2010/02/28
展示会に行く
温泉も終え、吉祥寺探索も終わり、次の日からは両親も東京で仕事。
僕はと言うとEASTも終わったと言う事で特にやる事もないので両親の仕事のお手伝い。
今回は展示会があって東京に来ていたらしい。
この展示会。
一般の人にはピンと来ないかもしれないが、久しぶりに行ってみて本当に楽しかった。
分かりやすくいうと、メーカーと取引している会社だけがそのメーカーの今なら夏物の新作をチェックしてどれを仕入れるか目利きするっていう仕組み。
まだ誰も見ていない服をずらーっと見て回る。
時折女優さんなんかもスタイリストさんに連れられてくるようだ。
子供の頃から展示会には付き合わされていたが、大人になって来てみるとこんなに楽しいモノか。
どさくさにまぎれメンズコーナーに行き、卸値価格でゲットさせて頂いた。
こうして思うのが、世の中知らない事だらけ。
いろんな仕事があって、その仕事ならではの楽しさと苦労があって。
一回きりの人生ですべてを味わう事が難しい。
だからこそ、今自分がやっている事を一生懸命やらないとなという気になった。
どの仕事をしてもしんどいし、また楽しい。
よそ見しないで、今を誇らないと。
ね。
2010/02/27
約40年ぶりの吉祥寺へ
先日のライブには、仕事の都合もあってだが両親が見に来てくれた。
次の日が親もオフだったようで「温泉に行こう!」と誘われ、誰がワンマン終わりに温泉にしかもオレが運転して行きたいねん!と思ったが、ここは劇団たんぽぽとなって、「オレモイキタカッタンヤ。」と棒読みでクリア!
群馬県は伊香保温泉までGO!
「この車は禁煙か?」とすでにタバコに火をつけて聞く親父とのいろいろもあったが、しっかり疲れを取った。
その次の日は仕事終わりに吉祥寺に行く事にした。
というのも、実は親父が東京のしかもなぜか美大に通っていたらしく、昔は吉祥寺に住んでいたらしい。
で、その当時、とても有名な焼き鳥屋があってそこを通るといつも良い匂いがしてて、店に入りたかったけど、当時酒の飲めなかった親父はただ前を通るだけだったらしい。
この話を僕は子供の頃から聞いていた。
ここはいっちょ行ってみますか!といざ吉祥寺へ。
僕も大阪の大学に行っていたから分かるけど、なかなか人生でもう一度その場所へ行く事なんてよっぽどのきっかけがないとないもんだ。
親父とて東京で仕事はあっても吉祥寺に行く事はなかったと言う。
約40年ぶりに行く吉祥寺。
カメラをまわしたい気持ちになった。
駅に着いた。
親父は懐かしさを感じる感じではなかった。
それもそのはず。
40年前はこんなにビルもなかっただろう。
浦島太郎のように立ち尽くす親父と、なんとかしようと焦る僕と、あらあたたかくなったわねぇを繰り返す母。
それでも駅前に行くと、「バスのロータリーは変わってないわ」と親父が歩き出した。
多分ここを真っ直ぐ行って左に。。。
やっぱり僕も目星を付けていたんだけど老舗の「いせや」のようだ。
結局本店は閉まっていたけど、公園前店で念願の「いせや」ののれんをくぐった。
またこの店が昭和を思い出させるような店作りで、懐かしそうにする親父を見ているとこちらまで嬉しくなった。
食べ終わった後は少しだけ井の頭公園で散歩。
徐々にいろんな事を思い出していろんな話をしてくれた。
橋を渡りながら、ここでみんなといろんな話をしたなぁ、と話している中、きっとそこには当時好きだった人、お付き合いしている人もいたんだろうなぁと思った。
もちろんそれは親父だけが思い出して懐かしさに浸れば良い。
40年と言う歳月はそこまでも生きていない僕には到底分からない世界だ。
まさかもう一度吉祥寺に来て、しかも息子に連れてきてもらうとはなぁ。
と嬉しそうに語る親父を見て、24歳で家を出て自由気ままに生きてきた僕もほんの少しだけ親孝行出来たかなと思えた。
いつか僕に子供が出来たら、僕も大阪のあの街に行ってみようと思う。
恋も情熱も挫折も全部があったあの街に。
とても素敵な一日でした。
追記、今ソロライブですが、3月20日の土曜日に誘われています。
受けるようなら今日明日中にアップします。
次の日が親もオフだったようで「温泉に行こう!」と誘われ、誰がワンマン終わりに温泉にしかもオレが運転して行きたいねん!と思ったが、ここは劇団たんぽぽとなって、「オレモイキタカッタンヤ。」と棒読みでクリア!
群馬県は伊香保温泉までGO!
「この車は禁煙か?」とすでにタバコに火をつけて聞く親父とのいろいろもあったが、しっかり疲れを取った。
その次の日は仕事終わりに吉祥寺に行く事にした。
というのも、実は親父が東京のしかもなぜか美大に通っていたらしく、昔は吉祥寺に住んでいたらしい。
で、その当時、とても有名な焼き鳥屋があってそこを通るといつも良い匂いがしてて、店に入りたかったけど、当時酒の飲めなかった親父はただ前を通るだけだったらしい。
この話を僕は子供の頃から聞いていた。
ここはいっちょ行ってみますか!といざ吉祥寺へ。
僕も大阪の大学に行っていたから分かるけど、なかなか人生でもう一度その場所へ行く事なんてよっぽどのきっかけがないとないもんだ。
親父とて東京で仕事はあっても吉祥寺に行く事はなかったと言う。
約40年ぶりに行く吉祥寺。
カメラをまわしたい気持ちになった。
駅に着いた。
親父は懐かしさを感じる感じではなかった。
それもそのはず。
40年前はこんなにビルもなかっただろう。
浦島太郎のように立ち尽くす親父と、なんとかしようと焦る僕と、あらあたたかくなったわねぇを繰り返す母。
それでも駅前に行くと、「バスのロータリーは変わってないわ」と親父が歩き出した。
多分ここを真っ直ぐ行って左に。。。
やっぱり僕も目星を付けていたんだけど老舗の「いせや」のようだ。
結局本店は閉まっていたけど、公園前店で念願の「いせや」ののれんをくぐった。
またこの店が昭和を思い出させるような店作りで、懐かしそうにする親父を見ているとこちらまで嬉しくなった。
食べ終わった後は少しだけ井の頭公園で散歩。
徐々にいろんな事を思い出していろんな話をしてくれた。
橋を渡りながら、ここでみんなといろんな話をしたなぁ、と話している中、きっとそこには当時好きだった人、お付き合いしている人もいたんだろうなぁと思った。
もちろんそれは親父だけが思い出して懐かしさに浸れば良い。
40年と言う歳月はそこまでも生きていない僕には到底分からない世界だ。
まさかもう一度吉祥寺に来て、しかも息子に連れてきてもらうとはなぁ。
と嬉しそうに語る親父を見て、24歳で家を出て自由気ままに生きてきた僕もほんの少しだけ親孝行出来たかなと思えた。
いつか僕に子供が出来たら、僕も大阪のあの街に行ってみようと思う。
恋も情熱も挫折も全部があったあの街に。
とても素敵な一日でした。
追記、今ソロライブですが、3月20日の土曜日に誘われています。
受けるようなら今日明日中にアップします。
2010/02/26
本日2本目。nanana
個人的な話だが、先日のEASTのライブでは僕の父親が見に来てくれた。
驚くべき事に12年バンドをやってきて、ライブハウスでキッチリ見てくれたのはこれが初めて(基本的に僕のやっている事には良い意味で無関心な人なので)。
2日後に東京で仕事があると言う事でそれも兼ねてだろうが。
子供の頃から家の跡を継ぐとオフィシャルで公言してきた僕。
ところがどっかのタイミングで僕は音楽に心奪われ、違う道を歩き始めた。
この12年。
そして東京に出てからの7年。
息子がいったいなにを目指し、どんなところでどんな事をやっているのか?
少なからず気にはなってくれたいただろうと思う。
いつでも今日が今までのやってきた事の答えというのが僕の持論。
つまりあの時点ではあそこが今まで僕らの答え。
「良いライブだった」と話してくれた、それだけで僕は満足だった。
個人的にはnananaを歌えた事が良かった。
もちろん親父が来るからセットリストに入れたわけではない。
僕は音楽に対して真面目でフラットでいたいので、そういう事で選んだりはしないのだが、たまたまとはいえ、なかなか歌わない歌を、あの日に歌えた事にも満足している。
親父が今の僕の歳の頃、もう僕は生まれていたらしい。
僕はまだまだ歩みの途中。
まだまだ回り道をして、転んだり、立ち止まったりの日々。
あの頃の親父とは違う景色を見ているが、ここから見える景色にも満足している。
なにが出来るのだろう。
なにが残せるだろう。
答えを探すでもなく、僕は今日も12年前に描いた世界の輪郭を浮き出すように日々を歩いている。
追記、誕生日メッセージありがとうございます。
まだ全て読み切れないほど,、、本当にありがとう。
時間をかけてでもすべて読まさせて頂きます。
2010/02/25
渋谷O-EASTのライブを終えて
改めて、渋谷O-EASTに来てくれたみなさん、来れずとも応援してくれたみなさんありがとう!
たくさんの人に囲まれて、とても幸せなひとときでした。
まだやれる。
もっと行ける。
そのパワーを心意気を育む事が出来ました。
少しだけライブを振り返ります。
今回は椅子席だと言う事でそれをいかに上手く使うかを考えました。
まずはクラシックのようにはじめたい、と言うところからスタートして、そこから発想を発展させると、開場してから通常なんらかの洋楽のBGMが流れるモノですが、それをディナーショウのようにピアノとアコギとフルートと言う生演奏でやっていただくのはどうだろう?と。
で、そこに僕だけがポコっと出てきて歌いだす。
これは面白いアイデアだなぁと自画自賛。
曲のラストがベートヴェンの第九、つまり生まれた事への喜びの歌に変わっていくのも個人的には気に入っています。
「フレーフレーフレー!」をラストには使わず、「みんなが知っている歌」として前半に持っていったのも、また違った聴こえ方がして良かったのではと個人的には思います。あれで泣く準備をしていた方にはアレでなにですが(笑)。
途中、代谷にサプライズで客席に色分けした紙が仕込んであり、それをみなさんが上に上げると33と言う文字が浮かび上がると言うものも仕込みました。
これはやってくれているお客さんはどんな文字になっているか見えないのですが、アンコールの際に上から撮った写真をスクリーンで見せよう!という話だったのですが、上手く撮れていなくて結局見せれない事に(苦笑)。
「33」と言う文字でした。
アンコールと言えば、これも椅子席を活かして一つだけ椅子の下にマイクを隠していました。
で、ライブ中、その一人と会話をしてその人の名前を聞いて、みんなで叫ぶ歌があって。。。
彼女の名前は?と僕が聞くとみんながその人の名前を叫ぶのですが、一通り終わって、忘れた頃にもっかい僕が「彼女の名前は?」と聞いても瞬時に答えるみなさんを見て、すげぇなぁと感心してしまいました。
とても楽しいひとときでした。
ただどうしてリハーサル出来た事の8割くらいになってしまうのでしょうか。
なにごともそうだけど。
個人競技は本番の方が力が出るけど、団体でやるものはやっぱりそういったところに難しさ面白さがありますね。
アイデア等は良い意味での裏切りがあって面白かったのでは?と思います。
もっともっと思い描いたところにいけるように技術云々よりも、4人で心を鍛えて合わせていきますね。
(ただ、今回はいつもやっているライブもワンマンとも違って、コンサートにも一歩近づけようとした試みもあったしね。第一回目としてとらえてもらえたら嬉しいな。)
これからも良い歌と良いライブと良い裏切りを目指して気合い入れて進んでいきます。
また会いましょう!
本当にありがとう!!
たくさんの人に囲まれて、とても幸せなひとときでした。
まだやれる。
もっと行ける。
そのパワーを心意気を育む事が出来ました。
少しだけライブを振り返ります。
今回は椅子席だと言う事でそれをいかに上手く使うかを考えました。
まずはクラシックのようにはじめたい、と言うところからスタートして、そこから発想を発展させると、開場してから通常なんらかの洋楽のBGMが流れるモノですが、それをディナーショウのようにピアノとアコギとフルートと言う生演奏でやっていただくのはどうだろう?と。
で、そこに僕だけがポコっと出てきて歌いだす。
これは面白いアイデアだなぁと自画自賛。
曲のラストがベートヴェンの第九、つまり生まれた事への喜びの歌に変わっていくのも個人的には気に入っています。
「フレーフレーフレー!」をラストには使わず、「みんなが知っている歌」として前半に持っていったのも、また違った聴こえ方がして良かったのではと個人的には思います。あれで泣く準備をしていた方にはアレでなにですが(笑)。
途中、代谷にサプライズで客席に色分けした紙が仕込んであり、それをみなさんが上に上げると33と言う文字が浮かび上がると言うものも仕込みました。
これはやってくれているお客さんはどんな文字になっているか見えないのですが、アンコールの際に上から撮った写真をスクリーンで見せよう!という話だったのですが、上手く撮れていなくて結局見せれない事に(苦笑)。
「33」と言う文字でした。
アンコールと言えば、これも椅子席を活かして一つだけ椅子の下にマイクを隠していました。
で、ライブ中、その一人と会話をしてその人の名前を聞いて、みんなで叫ぶ歌があって。。。
彼女の名前は?と僕が聞くとみんながその人の名前を叫ぶのですが、一通り終わって、忘れた頃にもっかい僕が「彼女の名前は?」と聞いても瞬時に答えるみなさんを見て、すげぇなぁと感心してしまいました。
とても楽しいひとときでした。
ただどうしてリハーサル出来た事の8割くらいになってしまうのでしょうか。
なにごともそうだけど。
個人競技は本番の方が力が出るけど、団体でやるものはやっぱりそういったところに難しさ面白さがありますね。
アイデア等は良い意味での裏切りがあって面白かったのでは?と思います。
もっともっと思い描いたところにいけるように技術云々よりも、4人で心を鍛えて合わせていきますね。
(ただ、今回はいつもやっているライブもワンマンとも違って、コンサートにも一歩近づけようとした試みもあったしね。第一回目としてとらえてもらえたら嬉しいな。)
これからも良い歌と良いライブと良い裏切りを目指して気合い入れて進んでいきます。
また会いましょう!
本当にありがとう!!
2010/02/23
誕生日イブ
明日、僕はまた歳を重ねる。
この「また」は悪い意味ではなく、良い意味で「また」だ。
この1年、充実していた。
良い出会いもたくさんあった。
悲しい別れは少なかった。
さぁ、明日は何が待っているんだろう。
追記、いろんな事があり、仮日記です。
eastの事も含め、改めて書きます。
明日は上野ブラッシュでソロライブです。
僕の誕生日でもあります。
時間も長いです。
ぜひ!
2010/02/22
ありがとう!
渋谷O-EASTのワンマンライブが終わりました。
たくさんの人が見に来てくれて嬉しかったです。
本当にありがとう。
今はこの言葉だけ残します。
どうしてもそれは今日中に伝えたかったので。
ありがとう!
短いけど、言葉に込めた思いを伝えるのは難しいけど、ありがとう。
2010/02/20
渋谷O-EASTワンマンライブ前夜に思う事。
今から眠るといよいよ渋谷O-EASTでのワンマンライブ。
ここに来るまで決して近道ではなかったけど、真っすぐに歩いて来れたと思います。
いつだって今は今日までの結果。
明日のライブは、THE NEUTRALが歩いてきた道そのまま。
帰り道、清正君と二人きりになって、「ずっとバンドを続けて来て、明日沢山の人が来てくれてEASTでワンマン出来て、俺たち幸せだよなぁ」と話していた。
現状で満足とかそんなちっぽけな問題ではない。
今を勝ち取る事は本当に難しいのだ。
今に足をつけてこそ明日があるのだから。
最高のライブをします。
盛り上がりましょう!
いよいよ明日!!
追記、椅子席ですが、もちろん立ちまくってください!
いつもと同じ感じでいきましょう!!
THE 日記「調子上がってます」
今日、ってか昨日か、はメンバーだけで集まってミーティング。
メンバーだけでミーティング。
くだらない話から本筋を見つけたり。
これをもう10年以上もやっています。
昨日、今日で21日があるわけではありません。
すべてを背中に色づけながら、最高の一日にしますね!
そして明日ってか今日か、は最後のリハーサル。
コンディション、体だけでなく心も整えます。
雑念は捨てて、最高のライブの為に。
渋谷O-EASTのワンマンライブまであと1日!!
メンバーだけでミーティング。
くだらない話から本筋を見つけたり。
これをもう10年以上もやっています。
昨日、今日で21日があるわけではありません。
すべてを背中に色づけながら、最高の一日にしますね!
そして明日ってか今日か、は最後のリハーサル。
コンディション、体だけでなく心も整えます。
雑念は捨てて、最高のライブの為に。
渋谷O-EASTのワンマンライブまであと1日!!
2010/02/19
ホームラン代谷髪型列伝
うちのベースにホームラン代谷と言う男がいる。
僕があまりに面白おかしく話すモノだから誤解されがちだが、彼は服装や髪型に無頓着なわけではない。
むしろいくつになっても心のおしゃれは必要でしょ!?というすばらしい考えをもった人だと思う。
ただあまりに昔のエピソードが強烈だっただけなのだ。
今から10年前。
代谷がニュートラルに再加入して初めての写真撮影があった。
「みんな明日は撮影やからもろもろよろしくな!」。
僕のこの言葉に「髪型、服装もちゃんとしてこよーぜ!」という意味が込められている事くらいはうちのメンバーも分かっている。
分かりすぎたのだろうか?前日にわざわざ髪の毛を切りに行った代谷はビックリするくらい短い髪型で登場。
おそらくジャンル分けすると「スポーツ刈り」に属すると思う。
ステージ上がる者で23歳でスポーツ刈りはおそろしすぎる。
「代谷、散髪屋にばっかり行かんと美容室に行こうぜ」と僕が呆れながらアドバイスをすると、恥ずかしそうに代谷が「いや、これ美容室でやったんや・・・○○ってとことで。」と答えた。
ちなみにこの○○というお店は姫路で一番おしゃれにしてくれる事で有名だったヘアサロン。
そこをもってしてもホームラン代谷と言うダイヤモンドは原石のままだったようである。
今振り返ると彼の数奇ないじられ人生はここからだったようにも思う。
ちなみにこの黒髪でスポーツ刈りの代谷についたあだ名は「野球部」。
しかもこのときの写真が神戸新聞に掲載されてしまったのだから世の中とは面白いモンである。
我が地元「姫路BETA」というライブハウスの壁にはこのときの神戸新聞の切り抜きが今も貼ってあるので、行かれた際には野球部を拝まれてはいかがだろうか?パワースポットになってるとかなってないとか!?
この後も代谷の髪の毛快進撃は進む。
健康ランドでカラーリングをしだすと言う暴挙に出たり(良い子のみんなも良い子じゃないみんなも真似してはいけませんよ。当時は緩かった時代なんです)。赤頭にソフトモヒカンで「これならいけるやろ!」と鼻息荒くステージに上がれば、当時のファンの方から「ピーナッツ」とあだ名が出たり。
金髪にした際には親から「この穀潰し!」と怒られたり。
ただ、最近の代谷は普通におしゃれになり、私生活もあの頃ほどとんでもない事をしなくなり寂しくもある。
やっぱり代谷はサイクルヒット代谷ではなく、ホームラン代谷でいて欲しいと願ってしまうのだ。
追伸、今日はリハーサルでした。
良いライブになると思います。
ライブの枠を超えてコンサートに近いかな。
お楽しみに!
渋谷O-EASTのワンマンライブまであと2日!!
2010/02/18
NEW WAVE
みなさん、「NEW WAVE」という髪型を知っているだろうか?
いや、こんなカッコいい書き方ちゃうな。
「ニューウェイブ」・・・・・・かな?「にゅううぇいぶ」かもしれない。
僕らの地方だけの呼び方だったかもしれないが、センターを中心に前髪の片方を上げて片方を下ろすと言うスタイル。まさに波のような形。
これだけでもパンチあるのに、さらに「アイビー」と言う名の、もみあげをそり落とすと言うなんともアヴァンギャルドなスタイルが主流だった。
カミングアウトするなら当然僕も。。。
もち代谷も。
もちだいちゃんも。
清正君だけ違っていたかも。
まぁ、当時はまだまだ散髪や全盛期。
男でヘアサロン的なとこにいこうもんなら「おかまか!」と言われる傾向が残っていた。
いっちょまえにヘアカタログとかを見てお気に入りの髪型を切り抜いて散髪屋のおっさんに見せる。
おっさんは、これまたいっちょまえにその写真をマジマジと見つめ、どっから出た自信か知らないが「よし」とうなずき切り始める。
当然出来上がった髪型は全く違うもの。そもそも襟足なんかをラフに切り残すという発想がないんだもの。
毎回僕らは鏡を見ながら、もう途中の段階で「こら今回もだめだわ」と肩を落とすのだった。
僕は高校を出た後にサロンに行くようになり、一発目から赤い頭にソフトモヒカンと言う当時はこれまたアヴァンギャルドかつアグレッシブな髪型でデビューを飾るのだが、鬱憤がたまっているヤツが爆発するとこんな事になるから恐ろしい。
それにしても高校生の時に映像や写真を振り返り、ニューウェイブにアイビーと言う恥ずかしい格好しているにも関わらずピースサインを送っている自分をしばきたくなる。ピースしてる場合か!と。
ちなみに代谷氏はずいぶん長い事ニューウェイブを愛していたように思う。
ニューウェイブと言えば代谷というくらい。
あのニューウェイブの代谷と今も一緒にバンドをやっていると思うとなんだか上手く言えないが悪くない気持ちになる。
代谷の髪型列伝についてはまた機会があれば書いてみようと思う。
さぁ、渋谷O-EASTのワンマンライブまであと3日!!代谷の髪型列伝書いてる場合か(笑)!?
いや、こんなカッコいい書き方ちゃうな。
「ニューウェイブ」・・・・・・かな?「にゅううぇいぶ」かもしれない。
僕らの地方だけの呼び方だったかもしれないが、センターを中心に前髪の片方を上げて片方を下ろすと言うスタイル。まさに波のような形。
これだけでもパンチあるのに、さらに「アイビー」と言う名の、もみあげをそり落とすと言うなんともアヴァンギャルドなスタイルが主流だった。
カミングアウトするなら当然僕も。。。
もち代谷も。
もちだいちゃんも。
清正君だけ違っていたかも。
まぁ、当時はまだまだ散髪や全盛期。
男でヘアサロン的なとこにいこうもんなら「おかまか!」と言われる傾向が残っていた。
いっちょまえにヘアカタログとかを見てお気に入りの髪型を切り抜いて散髪屋のおっさんに見せる。
おっさんは、これまたいっちょまえにその写真をマジマジと見つめ、どっから出た自信か知らないが「よし」とうなずき切り始める。
当然出来上がった髪型は全く違うもの。そもそも襟足なんかをラフに切り残すという発想がないんだもの。
毎回僕らは鏡を見ながら、もう途中の段階で「こら今回もだめだわ」と肩を落とすのだった。
僕は高校を出た後にサロンに行くようになり、一発目から赤い頭にソフトモヒカンと言う当時はこれまたアヴァンギャルドかつアグレッシブな髪型でデビューを飾るのだが、鬱憤がたまっているヤツが爆発するとこんな事になるから恐ろしい。
それにしても高校生の時に映像や写真を振り返り、ニューウェイブにアイビーと言う恥ずかしい格好しているにも関わらずピースサインを送っている自分をしばきたくなる。ピースしてる場合か!と。
ちなみに代谷氏はずいぶん長い事ニューウェイブを愛していたように思う。
ニューウェイブと言えば代谷というくらい。
あのニューウェイブの代谷と今も一緒にバンドをやっていると思うとなんだか上手く言えないが悪くない気持ちになる。
代谷の髪型列伝についてはまた機会があれば書いてみようと思う。
さぁ、渋谷O-EASTのワンマンライブまであと3日!!代谷の髪型列伝書いてる場合か(笑)!?
Recent Diary
Recent Photo