2010/01/30
DVDがもうすぐでますの仮日記
昨日はプロデューサーと「どんな歌を書きたいのか?」という話し合い。
デビュー時からお世話になっているプロデューサー。
「パンとピストル」を初めて聴いて、これは変なアレンジなしでメンバーの考えたまま意向と勇気ある決断をくれたプロデューサー。
今も僕を叱ってくれるプロデューサー。
色々話しているうちに2月21日のEASTの構想まで僕の中で出来上がっていた。
上手くいけば面白い案になりそう。
今日は舞台監督を含め、ライブスタッフとの打ち合わせ。
思いをぶつけて来ようと思う。
その合間を縫ってDVDの打ち合わせも進み最終段階まできてようやく終わりそうだ。
今思うと、世の中のライブDVDっていろんな会場でやっているのをまとめていわばツアーの一番良いところを見せるベスト盤みたいなやつだ。
今回は一本のライブをそのまま見せると言う荒技。
なかなか勇気がいるが。。。
それも含めて楽しんでもらえたらと思う。
今窓を開けると純白の雪が街を覆っている。
心の奥まで染み入ってくる。
今日は世の中も平和でありそうな気がする。
さぁ、でかけよう。
デビュー時からお世話になっているプロデューサー。
「パンとピストル」を初めて聴いて、これは変なアレンジなしでメンバーの考えたまま意向と勇気ある決断をくれたプロデューサー。
今も僕を叱ってくれるプロデューサー。
色々話しているうちに2月21日のEASTの構想まで僕の中で出来上がっていた。
上手くいけば面白い案になりそう。
今日は舞台監督を含め、ライブスタッフとの打ち合わせ。
思いをぶつけて来ようと思う。
その合間を縫ってDVDの打ち合わせも進み最終段階まできてようやく終わりそうだ。
今思うと、世の中のライブDVDっていろんな会場でやっているのをまとめていわばツアーの一番良いところを見せるベスト盤みたいなやつだ。
今回は一本のライブをそのまま見せると言う荒技。
なかなか勇気がいるが。。。
それも含めて楽しんでもらえたらと思う。
今窓を開けると純白の雪が街を覆っている。
心の奥まで染み入ってくる。
今日は世の中も平和でありそうな気がする。
さぁ、でかけよう。
2010/01/28
今日の日記
DVDの編集に立ち会ってきました。
基本的にほぼノーカットでいく事にしました。
気になるところもあるのですが、それもあってこそかなと思い。
それにしても今までの付録のDVDとは違い、きれいな映像、素敵な音です。
楽しみにしていてもらっていいいのでは。
その後は2月21日のワンマンミーティング。
何がしたいのか?
どんな事をしたいか?
スタッフをいれる前にメンバーだけで話し合いました。
これが。
また。
面白くなりそうです。
新しい試み。
といあえず今日はアイデア出し。
まとめる事はあえてしないで羅列のようにアイデアを出していく作業。
宿題も多くあったけど、それほどやりたい事があるってこと。
良い事です。
めちゃくちゃ良いライブ。
他では見れないようなライブになるよう、頭をフルに使って挑みます。
胸張って「見に来てよ!」って言えそうです。
その時点で夜の23時。
そこから明後日に香港に帰ってしまう友人とのお別れ会。
とっても明るい彼女。
日本語が上手で頭も良く。
そういえばリキッドルームにも来てくれたっけ?
会えなくなるのはとても寂しい。
一緒にいた友人と「俺たちも香港に遊びにいくから」と最後に告げた。
けど、今日までこうやって別れて会えなくなった人たちが何人いたか。
社交辞令にならないようにしないとな、そう思った。
一回きりの人生。
出会いは大切だ。
死ぬまでに世界中の人には会えない。
会えた中でも仲良くなるのは限られている。
彼女と交わした会話の数々、その中で感じた事がいつかの歌になる。
そう思うとありがとうの気持ちが倍になってあふれてくる。
避けられない別れはある。
その際に切なさを全て僕は前へ進むベクトルに向けるのだ。
声を空の向こうに響かすように。
EASTまであと24日!
2010/01/26
THE 日記「1月25日の日記」
今日は僕のソロライブでした。
せきずいというバンドからキーボードのよしあき君がサポートで弾いてくれました。昔住んでいた家が近所だったと言うよしみだけで、甘えてみました。
せっかくのなのでピアノと歌だけで一曲歌いました。
楽しく、もっと突き詰めた先の可能性を感じました。
お互い自分のバンドの立ち位置をしっかりしているからこその共演だったと思います。
こういうのは続くと健全じゃないけど、たまには刺激となっていいモノですね。
話は変わって、僕は自分の才能が言葉じゃなかったら、迷わず海外に行っていると思う。
しかしながら僕の才能はただ一つ、日本語なのだ。
それでもこの国で「オレはこれが優れている」と発言するとたたかれるし、本人発信を認めてはくれない。
でも誰も知らない。
才能あるところがその他大勢と同じように評価される辛さを。
それは死に値すると言っても過言ではない。
僕は日本語が武器じゃないアーティストだったら間違いなく海外で勝負していると思う。
それほど、今に日本の文化レベルとモラルは低下している。
音楽は楽しいモノである。
深く考える事はない。
本当にそう思う。
こう書いておきながら、そういう聴き方をされても困るとも思っている。
これは作り手の内なる部分の話。
僕は作品の中に自分の世界観を残していく事に生き甲斐を感じる。
その際に、大げさだと言われようが、過信するなとたたかれようが、僕はこの国の文化レベルを上げないとなと言う気構えでやっているところもある。
もっと作品を残していこうと思う。
僕が生きた証拠を残していこうと思う。
僕が言葉に長けているのは使命のように感じている。
もっと突き抜けたい。
もっともっと才能を削って尖らせていこう。
2010/01/25
僕がディズニーランドに行かない理由
僕はディズニーランドに行った事がない。
生まれてこのかた一度もない。
友人の結婚式で近くまで通ったけど、前をスルーしただけ。
関東に住んでない方からしたら、「ふーん」で終わる話だろうけど、これをこのケツのすわりの悪い花の都大東京で話すと驚かれる(姫路で言えば一度もみゆき通りを歩いた事がないっていう感覚に近いだろうか?)。
女子に至っては信じられないものを見た顔をされる始末。
もちろんこれには理由がある。
学生生活を終えるとだんだん人は「はじめて」を失っていく。
初めてのキスからはじまり、あんなに大切にしていた「はじめて」はいつの間にかぞんざいな扱いになる。
その中で「ディズニーランド」は僕にとっての大切な「はじめて」なのだ。
いつか僕に好きな人が出来て、結婚するとなった時、僕はその人に大切な僕の「はじめて」をあげようと思う。
僕の「はじめて」は、もうほとんど残っていなかったけど、あなたに会う為にとっておいた「はじめて」ですって。
押し付けるでもなく、ただそっと置いてくるように。
僕はディズニーランドに行った事がない。
生まれてこのかた一度もない。
渋谷O-EASTのワンマンまであと28日。
2010/01/21
渋谷O-EASTのワンマンライブまであと一ヶ月
渋谷O-EASTのワンマンライブまであと一ヶ月を切りました。
はやいものです。
僕のこの日記、現在ではパソコンで2003年まで見る事が出来ます。
「パンとピストル」を出した後からって事ですね。
昨日少し振り返って読んでいました。
「パンとピストル」が世の中に一発かまし、それが故にいろんな事に巻き込まれて葛藤する日々。
それでもなるべく日記にそれらを書かずに戦っている僕がいました。
バンドを初めて今日までずっと戦っています。
時には自分と、時には目標と、時には暗闇の中で敵も分からずに腕をぶんぶん振り回したり。
その先に、今度の渋谷O-EASTのワンマンライブがあって。
大きな会場でライブをするときはいつだって不安でいっぱいです。
それでも目標を決めてそこに進んでいくことは悪いものじゃありません。
誰かの評価の為ではなく、自分たちの歩く道を自ら作り出し、その未来の為に進む。
渋谷O-EASTのワンマンライブ。
どんな答えが待っているのだろう。
いつだって、今日までの答えは今にあります。
渋谷O-EASTのワンマンライブの今の為に、僕は汗を流し出来る事を精一杯やろう。
みなさんご来場お待ちしております。
2010/01/19
断る男
今日は僕のソロライブでした。
来てくれたみなさんありがとうございました。
今日、終わったあとに写真を何人かの方にお願いされましたが、お断りさせてもらいました。。。
せっかく勇気を出して言ってもらったのに、、、という申し訳ないにも似た気持ちはあるのですが、以前、この日記でも書いた事があるのですが、一応僕の中で「今日はいいよな」「今日は断ろう」という線引きがあって、もっといってしまえばイベント自体にもおおいに関係があって。。。
今日は良い歌を届けたし、サービスと言うよりは凛と立っていたかった。
それだけでした。
それでも、やっぱり断るのは胸が痛いです。。。
ちなみにライブ後に、外で待っている方にお願いされた時には撮りました。
これは会場で撮るのと大きな違いがあると僕の中では理由があって。
とはいえ、外で待っているからと言って必ず撮るわけでもなく(どないやねん、笑)。
「何様だよ!」と、もしいわれるならば、その風潮の方がよくないよなぁと思います。
人と人との関係。
絶対なんてモノはないと思うのです。
断る事も、了解する事も天気のごとくです。
ただ、それでもお願いする側、される側という事はきっちりしておかないとなと自分の襟首を正すのです。
EASTまで、あとすこし。
擦り傷を増やしながらも走り続けよう。
来てくれたみなさんありがとうございました。
今日、終わったあとに写真を何人かの方にお願いされましたが、お断りさせてもらいました。。。
せっかく勇気を出して言ってもらったのに、、、という申し訳ないにも似た気持ちはあるのですが、以前、この日記でも書いた事があるのですが、一応僕の中で「今日はいいよな」「今日は断ろう」という線引きがあって、もっといってしまえばイベント自体にもおおいに関係があって。。。
今日は良い歌を届けたし、サービスと言うよりは凛と立っていたかった。
それだけでした。
それでも、やっぱり断るのは胸が痛いです。。。
ちなみにライブ後に、外で待っている方にお願いされた時には撮りました。
これは会場で撮るのと大きな違いがあると僕の中では理由があって。
とはいえ、外で待っているからと言って必ず撮るわけでもなく(どないやねん、笑)。
「何様だよ!」と、もしいわれるならば、その風潮の方がよくないよなぁと思います。
人と人との関係。
絶対なんてモノはないと思うのです。
断る事も、了解する事も天気のごとくです。
ただ、それでもお願いする側、される側という事はきっちりしておかないとなと自分の襟首を正すのです。
EASTまで、あとすこし。
擦り傷を増やしながらも走り続けよう。
2010/01/16
姫路の結成記念ライブを終えて
今日は姫路BETAで結成12周年ワンマンライブでした。
12年前のあのとき、確かにこの場所に僕らは立ち、ここからはじまったんだなぁと思うとこみ上げるものがありました。
特に、1曲目の『一生懸命』『ブルルンGO!』『Always this dance number』『ブルースマン』は、まさにあの頃良くやっていた曲ばかりで、12年前の空気がふっと流れ、額の辺りから耳鼻にかけてジーンとツーンの間のようなものが走りました。
そういえば握手をしている時に『姫路で1年程ライブを見ているけど「ブルルンGo!」を初めて聴きました』と言う人がいて驚いた。気が付くと2年程歌っていなかったらしい。東京のアコースティックでは歌っていたのに。
当時の僕らの代表曲が『ブルルンGo!』だった。『ちびとふとっちょ』の比じゃない程演奏した覚えがある。
それがいつの間にかそれに変わる曲が出来て歌う機会も少なくなったみたいだ。
久しぶりに歌ってみて思うが、この曲が当時受け入れられたからこそ、僕はあの詩の世界感を作り上げていく事が出来たんだなぁと思う。
僕の詩はまっすぐだと言われがちだが、そうではなく、単語はなるべく分かりやすい言葉を使いつつも着眼点と構成力で成り立っている。
『ブルルンGO!』があったからこその『パンとピストル』『ちびとふとっちょ』。
『一生懸命』があったからこその『フレーフレーフレー!』だったんだなぁと改めて思った。
今日はもう少し書きますね、お付き合い下さい。
この12年間、本当に色んな人が僕らの歌を聴いてくれた。
いつも満員の人の前で歌う事が出来た。
12年間、いつも満員なのに12年ずっとライブに来ているという人は少ない。
入れ替わり立ち代わり、色んな人がライブに訪れてはまたお休みして、新たな方がまたやってきての繰り返し。
今日来てくれた方の中でも『ドアを開けよう!』なんて聴いた事がない人がほとんどと思う。
バンドの世界としては常に新しい事をやって進化しているからこその入れ替わりだと言われているので良い事なのだが。
それでも最近になって、昔聴いていた、昔良くライブを見に行っていたという方が見に来てくれているみたいだ。
それを僕は素直に嬉しく思う。
あの頃、僕らの歌を聴いてくれた人達は20代の後半に差し掛かっていると思う。
その世代の人達は今、一番戦っている頃だと思う。
夢と現実の間でさまよう人。
幸せの定義の前で思わず考え込んでる人。
不景気のあおりの中で苦しんでいる人。
今こそ、ライブを見に来て欲しいなぁと思う。
今ならあの時よりもっと元気をあげられる自信がある。
いつでもみんなが帰って来れるよう、僕らは現役であり続けようと強く思った。
現役というのはただ続けているのではなく、上を見て前へ進んで大きくなりながら、いつでもあの場所に立っていようと心に誓った。
12年、色んな方に支えられ、応援され、やってきました。
今日までのバンド人生で出会った全ての人に感謝します。
ありがとう。
そしてこれからも12年前と同様、がむしゃらに傷ついたり転んだりしながらも前に進む僕らをよろしくお願いします。
今日もたくさんの勇気をもらいました。
ありがとう!
追記、うちのベース、ホームラン代谷は2年程バンドを抜けていた時期もあったので、恒例?の代谷の10周年記念もしました。ちなみに内容は4人全員ホームラン代谷で出ると言う企画でした。
喜んでもらえたように何よりです。
12年前のあのとき、確かにこの場所に僕らは立ち、ここからはじまったんだなぁと思うとこみ上げるものがありました。
特に、1曲目の『一生懸命』『ブルルンGO!』『Always this dance number』『ブルースマン』は、まさにあの頃良くやっていた曲ばかりで、12年前の空気がふっと流れ、額の辺りから耳鼻にかけてジーンとツーンの間のようなものが走りました。
そういえば握手をしている時に『姫路で1年程ライブを見ているけど「ブルルンGo!」を初めて聴きました』と言う人がいて驚いた。気が付くと2年程歌っていなかったらしい。東京のアコースティックでは歌っていたのに。
当時の僕らの代表曲が『ブルルンGo!』だった。『ちびとふとっちょ』の比じゃない程演奏した覚えがある。
それがいつの間にかそれに変わる曲が出来て歌う機会も少なくなったみたいだ。
久しぶりに歌ってみて思うが、この曲が当時受け入れられたからこそ、僕はあの詩の世界感を作り上げていく事が出来たんだなぁと思う。
僕の詩はまっすぐだと言われがちだが、そうではなく、単語はなるべく分かりやすい言葉を使いつつも着眼点と構成力で成り立っている。
『ブルルンGO!』があったからこその『パンとピストル』『ちびとふとっちょ』。
『一生懸命』があったからこその『フレーフレーフレー!』だったんだなぁと改めて思った。
今日はもう少し書きますね、お付き合い下さい。
この12年間、本当に色んな人が僕らの歌を聴いてくれた。
いつも満員の人の前で歌う事が出来た。
12年間、いつも満員なのに12年ずっとライブに来ているという人は少ない。
入れ替わり立ち代わり、色んな人がライブに訪れてはまたお休みして、新たな方がまたやってきての繰り返し。
今日来てくれた方の中でも『ドアを開けよう!』なんて聴いた事がない人がほとんどと思う。
バンドの世界としては常に新しい事をやって進化しているからこその入れ替わりだと言われているので良い事なのだが。
それでも最近になって、昔聴いていた、昔良くライブを見に行っていたという方が見に来てくれているみたいだ。
それを僕は素直に嬉しく思う。
あの頃、僕らの歌を聴いてくれた人達は20代の後半に差し掛かっていると思う。
その世代の人達は今、一番戦っている頃だと思う。
夢と現実の間でさまよう人。
幸せの定義の前で思わず考え込んでる人。
不景気のあおりの中で苦しんでいる人。
今こそ、ライブを見に来て欲しいなぁと思う。
今ならあの時よりもっと元気をあげられる自信がある。
いつでもみんなが帰って来れるよう、僕らは現役であり続けようと強く思った。
現役というのはただ続けているのではなく、上を見て前へ進んで大きくなりながら、いつでもあの場所に立っていようと心に誓った。
12年、色んな方に支えられ、応援され、やってきました。
今日までのバンド人生で出会った全ての人に感謝します。
ありがとう。
そしてこれからも12年前と同様、がむしゃらに傷ついたり転んだりしながらも前に進む僕らをよろしくお願いします。
今日もたくさんの勇気をもらいました。
ありがとう!
追記、うちのベース、ホームラン代谷は2年程バンドを抜けていた時期もあったので、恒例?の代谷の10周年記念もしました。ちなみに内容は4人全員ホームラン代谷で出ると言う企画でした。
喜んでもらえたように何よりです。
2010/01/14
一生を捧げる
ある朝、目覚めると同時に愛について考えていた。
それは夢の続きだったのかもしれない。
でも、ひょっとしたらこれが一つの愛を考える上で、感じる上で、求める上で大切な事なんじゃないかなと思えた。
慌てて目ぼけたまま紙に書き留めた。
ビートルズの歌詞に「あなたが受け取る愛はあなたが与える愛と同じである」というのがあったと記憶しているが、それをさらに突き詰めて。
でも、同時に僕はそれを歌にしないといけない人間なんだと改めた。
ここで書く事も大切。
でも僕は唄うたい。
僕の作品はバンドの音にまぜて出すのが健全だと思う。
書きたいテーマが溜まっているうちに、時間を無理やりでも作って作品にしようと思う。
僕はその為だけにこの一生を捧げようと思う。
誰かの評価を気にする日もあるだろうし、否定もしないが、その前に覚悟として僕の一生は作品作りにありと決めた。
僕の生はすべて作品、ライブにあります。
いつでも僕に会いに来て下さい。
そこにはいつでも今日までの僕が全て詰まっています。
2010/01/13
今さらジタバタ
「今さらジタバタしたって何も変わらない」
よく聞く言葉だけど、本当にそうだと思う。
ほとんど何も変わらない。
でも、変わらないのは「今さら」の「今」である。
今ジタバタした事は未来に結果が出るのだ。
この世の中に短期決戦は実はそう多くない。
仕事、やりたい事、恋愛にしても短期決戦に思いがちだが、告白したり別れた時が答えではない。
死ぬまでの中の話である。
みっともなくてももっとジタバタしようと思う。
今さら、何が変わるでもないけど、ジタバタした時に踏み出した一歩が、引っ掻いた傷跡が、いつかの僕をきっと助けてくれる。
答えはまだずっと先。
今は昨日までの結果。
今は明日の結果へと。
ジタバタしていこう。
渋谷O-EASTまであと39日。
2010/01/11
THE 日記「知らなかった全国放送」
今日、なんだかテレビに出ていたらしいですね。
僕ら。
たくさんの方から連絡を受けました。
僕も知らなかったのですが(苦笑)。
まぁ、みなさん喜んでもらえるのなら嬉しいです。
それならばもっとテレビに出ないとな。
とも思うようにもなりました。
しばらくライブに来てない人も、見れると言う点ではテレビは悪くないかもですね。
出る側は。。。
いろいろと大変なもんですが(笑)。
久しぶりに僕らを見た方は、ぜひこれを機にまたライブに来て下さい。
さぁ、明日も一日がんばろ!
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