女は訪れる事なかったそうで。
恋愛で最も良くないのはウェイティングプラス思考。
自分は特に動かず待ちの姿勢のくせに相手がこっちの意図を汲み取り近寄ってくれるという誇大妄想。
これをやっているうちはうまくいかない。
といいつつ、この僕も博士号を取る前は舞台をやっている女優さんに誘われて、ヘラヘラと楽屋見舞いを持って行き、なんかこの辺うまいもんないかなぁと腹減ったアピールをして楽屋を出ていくというなんとも奇天烈な行動をしてしまったことがあるからわかる。その後も連絡があるかもとなかなかその駅から帰らなかった思い出もある。
相手の職場に伺うと言うのは冷静に考えるとなかなか気持ち悪い行動だ。
相手もこちらに気があればいいが、そうでない場合は要注意。
だが、もうそれしか接点がない時もある。
その場合はできるだけスマートに店に入って、スマートに買い物して、次は友達(異性ならベスト)でも連れて行ってと頑張るのがいいのではないだろうか。
僕くらいになると、買い物して「今日はこの後は忙しい?」と素直に聞いて、ダメなら「そうか残念」と次のアポも取らずあっさり帰る。この気構えがあると以外とうまくいったりもする。
最後に、その雑貨屋に行った友達も近くその時の彼女とゴールインするとか。
やはり恋愛は最後の最後まで分からないものだ。
2016/05/02
泣かない強さ
僕は親父が泣いたところを一度も見た事がなかった。
日常生活はもちろん映画を観ていても泣いているところを一度も見た事がなかった。
おじいちゃん、つまり自分の父親がこの世を去った時も親父は当時20代だったにもかかわらず泣かなかったらしい。
今泣いている場合じゃないオレがしっかりしないと、と思ったからだと言っていたが、30代も後半どっぷりの僕は親父がこの世を去った時に人前おかまいなしで号泣してしまったと言うのに。
おばあちゃんが亡くなった時もそうだ。
僕は無神経に「悲しくないの?」と尋ねたが、親父は「わしはばあちゃんにはやれる事はすべてやった。だからなにも後悔がない」と空を見ながら話していた。
確かに親父はおばちゃんに会いに行っては、おばあちゃんが友達と縁側でお話が出来るようにと電気毛布やこたつを差し入れしたりする気配りもしていた。
決して冷たい人ではなく、墓参りも欠かさず行い、その際には「こうやっているとおかぁの声が聞こえてくるんや。ほんまに話してるみたいやぞ」と言っていた。
その意味が、僕は親父が亡くなった今良く分かる。
親父の声が時々聞こえてくる。いや正確には、親父ならこういうだろうと思う声が聞こえてくるのだ。
そんな親父の涙を見たのは亡くなる前日の病院。
肺が苦しくて痰が溜まる。でも体も弱っているので自分で痰がとれない。
看護婦さんが喉の奥にチューブを差し込み痰を取ってくれるのだが、これが苦しいのと気持ち悪いのが相まって涙が出てしまう。
欠伸の時のそれと同じように生理現象で出る涙だった。
そんな涙でも僕は初めて見る涙だったので、戸惑った。
悩んだが、そっとティッシュでそれを拭き取ってあげた。
なぜだか僕の方が泣きそうになった。
親父に比べると僕は泣き虫だ。
優しいやつだと言ってくれる人もいるだろうけど、男としての覚悟や資質としてまだ足りないものがあるのだと思う。
僕も結婚して子供が出来ると変わるのだろうか。
泣かない強さを身につけられるのだろうか。
いや、泣く泣かないの問題ではない。
僕にあの覚悟と資質を養えるのだろうか。
リビングの親父の写真が僕を見て笑っている。
「大丈夫じゃ」
今、懐かしい声が聞こえた気がした。
2016/05/01
桜晴れ 〜かぞくのじかん〜
親父が今、おそらく最後になるであろう眠りについた。
延命措置はしない。それが僕ら家族が出した決断だった。
深い眠りにつく薬が一時間に数mm親父の体に導入されていく。
先ほどの苦しみが嘘のように眠っている。
それでいい。眠ってくれ。昨日は寝てなかったんやろ。
気がつけば夕方になっていた。4月とはいえこの時期の17時は暗闇が尋ねてくるのがはやい。
親父を看取ってあげたい気持ちとこの部屋を今すぐ出てきたい気持ちが入り交じっている。
オカンがどこにもいかんといてと一人になる事を嫌がっている。
僕は目閉じてあの日の事を思い出していた。
3年ほど前、親父から電話があった。
「おい、明日おかぁと東京行くぞ。お前時間あるか?オレは交渉さえ終えたらやる事ないから、おかぁが仕事してる間にスカイツリー連れてってくれ。」
親父はいつだって強引であり急に物事を決める。
でも不思議とその日に限って空き時間であったり、その強引さこそが親父らしいと愛らしくさえ思ってしまうのだ。
次の日、僕は当時付き合っていた彼女と親父を恵比寿まで迎えにいった。
「うまくいったぞ。わしが交渉したら掛け率が2%さがった。2%言うても1年で見ると2千万くらい違うかったりするからな。」
彼女はいきなり桁の違う話をされて目がきょとんとしていた。
続けざまに「おい、はよスカイツリー連れてけ!!」と車に乗り込んだ。
東京でも相変わらず親父は親父だった。
墨田区のスカイツリーは噂以上に大きく、車を走らせている途中からその姿を優美に照らし出していた。
「おぉ、ええやないか!!これぞスカイツリーじゃがい!!なぁ、彼女。」
そのテンションと独特の姫路弁に困惑している彼女をよそに親父は楽しそうだった。
着くや否やいつもの感じで「おい!しげる飯行くぞ!!」とはじめて来るスカイツリーを先頭を切って歩き出す。
いやいや、あなたどこにご飯屋さんあるかも知らないでしょうが、、、なんて口が裂けても言えない僕は、親父に先頭を歩かせながら巧みにリードしてずっと前から連れて行きたかった仙台の牛タン屋に入った。
「親父、おれ仙台に行くと必ずここの牛タン食べてていつか親父を連れて行きたい思ってんや。来れて良かった。」
「おう!好きなもん頼め!彼女も遠慮するな。」
好きなもんといっても牛タンオンリーなのだが、、、とは口が縦になっても言えるわけなく、一番のおすすめメニューを僕らは食べた。
どうおいしい?との問いに言葉はなく、小さく一回頷いただけだった。
あれ?口に合わなかったかな、そう思っていたら親父が急に咳き込んだ。
我が家の家風と言うか、オレと親父はよく食べ物が器官に入ってしまいこうなってしまうのだ。そういえば一ヶ月間に姫路で一緒にご飯を食べていた時もこうなっていったけ?心配する彼女に、「俺たちはいつもこうやんねん。なぁ親父。」と言葉をかけた。
食べた後は軽い写真撮影を行い、さぁ登ろうかと言うとき、「よし!満足じゃ!帰るぞ!!」とまさかの帰る宣言。
彼女が慌てて「登らないんですか?」と聞くと「わしは高いとこ苦手やねん!ただ近くで見たかったんや、これでええ。これでええんや。帰るぞ」いやいやオレ達だっているのにとは口が鼻になっても言えるはずもなく僕らは帰る事に。
この日はバンドの車を借りてきた。
車高の高いハイエースの助手席に乗るとき、取っ手を掴みだいぶ勢いをつけて乗り込む親父。少しだけ親父に前ほどの軽快さがなくて僕は驚いた。
200mほど走らせたくらいに急に親父が「わしはもう東京に来るのがこれで最後かもしれん。」と言い出した。
僕と彼女はほぼ同時に「なんでよ、そんな寂しい事言わんといてよ。もっともっと来てよ」「そうですよ、これからたくさん来てもらわないと」と言ったら、「ちょっと最近しんどいんや、今回も新幹線がしんどかった」と言葉を続けた。僕ももう一度だけ「そんな事言わんと、また来てな。」と言うと今度は「おう、そうやな」と笑ってくれた。
バックミラーを見るとスカイツリーが行きに見た感じと同じ佇まいで凛と立っていた。
品川駅でオカンと待ち合わせだったらしく、駅で合流。のはずが、オカンは親父の新幹線のチケットを持ったまま駅の構内に、俺たちは改札。
おそらくいくつもの人達が品川や東京駅で経験したであろう待ち合わせ場所にうまく合流出来ない。チケットを持っていないと行けない場所で相手が待っているという最悪のケースに我が家も当然のように巻き込まれた。
おかんと携帯で連絡を取りながら面倒くさそうにする駅員さんにお願いしまくってなんとか親父とおかんは合流する事が出来たが、新幹線の発車まで5分を切っていた。
「おとうさんはやく!!」というオカンの声をよそに親父は「ほなな、ありがとな」と僕らに言い残し、走る事なくゆっくり歩いておかんのもとへ向かった。オカンがその姿を見て呆れた顔をして僕の方に向かい「またこの人のこういうところ出たよ」というポーズをとっていた。
よく見る我が家の光景だ。
無事に新幹線に乗れましたというメールを確認してから僕らは品川駅を出た。
それから3ヶ月後、オカンから電話があり親父が病気になった事を知らされた。
延命措置はしない。それが僕ら家族が出した決断だった。
深い眠りにつく薬が一時間に数mm親父の体に導入されていく。
先ほどの苦しみが嘘のように眠っている。
それでいい。眠ってくれ。昨日は寝てなかったんやろ。
気がつけば夕方になっていた。4月とはいえこの時期の17時は暗闇が尋ねてくるのがはやい。
親父を看取ってあげたい気持ちとこの部屋を今すぐ出てきたい気持ちが入り交じっている。
オカンがどこにもいかんといてと一人になる事を嫌がっている。
僕は目閉じてあの日の事を思い出していた。
3年ほど前、親父から電話があった。
「おい、明日おかぁと東京行くぞ。お前時間あるか?オレは交渉さえ終えたらやる事ないから、おかぁが仕事してる間にスカイツリー連れてってくれ。」
親父はいつだって強引であり急に物事を決める。
でも不思議とその日に限って空き時間であったり、その強引さこそが親父らしいと愛らしくさえ思ってしまうのだ。
次の日、僕は当時付き合っていた彼女と親父を恵比寿まで迎えにいった。
「うまくいったぞ。わしが交渉したら掛け率が2%さがった。2%言うても1年で見ると2千万くらい違うかったりするからな。」
彼女はいきなり桁の違う話をされて目がきょとんとしていた。
続けざまに「おい、はよスカイツリー連れてけ!!」と車に乗り込んだ。
東京でも相変わらず親父は親父だった。
墨田区のスカイツリーは噂以上に大きく、車を走らせている途中からその姿を優美に照らし出していた。
「おぉ、ええやないか!!これぞスカイツリーじゃがい!!なぁ、彼女。」
そのテンションと独特の姫路弁に困惑している彼女をよそに親父は楽しそうだった。
着くや否やいつもの感じで「おい!しげる飯行くぞ!!」とはじめて来るスカイツリーを先頭を切って歩き出す。
いやいや、あなたどこにご飯屋さんあるかも知らないでしょうが、、、なんて口が裂けても言えない僕は、親父に先頭を歩かせながら巧みにリードしてずっと前から連れて行きたかった仙台の牛タン屋に入った。
「親父、おれ仙台に行くと必ずここの牛タン食べてていつか親父を連れて行きたい思ってんや。来れて良かった。」
「おう!好きなもん頼め!彼女も遠慮するな。」
好きなもんといっても牛タンオンリーなのだが、、、とは口が縦になっても言えるわけなく、一番のおすすめメニューを僕らは食べた。
どうおいしい?との問いに言葉はなく、小さく一回頷いただけだった。
あれ?口に合わなかったかな、そう思っていたら親父が急に咳き込んだ。
我が家の家風と言うか、オレと親父はよく食べ物が器官に入ってしまいこうなってしまうのだ。そういえば一ヶ月間に姫路で一緒にご飯を食べていた時もこうなっていったけ?心配する彼女に、「俺たちはいつもこうやんねん。なぁ親父。」と言葉をかけた。
食べた後は軽い写真撮影を行い、さぁ登ろうかと言うとき、「よし!満足じゃ!帰るぞ!!」とまさかの帰る宣言。
彼女が慌てて「登らないんですか?」と聞くと「わしは高いとこ苦手やねん!ただ近くで見たかったんや、これでええ。これでええんや。帰るぞ」いやいやオレ達だっているのにとは口が鼻になっても言えるはずもなく僕らは帰る事に。
この日はバンドの車を借りてきた。
車高の高いハイエースの助手席に乗るとき、取っ手を掴みだいぶ勢いをつけて乗り込む親父。少しだけ親父に前ほどの軽快さがなくて僕は驚いた。
200mほど走らせたくらいに急に親父が「わしはもう東京に来るのがこれで最後かもしれん。」と言い出した。
僕と彼女はほぼ同時に「なんでよ、そんな寂しい事言わんといてよ。もっともっと来てよ」「そうですよ、これからたくさん来てもらわないと」と言ったら、「ちょっと最近しんどいんや、今回も新幹線がしんどかった」と言葉を続けた。僕ももう一度だけ「そんな事言わんと、また来てな。」と言うと今度は「おう、そうやな」と笑ってくれた。
バックミラーを見るとスカイツリーが行きに見た感じと同じ佇まいで凛と立っていた。
品川駅でオカンと待ち合わせだったらしく、駅で合流。のはずが、オカンは親父の新幹線のチケットを持ったまま駅の構内に、俺たちは改札。
おそらくいくつもの人達が品川や東京駅で経験したであろう待ち合わせ場所にうまく合流出来ない。チケットを持っていないと行けない場所で相手が待っているという最悪のケースに我が家も当然のように巻き込まれた。
おかんと携帯で連絡を取りながら面倒くさそうにする駅員さんにお願いしまくってなんとか親父とおかんは合流する事が出来たが、新幹線の発車まで5分を切っていた。
「おとうさんはやく!!」というオカンの声をよそに親父は「ほなな、ありがとな」と僕らに言い残し、走る事なくゆっくり歩いておかんのもとへ向かった。オカンがその姿を見て呆れた顔をして僕の方に向かい「またこの人のこういうところ出たよ」というポーズをとっていた。
よく見る我が家の光景だ。
無事に新幹線に乗れましたというメールを確認してから僕らは品川駅を出た。
それから3ヶ月後、オカンから電話があり親父が病気になった事を知らされた。
Recent Diary
Recent Photo