2009/12/15
車の運転
車の運転って人間を一番あわらにすると思う。
渋滞でイライラ、歩行者に文句。絶対聞こえない相手に超強気。
そんなのは当然分かりやすい形だと思うけど、もっともっと運転技術でもその人の人となりと仕事ぶりが分かる気がする。
だからこそ、男性で言えば「運転が下手」と言われれば親の悪口を言われたとき以上に異常に烈火の如く怒るのだと思う。女性諸君も彼氏の運転に口出ししてシャレならん空気になった事あると思うが、それだと思う。
安全運転の名の下でゆーっくりゆーっくり人。
運転がうまいと自覚してかやたらめったら荒い人。
恋人が事故って入院でもして慌てて病院いかなアカンのか?ってくらい飛ばす人。
どれもこれも一長一短ではあるが、あえて僕は言いたい。
たぶん、、、男たるもの、「車をぶつけた事がない」
「接触事故を起こした事のない」ヤツはちょっと心配だと思う。
仕事は急がねばならない時もある。
ある程度見切り発車の時もある。
勢いも大事である。
そのせいで失敗する事もあるが、その時にどう対処出来るかを鍛える場所でもある。
一回も事故した事のないというのは、人生に山場がない選択を選ぶと言う事。
聞こえは良いが、男なら分かるはず。
本当に完璧主義者以外は自慢にもならない。気がする。
(当然!当然だけど、事故れ!と言っているのではない。)
ただ、これを読んでいる女性のみなさん。
あなたの恋人はどんな運転をしますか?
その車の進め方があなたとの人生の進め方になる。
ゆっくりが良いと思っていても、ノロ過ぎるでしかし!と思う事もあるし、飛ばし過ぎても殺す気か!と怒鳴りたくもなるだろう。
結婚と運転は似ているかもしれない。
心に決めた人がいたら、一度その人の運転をじっと見てみるのも良いと思う。
ちなみに僕は18歳で免許を取って今日までゴールドカードを保っている。
これを親父に話すと、男のくせに情けないやっちゃ!ほんなもんなんの自慢にもなるか!と笑われた。
なかなかどうして的を得ている。
渋滞でイライラ、歩行者に文句。絶対聞こえない相手に超強気。
そんなのは当然分かりやすい形だと思うけど、もっともっと運転技術でもその人の人となりと仕事ぶりが分かる気がする。
だからこそ、男性で言えば「運転が下手」と言われれば親の悪口を言われたとき以上に異常に烈火の如く怒るのだと思う。女性諸君も彼氏の運転に口出ししてシャレならん空気になった事あると思うが、それだと思う。
安全運転の名の下でゆーっくりゆーっくり人。
運転がうまいと自覚してかやたらめったら荒い人。
恋人が事故って入院でもして慌てて病院いかなアカンのか?ってくらい飛ばす人。
どれもこれも一長一短ではあるが、あえて僕は言いたい。
たぶん、、、男たるもの、「車をぶつけた事がない」
「接触事故を起こした事のない」ヤツはちょっと心配だと思う。
仕事は急がねばならない時もある。
ある程度見切り発車の時もある。
勢いも大事である。
そのせいで失敗する事もあるが、その時にどう対処出来るかを鍛える場所でもある。
一回も事故した事のないというのは、人生に山場がない選択を選ぶと言う事。
聞こえは良いが、男なら分かるはず。
本当に完璧主義者以外は自慢にもならない。気がする。
(当然!当然だけど、事故れ!と言っているのではない。)
ただ、これを読んでいる女性のみなさん。
あなたの恋人はどんな運転をしますか?
その車の進め方があなたとの人生の進め方になる。
ゆっくりが良いと思っていても、ノロ過ぎるでしかし!と思う事もあるし、飛ばし過ぎても殺す気か!と怒鳴りたくもなるだろう。
結婚と運転は似ているかもしれない。
心に決めた人がいたら、一度その人の運転をじっと見てみるのも良いと思う。
ちなみに僕は18歳で免許を取って今日までゴールドカードを保っている。
これを親父に話すと、男のくせに情けないやっちゃ!ほんなもんなんの自慢にもなるか!と笑われた。
なかなかどうして的を得ている。
2009/12/13
短編小説「20世紀の放課後」
最近、ぼくは学校に行くのが嫌だ。
何が嫌って、帰り道に手柄山水族館にあるモノレールって言うの?あれの線路で遊ぶのが嫌なのだ。
お父さんが言うには、おじいちゃんがお父さんくらいの時にこのモノレールって言うのが出来て、すぐになくなったらしい。
今では15メートルほどの高さの上に乗っている線路だけが残っている。
あるとき勇ちゃんが「目をつむってどこまで歩けるかやってみようぜ!」とアホな提案をした。
勇ちゃんの提案なんていつもアホだ。しょーもないといつも思っている。きっとみんなも思っている。でも誰も勇ちゃんには逆らえない。現代版のジャイアンなのだ。
高さ15メートルほどの線路。しかも数m歩けば撤去された部分に当たり線路は途切れている。落ちれば南無三だ。小学校からもお母さんからも「あんなとこで遊んじゃいけません!」ときつく言われている。
勇ちゃんはこういうときいつも自分は行かない。
えらそうに命令するだけだ。
今日もまたかわいそうにエイイチが餌食になっている。
「よし!エイイチ行ってみよか!」勇ちゃんの声にエイイチは答えるもなく、線路の前に立たされた。
「オラ!はよ行けや!」エイイチは体を一度ビクンとさせて3歩くらい歩いたところで目を開けてしまった。
勇ちゃんにつられるようにみんなエイイチを笑っていた。エイイチも情けない顔で笑っていた。
しょーもな。はよ帰って家でゲームでもしたいな。そう思っていたら聞き間違いか「良し!次、ソウ!お前や!!!」と声がした。
ソウなんて名前、他にはいない。藤川奏。音楽が大好きなお父さんが付けた名前。間違いなくぼくの名前。
自分で言うのもなんだが、ぼくは勉強もできてクラスでも勇ちゃんと違う意味で一目置かれている。こういう標的になる事はまずないのだ。
勇ちゃんはきっとここに来る前からぼくを選ぼうと決めていたんだと思う。しょーもないやつだ。
ぼくは全然平気な顔をして線路の前に立った。
実際に立ってみるとものすごい高さだ。落ちたらえらい事。けがですんだらラッキーなくらい。エイイチの3歩を今初めてすごいと思った。
でもぼくは負けず嫌いだから涼しい顔で目をつむった。
ぼくらの世界、ここで引いたら一生ダメになる。女子には分からないけどそういう世界なのだ。
1歩、2歩。心臓がトクンとなった。
頭の中で今日音楽の授業で習った「チムチムリー」を歌いながら歩いた。歩いた。どんどん歩いた。
「危ない!!」その声がして僕はあわてて我に返った。目の前はまさに崖だった。みんなの姿が遠くに見える。
みんなのもとに戻るとぼくはヒーロだった。ぼくは相変わらず涼しい顔を作った。でも嬉しかった。
すると誰かが「次、勇ちゃんが行けば?」と言い出した。
「え?」勇ちゃんが素の顔になっていた。「ほんまや勇ちゃん行きーな!」また違う誰かの声がした。
先ほどのぼくの歩きを見て乗り換えようと思ったのか、気が付けばみんなが勇ちゃんに向けて「いーけ!」「いーけ!」とあおっていた。
「うるさいんじゃ。」勇ちゃんの精一杯の強がりの声もみんなのあおりの声に押し戻されていた。
エイイチが勇ちゃんの腕をつかまえて無理矢理線路の前に連れ出した。
勇ちゃんは黙って目をつむったかと思うと、そこに座り込んで泣いてしまった。
みんなクスクス笑っていた。けど勇ちゃんは泣き止まない。むしろ徐々に鳴き声は大きくなり最後には嗚咽してしまっていた。
夕陽が勇ちゃんの背中を寂しそうに照らしていた。
僕の記憶はここまで。僕はこの後すぐに転校してしまった。
30歳になった僕は久しぶりにこの街に帰ってきた。
モノレールの残骸はあの時のまま。開通してすぐに廃線、撤去作業の途中。今も撤去作業の途中のまま。
中途半端な線路後はいつの間にかこの街の大切な一部になっていた。
今はもう線路で遊ぶような子供達を見ない。
あれから勇ちゃんはどうなったのだろうか?あの位置を取り戻せたのだろうか?
勝手ながら勇ちゃんにはジャイアンでいてほしいと思う。
今この30歳になって、ジャイアンのようなヤツがいてほしい。
僕はのび太の自由さも得られず、出来杉の才知もなく、スネ夫の要領も得られないまましょーもない大人になってしまった。
22世紀まで、後90年。僕らを救ってくれるネコ型ロボットはまだ現れる気配もない。
30歳になった今も僕は変わらない。
あの時と同じように、目を閉じたまま先が途切れる線路の上を歩いている。
あとがき。
同じモノレールをテーマにちょっと違う視点で書いてみたくて挑戦しました。
大人になってもあの頃とたいして変わらない。
いつだって今を生きるに必死でいつだって未来はぼやけている。
何が嫌って、帰り道に手柄山水族館にあるモノレールって言うの?あれの線路で遊ぶのが嫌なのだ。
お父さんが言うには、おじいちゃんがお父さんくらいの時にこのモノレールって言うのが出来て、すぐになくなったらしい。
今では15メートルほどの高さの上に乗っている線路だけが残っている。
あるとき勇ちゃんが「目をつむってどこまで歩けるかやってみようぜ!」とアホな提案をした。
勇ちゃんの提案なんていつもアホだ。しょーもないといつも思っている。きっとみんなも思っている。でも誰も勇ちゃんには逆らえない。現代版のジャイアンなのだ。
高さ15メートルほどの線路。しかも数m歩けば撤去された部分に当たり線路は途切れている。落ちれば南無三だ。小学校からもお母さんからも「あんなとこで遊んじゃいけません!」ときつく言われている。
勇ちゃんはこういうときいつも自分は行かない。
えらそうに命令するだけだ。
今日もまたかわいそうにエイイチが餌食になっている。
「よし!エイイチ行ってみよか!」勇ちゃんの声にエイイチは答えるもなく、線路の前に立たされた。
「オラ!はよ行けや!」エイイチは体を一度ビクンとさせて3歩くらい歩いたところで目を開けてしまった。
勇ちゃんにつられるようにみんなエイイチを笑っていた。エイイチも情けない顔で笑っていた。
しょーもな。はよ帰って家でゲームでもしたいな。そう思っていたら聞き間違いか「良し!次、ソウ!お前や!!!」と声がした。
ソウなんて名前、他にはいない。藤川奏。音楽が大好きなお父さんが付けた名前。間違いなくぼくの名前。
自分で言うのもなんだが、ぼくは勉強もできてクラスでも勇ちゃんと違う意味で一目置かれている。こういう標的になる事はまずないのだ。
勇ちゃんはきっとここに来る前からぼくを選ぼうと決めていたんだと思う。しょーもないやつだ。
ぼくは全然平気な顔をして線路の前に立った。
実際に立ってみるとものすごい高さだ。落ちたらえらい事。けがですんだらラッキーなくらい。エイイチの3歩を今初めてすごいと思った。
でもぼくは負けず嫌いだから涼しい顔で目をつむった。
ぼくらの世界、ここで引いたら一生ダメになる。女子には分からないけどそういう世界なのだ。
1歩、2歩。心臓がトクンとなった。
頭の中で今日音楽の授業で習った「チムチムリー」を歌いながら歩いた。歩いた。どんどん歩いた。
「危ない!!」その声がして僕はあわてて我に返った。目の前はまさに崖だった。みんなの姿が遠くに見える。
みんなのもとに戻るとぼくはヒーロだった。ぼくは相変わらず涼しい顔を作った。でも嬉しかった。
すると誰かが「次、勇ちゃんが行けば?」と言い出した。
「え?」勇ちゃんが素の顔になっていた。「ほんまや勇ちゃん行きーな!」また違う誰かの声がした。
先ほどのぼくの歩きを見て乗り換えようと思ったのか、気が付けばみんなが勇ちゃんに向けて「いーけ!」「いーけ!」とあおっていた。
「うるさいんじゃ。」勇ちゃんの精一杯の強がりの声もみんなのあおりの声に押し戻されていた。
エイイチが勇ちゃんの腕をつかまえて無理矢理線路の前に連れ出した。
勇ちゃんは黙って目をつむったかと思うと、そこに座り込んで泣いてしまった。
みんなクスクス笑っていた。けど勇ちゃんは泣き止まない。むしろ徐々に鳴き声は大きくなり最後には嗚咽してしまっていた。
夕陽が勇ちゃんの背中を寂しそうに照らしていた。
僕の記憶はここまで。僕はこの後すぐに転校してしまった。
30歳になった僕は久しぶりにこの街に帰ってきた。
モノレールの残骸はあの時のまま。開通してすぐに廃線、撤去作業の途中。今も撤去作業の途中のまま。
中途半端な線路後はいつの間にかこの街の大切な一部になっていた。
今はもう線路で遊ぶような子供達を見ない。
あれから勇ちゃんはどうなったのだろうか?あの位置を取り戻せたのだろうか?
勝手ながら勇ちゃんにはジャイアンでいてほしいと思う。
今この30歳になって、ジャイアンのようなヤツがいてほしい。
僕はのび太の自由さも得られず、出来杉の才知もなく、スネ夫の要領も得られないまましょーもない大人になってしまった。
22世紀まで、後90年。僕らを救ってくれるネコ型ロボットはまだ現れる気配もない。
30歳になった今も僕は変わらない。
あの時と同じように、目を閉じたまま先が途切れる線路の上を歩いている。
あとがき。
同じモノレールをテーマにちょっと違う視点で書いてみたくて挑戦しました。
大人になってもあの頃とたいして変わらない。
いつだって今を生きるに必死でいつだって未来はぼやけている。
2009/12/12
短編小説「モノレールの残骸」
将軍橋を渡ると赤さびたモノレールの残骸が目に入った。
もう何十年も前、いわゆる高度成長期のまっただ中に「未来」だけを見据え、希望を無理矢理押し込まれて創られたモノレール。
「今を見んと未来だけ見るからや。」
さとるはドリンクホルダーのコーヒーを一口飲み、アクセルを吹かした。
結局このモノレールはわずか8年足らずで廃線となり、撤去するにも金がかかるとの事で鉄橋の線路も中途半端に街の所々に残っている。
「へぇ、ここがさとちゃんが育った街かぁ」真美はいつもより楽しそうに笑っている。
今年で27歳になるさとるは職を転々とする毎日。ある時、真美から赤ちゃんが出来たかもと言われたときは正直嬉しさよりも「まいったなぁ」というのが本音だった。
真美との出会いはさとるがまだ東京に出て3年目の頃だった。
俳優になると決めて飛び出した22歳の春。
飛び込みで劇団に入り、関西弁が珍しいのかすぐにちょいとした役がもらえた。
さとるは故郷の友達にいつも自慢していた。
「オレ、もうすぐドラマにもでるからよ!」
自意識過剰でもなんでもなく、本当にそう思っていた。
だが、すぐに冷や水をぶっかけられる事になる。
しばらくするとさとるの芝居はなにかが足りないと言われるようになった。
毎回言われる事を要約すると、さとるの芝居では泣けないそうだ。演劇の世界、笑かす事が出来るヤツもここと言う時に泣かす芝居が出来ないといけない。さとるにはそれが欠けていた。
最初のうちは努力でなんとかなると思っていたが、才能と言うものを次々と追い抜いて主役を奪っていく後輩たちから無理矢理心臓にねじ込められた。
さとるが芝居をやめる頃と、真美がであった頃はほぼ同時期だった。
「ねぇ、おかあさんピアスとか嫌いかな?」
さっきから真美は初めて会うさとるの母にどう見られるかばかりを気にしている。
「知るか!オレかっておかんと会うんは家飛び出して以来やのに!」
さとるは声を少し荒げた。それは真美に対してでないことは自分が一番良く分かっていた。
将軍橋を下り船場側沿いに下っていく。
国道2号線の雑居ビルの中にさとるが育った実家がある。
さとるが中学生の時に父は他界し、母親の手で育ててもらった。それがいかに大変なことだったのか今になって分かる。いや、今にならないと分からなかった。
「ただいま・・・」
口に出すと体温が上がった。それが恥ずかしさからなのか、なつかしさなのかがさとる自身にも分からなかった。
「おかえり。」
家を飛び出したときと全く同じ格好でよし江はそこにいた。
もう何年もはいているスカートにエプロン。違っているのはシワと白髪の数くらいだろうか。
「おかん、電話でも話したけど・・・」ふと目を上げるとよし江は泣いていた。
「なんで、泣いてるねん」
と茶化そうとしたさとるの目にも涙。真美もなぜか泣いている。
しばらく3人は玄関で泣いていた。その時間は1分なのか、1時間なのかは分からないが、さとるにはひどく長く感じた。
沈黙を破るようによし江が「とりあえず上がり」と促した。
お茶を飲んで一息つくと真美はいつもの調子に戻り、よし江ともずいぶん昔からの知り合いのように話していた。
「おかぁさん、さとるのおとうさんの写真が見たい〜!!」
よし江も真美のテンポに合わせ「カッコええでーーー!」と冗談を交えながら古いアルバムを取り出した。
そこに載ってある写真を見てさとるは驚いた。
モノレールの一番前で操縦席に座りハンドルを握る父。
初めて見る写真だった。
「親父ってずっと食堂やってたんとちゃうの?」
よし江は優しい目を写真の愛する人から息子へ移した。
「うん、おとうさんモノレールの運転手やったんや。電車の運転手になるんが夢やったらしくてな。一時は夢が叶ったって喜んでてな。でも、すぐに仕事なくなってな。で、数年はフラフラしてたんやけどあるきっかけで生まれ変わったんや」
「オレか・・・」
さとるの目には再び涙がたまっていた。
「そう、あんたがおなかにおるって分かってな。オレ、これじゃあかんって、ほら走り出したらとことんの人やろ?あんたに似て。落ち込むときもとことんやし。」
「じゃ、さとちゃんも生まれ変わらなやな!」いつもの真美の冗談も、妙に優しく聞こえた。
「おかんちょっと出かけてくる」
「ちょっとさとちゃん、どこ行くの?」真美が困惑しきった顔で見つめていた。
「ええから!!」さとるは真美の手を無理矢理引っ張って車に行き将軍橋のモノレールの残骸のところで停車した。
未来の象徴であり今は過去の残骸となっているモノレールの鉄橋に手を触れて心の中でつぶやいた。
「今を見んと未来だけ見ることも、今を見て未来を見ないのも同じやな。親父、おれもっかいやり直すわ。オレの今と未来を一緒に過ごしてくれるこの人と。」
さとるは真美を強く抱きしめていた。
「どうしたん?さとちゃん?」笑っていた真美も、自然とさとるの肩を強く握っていた。
夕日が鉄橋をより赤く染めていた。
夕日が影を作る。
二人と小さく膨らんだおなかの分だけの命が長い影を作る。
途切れた鉄橋と鉄橋をつなぐように長い影が3つ揺れていた。
あとがき、先日姫路に帰った時にひさしぶりにモノレールの残骸を見ました。
で、気が付くと小説を書いていました。
といっても30分ほどで書いたので、軽い内容ですがたまにはこんなのも。
ちなみに、当然の事ながらフィクションです。
もう何十年も前、いわゆる高度成長期のまっただ中に「未来」だけを見据え、希望を無理矢理押し込まれて創られたモノレール。
「今を見んと未来だけ見るからや。」
さとるはドリンクホルダーのコーヒーを一口飲み、アクセルを吹かした。
結局このモノレールはわずか8年足らずで廃線となり、撤去するにも金がかかるとの事で鉄橋の線路も中途半端に街の所々に残っている。
「へぇ、ここがさとちゃんが育った街かぁ」真美はいつもより楽しそうに笑っている。
今年で27歳になるさとるは職を転々とする毎日。ある時、真美から赤ちゃんが出来たかもと言われたときは正直嬉しさよりも「まいったなぁ」というのが本音だった。
真美との出会いはさとるがまだ東京に出て3年目の頃だった。
俳優になると決めて飛び出した22歳の春。
飛び込みで劇団に入り、関西弁が珍しいのかすぐにちょいとした役がもらえた。
さとるは故郷の友達にいつも自慢していた。
「オレ、もうすぐドラマにもでるからよ!」
自意識過剰でもなんでもなく、本当にそう思っていた。
だが、すぐに冷や水をぶっかけられる事になる。
しばらくするとさとるの芝居はなにかが足りないと言われるようになった。
毎回言われる事を要約すると、さとるの芝居では泣けないそうだ。演劇の世界、笑かす事が出来るヤツもここと言う時に泣かす芝居が出来ないといけない。さとるにはそれが欠けていた。
最初のうちは努力でなんとかなると思っていたが、才能と言うものを次々と追い抜いて主役を奪っていく後輩たちから無理矢理心臓にねじ込められた。
さとるが芝居をやめる頃と、真美がであった頃はほぼ同時期だった。
「ねぇ、おかあさんピアスとか嫌いかな?」
さっきから真美は初めて会うさとるの母にどう見られるかばかりを気にしている。
「知るか!オレかっておかんと会うんは家飛び出して以来やのに!」
さとるは声を少し荒げた。それは真美に対してでないことは自分が一番良く分かっていた。
将軍橋を下り船場側沿いに下っていく。
国道2号線の雑居ビルの中にさとるが育った実家がある。
さとるが中学生の時に父は他界し、母親の手で育ててもらった。それがいかに大変なことだったのか今になって分かる。いや、今にならないと分からなかった。
「ただいま・・・」
口に出すと体温が上がった。それが恥ずかしさからなのか、なつかしさなのかがさとる自身にも分からなかった。
「おかえり。」
家を飛び出したときと全く同じ格好でよし江はそこにいた。
もう何年もはいているスカートにエプロン。違っているのはシワと白髪の数くらいだろうか。
「おかん、電話でも話したけど・・・」ふと目を上げるとよし江は泣いていた。
「なんで、泣いてるねん」
と茶化そうとしたさとるの目にも涙。真美もなぜか泣いている。
しばらく3人は玄関で泣いていた。その時間は1分なのか、1時間なのかは分からないが、さとるにはひどく長く感じた。
沈黙を破るようによし江が「とりあえず上がり」と促した。
お茶を飲んで一息つくと真美はいつもの調子に戻り、よし江ともずいぶん昔からの知り合いのように話していた。
「おかぁさん、さとるのおとうさんの写真が見たい〜!!」
よし江も真美のテンポに合わせ「カッコええでーーー!」と冗談を交えながら古いアルバムを取り出した。
そこに載ってある写真を見てさとるは驚いた。
モノレールの一番前で操縦席に座りハンドルを握る父。
初めて見る写真だった。
「親父ってずっと食堂やってたんとちゃうの?」
よし江は優しい目を写真の愛する人から息子へ移した。
「うん、おとうさんモノレールの運転手やったんや。電車の運転手になるんが夢やったらしくてな。一時は夢が叶ったって喜んでてな。でも、すぐに仕事なくなってな。で、数年はフラフラしてたんやけどあるきっかけで生まれ変わったんや」
「オレか・・・」
さとるの目には再び涙がたまっていた。
「そう、あんたがおなかにおるって分かってな。オレ、これじゃあかんって、ほら走り出したらとことんの人やろ?あんたに似て。落ち込むときもとことんやし。」
「じゃ、さとちゃんも生まれ変わらなやな!」いつもの真美の冗談も、妙に優しく聞こえた。
「おかんちょっと出かけてくる」
「ちょっとさとちゃん、どこ行くの?」真美が困惑しきった顔で見つめていた。
「ええから!!」さとるは真美の手を無理矢理引っ張って車に行き将軍橋のモノレールの残骸のところで停車した。
未来の象徴であり今は過去の残骸となっているモノレールの鉄橋に手を触れて心の中でつぶやいた。
「今を見んと未来だけ見ることも、今を見て未来を見ないのも同じやな。親父、おれもっかいやり直すわ。オレの今と未来を一緒に過ごしてくれるこの人と。」
さとるは真美を強く抱きしめていた。
「どうしたん?さとちゃん?」笑っていた真美も、自然とさとるの肩を強く握っていた。
夕日が鉄橋をより赤く染めていた。
夕日が影を作る。
二人と小さく膨らんだおなかの分だけの命が長い影を作る。
途切れた鉄橋と鉄橋をつなぐように長い影が3つ揺れていた。
あとがき、先日姫路に帰った時にひさしぶりにモノレールの残骸を見ました。
で、気が付くと小説を書いていました。
といっても30分ほどで書いたので、軽い内容ですがたまにはこんなのも。
ちなみに、当然の事ながらフィクションです。
2009/12/11
ビートダイスケとの17年間
ドラムのダイちゃんとは高校のときからの付き合い。
気が付けば人生の半分以上を一緒に過ごしている。
結成した当初は当然まだ出会って5年も経っていない。
初々しい頃である。
後に僕らはツアーに廻るようになり一緒に過ごす時間も長けりゃ濃度も濃くなった。
僕らはお互いの良いところを知り、その反対も感じるようになった時期もあった。
僕ら4人は僕ら4人しか知らない顔がある。
僕の事も3人しか知らない事がたくさんあるはずだ。
きっと僕がお付き合いして来た人達よりも、もっと言えば家族よりも僕の事を良く知っていると思う。
僕もダイちゃんの事は本人以上に知っているつもりだ。
友達にどれほど良い評価を受けようが、メンバーの3人から「だめだ、あいつ」って言われたら終わりのような気がする。それほどバンドのメンバーと言うのは誰よりもお互いの普段見せない顔を良く知っている。
ダイちゃんの一番の良いところは純粋なところだ。
人を騙したり、裏切ったり、嘘ついたり、隠し事をするような事はいっさいない。
高校生のときから、彼は彼女が出来るたびにきっちりと紹介してくれる。
そんなの当たり前だと思うかもしれないが、バンドで同級生で、仕事としてこうやっている場合、プライベートの事を話すのには微妙な空気の壁があるものだ。
でも、彼はそういうのを飛び越えて、まっすぐにいろんな事を話してくれる。
僕はと言えばいつも真逆で、彼女がいるときもバンドのメンバーには話さなかった。
それにはもちろん理由があり、若かった事もあるが、弱みを見せたくなかった。
バンドのヴォーカルはいつだって先頭を歩くもの。
その先頭が女性にココロ奪われ矢印を見失ってんじゃないか?と思われたくなかった。
「あいつが今日のミーティングだめだと言ったの彼女と遊びにいくからか?」と詮索されたくなかった。
今思うとしょーもない事を気にしていたが、今だからしょーもないと言える気がする。
それほど若かりし頃の僕らは互いにふわふわしていた。
そういえば昔はダイちゃんから電話で良く恋の相談を受けていたが、もうそんな事はないだろう。
僕らはいつの間にか同じ道を歩きながら、ちょうど良い距離をあけて歩く事が出来るようになってしまった。
仕方のない事ではあるが寂しい事のようにも感じる。
いろんな事があったダイちゃんとの17年間。
音楽が好きで始め、その中で自分たちを誇れた日もあれば、悔しさで唇を噛み締めた夜もあり、涙で先の道がかすんで見えた事もあった。
それでも僕らはまだこの道の上にある。
それでも僕らはまだ音楽が好きで、ダイちゃんとの出会いも17年目を終え18年目に突入しようとしている。
僕は高校1年でダイちゃんに出会って本当に良かったと思う。
一人でこの道を歩いて来たように勘違いした時期もあったけど、その時でさえ、僕の横にはダイちゃんをはじめ清正君も代谷もいたのだ。
彼らの支えがあって、僕はいつでもこのバンドの先頭を歩いて来れたのだと思う。
今一度、僕らは向き合うべきだと思う。
一緒に歩くこの道。
恥ずかしいけど、今保っている距離から近づき、今一度手をつないでみようと思う。
17年間見て来た夢は同じ。
僕らはたった一つを信じてここまで来た。
まだやれる。
もっと前へ。
僕はもっと優しく強くなろう。
僕の愛に限りがあるならば、友達でも恋人でもなくまずは3人に与えよう。
僕らはまだ長い旅路の途中。
ひょっとしたらまだはじまったばかりかもしれない。
そうであるように、今を振り切るくらい全力で音楽にすべてを注いで明日へ。
いこう!なぁ!
誕生日おめでとう。
2009/12/09
仮日記
簡単な日記が続きます。
みなさん元気ですか?
一昨日の寒さから昨日は少しだけマシでした、東京。
昨日から兄貴夫妻とその娘が我が家に。
兄貴が旅行中、義理姉と兄貴娘5歳とでお台場に。
夫婦と見られてもおかしくないのに、やはり他の人には家族ではないのがバレるのですね。
家族ってなんだか同じ空気感を持っていますものね。
晩ご飯には横浜のラーメン博物館に行ってきました。
それにしても豚骨ってなんであんな匂いがするのでしょう?
そう思っていたら家に帰って来た靴下嫌いの兄貴娘の足から全く同じ匂いがしていました。
兄貴娘の足をお湯につけてダシをとったら美味になる事間違いなしです。
で、僕はと言えば、いわゆる姪っ子の足の匂いをかいで「くっさーー!」と死んだフリをして姪っ子が大爆笑すると言うくだらないコントを1時間くらいやっていました。
子供と遊ぶって楽しいですね。
今日は丸一日、一緒に遊んでいました。
一日パパ体験です。
そういえば若い頃は、つまり今日までは、よく車に「子供が乗っています」というステッカーが張ってあるのを見て「どなせーーちゅうねん!」と突っ込んでいましたが、今日やっと分かりました。
後ろの車当ててくれるなよ、という意味。
さらには車酔いの激しい子供の為に安全運転になるからゆっくり進む事。
いろんな意味を含めてなのですね。
勉強になります。
知らない事はやっぱり批評するもんじゃありません。
こんな休日も悪くないもん、いや良いものです。
みなさん元気ですか?
一昨日の寒さから昨日は少しだけマシでした、東京。
昨日から兄貴夫妻とその娘が我が家に。
兄貴が旅行中、義理姉と兄貴娘5歳とでお台場に。
夫婦と見られてもおかしくないのに、やはり他の人には家族ではないのがバレるのですね。
家族ってなんだか同じ空気感を持っていますものね。
晩ご飯には横浜のラーメン博物館に行ってきました。
それにしても豚骨ってなんであんな匂いがするのでしょう?
そう思っていたら家に帰って来た靴下嫌いの兄貴娘の足から全く同じ匂いがしていました。
兄貴娘の足をお湯につけてダシをとったら美味になる事間違いなしです。
で、僕はと言えば、いわゆる姪っ子の足の匂いをかいで「くっさーー!」と死んだフリをして姪っ子が大爆笑すると言うくだらないコントを1時間くらいやっていました。
子供と遊ぶって楽しいですね。
今日は丸一日、一緒に遊んでいました。
一日パパ体験です。
そういえば若い頃は、つまり今日までは、よく車に「子供が乗っています」というステッカーが張ってあるのを見て「どなせーーちゅうねん!」と突っ込んでいましたが、今日やっと分かりました。
後ろの車当ててくれるなよ、という意味。
さらには車酔いの激しい子供の為に安全運転になるからゆっくり進む事。
いろんな意味を含めてなのですね。
勉強になります。
知らない事はやっぱり批評するもんじゃありません。
こんな休日も悪くないもん、いや良いものです。
2009/12/08
スケジュール確認日記、なんじゃそれ
簡単な日記でごめんなさい。
千葉ルックに来てくれたみなさんありがとう!
ライブの本数が多い事が良い方向に向いて、今バンドの調子がいいです。
ライブが良いと言うのとは別のバンドの調子がいい。
4人で音を出すと思わず笑ってしまう、そんな感じなのです。
最高です。
さぁ、今年も残すところ後わずか。
まずは今月19日の姫路BETAでのワンマンライブ。
今年一年も色んな企画でワンマンライブをしました。
「大忘年会」と名付けたれたこのライブでは、今年行ったワンマンのダイジェスト版のようにお届けし、それに+αでクリスマスもくっつけます。
そして、31日には六本木モーフにて、カウントダウンワンマンライブ。
前半アコースティック年明けてロックンロール、ヒマなバンドマンは勝手に乱入。
といった具合です。
こちらもお楽しみに。
そしてまだ詳細が決まっているもの、決まっているけどアップされていないものに、1月8日、僕のソロライブが渋谷で。
これは多分チケットがないです。ごめんなさいありがとう。
そして、30日東京にて2マンライブ!!
やったーーー!まだ予定だけど多分決まり!やったーーー!
31日は千葉のルート14で僕のソロライブ。
です。
何よりもすべてのベクトルを2月21日に向けて。
気合い入れて進みます!
2009/12/06
THE 日記「今年最後の仙台のライブを終えて」
今僕は千葉ルックの楽屋にいます。
昨日は仙台でのライブ。
今年は仙台には何回か足を運ぶことが出来ました。
いつ以来だろ?
嬉しいですという表現は適切ではないかもしれませんが、それに似た感情が湧いております。
昨日が今年最後の仙台のライブ。
それを言っていたつもりですが、どうやら僕は「今年」というキーワードを飛ばして「今日が仙台の最後のライブ」と言っていたそうです。
そんなアホな。
もう仙台に来る気ないんか!?
他のバンドさんに至っては「今日で仙台でライブをするのが最後だから見に来たかったらEASTに来いって意味だと思いました。」と言われました。
そんなアホな。
ただの良い間違いです。
そんなアホなんです。
昨日みたいに気持ちの良いステージだともうアスリートで言うところの「ゾーン」脳内麻薬が出て飛んじゃってるのです。
だからあぁいう良い間違いを僕はしょっちゅうします。
優しく見守ってもらえればと。
とうぜん、来年も仙台に行きますし、当然EASTにも来て下さい(笑)。
さぁ、今日も良いライブに。
言い間違いが起きまくるほどの脳内麻薬の出まくったライブに。
うっし、はじまるぞ!
2009/12/04
千葉ルック20周年おめでとう企画「千葉LOOKから学んだ事」
千葉ルック千葉ルックって、お前明日仙台だぞ!
仙台ももっとアピールしろよ!という声も聞こえてきそうですので。
明日は仙台です。
しかもせきずいイベントのファイナルです。
イベントを作る大変さは本当にやった人にしか分かりません。
仙台です!時は仙台です!
時間があり、ちょっとでも行ってみようかなぁと思ったらぜひ来てください!
話を千葉ルックに。
僕たちが千葉ルックそして店長サイトウさんに教えてもらった事は沢山ある。
そのうちの一つで今でも肝に銘じているのが「お前達はホストになっちゃいかん。お客さんに見送られる事はあっても見送っちゃいけない」という教え。
とかくアマチュア時代はファンの方との距離が近いものになりがちである。
そうすることで動員を伸ばすと言う悲しい現実もあったと思うが、所詮それはそこまで。
最後にはファンの人の顔色をうかがうと言う間違った形になってしまう。
歌が良ければそれで良い、良いライブをすればむしろ人は勝手に集まる。
それ以外のところで頑張ってしまうと自分たちの何が良くて集まっているのかを自分たちが見失い、悪いライブをしてもそれが分からなくなる。
今現在1万人と握手と言うインフルエンザの時期に何考えてんだお前!?という企画をやる中でも、その事は肝に銘じている。
そしてもう一つの教え。
「呑み」である。
千葉ルックと言えば打ち上げ必死。
今日まで出演して打ち上がらなかった事はほとんどない。
次の日がどこでライブであろうが打ち上がる。
ただ飲んで騒ぎたいわけではなく、やはりこの世は人と人の繋がり。
吞みの席でこそ見えるものがあるのだ。
実際僕らもこの吞みで沢山の千葉バンドと仲良くなり、横の繋がり縦の繋がりも強くなり、そのみんなが僕らが困った時にいつも支えてくれた覚えがある。
ちなみにこんなエピソードがある。
上京してきた途端、5社の事務所からお誘いを受けた僕ら。
その中で最後には大手の2社にしぼったが、どちらがいいのか分からなかった。
そこで店長サイトウさんに相談したところ「どっちの人とも吞みにいったら?それで吞んでいて良いなぁと思った方と契約したら?」というなんともらしいアドバイスを受けた。
ちなみにこの吞みで痛い目にあった事も沢山ある。
千葉ルック初ワンマンライブで感極まって店長サイトウさんのところに「俺ワンマン出来て嬉しいです!」と言いにいったところ、すでに泥酔でまさかの「お前誰だよ!」と言われたり。
大学の卒業式の前日に千葉ルックに出演して当然打ち上げ参加。
盛り上がり過ぎて返してもらえず、まさかの卒業式遅刻。
しかも楽屋にスーツを忘れてしまったため、私服で参加。
ロックンローラーの出来上がりである。
12月6日もライブ後、当然打ち上げである。
そこまでがライブ。
楽しみだ。
仙台ももっとアピールしろよ!という声も聞こえてきそうですので。
明日は仙台です。
しかもせきずいイベントのファイナルです。
イベントを作る大変さは本当にやった人にしか分かりません。
仙台です!時は仙台です!
時間があり、ちょっとでも行ってみようかなぁと思ったらぜひ来てください!
話を千葉ルックに。
僕たちが千葉ルックそして店長サイトウさんに教えてもらった事は沢山ある。
そのうちの一つで今でも肝に銘じているのが「お前達はホストになっちゃいかん。お客さんに見送られる事はあっても見送っちゃいけない」という教え。
とかくアマチュア時代はファンの方との距離が近いものになりがちである。
そうすることで動員を伸ばすと言う悲しい現実もあったと思うが、所詮それはそこまで。
最後にはファンの人の顔色をうかがうと言う間違った形になってしまう。
歌が良ければそれで良い、良いライブをすればむしろ人は勝手に集まる。
それ以外のところで頑張ってしまうと自分たちの何が良くて集まっているのかを自分たちが見失い、悪いライブをしてもそれが分からなくなる。
今現在1万人と握手と言うインフルエンザの時期に何考えてんだお前!?という企画をやる中でも、その事は肝に銘じている。
そしてもう一つの教え。
「呑み」である。
千葉ルックと言えば打ち上げ必死。
今日まで出演して打ち上がらなかった事はほとんどない。
次の日がどこでライブであろうが打ち上がる。
ただ飲んで騒ぎたいわけではなく、やはりこの世は人と人の繋がり。
吞みの席でこそ見えるものがあるのだ。
実際僕らもこの吞みで沢山の千葉バンドと仲良くなり、横の繋がり縦の繋がりも強くなり、そのみんなが僕らが困った時にいつも支えてくれた覚えがある。
ちなみにこんなエピソードがある。
上京してきた途端、5社の事務所からお誘いを受けた僕ら。
その中で最後には大手の2社にしぼったが、どちらがいいのか分からなかった。
そこで店長サイトウさんに相談したところ「どっちの人とも吞みにいったら?それで吞んでいて良いなぁと思った方と契約したら?」というなんともらしいアドバイスを受けた。
ちなみにこの吞みで痛い目にあった事も沢山ある。
千葉ルック初ワンマンライブで感極まって店長サイトウさんのところに「俺ワンマン出来て嬉しいです!」と言いにいったところ、すでに泥酔でまさかの「お前誰だよ!」と言われたり。
大学の卒業式の前日に千葉ルックに出演して当然打ち上げ参加。
盛り上がり過ぎて返してもらえず、まさかの卒業式遅刻。
しかも楽屋にスーツを忘れてしまったため、私服で参加。
ロックンローラーの出来上がりである。
12月6日もライブ後、当然打ち上げである。
そこまでがライブ。
楽しみだ。
2009/12/02
千葉ルック20周年おめでとう企画「千葉バンドニュートラル」
初めてなのに懐かしく、でもどこか入る時にお辞儀をしないといけないような老舗の匂いがたっぷりする、僕の千葉ルックの第一印象はそんな感じだった。
しかし今思うとまだその頃の千葉ルックは出来て10年だったんだなぁと思うと不思議な感じがする。
もうその頃から千葉ルックは有名なライブハウスになっていて、ホールやアリーナでライブをするアーティストもツアーの初日は千葉ルックではじめると言う奇跡のライブハウス。
その魅力はいったい?
興味と、そこに立てる喜びと、そこに立つ不安が入り交じった春。
今でも思い出す。
そのあと、東京のライブハウスからは相手にされなかった僕らは千葉ルックで毎月ライブをやるようになり、そこで知名度が上がってきて東京に乗り込むと言う変わった形をとった。
振り返り、動員も何もない僕らを毎月出してくれた千葉ルックに感謝であり、あの日々がなかったら当然今の僕はなかったわけで
恐ろしささえもある。
そう,先ほども書いたが、千葉ルックに出て5回目くらいのときに店長のサイトウさんに「千葉ルックの10周年記念に出ないか?」と言われた。
もちろん二つ返事で「ハイ!」
ところが出演時間は15分らしい。
しかも当時の僕たちは東京ではやらせてもらえないわけで千葉の15分のステージの為に姫路から往復16時間かけていく事になる。
のだが、当時はそれでも呼んでくれる事、ステージに立てる事が嬉しくて「全く構いません!」と鼻息荒く乗り込んだ。
22歳の秋。
結果、その日のライブが好評で僕らは千葉で少しだけ芽が出始めた。
15分のステージ。
16時間の移動。
4時間の打ち上げ。
損得勘定のもっと先にあるものをわずか数回の出演で感じさせてもらった。
前述千葉ルックの魅力はそこにあると思う。
店長サイトウさんの損得を超えたモノにみんなが惹き付けられ、みんなが勇気をもらい、知らぬ間に育ててもらい、その結果、アリーナでやろうがどこであろうがツアー初日は千葉ルックになるんだと思う。
その千葉ルックも今年で20周年。
気が付けば僕らも千葉ルック10年選手。
この日ばかりは千葉ルックを盛大に祝いたいし、祝ってもらいたい。
12月6日はどの曲をやるかどうかではなく、千葉バンドと言われた僕たちらしい、気のこもったライブにしたいと思う。
しかし今思うとまだその頃の千葉ルックは出来て10年だったんだなぁと思うと不思議な感じがする。
もうその頃から千葉ルックは有名なライブハウスになっていて、ホールやアリーナでライブをするアーティストもツアーの初日は千葉ルックではじめると言う奇跡のライブハウス。
その魅力はいったい?
興味と、そこに立てる喜びと、そこに立つ不安が入り交じった春。
今でも思い出す。
そのあと、東京のライブハウスからは相手にされなかった僕らは千葉ルックで毎月ライブをやるようになり、そこで知名度が上がってきて東京に乗り込むと言う変わった形をとった。
振り返り、動員も何もない僕らを毎月出してくれた千葉ルックに感謝であり、あの日々がなかったら当然今の僕はなかったわけで
恐ろしささえもある。
そう,先ほども書いたが、千葉ルックに出て5回目くらいのときに店長のサイトウさんに「千葉ルックの10周年記念に出ないか?」と言われた。
もちろん二つ返事で「ハイ!」
ところが出演時間は15分らしい。
しかも当時の僕たちは東京ではやらせてもらえないわけで千葉の15分のステージの為に姫路から往復16時間かけていく事になる。
のだが、当時はそれでも呼んでくれる事、ステージに立てる事が嬉しくて「全く構いません!」と鼻息荒く乗り込んだ。
22歳の秋。
結果、その日のライブが好評で僕らは千葉で少しだけ芽が出始めた。
15分のステージ。
16時間の移動。
4時間の打ち上げ。
損得勘定のもっと先にあるものをわずか数回の出演で感じさせてもらった。
前述千葉ルックの魅力はそこにあると思う。
店長サイトウさんの損得を超えたモノにみんなが惹き付けられ、みんなが勇気をもらい、知らぬ間に育ててもらい、その結果、アリーナでやろうがどこであろうがツアー初日は千葉ルックになるんだと思う。
その千葉ルックも今年で20周年。
気が付けば僕らも千葉ルック10年選手。
この日ばかりは千葉ルックを盛大に祝いたいし、祝ってもらいたい。
12月6日はどの曲をやるかどうかではなく、千葉バンドと言われた僕たちらしい、気のこもったライブにしたいと思う。
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