2011/07/15
全曲ライブ企画「マルボロ」
今日は3曲アップです。
この歌は姫路にいた頃に創った歌。
当時にも可愛がっていた後輩がいくつかいたのだが、その後輩達の中から女子だけが集まりギャルバンドを組むと言う事に。
だったらオレが1曲書いてやるよ!!と言う事で、5分くらいで書いた曲。
人に書く歌だとこんなに書けるものかと驚いた。
これ以降、誰かに書くフリをして曲を創ると言う自分自身を騙すテクニックを使おうとするが成功した試しはいまだにない。
ちなみに、この歌、当初そのギャルバンのギターの女の子がハードロック好きで、間奏を早弾きで弾いていた。
今思うと斬新だ。
このギャルバンは結局ライブを一回もしないまま解散したので、この歌は僕が頂いて、今に至る。
その後、彼女達のほとんどの「今」を僕は知らない。
どこで何をやっているんだろうか?
彼女達に限らず、当時僕らの周りにいたたくさんの仲間の「今」を僕は知らない。
でも、時折思うのが、音楽に触れていてほしいなと言う事。
子供に聞かす子守唄でも良い。
歌っていてほしいなぁって。
僕は僕でいつでも「僕の今」が見れるよう、走り続けなければ。
ワンマンは明日だ!!
この歌は姫路にいた頃に創った歌。
当時にも可愛がっていた後輩がいくつかいたのだが、その後輩達の中から女子だけが集まりギャルバンドを組むと言う事に。
だったらオレが1曲書いてやるよ!!と言う事で、5分くらいで書いた曲。
人に書く歌だとこんなに書けるものかと驚いた。
これ以降、誰かに書くフリをして曲を創ると言う自分自身を騙すテクニックを使おうとするが成功した試しはいまだにない。
ちなみに、この歌、当初そのギャルバンのギターの女の子がハードロック好きで、間奏を早弾きで弾いていた。
今思うと斬新だ。
このギャルバンは結局ライブを一回もしないまま解散したので、この歌は僕が頂いて、今に至る。
その後、彼女達のほとんどの「今」を僕は知らない。
どこで何をやっているんだろうか?
彼女達に限らず、当時僕らの周りにいたたくさんの仲間の「今」を僕は知らない。
でも、時折思うのが、音楽に触れていてほしいなと言う事。
子供に聞かす子守唄でも良い。
歌っていてほしいなぁって。
僕は僕でいつでも「僕の今」が見れるよう、走り続けなければ。
ワンマンは明日だ!!
全曲ライブ企画特別編 短編小説「彼女は友達」
「ふぅ」
部屋中が2酸化炭素になるくらいのため息を吐いてケンジはパソコンの画面を閉じた。
アヤはまだ起きてるみたいだ。
mixiのログイン時間を見ると最終ログインが5分以内だった。
メールを送ろうと思ったけど我慢した。
こんな日々がもう一ヶ月も続いている。
無理矢理誘われたフットサルの練習でアヤと出会った。
でも、ケンジは特になんとも思わなかった。
むしろアヤの友達の方が良いなぁと思っていたくらいだ。
しかし、最初は嫌々行っていた木曜日のフットサルの日がケンジの一週間の楽しみになっていた。
この時に初めてケンジは自分がアヤに恋している事に気が付いた。
アヤにはそのフットサルチームのキャプテンをしているトモキという、ケンジが逆立ちしてもかなわない彼がいた。
トモキの噂は良いものはあまり聞かなかった。
とにかく女にだらしがないらしい。アヤの他にも、あろうことかこのフットサルのチーム内にも関係を持った女の子がいるとかいないとか。
そんな話を聞くのがケンジはたまらなく嫌だったし、何も知らないとは言え、それをぬけぬけと笑い話のようにして来る周りの奴らにも底抜けに腹が立った。
「やっべーーー!」
一本電車を乗り損ね、ケンジは走っていた。
「ケンジ君は遅刻した事がないよね」と、以前、アヤが言ってくれた。
その言葉が自分の内面を見ていてくれたようで、「フットサル上手くなったね!」なんかよりもずっとケンジの心に響いた。
遅刻するわけにはいかない、ウォーミングアップがいらないくらい走った。
すると前からアヤの姿が言えた。ケンジはおーい!と手を振ろうとしてやめた。
アヤは泣いていた。
「どないしたんじゃ」思わず地元の事が出てしまった。
アヤはしゃべらなかった。
が、ケンジにはすぐにトモキの事だと分かった。
それもただの喧嘩ではなく、別れ話なのだと。
近くにある公園で話を聞く事にした。
泣きじゃくるアヤを前にケンジは精一杯笑い話をした。
ケンジミツイのすべらない話。
アヤも笑ってくれた。
でも、すぐにまた悲しい顔した。
話はトモキの話になった。
やはりトモキは他に女の子がいたらしい。
ケンジは今日までに聞いてきたうわさ話をアヤにした。
その勢いで思わず「トモキなんか見た目だけでなーんもつまっとらん。別れて良かったんじゃ!!」と言ってしまった。
アヤは見た事ないような険しい目つきでケンジを睨み返し「ケンジ君には知らないいいところいっぱいあるもん」とアーモンド型の瞳に涙をいっぱい貯めて言い返して来た。
その後、どういう話をしたのかケンジは覚えていない。
あの可愛いアヤにあんな顔をさせるくらい、アヤはトモキに惚れていると言うことが分かった。
それからしばらく連絡がなかった。
「なんであんなこと言うてもたんじゃろ」後悔の念に駆られている時にメールが。
アヤからだった。
「ケンジ君この間はごめんね。私の為だったのに。私は大丈夫。ありがとう。今日、練習サボらしちゃってごめんね」。
この短いメールをケンジは何度も読み返した。
「明日こそは言うぞ!」昨日もたてた誓いをケンジはまた眠る前の布団で呪文のように唱えた。
「明日こそは、明日こそはアヤにこの気持ちを!」。
外は雪が降り出しそうな天気だった。
「明日雪が降ったら言おう。絶対言おう」
しんしんと音がなる中、ケンジは今を枕に置いた。
追記、このオチは全曲ライブで。
部屋中が2酸化炭素になるくらいのため息を吐いてケンジはパソコンの画面を閉じた。
アヤはまだ起きてるみたいだ。
mixiのログイン時間を見ると最終ログインが5分以内だった。
メールを送ろうと思ったけど我慢した。
こんな日々がもう一ヶ月も続いている。
無理矢理誘われたフットサルの練習でアヤと出会った。
でも、ケンジは特になんとも思わなかった。
むしろアヤの友達の方が良いなぁと思っていたくらいだ。
しかし、最初は嫌々行っていた木曜日のフットサルの日がケンジの一週間の楽しみになっていた。
この時に初めてケンジは自分がアヤに恋している事に気が付いた。
アヤにはそのフットサルチームのキャプテンをしているトモキという、ケンジが逆立ちしてもかなわない彼がいた。
トモキの噂は良いものはあまり聞かなかった。
とにかく女にだらしがないらしい。アヤの他にも、あろうことかこのフットサルのチーム内にも関係を持った女の子がいるとかいないとか。
そんな話を聞くのがケンジはたまらなく嫌だったし、何も知らないとは言え、それをぬけぬけと笑い話のようにして来る周りの奴らにも底抜けに腹が立った。
「やっべーーー!」
一本電車を乗り損ね、ケンジは走っていた。
「ケンジ君は遅刻した事がないよね」と、以前、アヤが言ってくれた。
その言葉が自分の内面を見ていてくれたようで、「フットサル上手くなったね!」なんかよりもずっとケンジの心に響いた。
遅刻するわけにはいかない、ウォーミングアップがいらないくらい走った。
すると前からアヤの姿が言えた。ケンジはおーい!と手を振ろうとしてやめた。
アヤは泣いていた。
「どないしたんじゃ」思わず地元の事が出てしまった。
アヤはしゃべらなかった。
が、ケンジにはすぐにトモキの事だと分かった。
それもただの喧嘩ではなく、別れ話なのだと。
近くにある公園で話を聞く事にした。
泣きじゃくるアヤを前にケンジは精一杯笑い話をした。
ケンジミツイのすべらない話。
アヤも笑ってくれた。
でも、すぐにまた悲しい顔した。
話はトモキの話になった。
やはりトモキは他に女の子がいたらしい。
ケンジは今日までに聞いてきたうわさ話をアヤにした。
その勢いで思わず「トモキなんか見た目だけでなーんもつまっとらん。別れて良かったんじゃ!!」と言ってしまった。
アヤは見た事ないような険しい目つきでケンジを睨み返し「ケンジ君には知らないいいところいっぱいあるもん」とアーモンド型の瞳に涙をいっぱい貯めて言い返して来た。
その後、どういう話をしたのかケンジは覚えていない。
あの可愛いアヤにあんな顔をさせるくらい、アヤはトモキに惚れていると言うことが分かった。
それからしばらく連絡がなかった。
「なんであんなこと言うてもたんじゃろ」後悔の念に駆られている時にメールが。
アヤからだった。
「ケンジ君この間はごめんね。私の為だったのに。私は大丈夫。ありがとう。今日、練習サボらしちゃってごめんね」。
この短いメールをケンジは何度も読み返した。
「明日こそは言うぞ!」昨日もたてた誓いをケンジはまた眠る前の布団で呪文のように唱えた。
「明日こそは、明日こそはアヤにこの気持ちを!」。
外は雪が降り出しそうな天気だった。
「明日雪が降ったら言おう。絶対言おう」
しんしんと音がなる中、ケンジは今を枕に置いた。
追記、このオチは全曲ライブで。
全曲ライブ企画「僕のロックンロールは正しくないんだ」
今日はちょっと僕ではなく、以前拝見した有名な方がこの歌に対して書いてくれた文を載せてみたい。
もちろん許可は得てあります。
読んでみて下さい。
古いアニメでよくある、雷に打たれ骨まで見える衝撃。
この曲を聴いた時の感想はまさにそれ。
THE NEUTRALというバンドを知らないわけではなかったが、これほどまでにロックンロールを極めている若者がいるのかとしばらく動けなくなった。
この歌はシンプルな構成で成り立っている。
基本は3コード。
そして白玉の音符が冒頭に貼付けてある。
ただそれだけ。
ただそれだけなのに、懐かしさではなく新しさを感じる。
昨今、構築したものを再現するのがロックとなりつつあるが、久しぶりに私が「音楽が本当に好きだった頃」にむさぼり聞いた体現するロックを聴いた。
聞けば、高校の同級生のバンドらしい。
なるほど。
音の固まりが共鳴しあっているわけだ。
この歌の特筆するべきはやはり冒頭の2行の歌詞。
まずはじめに
「知ってるかい 僕の持つロックンロールは正しくないんだ だから僕は正しさを捨てたんだ」
これはロック史に残る名言だと私は思う。
この一言で、すべての断りを入れ、すべてをはねのけ、すべてを受け入れている。
ボーカルしげるの他の追従を許さない、天才と呼ばれる事を本人は否定しているが、間違いなく10年に1度の時代を変える時に現れるロックンローラーだと私は思う。
この後の歌詞「正しさよりももっと先へ」が、この冒頭部分のさらに奥行きを出している。
そして私に雷を浴びせた言葉。
「知ってるかい 僕の持つロックンロールは新しくないんだ 新しくないんだ だから僕は時間と違う場所に立つ」
誰しもが正しさを捨てた同様、新しさを捨てたという言葉を待っているところへ、「だから僕は時間と違う場所に立つ」という言葉が飛び込んで来る。
一度オーディエンスがどう受け止め、どう理解してくるかを理解した上で、さらにその上の言葉を用意していると言うテクニックとしても申し分ない。
もちろんテクニックだけではなく、「だから僕は時間と違う場所に立つ」。
この言葉に痺れないロック好きはいないだろう。
前述の「再現ロック」が「今の音」であれば体現するようなロックは懐かしさなのか?いや違う。そもそも「今」「昔」という時間軸でないところにロックはあるのだと教えてくれる。
私はこのバンドがもっと世の中に出てほしいと強く思った。
これほど分かりやすく、奥の深いバンドはそうそういないだろう。
いつか彼らに会う事があったら、この感動を伝えたいと思う。
本当に素晴らしいバンドであり、後世に残る名曲をありがとうと。
午前6時56分 自宅のパソコン部屋から 三木茂
もちろん許可は得てあります。
読んでみて下さい。
古いアニメでよくある、雷に打たれ骨まで見える衝撃。
この曲を聴いた時の感想はまさにそれ。
THE NEUTRALというバンドを知らないわけではなかったが、これほどまでにロックンロールを極めている若者がいるのかとしばらく動けなくなった。
この歌はシンプルな構成で成り立っている。
基本は3コード。
そして白玉の音符が冒頭に貼付けてある。
ただそれだけ。
ただそれだけなのに、懐かしさではなく新しさを感じる。
昨今、構築したものを再現するのがロックとなりつつあるが、久しぶりに私が「音楽が本当に好きだった頃」にむさぼり聞いた体現するロックを聴いた。
聞けば、高校の同級生のバンドらしい。
なるほど。
音の固まりが共鳴しあっているわけだ。
この歌の特筆するべきはやはり冒頭の2行の歌詞。
まずはじめに
「知ってるかい 僕の持つロックンロールは正しくないんだ だから僕は正しさを捨てたんだ」
これはロック史に残る名言だと私は思う。
この一言で、すべての断りを入れ、すべてをはねのけ、すべてを受け入れている。
ボーカルしげるの他の追従を許さない、天才と呼ばれる事を本人は否定しているが、間違いなく10年に1度の時代を変える時に現れるロックンローラーだと私は思う。
この後の歌詞「正しさよりももっと先へ」が、この冒頭部分のさらに奥行きを出している。
そして私に雷を浴びせた言葉。
「知ってるかい 僕の持つロックンロールは新しくないんだ 新しくないんだ だから僕は時間と違う場所に立つ」
誰しもが正しさを捨てた同様、新しさを捨てたという言葉を待っているところへ、「だから僕は時間と違う場所に立つ」という言葉が飛び込んで来る。
一度オーディエンスがどう受け止め、どう理解してくるかを理解した上で、さらにその上の言葉を用意していると言うテクニックとしても申し分ない。
もちろんテクニックだけではなく、「だから僕は時間と違う場所に立つ」。
この言葉に痺れないロック好きはいないだろう。
前述の「再現ロック」が「今の音」であれば体現するようなロックは懐かしさなのか?いや違う。そもそも「今」「昔」という時間軸でないところにロックはあるのだと教えてくれる。
私はこのバンドがもっと世の中に出てほしいと強く思った。
これほど分かりやすく、奥の深いバンドはそうそういないだろう。
いつか彼らに会う事があったら、この感動を伝えたいと思う。
本当に素晴らしいバンドであり、後世に残る名曲をありがとうと。
午前6時56分 自宅のパソコン部屋から 三木茂
2011/07/14
全曲ライブ企画「木ニモナレズ 鳥ニモナレズ」
宮沢賢治氏の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の返歌として書いた歌。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」日本人の崇高な思想が詰まっていると聞いた事がある。
僕は大学で歴史と文学という教師や図書館司書以外で何に役立つねんっっ!という事を一生懸命勉強していた。
大学のテストは、答えがあるようでない問題が多い。
その中の1つで今でもよく覚えていのが、問題用紙にただ一言、「宮沢賢治について書きなさい。」とだけ書かれてあったことだ。
その一問に対し、回答欄はA4の表裏の両面。宮沢賢治の親でさえこんなに書けるのだろうか?と思うが、とにかく書いた。
知ってる知識を総動員し、裏表、時間いっぱい使って書いた。
その中で、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を取り上げたのをおぼろげながら覚えている。
それから数年後、僕はこの歌を書く事になる。
なるほど、教師にも図書館司書にもならなくても生かせる道はあったようだ。
余談ではあるが、僕はこのテストの最後、回答欄に「最後に、一年間ご指導して頂きありがとうございました。先生の授業はいつも楽しく、毎回楽しみにしていました。ここで学んだ事をこれからの僕の日々にいかしていきます」と言った、先生の人情に媚を売ると言う卑劣な手を使った(笑)。まったくのアホである。
「時々僕を惑わす誘惑 流されていく 日々の中でも僕は 勝てるだろうか?勝てるだろうか?僕は僕を愛したい」
ワンマンまで後2日!!
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」日本人の崇高な思想が詰まっていると聞いた事がある。
僕は大学で歴史と文学という教師や図書館司書以外で何に役立つねんっっ!という事を一生懸命勉強していた。
大学のテストは、答えがあるようでない問題が多い。
その中の1つで今でもよく覚えていのが、問題用紙にただ一言、「宮沢賢治について書きなさい。」とだけ書かれてあったことだ。
その一問に対し、回答欄はA4の表裏の両面。宮沢賢治の親でさえこんなに書けるのだろうか?と思うが、とにかく書いた。
知ってる知識を総動員し、裏表、時間いっぱい使って書いた。
その中で、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を取り上げたのをおぼろげながら覚えている。
それから数年後、僕はこの歌を書く事になる。
なるほど、教師にも図書館司書にもならなくても生かせる道はあったようだ。
余談ではあるが、僕はこのテストの最後、回答欄に「最後に、一年間ご指導して頂きありがとうございました。先生の授業はいつも楽しく、毎回楽しみにしていました。ここで学んだ事をこれからの僕の日々にいかしていきます」と言った、先生の人情に媚を売ると言う卑劣な手を使った(笑)。まったくのアホである。
「時々僕を惑わす誘惑 流されていく 日々の中でも僕は 勝てるだろうか?勝てるだろうか?僕は僕を愛したい」
ワンマンまで後2日!!
全曲ライブ企画「Switch」
ソロライブで参加したイベントで、今日は「スイッチ」をテーマにやっています。
というのがあって、それに乗っかってその場で2分くらいで書いた曲。
CDに入れるつもりもなかったが、山梨県の合宿レコーディングで、山小屋の中に置いてあるピアノが調律も怪しんだけど、なんだか弾きたくなるピアノで。
初めて僕がピアノを弾いて録音した曲。
よく聴くと、ガコンガコンとペダルを踏み替える音も残っている。
というのがあって、それに乗っかってその場で2分くらいで書いた曲。
CDに入れるつもりもなかったが、山梨県の合宿レコーディングで、山小屋の中に置いてあるピアノが調律も怪しんだけど、なんだか弾きたくなるピアノで。
初めて僕がピアノを弾いて録音した曲。
よく聴くと、ガコンガコンとペダルを踏み替える音も残っている。
全曲ライブ企画「ヨウゾウ」
ヨウゾウと仲良くなったのは中学3年生の時。
塾が一緒だった。
あるとき、塾終わりでもう1人の友達と帰りに屋台のラーメンを食べて帰った。
金もないから一杯のラーメンを3人で分けて。
それがなんだか大人っぽくて、僕らの胸をときめかせた。
僕らはふざけあってコップに水をそそぎながら「ま、課長一杯!!」「わたしゃ、もういいよ〜」などミニコントを入れながらも楽しんだ。
次の日、学校の廊下で会ったら、どちらともなく「おっっ!課長!今日はお早いですな!!」「わたしゃ、痴漢はしないけど時間だけは守るんでね!」と、早速昨日のみにコントを展開したところから、お互いの波長が合い、それ以降ずっとつるむ事になったという関西人らしいエピソード。ちなみに同じクラスには一回もなった事はない。
僕らの移動手段はいつも一台の自転車を2人乗り。
もちろん2人とも自転車くらい持っている。
でも、いつからそうなったのかは分からないけれど、僕はヨウゾウの家まで自転車で行きそっからはいつもじゃんけんをして、負けた方が運転をするというよくわからないルールが出来上がった。
ヨウゾウはいつも「姫路の目を網の目のように走る!!」と伊能忠敬もビックリの細かさで、まさに姫路の街の路地という路地を走り回った。
僕はヨウゾウの自転車の後ろに立って乗り、そこから見える風景が大好きだった。
姫路の街を風で感じ、目的地もなくぶらぶらと走り回る。
まるでその頃の自分たちの未来のように。
ここ最近、あの頃は幸せだったよなぁと思う。
親に育ててもらい、与えられた自由と言う事も気が付かず、毎日を無駄に過ごす事も許されて、親の愛情のもと、精一杯毎日を謳歌した。
背負うもんもなーんもなかった。
もちろん、その時その時、僕らのは受験や恋愛友達関係、いろーんな事が立ちはだかったけど、それらは社会に出る為の訓練だったとよくわかる。
音楽業界といえども、一度社会に出れば、あの時の自由さにやはりまぶたを細めてしまう。
学生とは自由であり、甘酸っぱくもあり、はかなくもあり、だからこそ輝いてるんだろうなぁ。
追記、この曲もずーっと演奏していなかった。
実はニュートラルにはこういった曲がいくつかある。
「シンプルマン」「ヨウゾウ」「青天の霹靂」。
どれもこれも代谷が「あれええからもう一回やろうよ!」の提案で復活した曲。
僕らの中では代谷再生工場と呼んでいる。
塾が一緒だった。
あるとき、塾終わりでもう1人の友達と帰りに屋台のラーメンを食べて帰った。
金もないから一杯のラーメンを3人で分けて。
それがなんだか大人っぽくて、僕らの胸をときめかせた。
僕らはふざけあってコップに水をそそぎながら「ま、課長一杯!!」「わたしゃ、もういいよ〜」などミニコントを入れながらも楽しんだ。
次の日、学校の廊下で会ったら、どちらともなく「おっっ!課長!今日はお早いですな!!」「わたしゃ、痴漢はしないけど時間だけは守るんでね!」と、早速昨日のみにコントを展開したところから、お互いの波長が合い、それ以降ずっとつるむ事になったという関西人らしいエピソード。ちなみに同じクラスには一回もなった事はない。
僕らの移動手段はいつも一台の自転車を2人乗り。
もちろん2人とも自転車くらい持っている。
でも、いつからそうなったのかは分からないけれど、僕はヨウゾウの家まで自転車で行きそっからはいつもじゃんけんをして、負けた方が運転をするというよくわからないルールが出来上がった。
ヨウゾウはいつも「姫路の目を網の目のように走る!!」と伊能忠敬もビックリの細かさで、まさに姫路の街の路地という路地を走り回った。
僕はヨウゾウの自転車の後ろに立って乗り、そこから見える風景が大好きだった。
姫路の街を風で感じ、目的地もなくぶらぶらと走り回る。
まるでその頃の自分たちの未来のように。
ここ最近、あの頃は幸せだったよなぁと思う。
親に育ててもらい、与えられた自由と言う事も気が付かず、毎日を無駄に過ごす事も許されて、親の愛情のもと、精一杯毎日を謳歌した。
背負うもんもなーんもなかった。
もちろん、その時その時、僕らのは受験や恋愛友達関係、いろーんな事が立ちはだかったけど、それらは社会に出る為の訓練だったとよくわかる。
音楽業界といえども、一度社会に出れば、あの時の自由さにやはりまぶたを細めてしまう。
学生とは自由であり、甘酸っぱくもあり、はかなくもあり、だからこそ輝いてるんだろうなぁ。
追記、この曲もずーっと演奏していなかった。
実はニュートラルにはこういった曲がいくつかある。
「シンプルマン」「ヨウゾウ」「青天の霹靂」。
どれもこれも代谷が「あれええからもう一回やろうよ!」の提案で復活した曲。
僕らの中では代谷再生工場と呼んでいる。
2011/07/13
全曲ライブ企画「ちびとふとっちょ」
今日からは一日に数曲アップしていきたい。
改めて見るとものすごいタイトルだと思う。
宮崎駿のヒット作には「〜の〜」とあるように、僕の場合は「〜と〜」のようだ。
ライブで披露した時からものすごい反応をいただいた記憶がある。
それ以降、ライブでは欠かせない定番曲となった。
そしてこの歌と言えば、やはり「誰も知らない泣ける歌」の話を書かねばならない。
この泣ける歌の話が決まる前日、決まりかけていたバンドでの大きな話がなくなった。
僕はその通知を知る事となったメールを最後まで読むのも必死で、長いバンド人生初めて心が折れる音を聞いた。
ただふらふらと街を歩き、目に生気のないまま絶望感で空を見上げていた。
「もうだめかもな」
「これ以上歩けないかもな」
「明日メンバーになんて話そう。」
そう思っていた矢先、スタッフから一本の電話が。
「しげる君!誰も知らない泣ける歌からオファーが来た!!全国放送だ!!!」
生まれて初めて全身に鳥肌が立った。
それは嬉しいからではない。
長いバンド人生、はじめて心が折れた次の日に希望の電話があったことに。
まるで見えない何かに、「まだ歌え!!」といわれている気がした。
この番組を出るにあたって、「誰も知らない泣ける歌って、誰も知らないで良いの?」とか「ちびとふとっちょじゃないでしょ?」など、心もとない言葉を耳にした。
でも、広い視野で見れば「誰も知らない」でいいのだ。だからこそ出るのだ。
「ちびとふとっちょ」じゃないかもしれない、それでもやらせなしのオファーが来たのだ。
それを断ることが出来るはずもない。
ちなみに、僕はこの打ち合わせでテレビ局に行った時、腐葉土にしてもらおうと歌と歌詞と、当時mixiのコメントに書いてもらった生きる事への強いメッセージをコピーして持参していた。
しかし、スタッフのみなさんの熱い思い、そしてちびとふとっちょを投稿してくれた人のエピソードを聞くと、どうしてもこの歌を歌わなきゃいけないと思った。
チャンスだからってしがみつくような事はしたくない。
それは今だってそう思っている。
でも変に意固地になる必要もないし、ないよりも僕1人でやっている事ではなく、そこにはメンバーもスタッフもいる。
色んな事を考えて出る事にした。
結果、僕は出て良かったと心から思っている。
沢山の人に歌を届ける事が出来た。
当時の日記に僕は「長い間頑張って来た事に対するご褒美だ」と書いていた。
歩き続ける事は辛い。
休みたくもなる。
でも、夢を追うと言う事は休憩は許されない。
どんなにクタクタでも足は一歩前に進めなければいけない。
希望の光はいつ照らすか分からない。
それでもその光は後ろにはない。
つねにこの先で待っているのだ。
もっと輝く為に、僕は歩く事をやめない。
改めて見るとものすごいタイトルだと思う。
宮崎駿のヒット作には「〜の〜」とあるように、僕の場合は「〜と〜」のようだ。
ライブで披露した時からものすごい反応をいただいた記憶がある。
それ以降、ライブでは欠かせない定番曲となった。
そしてこの歌と言えば、やはり「誰も知らない泣ける歌」の話を書かねばならない。
この泣ける歌の話が決まる前日、決まりかけていたバンドでの大きな話がなくなった。
僕はその通知を知る事となったメールを最後まで読むのも必死で、長いバンド人生初めて心が折れる音を聞いた。
ただふらふらと街を歩き、目に生気のないまま絶望感で空を見上げていた。
「もうだめかもな」
「これ以上歩けないかもな」
「明日メンバーになんて話そう。」
そう思っていた矢先、スタッフから一本の電話が。
「しげる君!誰も知らない泣ける歌からオファーが来た!!全国放送だ!!!」
生まれて初めて全身に鳥肌が立った。
それは嬉しいからではない。
長いバンド人生、はじめて心が折れた次の日に希望の電話があったことに。
まるで見えない何かに、「まだ歌え!!」といわれている気がした。
この番組を出るにあたって、「誰も知らない泣ける歌って、誰も知らないで良いの?」とか「ちびとふとっちょじゃないでしょ?」など、心もとない言葉を耳にした。
でも、広い視野で見れば「誰も知らない」でいいのだ。だからこそ出るのだ。
「ちびとふとっちょ」じゃないかもしれない、それでもやらせなしのオファーが来たのだ。
それを断ることが出来るはずもない。
ちなみに、僕はこの打ち合わせでテレビ局に行った時、腐葉土にしてもらおうと歌と歌詞と、当時mixiのコメントに書いてもらった生きる事への強いメッセージをコピーして持参していた。
しかし、スタッフのみなさんの熱い思い、そしてちびとふとっちょを投稿してくれた人のエピソードを聞くと、どうしてもこの歌を歌わなきゃいけないと思った。
チャンスだからってしがみつくような事はしたくない。
それは今だってそう思っている。
でも変に意固地になる必要もないし、ないよりも僕1人でやっている事ではなく、そこにはメンバーもスタッフもいる。
色んな事を考えて出る事にした。
結果、僕は出て良かったと心から思っている。
沢山の人に歌を届ける事が出来た。
当時の日記に僕は「長い間頑張って来た事に対するご褒美だ」と書いていた。
歩き続ける事は辛い。
休みたくもなる。
でも、夢を追うと言う事は休憩は許されない。
どんなにクタクタでも足は一歩前に進めなければいけない。
希望の光はいつ照らすか分からない。
それでもその光は後ろにはない。
つねにこの先で待っているのだ。
もっと輝く為に、僕は歩く事をやめない。
全曲ライブ企画「ともだち」
今日からは一日に数曲アップしていきたい。
にしても、いつの間にかメンバーが僕がアップしていない曲をフォローしてくれ、僕も「へー、こんな事考えていたんだぁ」と楽しく読んでいます。
なので、昨日、きっちり振り分けしました。
「素晴らしき世界の鐘の音を鳴らせ!」は一年前に書いたところなので、NEW OLD STOCKまでを書いていきます。
この歌は上京して間もない頃に、西武池袋線中村橋駅から自宅に帰る徒歩7分の間に頭に浮かんで来た曲。
帰ってすぐにギターを握り、繰り返しはじまりの「なぁ友達よ 最近のお前なんだかちょっとおかしいぜ」を歌っていた記憶がある。
ちなみにこの部屋で創った「パンとピストル」などの、いわゆる代表曲は月日が経った今でも昨日のように覚えている。
当時、ダイスケが中野に住んでいたので、中野のリハーサルスタジオを利用していたのだが、そこでメンバーに初披露した。
メンバーがどんな感触を抱いてくれていたのかは覚えていないが、当時譜面も書いた事ないので、ただ、コード進行だけ伝えて、エンドレスで演奏してアレンジしていくと言うセッション方式で曲を創っていった。
ただただエンドレスで同じコードを繰り返す。
するとAメロのコードに気が付くと僕は音に押されるように「とーもーだちよーー!」と別メロを歌い出していた。
この部分を持って、「ともだち」は完成されたと思う。
この曲は当時の僕たちのライブの定番曲だった。
この歌を歌えば会場の空気は変わった。
でもある時から、この曲は定番曲でも、いわゆるキラーチューンでもなくなった。
それは僕が大人になったからなのか、それとも時代がまっすぐに言葉をとらえない風潮になったのか。。。
おそらくどれも正解だと思う。
どんなに良い歌も、時代の流れの中、輝きは曇る。
過去の作品にばかり頼るのではなく、僕らは常に新しいものを創っていかないといけないと身を引き締める。
ちなみにデビュー当時は「チャンスはそこだ!」「パンとピストル」「ともだち」と3作連続リリースの後にフルアルバムを出す予定だった。
「パンとピストル」で圧倒的な思考と言葉を見せてからの真っすぐな歌を素直にぶつけるという作戦。
実際に「パンとピストル」では、当時僕らスタッフが考えていた以上の結果を得られた。
さぁ、「ともだち」で勝負だ!!
でも、その前に移籍問題が出てしまった。
この宙ぶらりんになった歌をなんとかもう一回と言う事で、数年経った頃に、「一万人と握手計画」と関連させてシングルで発売する事になった。
しかし、当初計画していたものと違う方向で進んでいき、有線でリクエストしてもらおうと言う計画も、僕の一万人と握手計画もゴールのないまま、これまた宙ぶらりんになってしまった。
こういうとき、ここに関わったスタッフに「話している事と違うじゃないか!!」と言いたくなるけど、そんなことはよくあること。
すべては僕らが背負っていかねばならないのだ。
1万人と握手、今は9千人を目前に止まっている。
正確には止めている。
握手して終わりではなく、きっちりそれに意味を持たしてあげたい。
なので、ライフワークのように焦らず、しっかり意味のある1万人握手を今は目指している。
何年かかっても。
追記、この頃ストリートをしだした。
にしても、いつの間にかメンバーが僕がアップしていない曲をフォローしてくれ、僕も「へー、こんな事考えていたんだぁ」と楽しく読んでいます。
なので、昨日、きっちり振り分けしました。
「素晴らしき世界の鐘の音を鳴らせ!」は一年前に書いたところなので、NEW OLD STOCKまでを書いていきます。
この歌は上京して間もない頃に、西武池袋線中村橋駅から自宅に帰る徒歩7分の間に頭に浮かんで来た曲。
帰ってすぐにギターを握り、繰り返しはじまりの「なぁ友達よ 最近のお前なんだかちょっとおかしいぜ」を歌っていた記憶がある。
ちなみにこの部屋で創った「パンとピストル」などの、いわゆる代表曲は月日が経った今でも昨日のように覚えている。
当時、ダイスケが中野に住んでいたので、中野のリハーサルスタジオを利用していたのだが、そこでメンバーに初披露した。
メンバーがどんな感触を抱いてくれていたのかは覚えていないが、当時譜面も書いた事ないので、ただ、コード進行だけ伝えて、エンドレスで演奏してアレンジしていくと言うセッション方式で曲を創っていった。
ただただエンドレスで同じコードを繰り返す。
するとAメロのコードに気が付くと僕は音に押されるように「とーもーだちよーー!」と別メロを歌い出していた。
この部分を持って、「ともだち」は完成されたと思う。
この曲は当時の僕たちのライブの定番曲だった。
この歌を歌えば会場の空気は変わった。
でもある時から、この曲は定番曲でも、いわゆるキラーチューンでもなくなった。
それは僕が大人になったからなのか、それとも時代がまっすぐに言葉をとらえない風潮になったのか。。。
おそらくどれも正解だと思う。
どんなに良い歌も、時代の流れの中、輝きは曇る。
過去の作品にばかり頼るのではなく、僕らは常に新しいものを創っていかないといけないと身を引き締める。
ちなみにデビュー当時は「チャンスはそこだ!」「パンとピストル」「ともだち」と3作連続リリースの後にフルアルバムを出す予定だった。
「パンとピストル」で圧倒的な思考と言葉を見せてからの真っすぐな歌を素直にぶつけるという作戦。
実際に「パンとピストル」では、当時僕らスタッフが考えていた以上の結果を得られた。
さぁ、「ともだち」で勝負だ!!
でも、その前に移籍問題が出てしまった。
この宙ぶらりんになった歌をなんとかもう一回と言う事で、数年経った頃に、「一万人と握手計画」と関連させてシングルで発売する事になった。
しかし、当初計画していたものと違う方向で進んでいき、有線でリクエストしてもらおうと言う計画も、僕の一万人と握手計画もゴールのないまま、これまた宙ぶらりんになってしまった。
こういうとき、ここに関わったスタッフに「話している事と違うじゃないか!!」と言いたくなるけど、そんなことはよくあること。
すべては僕らが背負っていかねばならないのだ。
1万人と握手、今は9千人を目前に止まっている。
正確には止めている。
握手して終わりではなく、きっちりそれに意味を持たしてあげたい。
なので、ライフワークのように焦らず、しっかり意味のある1万人握手を今は目指している。
何年かかっても。
追記、この頃ストリートをしだした。
2011/07/12
全曲ライブ企画「nanana〜親父とオレとタバコとハナ歌〜」
7月16日、17日に行われる全曲ライブに向けて、覚えている限り、その曲を創った頃を思い出して書いていきたい。
数年前の夏、オレはむせ返るような熱さの中、エアコンをガンガンに効かせた車でレコーディングスタジオに向かっていた。
プリプロという、レコーディングの練習みたいな作業の為に。
カーステレオには、今回のレコーディングで録音するかどうか分からない、ただ「nanananana〜」とだけ歌った音が流れていた。
それにしてもいい天気だった。
いい天気の日は気分が晴れるのかと言えば、カミュの異邦人でもあるように、そうではない。
オレは突き抜けるような蒼空を見ながら、今日までの自分の人生、そして、今の自分の立っている場所を思いノスタルジックになっていた。
それにしても、この蒼空をどっかで見た事があるような気がしていた。
でもどこで見たのかが思い出せなかった。
この冬でオレは30歳になる。
望んだ場所に辿りつけていないオレはこの先どうなっていくのだろう。
後ろの車にクラクションを鳴らされ、急かされるようにアクセルを踏んだ。
まるで最近のオレの生き方のように。
ガキの頃のオレは自由だった。
優秀な兄とは違い出来の悪い弟は、過度な期待をされず、出来が悪いほど可愛いってなもので、愛情たっぷりに育ててもらい、オレ自身も出来の悪い弟を演じる事で家族みんなが円満にいく事を知っていたので、それを悪くは思っていなかった。
当時、我が家は決して裕福ではなかった。
人一人入るのがやっとで、お湯を沸かす時はベランダで操作するというお風呂を持つ県住に住み、母親はいつも「うちはお金がないから」を口癖にしていたし、兄貴にも「うちには絵本を買う金もないから我慢しろ!」と教え込まれていた。
それでも、休日になると、親父はいつもオレたち兄弟を車に乗せていろんなところに連れて行ってくれた。
手柄山遊園の山道、名古山霊園。
お金はなかったけど、オレはこういう自然で遊ぶのが大好きだった。
ただ備え付けの公園で汗をビショビショにかきながら、汗をかく事を誇らしげに遊んでいた。
さんざん汗をかいて親父の元に戻ると、親父は冷たいコーラを俺たちに買ってくれた。
そしてそのまま目線は遠くを見つめ、汗まみれのオレの頭をなでながら、「でっかい男になれよ!」と何かを託すように、自分の今日までの人生とは違う道を歩むようにという願いを込めてか、いつもその言葉をくれた。
そして決まって、大好きな煙草を吹かしながら遠くを見るのだ。
オレはその時の親父がたまらなく好きで、それと同じくらいたまらなく切なくなるのだった。
レコーディングスタジオに付いてすぐに電話がかかって来た。
オレは慌ててスタジオ休憩室のベランダに出て電話をとった。
電話の内容がなんだかったか覚えていない。
ただ、オレは電話を切った後もスタジオに戻る気分にはなれず、しばらくベランダでボーっとしていた。
「今から作るこのCDはどれだけの人に届くのだろうか?」新しいレーベルから出ると言う事もあり、期待と不安、いや長年の経験から不安の方が大きく、オレは思考を放り投げるように空を見た。
「あっ」
あの空だ。
行きの車でも思い出せなかったここ最近のどこかで見た蒼空。
それはオレがガキの頃、親父が眺めていた空の色と同じだったのだ。
あの頃の親父はきっと今のオレと同じくらい。
ずいぶん大人だと思っていたけれど、そっか、親父もまた先の見えぬ明日に、そしてそれでも進まなければいけない今の中、思考を放るように空を眺めていたんだなぁと思った。
プリプロレコーディングがはじまった。
予定曲をとり終えた後、ワガママを言って、もう一曲頭にある歌を歌わさせてほしいとメンバーにも無理を言って、コード譜だけを渡して録り出した。
気が付くとオレは、あの部分。
そう、シャウトしながら「そして30歳になったオレはと言えば 託された夢とは違う生き方を選んでいる 戻れない昨日にばかりしがみついてる日々さ」と歌っていた。
nananaのはじまりだった。
そして、あれから数年経ったオレはと言えば、変わらずに抜けるような蒼空の下、その突き抜けた先を見に行こうと誇らしげに汗をかいている。
追記、2010年、親父が初めてオレのライブを見に来てくれた。
渋谷O-EASTワンマンライブ。
オレはアンコールで、でっかい男のオレなりの答えを伝えるようにこの歌を歌った。
追記2
この歌をイベントライブの時、リハーサルで演奏すると楽屋にいるバンドマンまで見に来ると言う現象が起こる。
嬉しい事だ。
たしかにあの歌唱方法と演奏は誰にも真似が出来ないオリジナルであり、オレが造り出した手法だと思う。
星の数ほどある音楽の演奏方法の中で、オレたちが考え出したものがあるってことをオレは嬉しくも誇りにも思う。
追記3
この歌の歌詞にはオレの大好きなフレーズが溢れている。
「無敵の10代」
「出会いと別れを繰り返す 螺旋のような日々で 今日もあくびをしながら ぼんやりと明日を待ってる あんなに愛した人さえも もう今は思い出せない」
「そしてオレはあの日の親父と同じ場所に立ち 吸えもしないタバコを吸ってずっと遠くを見てた」
全曲ワンマンまで後4日!
数年前の夏、オレはむせ返るような熱さの中、エアコンをガンガンに効かせた車でレコーディングスタジオに向かっていた。
プリプロという、レコーディングの練習みたいな作業の為に。
カーステレオには、今回のレコーディングで録音するかどうか分からない、ただ「nanananana〜」とだけ歌った音が流れていた。
それにしてもいい天気だった。
いい天気の日は気分が晴れるのかと言えば、カミュの異邦人でもあるように、そうではない。
オレは突き抜けるような蒼空を見ながら、今日までの自分の人生、そして、今の自分の立っている場所を思いノスタルジックになっていた。
それにしても、この蒼空をどっかで見た事があるような気がしていた。
でもどこで見たのかが思い出せなかった。
この冬でオレは30歳になる。
望んだ場所に辿りつけていないオレはこの先どうなっていくのだろう。
後ろの車にクラクションを鳴らされ、急かされるようにアクセルを踏んだ。
まるで最近のオレの生き方のように。
ガキの頃のオレは自由だった。
優秀な兄とは違い出来の悪い弟は、過度な期待をされず、出来が悪いほど可愛いってなもので、愛情たっぷりに育ててもらい、オレ自身も出来の悪い弟を演じる事で家族みんなが円満にいく事を知っていたので、それを悪くは思っていなかった。
当時、我が家は決して裕福ではなかった。
人一人入るのがやっとで、お湯を沸かす時はベランダで操作するというお風呂を持つ県住に住み、母親はいつも「うちはお金がないから」を口癖にしていたし、兄貴にも「うちには絵本を買う金もないから我慢しろ!」と教え込まれていた。
それでも、休日になると、親父はいつもオレたち兄弟を車に乗せていろんなところに連れて行ってくれた。
手柄山遊園の山道、名古山霊園。
お金はなかったけど、オレはこういう自然で遊ぶのが大好きだった。
ただ備え付けの公園で汗をビショビショにかきながら、汗をかく事を誇らしげに遊んでいた。
さんざん汗をかいて親父の元に戻ると、親父は冷たいコーラを俺たちに買ってくれた。
そしてそのまま目線は遠くを見つめ、汗まみれのオレの頭をなでながら、「でっかい男になれよ!」と何かを託すように、自分の今日までの人生とは違う道を歩むようにという願いを込めてか、いつもその言葉をくれた。
そして決まって、大好きな煙草を吹かしながら遠くを見るのだ。
オレはその時の親父がたまらなく好きで、それと同じくらいたまらなく切なくなるのだった。
レコーディングスタジオに付いてすぐに電話がかかって来た。
オレは慌ててスタジオ休憩室のベランダに出て電話をとった。
電話の内容がなんだかったか覚えていない。
ただ、オレは電話を切った後もスタジオに戻る気分にはなれず、しばらくベランダでボーっとしていた。
「今から作るこのCDはどれだけの人に届くのだろうか?」新しいレーベルから出ると言う事もあり、期待と不安、いや長年の経験から不安の方が大きく、オレは思考を放り投げるように空を見た。
「あっ」
あの空だ。
行きの車でも思い出せなかったここ最近のどこかで見た蒼空。
それはオレがガキの頃、親父が眺めていた空の色と同じだったのだ。
あの頃の親父はきっと今のオレと同じくらい。
ずいぶん大人だと思っていたけれど、そっか、親父もまた先の見えぬ明日に、そしてそれでも進まなければいけない今の中、思考を放るように空を眺めていたんだなぁと思った。
プリプロレコーディングがはじまった。
予定曲をとり終えた後、ワガママを言って、もう一曲頭にある歌を歌わさせてほしいとメンバーにも無理を言って、コード譜だけを渡して録り出した。
気が付くとオレは、あの部分。
そう、シャウトしながら「そして30歳になったオレはと言えば 託された夢とは違う生き方を選んでいる 戻れない昨日にばかりしがみついてる日々さ」と歌っていた。
nananaのはじまりだった。
そして、あれから数年経ったオレはと言えば、変わらずに抜けるような蒼空の下、その突き抜けた先を見に行こうと誇らしげに汗をかいている。
追記、2010年、親父が初めてオレのライブを見に来てくれた。
渋谷O-EASTワンマンライブ。
オレはアンコールで、でっかい男のオレなりの答えを伝えるようにこの歌を歌った。
追記2
この歌をイベントライブの時、リハーサルで演奏すると楽屋にいるバンドマンまで見に来ると言う現象が起こる。
嬉しい事だ。
たしかにあの歌唱方法と演奏は誰にも真似が出来ないオリジナルであり、オレが造り出した手法だと思う。
星の数ほどある音楽の演奏方法の中で、オレたちが考え出したものがあるってことをオレは嬉しくも誇りにも思う。
追記3
この歌の歌詞にはオレの大好きなフレーズが溢れている。
「無敵の10代」
「出会いと別れを繰り返す 螺旋のような日々で 今日もあくびをしながら ぼんやりと明日を待ってる あんなに愛した人さえも もう今は思い出せない」
「そしてオレはあの日の親父と同じ場所に立ち 吸えもしないタバコを吸ってずっと遠くを見てた」
全曲ワンマンまで後4日!
2011/07/11
全曲ライブ企画「カナリア」
7月16日、17日に行われる全曲ライブに向けて、覚えている限り、その曲を創った頃を思い出して書いていきたい。
この歌は、地元でホステスをする中学時代の同級生をテーマに書いた。
29歳になり、すっかり俺たちは大人になったんだなぁと思った事が1つあった。
それは地元に帰って友達と会った時、それが中学の友達であろうが高校の友達であろうが、決まって言うのが「お姉ちゃんのいるところに飲みに行こうぜ!」だった。
キャバクラ?スナック?僕は違いが分からないが、とにかく、女の子がとなりに座りお酒をついでくれると言う場所。
格好付けるわけではなく、僕はあまりこういうところに言っても何も感じない。
でも仲間達がみんな「行こう!」と言ってる中、「オレはええわ!」と無下に断りにくい時もあり、片手で数えれる程だけ行った事があるが、僕は酒も飲まないし、本当に面白くないのだ。
というのも、あぁいうところに行くと、「あぁ普段、オレはみんなにチヤホヤされているんだなぁ」と実感する。
周りを見渡すと男どもがみーんな気を遣って一生懸命女の子を笑わしたり機嫌をとったりする。
僕はこういう事(音楽)をやっているので逆なのだ。
男女年上関係なく、スタッフはみんな僕に気を遣って下さる。
その事をこういう場所に行くとひしひしと感じる。
ありがたいんだなぁ。普段のオレがいる位置って、、、と実感したのを覚えている。
そしてこの頃、魚町という姫路の飲屋街で働いている同級生が何人かいる事を知った。
飲み屋を経営するもの。
ホステスをするもの。
ちなみに余談だが、飲み屋を経営している同級生のところに行き、ウーロン茶でカウンターで同級生@男と飲んでいただけなのに、後日友達が「なんかネットでニュートラルのヴォーカルを魚町で発見!」と書かれてたで!!と言われ、驚いた事があった。
あぁ言ううわさ話はこうやって事実と真実の狭間で伝わっていく事が往々にしてある事をここに書いておきたい。あまり鵜呑みにしない事だ。
はじめに、この歌は、ホステスをする中学時代の同級生をテーマに書いたと記したが、僕にはどうしても忘れられない、そして忘れてあげるべき出来事がある。
彼女は中学時代からの同級生。
ちょうどこの頃久しぶりの再開。
会う度に「みっくーーーん!(僕の名字が三木なので)チューして!!」と冗談を言って笑わせていた。
僕も夜遅くに新幹線で姫路に帰った時には、帰りに連絡して一緒に歩いて帰った。
もちろん、そこにお互いに恋愛感情はなく、ただ中学時代の話をしたりしながら帰った。
その日は強い雨が降っていた。
ライブで姫路に帰っていた僕は、また彼女と歩いて帰る事に。
いつものようにしょーもない話をして。
いつもと違うところと言えば、彼女が酔い過ぎていた事だと僕は思っていた。
彼女の家に着く頃、いつものように笑いながら「みっくーーん!抱いてっっ!!」と言ってくるのを「なんでやねんっっ!!」と返し彼女を見ると、笑っていなかった。
その後、「お願い、抱いてほしい」「抱いてくれな帰らへん!」と傘を放り投げて地べたに座り込んでしまった。
僕も何度目かまでは冗談で返していたが、大雨の中でも泣いているのが分かるくらい彼女が泣いているのを見て、真面目に「それは無理や」と返した。
彼女は靴も放り投げて、「ほんならもう帰って!!ごめん、もう先に帰って!!」とそこを動こうとしなかった。
でも、僕はどうやっても中学の同級生とそう言う関係になることができなかったし、なにかそれは恋でもない、日中に見える月のように不自然な感じがしたので断った。
大雨が降る中、それでも彼女を1人にして帰る事が出来ず、僕はなんとか説得して家まで送った。
それから数年後、偶然再開したとき、彼女はあの頃のまま普通に僕と接してくれた。
あの一日だけが違う世界にいたのかと思えるくらい普通だった。
ただ1つ違っていたのが、彼女に子供が出来ていた事。
その事を父親であるはずの人に知らせずに1人で育てる決意をした事。
そして逆算すると、その頃が、ちょうどあの土砂降りの雨の日になる事だった。
僕は今になって反省するのが、なぜ僕は「抱いて」という彼女の心の本当の色を見極めてやれなかったんだろう?という事だ。
「寂しさ」「切なさ」、、、いや違うな、いわゆる言葉を超えてしまう感情ってやつが彼女を襲っていたはずだ。
あの雨の日、僕は彼女の心の何一つ救えなかったんだなぁと若かりし自分を責める。
彼女は今も元気に働いている。
可愛い子供を育てるため。
いつもの冗談と笑顔で。
「どっかの誰かが歪んだ 正義感を押し付ける
私の世界の正義は get up yesterday!
rainy man 私を抱いて
rainy man 呆れるほどに
チュチュチュルルル・・・♪ チュチュチュルルル・・・♪
触れて 濡れて 揺れる」 カナリア
夏祭り 『全曲ライブ!』 PART1
〜デビューしてからの楽曲を2日間に分けて全てやります!!
(EARLY TIMESを除く)〜
日にち: 2011年7月16日(土)
会場: Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE
時間: open 17:15 / start 18:00
料金: 前売り ¥3,800(ドリンク代別)
■当サイト内「TICKET」コーナーよりチケットの予約ができます。
チケットぴあ TEL:0570-02-9999 Pコード:133-633
ローソンチケット TEL:0570-084-003 Lコード:76982
イープラス http://eplus.jp
夏祭り 『全曲ライブ!』 PART2
〜デビューしてからの楽曲を2日間に分けて全てやります!!
(EARLY TIMESを除く)〜
日にち: 2011年7月17日(日)
会場: Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE
時間: open 16:15 / start 17:00
料金: 前売り ¥3,800(ドリンク代別)
■当サイト内「TICKET」コーナーよりチケットの予約ができます。
- チケットぴあ TEL:0570-02-9999 Pコード:133-633
ローソンチケット TEL:0570-084-003 Lコード:76982
イープラス http://eplus.jp
お問合せ: DISK GARAGE 03-5436-9600 (weekday 12:00-19:00)
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