2012/08/10
君は今日まで何人に抜かれた?
オリンピック100m走男子。
ジャマイカの選手が脚光を浴びる中、日本人選手が予選で自己新記録を出した。
だが、その後、準決勝は6着で姿を消した。
なぁ、君は今まで何人に抜かれた?
これを読んでいる君は一位になったことはあるかい?
僕は小学生の時に自分は足が速くないことを知った。
一番になんてなれなかった。
リレーの選手がうらやましかった。
リレーの選手だけがつけられるゼッケン。
リレー選手になったことのあるやつはずっと体操服にゼッケンをつけた跡が残る。
それがうらやましかった。
高校生になった僕は体を鍛えた結果、学校で一番速い男になった。
景色が変わった。
風と一緒に走っている気がした。
でも、僕が学校の200m記録を追い越すことはできなかった。
僕の走りはそこまでなのだと、またあの時のような自分に対する失望を感じた。
さきほどの日本人で一番速い男。
おそらく彼の人生、ほとんど誰にも抜かれたことがなかっただろう。
一番になれなかったとしても、体調、メンタル、そういうものだろう。
資質的に、絶望的に自分よりも速いやつに出会ったことはなかっただろう。
初めて抜かれたのはいつだったのだろう?
世界大会だろうか?
世界が注目するジャマイカの選手もいずれは一番ではなくなる。
人生は長い。
抜きつ抜かれつ。
いや、違うな。
人生は長い。
歳を重ねるごとに競うものが変わっていく。
ただひとつ、どんな時も、この今を一生懸命駆け抜けるのだ。
たとえ失望が襲おうとも。
いつか、また次のものと戦う時に、少しでも心が強くなれるよう。
そしていつかの君のように、失望に座り込む仲間に優しい手を差し伸べるために。
追記、そんなことを書いていたら、読売新聞のCM「 僕の走れなかった道」というのがとても素敵だった。
ジャマイカの選手が脚光を浴びる中、日本人選手が予選で自己新記録を出した。
だが、その後、準決勝は6着で姿を消した。
なぁ、君は今まで何人に抜かれた?
これを読んでいる君は一位になったことはあるかい?
僕は小学生の時に自分は足が速くないことを知った。
一番になんてなれなかった。
リレーの選手がうらやましかった。
リレーの選手だけがつけられるゼッケン。
リレー選手になったことのあるやつはずっと体操服にゼッケンをつけた跡が残る。
それがうらやましかった。
高校生になった僕は体を鍛えた結果、学校で一番速い男になった。
景色が変わった。
風と一緒に走っている気がした。
でも、僕が学校の200m記録を追い越すことはできなかった。
僕の走りはそこまでなのだと、またあの時のような自分に対する失望を感じた。
さきほどの日本人で一番速い男。
おそらく彼の人生、ほとんど誰にも抜かれたことがなかっただろう。
一番になれなかったとしても、体調、メンタル、そういうものだろう。
資質的に、絶望的に自分よりも速いやつに出会ったことはなかっただろう。
初めて抜かれたのはいつだったのだろう?
世界大会だろうか?
世界が注目するジャマイカの選手もいずれは一番ではなくなる。
人生は長い。
抜きつ抜かれつ。
いや、違うな。
人生は長い。
歳を重ねるごとに競うものが変わっていく。
ただひとつ、どんな時も、この今を一生懸命駆け抜けるのだ。
たとえ失望が襲おうとも。
いつか、また次のものと戦う時に、少しでも心が強くなれるよう。
そしていつかの君のように、失望に座り込む仲間に優しい手を差し伸べるために。
追記、そんなことを書いていたら、読売新聞のCM「 僕の走れなかった道」というのがとても素敵だった。
2012/08/07
NEW KINGにて「さらば僕らのNEW KING」
NEW KINGには様々な客が来る。
そのうちの一人が「セイショウ」。
あるとき、時計屋さんで働いていたセイショウのところへ行き、自慢げにNEW KINGの話をした。
話半分に聞いているセイショウを次の休みにNEW KINGへ連れて行ったところ、ビギナーズラックで勝利。
すると次の日には朝から並ぶ常連のジョニーの横に同じくらい背の高い男が。
そう「セイショウ」が並んでいた。
ビギナーズラックで勝って味を占め、これなら儲かると踏んだのか、彼は時計屋のバイトを辞めてしまった。
僕らまだ18歳。
甘っちょろく、世の中をなめて、お金の重さも知らない、汗のかき方を間違えてしまう頃。
この頃のセイショウは確かにふらふらとして家出を繰り返し、どうしようもないゴクツブシだった。
もちろん、大学の夏休みをこんなことに費やし、仲間を泥沼にはめる僕はもっとサイテーでくそったれなアホの標本のような男だったのだが。
あれから僕もセイショウ君もパチンコに行くことはなくなった。
僕らは数年後夢を見つけたのだ。
セイショウ君は、今僕の横でギターを弾いている。
もうNEW KINGにいた頃の僕らはどこにもいない。
今にして思うと、あの頃の僕らは何かになりたくて、でもその何かが見つからなくて、見つかっても何をどう、どこから手をつけていいのかわからず、結局毎日をごまかすようにすり減らしていたんだ。
NEW KINGで様々な人に僕は出会った。
そんな彼らの今を僕は誰一人知らない。
だが、願わくば、僕とセイショウ君のようにパチンコを卒業して、何か自分が夢中になれることを見つけるか、大切な守るべきものを見つけて幸せに暮らしていてほしいと思う。
これで僕のNEW KINGでの思い出の整理はいったん終わろうと思う。
青春を費やした地下のあの場所はもうない。
それはまるで今の僕らにもう帰ってくるなよと言っているように。
だからこそ僕は、今ここに書き留めておこうと思った。
馬鹿でどうしようもなかった僕らの代表として。
今を精一杯生きているNEW KINGの代表をして。
そのうちの一人が「セイショウ」。
あるとき、時計屋さんで働いていたセイショウのところへ行き、自慢げにNEW KINGの話をした。
話半分に聞いているセイショウを次の休みにNEW KINGへ連れて行ったところ、ビギナーズラックで勝利。
すると次の日には朝から並ぶ常連のジョニーの横に同じくらい背の高い男が。
そう「セイショウ」が並んでいた。
ビギナーズラックで勝って味を占め、これなら儲かると踏んだのか、彼は時計屋のバイトを辞めてしまった。
僕らまだ18歳。
甘っちょろく、世の中をなめて、お金の重さも知らない、汗のかき方を間違えてしまう頃。
この頃のセイショウは確かにふらふらとして家出を繰り返し、どうしようもないゴクツブシだった。
もちろん、大学の夏休みをこんなことに費やし、仲間を泥沼にはめる僕はもっとサイテーでくそったれなアホの標本のような男だったのだが。
あれから僕もセイショウ君もパチンコに行くことはなくなった。
僕らは数年後夢を見つけたのだ。
セイショウ君は、今僕の横でギターを弾いている。
もうNEW KINGにいた頃の僕らはどこにもいない。
今にして思うと、あの頃の僕らは何かになりたくて、でもその何かが見つからなくて、見つかっても何をどう、どこから手をつけていいのかわからず、結局毎日をごまかすようにすり減らしていたんだ。
NEW KINGで様々な人に僕は出会った。
そんな彼らの今を僕は誰一人知らない。
だが、願わくば、僕とセイショウ君のようにパチンコを卒業して、何か自分が夢中になれることを見つけるか、大切な守るべきものを見つけて幸せに暮らしていてほしいと思う。
これで僕のNEW KINGでの思い出の整理はいったん終わろうと思う。
青春を費やした地下のあの場所はもうない。
それはまるで今の僕らにもう帰ってくるなよと言っているように。
だからこそ僕は、今ここに書き留めておこうと思った。
馬鹿でどうしようもなかった僕らの代表として。
今を精一杯生きているNEW KINGの代表をして。
2012/08/06
NEW KINGにて「風来坊のヤマダ」
NEW KINGの地下はいつものおばちゃん、パートのおばちゃん、そしてチンピラ崩れの虎ちゃんの3人で構成されていたのだが、そこに新たな男がやって来た。
年の功なら30歳くらいだろうか?
というか、これは今になっても同じなのだが、自分より上の世代の人の年齢に関しては詳しく分からない。ごめんなさい、興味がない。
「おっさん」「じいさん」という大きなカテゴライズをしてしまう。失礼な話だ。
自分もいずれ行く道であり、そのときに若者におっさんという適当なカテゴライズされたら激怒するだろうに。
話を戻そう。
その年齢もよく覚えていない男。
実は名前も知らない。
だが僕とヨウゾウの間で勝手に「ヤマダ」と名付けていた。
理由もへったくれもない。
ヤマダっぽい顔だったからだ。
ヤマダは東北出身みたいなことを言ってた記憶がある。
このヤマダも、流れに流れまわって辿り着いた先がNEW KINGだったようだ。
虎ちゃんと同じく住み込みで働いているらしい。
なんのきっかけだったか忘れたがヤマダが急に親しげに話してきて、今日は「17番台に座れ」といってきた。
何を言ってんだ!?と思いながらも座ってみると、モーニング大当たり。
なんとヤマダは知り合いでもない僕らに当たり台を教えるという離れ業をやってのけたのだ。
それからというもの、朝並んでいると、ヤマダがガラス越し地下からジェスチャーで「20番台!」と教えてきたり、こっそり紙に「13,16,20」という当たり台を教えてきたりした。
そんなことをしてもらわなくてもボクらはこの店のコツをつかんでいたのでトータルで負けることはなかったのに、ヤマダのこの行為のせいですごく後ろめたい気持ちになった。
あるときヤマダにご飯に行こうと誘われた。
なんとなくヨウゾウと僕、どちらかのことを好きなんじゃないかという話になった。
僕らは断り続けた。
それでもヤマダは気を悪くすることなく当たり台を教え続けた。
ただ、ヤマダはすごくおっちょこちょいで調子乗りだったので、書いてある当たり台が間違えていることが多々あったことを付け足しておこう。
そんなヤマダがある日、いつになく深刻な顔で僕らにもうすぐこの店をやめることになると打ち明けてきた。
「ふーん、あっそ」くらいにしか思っていなかった僕らに、ヤマダは急に笑顔で「大丈夫や!俺がおらんようになってもあいつに当たり台教えるように言っておいたから!俺の方が年上やから大丈夫だ!!」となんともデリカシーのないことを言って退けた。
あいつとはもちろん虎ちゃんのことである。
後から入って先輩である虎ちゃんに命令するとは。
虎ちゃんの住み込み部屋に後は入りしながらも偉そうにしていたことが容易に想像できるし、なによりも今日まで実力で勝ってきた僕らなのに、急に不正の事実を知った虎ちゃんはどう思うのだろうか。
何しやがんねん!このあほ!!と言いたい気持ちになったが、ヤマダの笑顔を見ているとそんな気にもなれず。
そしてヤマダはいつの間にかいなくなった。
ヤマダがいなくなってしばらく、虎ちゃんはこっそりと僕らに当たり台を教えてくれた。律儀な人だ。
でも虎ちゃんはもう昔ほど僕らに気軽に話しかけてくれなくなった。
僕のこともプロなんて呼ばなくなった。
僕は後ろめたさとなぜか泣きたくなるような切なさがこみ上げてきて、少しずつNEW KINGから足が遠のいた。
いや、正直に言えば夏休みが終わっただけなのだが。。。
ヤマダは今、どこで何をしているのだろうか?
なぜ彼は姫路という街を選んだんだろうか?
そして住み込みで働いていたのに、なぜ彼は出て行ったのだろうか?
それを読み取るには僕らはまだ幼すぎた。
ヤマダは僕の歌を、、、、、聴いてないだろう。
でもヤマダは今どこで何をしているんだろう?
きっと僕はすれ違ってもわからない。
顔も思い出せない。
ただ、ヤマダが好きだったのが僕であったならば彼は僕に気づくんだろうなぁ。
その際には今度は僕が当たり台を教えてくれたお礼にご飯でも行ってあげたいものだ。もちろん一人だと怖いのでヨウゾウも呼んで。
年の功なら30歳くらいだろうか?
というか、これは今になっても同じなのだが、自分より上の世代の人の年齢に関しては詳しく分からない。ごめんなさい、興味がない。
「おっさん」「じいさん」という大きなカテゴライズをしてしまう。失礼な話だ。
自分もいずれ行く道であり、そのときに若者におっさんという適当なカテゴライズされたら激怒するだろうに。
話を戻そう。
その年齢もよく覚えていない男。
実は名前も知らない。
だが僕とヨウゾウの間で勝手に「ヤマダ」と名付けていた。
理由もへったくれもない。
ヤマダっぽい顔だったからだ。
ヤマダは東北出身みたいなことを言ってた記憶がある。
このヤマダも、流れに流れまわって辿り着いた先がNEW KINGだったようだ。
虎ちゃんと同じく住み込みで働いているらしい。
なんのきっかけだったか忘れたがヤマダが急に親しげに話してきて、今日は「17番台に座れ」といってきた。
何を言ってんだ!?と思いながらも座ってみると、モーニング大当たり。
なんとヤマダは知り合いでもない僕らに当たり台を教えるという離れ業をやってのけたのだ。
それからというもの、朝並んでいると、ヤマダがガラス越し地下からジェスチャーで「20番台!」と教えてきたり、こっそり紙に「13,16,20」という当たり台を教えてきたりした。
そんなことをしてもらわなくてもボクらはこの店のコツをつかんでいたのでトータルで負けることはなかったのに、ヤマダのこの行為のせいですごく後ろめたい気持ちになった。
あるときヤマダにご飯に行こうと誘われた。
なんとなくヨウゾウと僕、どちらかのことを好きなんじゃないかという話になった。
僕らは断り続けた。
それでもヤマダは気を悪くすることなく当たり台を教え続けた。
ただ、ヤマダはすごくおっちょこちょいで調子乗りだったので、書いてある当たり台が間違えていることが多々あったことを付け足しておこう。
そんなヤマダがある日、いつになく深刻な顔で僕らにもうすぐこの店をやめることになると打ち明けてきた。
「ふーん、あっそ」くらいにしか思っていなかった僕らに、ヤマダは急に笑顔で「大丈夫や!俺がおらんようになってもあいつに当たり台教えるように言っておいたから!俺の方が年上やから大丈夫だ!!」となんともデリカシーのないことを言って退けた。
あいつとはもちろん虎ちゃんのことである。
後から入って先輩である虎ちゃんに命令するとは。
虎ちゃんの住み込み部屋に後は入りしながらも偉そうにしていたことが容易に想像できるし、なによりも今日まで実力で勝ってきた僕らなのに、急に不正の事実を知った虎ちゃんはどう思うのだろうか。
何しやがんねん!このあほ!!と言いたい気持ちになったが、ヤマダの笑顔を見ているとそんな気にもなれず。
そしてヤマダはいつの間にかいなくなった。
ヤマダがいなくなってしばらく、虎ちゃんはこっそりと僕らに当たり台を教えてくれた。律儀な人だ。
でも虎ちゃんはもう昔ほど僕らに気軽に話しかけてくれなくなった。
僕のこともプロなんて呼ばなくなった。
僕は後ろめたさとなぜか泣きたくなるような切なさがこみ上げてきて、少しずつNEW KINGから足が遠のいた。
いや、正直に言えば夏休みが終わっただけなのだが。。。
ヤマダは今、どこで何をしているのだろうか?
なぜ彼は姫路という街を選んだんだろうか?
そして住み込みで働いていたのに、なぜ彼は出て行ったのだろうか?
それを読み取るには僕らはまだ幼すぎた。
ヤマダは僕の歌を、、、、、聴いてないだろう。
でもヤマダは今どこで何をしているんだろう?
きっと僕はすれ違ってもわからない。
顔も思い出せない。
ただ、ヤマダが好きだったのが僕であったならば彼は僕に気づくんだろうなぁ。
その際には今度は僕が当たり台を教えてくれたお礼にご飯でも行ってあげたいものだ。もちろん一人だと怖いのでヨウゾウも呼んで。
2012/08/05
NEW KINGにて「噛み付け!杉田」
NEW KINGというパチンコ屋に来る客はせいぜい朝は10〜多くて15人。
まずは大学生だと言うのに大切な夏休みをパチンコで終らせようとしている彼女のいない僕とヨウゾウ、後は適当にその日空いてた僕らの仲間とジョニーを含む常連。
そんな少人数の中に、1ヶ月に2回ほど、僕の中学の先輩にあたる杉田がいた。
1つ年上の杉田とは小学校の頃からウマが合わなかった。
というか好きではなかった。
なんでこんなNEW KINGで杉田と合わなあかんねん!
運が大切な場所で早速運が悪い。
僕は杉田がいても無視していた。
とある時、階段で杉田がヨウゾウに「金を貸してくれ!」と言ってきた。
「いや無理です」って言っているヨウゾウを横目にしらけた顔で見ていたら。これまた昔から僕を嫌いであったであろう杉田が「なんやお前、その目は!?」と絡んで来た。
ラグビー部を出たばっかりで筋肉バリバリむき出しの僕は負ける気もしなかったので、「なんやねん」と言い返したところ、ヨウゾウが間に入って「やめとけって」と仲裁した。
「お前ホンマ生意気やの」その捨て台詞をはいて、それから杉田は来なくなった。
それからしばらくして杉田がヤクザの組に入った、か、傷害で捕まったという話を聞いた。
僕は限りなくあのとき仲裁してくれたヨウゾウに深い感謝をした。
杉田は今、僕の歌を、、、たぶん聞かないだろうな。
ってか、今でも僕の事を嫌いだと思う。
デビューしたと聞いたらなおさら嫌い度が増しているだろう。
僕だって杉田とは会いたくはない。
でも。
でもでも。
少しだけ今の杉田が気になる。
杉田は今は何をしているのだろうか?
勝手な話だが、杉田がどんな職業をしていようとも卑屈にへりくだった態度だけは絶対にとらない大人になりきれない不器用な男でいてほしい。
杉田はいつもぎらついて、誰かに何かに噛み付いていての杉田だ。
そんな杉田が僕は大嫌いであり、そんな杉田が今とても羨ましい。
それにしても杉田がヤクザになったのであれば、ジョニーといい、NEW KINGはなかなかヘビーなスラム街のようなパチンコ屋である。
まずは大学生だと言うのに大切な夏休みをパチンコで終らせようとしている彼女のいない僕とヨウゾウ、後は適当にその日空いてた僕らの仲間とジョニーを含む常連。
そんな少人数の中に、1ヶ月に2回ほど、僕の中学の先輩にあたる杉田がいた。
1つ年上の杉田とは小学校の頃からウマが合わなかった。
というか好きではなかった。
なんでこんなNEW KINGで杉田と合わなあかんねん!
運が大切な場所で早速運が悪い。
僕は杉田がいても無視していた。
とある時、階段で杉田がヨウゾウに「金を貸してくれ!」と言ってきた。
「いや無理です」って言っているヨウゾウを横目にしらけた顔で見ていたら。これまた昔から僕を嫌いであったであろう杉田が「なんやお前、その目は!?」と絡んで来た。
ラグビー部を出たばっかりで筋肉バリバリむき出しの僕は負ける気もしなかったので、「なんやねん」と言い返したところ、ヨウゾウが間に入って「やめとけって」と仲裁した。
「お前ホンマ生意気やの」その捨て台詞をはいて、それから杉田は来なくなった。
それからしばらくして杉田がヤクザの組に入った、か、傷害で捕まったという話を聞いた。
僕は限りなくあのとき仲裁してくれたヨウゾウに深い感謝をした。
杉田は今、僕の歌を、、、たぶん聞かないだろうな。
ってか、今でも僕の事を嫌いだと思う。
デビューしたと聞いたらなおさら嫌い度が増しているだろう。
僕だって杉田とは会いたくはない。
でも。
でもでも。
少しだけ今の杉田が気になる。
杉田は今は何をしているのだろうか?
勝手な話だが、杉田がどんな職業をしていようとも卑屈にへりくだった態度だけは絶対にとらない大人になりきれない不器用な男でいてほしい。
杉田はいつもぎらついて、誰かに何かに噛み付いていての杉田だ。
そんな杉田が僕は大嫌いであり、そんな杉田が今とても羨ましい。
それにしても杉田がヤクザになったのであれば、ジョニーといい、NEW KINGはなかなかヘビーなスラム街のようなパチンコ屋である。
2012/08/04
NEW KINGにて「荒くれ者ジョニ−」
パチンコ屋と言うものは本当にさまざまな人種が来るもので、NEW KINGのking of さまざまな人はやはりジョニーだと思う。
ジョニーはどっからどう見ても堅気の人間ではない。
筋ものである事は間違いない。
年の功なら40半ばだっただろうか?
いつも刺繍の入ったデニムと呼んではしばかれそうなジーンズを履き、ぴーこさんもびっくりの黄色いサングラスをかけて、180cm越えの身長で漫画のように肩で風を切ってご来場して下さる。
このジョニー。
噂によると組の仕事で人を殺めた事があるとかないとか。
もちろんその噂を丸呑み出来るほどの迫力をジョニーは持っていた。
今思うと、当時の僕らはそんな危険な場所によくへらへらと毎日通ったものだ。
僕が親なら気が気でならない。
そんなジョニーは期待を裏切らずダミ声である。
そんなジョニーは期待を裏切らず御幸通りを闊歩する。
そんなジョニーは期待を裏切ってチャリでやって来る。
そんなジョニーはあるとき、僕が困っていたら「おっい!!」と必要以上に乱暴な声で店員を呼んでくれた優しい丈夫(ますらを)だ。
東京に出て、NEW KINGも潰れ、たまに姫路に帰っても人通りの少なくなった御幸通りでジョニーを見かける事もなくなった。
今書いていて思い出したが、風の噂でジョニーは組のものにやられたというのもあった。
が、毎日パチンコ屋にチャリで来るジョニーがそんな物騒な事に巻き込まれているまいと僕は信じて願っている。
ジョニ−は今僕の歌を、、、、聴くはずもない。
ジョニーはそもそも僕なんて覚えていないだろう。
そう言う男だ。
ただジョニーは「パンとピストル」が好きそうな気がする。
今ならジョニーと少し話が出来そうだが、やはりジョニーはうわさ話を聞いて遠目で見ているくらいがちょうどよかった事を思い出す。
NEW KINGにはさまざまな人が来る。
みんな何も言わずに、約束もせずに毎日顔をあわす。
店を出たら誰もどうなっているのか知らない。
だが朝の10時にはきっちりみんなで顔をあわす。
奇妙な事だが、なんだかそのことを思うと、今とても微笑ましい。
2012/08/03
NEW KINGにて「ヒョロ高い虎ちゃん」
パチンコ屋NEW KING。
しみったれた小さなパチンコ屋。
そこにはいつも同じ客と入れ替わりのないいつも同じ店員がいる。
僕らが向かうのは地下のスロットコーナー。
オーナのようなそのパチンコ屋の主のおばちゃんと虎ちゃん(仮名)と呼ばれる24,5歳くらいの兄ちゃんとパートのおばちゃん。地下にいる店員はこの3名のみ。
今日は虎ちゃんの話。
といっても虎ちゃんに関しては何も語る事がない。
ただ虎ちゃんと言う人がいたと言うだけである。
虎ちゃんはリーゼントみたいな頭をしていた。
でも不良と言うよりは学校に行ってなかった雰囲気がした。
でも昔シンナー吸ってたんだろうなぁというねちっこい話し方をする人だった。
とはいえ口数は少ないが。
虎ちゃんは僕が来ると「お!プロが来た!!打ち方が自分変わってるもんな。一発で分かるわ!うちはプロお断りやで!」とからかう。僕は左手で打っていたので目を引いたようだ。と言いたいが、客は僕らをあわしても全部で10人もいなかったのだが。
虎ちゃんは平成の時代に、住み込みで働いていたらしい。
うわさではNEW KINGの小さな建物の中に小部屋みたいなのがあって、そこに住んでいたらしい。
確かにトイレには洗濯機もあった。
虎ちゃんは女性の影がなかった。
それどころか虎ちゃんは姫路の路上で見かける事は一回もなかった。
住み込みで働いていた虎ちゃんの事情を今になってはもう知る由もない。
虎ちゃんはどっから来て、NEW KINGがなくなった今どこで何をしているんだろうか?
虎ちゃんはNEW KINGの閉館の話をどう受け止めたのだろうか?
そもそも、日曜日でも大学生のクソガキである僕らと後は8人くらいの常連しかいないあの店に未来を見出していたのだろうか?
そして虎ちゃんは姫路で沢山張り出された僕らのデビューシングルのポスターを見て、僕だと気付いたのだろうか?
僕が歌っている事を知っているのだろうか?
今日まで出たテレビで僕を見てくれただろうか?
いや、僕を見て、あの頃の年齢を偽って来ていたクソガキの1人だと、あなたがプロだとからかっていたあの時の少年だと気付くだろうか。
人生には確認のしようのない問題とは言えないちいさな胸のしこりが残るものだ。
僕には虎ちゃんの今をどうやっても確かめられないけど、虎ちゃんに今の僕を確かめさせる事は出来る。
僕はもうパチンコを卒業して歌っている。
なぜかその姿を今とても虎ちゃんに見せたい。
夢を持ったあれからの僕を。
そして僕は僕で、虎ちゃんは今も元気にどっかのパチンコ屋で働いている事を願う。
住み込みではなく奥さんと子供達と一緒に暮らしながら。
2012/08/02
NEW KINGにて「お祭り野郎しげる」
追記、昔、「記憶の整理」として僕が今日までに出会って、でも今はもうどこで何をしているのかさえも分からない人たちの事を書いたけど、今日からしばらく同じ場所で出会ったさまざまな人について書こうと思う。
日記の更新にはもってこいかもしれない。
オチも何もないかもしれない。
でも、今僕は書いておこうと思い立ったのだ。
場所はNEW KING(仮名)と言うパチンコ屋さん。
もう今から随分昔。
まだ僕がバンドをやっていなかった頃の話だ。
今日から書くのはこの18歳から20歳までの間、このNEW KINGで出会ったさまざまな人の話。
第一回は僕。
今はもうパチンコに行く事もなくなったが、僕のパチンコデビューは14歳だった。
中学生。
もちろんパチンコは18歳からである。
何で14歳で行くのか?って??
そんなこと俺もしらね。
意味なんてない。
中学生でパチンコ行くっておもろいと思っていたからだ。
女子には到底理解出来ないだろう。
でも僕らも何で女子は連れションするのか?
なんで女子は仲良かった友達を急に無視したりするのか?
無視された女の子は別のグループに移籍するくせに無視が解けると普通に元のグループに戻るレンタル移籍制度も僕ら男子には理解不能だった。
つまり理由よりも行動、行動の後に理由を無理矢理探す。
思春期とはそう言うものだ。
話を戻そう。
14歳でパチンコに行ったところですぐに店の人に年齢を聞かれて追い出されるのがオチだった。
なので行っても本当に1時間もいないほどだったと思う。
ただ中学、高校生がパチンコ屋にいると言うのが大人になった気がして、危ない匂いがして良かったのだ。
今にして思えば焦らなくても嫌でも大人になるって言うのに。。。
そんな僕らがどっぷりはまったのが18歳の頃。
18歳の僕は友人ヨウゾウと大学が休みになる度に通い詰めた。
このころはモーニングという制度があって、朝一で行くと必ず一回転目から大当たりがある台が数台仕込まれているのが普通だった。
僕らの通っていたNEW KINGは小さなパチンコ屋さんで全部で台が60台ほど。
そのうち1/7ほどにモーニングが入っており、さらに前日入っていた台には基本的には入らないから確率は1/4ほどにあがるし、何よりも店にとっては良い事なのかどうか分からないが、お客の少ない店だったので、ライバルもいなくて僕らはそれを良い事に毎日モーニングをあさり、一日平均2万円ほどを稼いで帰ったものだ。
ヨウゾウがつけていた手帳によると車が買えるほどに荒稼ぎをしていたそうだ。
ガキが金を手にしてどうする。。。
案の定、ヨウゾウが「俺は将来パチプロになる!」とアホな宣言をしたので必死でとめた記憶がある。
この頃の僕は、アホで、ワガママで、自分に自信がなくて、でも漠然と未来は明るいと信じている毎日日曜日お祭り野郎だった。
親からもらった仕送りをスロットに使い込んでしまい、危うくのところでギリギリ取り返す。
まさにお祭り野郎。
一人相撲。
君が息子をいつか持ったら、そう言うバカな事を親に隠れてやるもんだと覚悟した方が良い。
まじで。
そんなアホでお祭りやろうだった若き日の僕が出会ったさまざまな人。
明日から書いていこうと思う。
日記の更新にはもってこいかもしれない。
オチも何もないかもしれない。
でも、今僕は書いておこうと思い立ったのだ。
場所はNEW KING(仮名)と言うパチンコ屋さん。
もう今から随分昔。
まだ僕がバンドをやっていなかった頃の話だ。
今日から書くのはこの18歳から20歳までの間、このNEW KINGで出会ったさまざまな人の話。
第一回は僕。
今はもうパチンコに行く事もなくなったが、僕のパチンコデビューは14歳だった。
中学生。
もちろんパチンコは18歳からである。
何で14歳で行くのか?って??
そんなこと俺もしらね。
意味なんてない。
中学生でパチンコ行くっておもろいと思っていたからだ。
女子には到底理解出来ないだろう。
でも僕らも何で女子は連れションするのか?
なんで女子は仲良かった友達を急に無視したりするのか?
無視された女の子は別のグループに移籍するくせに無視が解けると普通に元のグループに戻るレンタル移籍制度も僕ら男子には理解不能だった。
つまり理由よりも行動、行動の後に理由を無理矢理探す。
思春期とはそう言うものだ。
話を戻そう。
14歳でパチンコに行ったところですぐに店の人に年齢を聞かれて追い出されるのがオチだった。
なので行っても本当に1時間もいないほどだったと思う。
ただ中学、高校生がパチンコ屋にいると言うのが大人になった気がして、危ない匂いがして良かったのだ。
今にして思えば焦らなくても嫌でも大人になるって言うのに。。。
そんな僕らがどっぷりはまったのが18歳の頃。
18歳の僕は友人ヨウゾウと大学が休みになる度に通い詰めた。
このころはモーニングという制度があって、朝一で行くと必ず一回転目から大当たりがある台が数台仕込まれているのが普通だった。
僕らの通っていたNEW KINGは小さなパチンコ屋さんで全部で台が60台ほど。
そのうち1/7ほどにモーニングが入っており、さらに前日入っていた台には基本的には入らないから確率は1/4ほどにあがるし、何よりも店にとっては良い事なのかどうか分からないが、お客の少ない店だったので、ライバルもいなくて僕らはそれを良い事に毎日モーニングをあさり、一日平均2万円ほどを稼いで帰ったものだ。
ヨウゾウがつけていた手帳によると車が買えるほどに荒稼ぎをしていたそうだ。
ガキが金を手にしてどうする。。。
案の定、ヨウゾウが「俺は将来パチプロになる!」とアホな宣言をしたので必死でとめた記憶がある。
この頃の僕は、アホで、ワガママで、自分に自信がなくて、でも漠然と未来は明るいと信じている毎日日曜日お祭り野郎だった。
親からもらった仕送りをスロットに使い込んでしまい、危うくのところでギリギリ取り返す。
まさにお祭り野郎。
一人相撲。
君が息子をいつか持ったら、そう言うバカな事を親に隠れてやるもんだと覚悟した方が良い。
まじで。
そんなアホでお祭りやろうだった若き日の僕が出会ったさまざまな人。
明日から書いていこうと思う。
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