2009/11/28
THE 日記「姫路のライブを終えて」
姫路のイベントライブが終了しました。
もともとは地元バンドが東京に出ると言う事で「出てくれないですか?」とお願いされ出演したのがきっかけ。
もう少し色んなバンドを呼ぼうと言う事になり、東京からthe soulとフリーウェイハイハイを招いての今回となった。
やっぱり東京で第一線でやっている方々はすごいなぁとライブを見ていて思いました。
安定感あるし、やっぱりいいし。
地元で本気で音楽をやりたいと思っているならば見てないと・・・惜しい事をしているよなぁと思った。
the soul。フリハイありがとう。
地元バンドのソウルジャンクションズも上京にあたりいい刺激なったのでは?と台風並みの先輩風を吹かしながら思います。
そして今回もフリーウェイハイハイと一緒に移動したのですが、東京に着く頃には「こうやってばか騒ぎして帰るのも当分おあずけだよなぁ」と切なさも感じました。
せっかく仲良くなったし、これからももっともっと一緒にライブをしたいのですが、僕はこういうものはバランスだと思うのです。
仲良くなればなるほど、だからずっと一緒にライブをやるのは違うよなぁと。
まだまだお互いここで戦っていかねばならなくて、なれ合いズルズルにならないように、今よりも一歩でも先に進んでまた一緒にやりたいなと思います。
好きだからこそ、きっちりしておかねばならない事、あるもんです。
僕はいつでも緊張感を持っていたいタイプなんですね、きっと。
好きだからこそいったん別れようか、そう思うのです。
きっと彼らも同じ思いだと思います。
そう考えると恋愛みたいなものですね。
別れなきゃいけない時もある。
いったん、離れよう。
これがケジメ。
といいつつも、車内では「一年に一回くらいはこういうのも良いよね!今度ツアー廻る時は声をかけて」とちょっとズルズル引きずっている未練たらしさも恋愛みたいで素敵です。
未練たらしくても、心の中でいったん別れ、と決める事は大切な気がします。
何においても、ね。
といいつつも、すぐに全力投球で出会ってしまうのも素敵です(笑)。
次はプライベートで今回の忘年会,無理なら新年会をフリハイとやりたいと思います。
ダイスケさん的には「じゃ、どっちもやろう!」でしょうが(笑)、で盛り上がりたいと思います。
どんな話題が飛び出すか、チャンスがあればビデオカメラでおさめてきますね。
公開出来るか分からないけど(笑)。
とにかく改めて、今回のライブ最高でした。
本当にありがとう!!
2009/11/26
ココロランドリーを終えて
アコースティックライブ2日目。
今日は「ココロランドリー」という名物企画。
生きてきた中で付いたココロのしみを落とそうと言うこの企画。
本当に素敵な夜になりました。
ちょいとした事や個人的反省点は多いにあるのですが、良いライブってそれを飛び越えるのですね。
言葉が、声が、会場に染み入っていくと言うか、良いライブだったと思います。
なんで毎回2日目はこんなに良くなるのだろう?と思うのですが、まぁ、当然と言えば当然の理由もあるし、なによりもこの「ココロランドリー」という企画が良いのでしょうね。送られてきたメッセージがないと始まらないと言うのもこのライブのみそですね。
あと、会場も大切ですね。
一度他の地方でやってみた事もあったのですが、思っていたものとはちょっと違いました。
やはり椅子席ありきだったり、会場が醸し出すアコースティックの空気っぽいモノも大事だったり。
この「ココロランドリー」もっと沢山の人に見てもらいたいです。
まだ見られた事のない方、ぜひ一度来てみてください。
ここからは個人的な色んな思いを。
アンコールの最後、フレーフレーフレー!を歌っていて、気が付くと涙が出ていました。
なんの涙かは分からないのです。
感動とかでもなく、涙が出ていたのです。
歌い終わってステージを降りようとしたらベースの代谷がつまずいているのを見て一気に涙は乾きましたが。
僕の涙返してほしいです。
それにしても今日は清正君が格好良すぎました。
自称ミュージシャンのギターソロ。
圧巻。
初日のMVPがダイちゃんなら、2日目は清正君ですね。
そして両日、Wアンコールまでありがとう。
本当に最高の夜でした。
またやりたいですね。
今年もココロランドリー「卒業式」が出来たら良いな。
今日は「ココロランドリー」という名物企画。
生きてきた中で付いたココロのしみを落とそうと言うこの企画。
本当に素敵な夜になりました。
ちょいとした事や個人的反省点は多いにあるのですが、良いライブってそれを飛び越えるのですね。
言葉が、声が、会場に染み入っていくと言うか、良いライブだったと思います。
なんで毎回2日目はこんなに良くなるのだろう?と思うのですが、まぁ、当然と言えば当然の理由もあるし、なによりもこの「ココロランドリー」という企画が良いのでしょうね。送られてきたメッセージがないと始まらないと言うのもこのライブのみそですね。
あと、会場も大切ですね。
一度他の地方でやってみた事もあったのですが、思っていたものとはちょっと違いました。
やはり椅子席ありきだったり、会場が醸し出すアコースティックの空気っぽいモノも大事だったり。
この「ココロランドリー」もっと沢山の人に見てもらいたいです。
まだ見られた事のない方、ぜひ一度来てみてください。
ここからは個人的な色んな思いを。
アンコールの最後、フレーフレーフレー!を歌っていて、気が付くと涙が出ていました。
なんの涙かは分からないのです。
感動とかでもなく、涙が出ていたのです。
歌い終わってステージを降りようとしたらベースの代谷がつまずいているのを見て一気に涙は乾きましたが。
僕の涙返してほしいです。
それにしても今日は清正君が格好良すぎました。
自称ミュージシャンのギターソロ。
圧巻。
初日のMVPがダイちゃんなら、2日目は清正君ですね。
そして両日、Wアンコールまでありがとう。
本当に最高の夜でした。
またやりたいですね。
今年もココロランドリー「卒業式」が出来たら良いな。
2009/11/25
「New Old Stock」アコースティックライブを終えて
今日は渋谷7th Floorアコースティックワンマンライブ2daysの初日。
無事に終了しました。
本日限り、のオンパレードだったと思います。
先月のツアーで「New Old Stock」はすべて出し切った感があって、「彼女は友達」「僕と暮らそう」も歌いきった感があったので、今日と言う日を有効に使い歌詞を変えて歌いました。
「彼女は友達」は彼女側の「彼は友達」。
「僕と暮らそう」はもう少しだけ大人な目線で見て。
初日はいつもバタバタなのですが、とにかく楽しかったです。
渋谷ブルースならぬツアーブルースも盛り上がって嬉しかったです。
なんといっても、今日はサプライズゲストとしてフリーウェイハイハイの二人が参加してくれました。
これはもうずっと前から決まっていて、僕は再三「フリーウェイハイハイは全公演受けてくれました!」と言ってきましたが、全公演とはこの公演も含まれていたと言う、個人的に意味合いを持たすのが好きなので良いサプライズだったと思います。
当然打ち上げも二人参加で盛り上がったのですが、今日演奏した彼らの歌「37℃のラブソング」では、ツアーの思い出がこみ上げたりしたこともあり、スパンと抜けるような歌が素敵でした。
本当にフリハイ、ありがとう。
明日はいよいよココロランドリー。
今日初めて来られて明日も来られる方。
また全然違うライブだと思うのでお楽しみに。
ではもう少しだけ練習して寝ます。
また明日。
無事に終了しました。
本日限り、のオンパレードだったと思います。
先月のツアーで「New Old Stock」はすべて出し切った感があって、「彼女は友達」「僕と暮らそう」も歌いきった感があったので、今日と言う日を有効に使い歌詞を変えて歌いました。
「彼女は友達」は彼女側の「彼は友達」。
「僕と暮らそう」はもう少しだけ大人な目線で見て。
初日はいつもバタバタなのですが、とにかく楽しかったです。
渋谷ブルースならぬツアーブルースも盛り上がって嬉しかったです。
なんといっても、今日はサプライズゲストとしてフリーウェイハイハイの二人が参加してくれました。
これはもうずっと前から決まっていて、僕は再三「フリーウェイハイハイは全公演受けてくれました!」と言ってきましたが、全公演とはこの公演も含まれていたと言う、個人的に意味合いを持たすのが好きなので良いサプライズだったと思います。
当然打ち上げも二人参加で盛り上がったのですが、今日演奏した彼らの歌「37℃のラブソング」では、ツアーの思い出がこみ上げたりしたこともあり、スパンと抜けるような歌が素敵でした。
本当にフリハイ、ありがとう。
明日はいよいよココロランドリー。
今日初めて来られて明日も来られる方。
また全然違うライブだと思うのでお楽しみに。
ではもう少しだけ練習して寝ます。
また明日。
2009/11/23
ワンマンライブの前の仮日記
最終調整を終えて帰ってきました。
明日からワンマンライブ2DAYSです。
明日は先日終えたばかりの「New Old Stock」ツアーの、アコースティックバージョン。
タイトルの『一夜限りの「New Old Stock」アコースティックライブ ツアー初日でファイナル!! 』となるように、この日だけの特別な夜にしたいと思っています。
同じ事をやってももうツアーでやった感が僕らの中にもあるので、アレンジしまくりました。
歌って、アレンジされると聴く方は「なんで変えるの?あれが良かったのに!!」と思う事がほとんどです。
ただ、今回に限りは、せっかくなんでそう言う夜だと理解された上で、一日限りの貴重な夜を楽しんでもらえたら嬉しいなと思います。
昨日はライブ後なのにやる事やっていたりしたら興奮して寝れなかったので、今日こそは眠ります。
毎日充実しています!
では最高の夜になりますように。
2009/11/22
11月21日の断片
冷蔵庫から牛乳を取り出してミロを混ぜる、そのままレンジで温め本を読む。
そうか、もう朝か。
眠れないのは今日に始まった事ではない。
モノを作り出すと決まってそうなのだ。
もう少しするとミーティングとリハーサルの時間が始まる。
今日は15時から23時まで時間を押さえられている。
ようやく完成した詩が詰まっているノートパソコンを片手に家を飛び出す。
道中渋滞に巻き込まれる。
年末の道路工事か、つぶやいたあと気が付いた。
そうか世の中は三連休か。
何となく普段よりも行き交う車の匂いが違う。
急いでいない、穏やかな風が吹いている。
ipodからお気に入りの音楽が流れてきた。
好きな歌なのに音を少ししぼって、サビにいく前に消した。
ボノは寂しそうに声をしまった。
ミーティングをそうそうにすませ、リハーサル。
今日までやってきた事を確認しながら。
終わってみて、僕自身イメージしていたところまでいけていなかった。
なんでだ。
時間を沢山費やしたはず。
それでも時間が足りていない。
少なくともイメージまでには辿り着かさなければならない。
家に着いたら日付は変わっていた。
ここで後少し出来るか出来ないかが大きく違う、気がしている。
冷蔵庫から牛乳を取り出してミロを混ぜる、そのままレンジで温めピアノの前に座る。
今日はまだまだ終わりそうにない。
後1時間だけやろう。
明日はボノが聴きたくなるように。
2009/11/19
唄人羽のベストアルバム
さて、前にもこの日記で書いたのですが唄人羽という2人組のアーティストのベストアルバムで一曲参加して、そのCDが発売されたそうです。
ご購入された方からは「おい!しげる!!どこ歌ってんだ!?本当に参加したのか?」とジャロに訴えられそうになっているので、歌った場所を言います。
「流れてゆくこの日々を 君と過ごす」です。
しかも勝手に僕は「流れゆく」と歌っています。
さすが次男坊。
ちなみにこの部分、とてもKEYが低く、僕の得意なところではなかったモノの、うまく歌うよりは生意気そうに歌いました。
あとはサビも全般に歌っています。
完成されたCDを聴いてみたところ、前にも書きましたが、高島みほさんのコーラスが本当にやばいのです。
あまりのうまさになぜか高島さんに会った事のないホームラン代谷が「高島さんにレッスンを受けたい!」と言い出すほど。
ちなみに彼は歌う事が大好きなのである。
ニュートラルに入るまで自分は歌が上手いと信じていたが、レコーディングでけちょんけちょんに言われ、少し臆病になっていますが、いまだにカラオケは大好きなようです。
ちなみにみんなでカラオケに行って「パンとピストル」を彼が歌い「パンパンパンパンパン」といつも歌っているコーラスを外し、「この歌難しいな」と言った時には空手チョップをしてやろうかと思いました。
すみません、代谷よりの話になりましたが、とにかく僕は歌っています。
そんな唄人羽は、今月の28日に渋谷O-EASTでワンマンライブがあるようです。
僕らも2月にやるEASTです。
ぜひ見に行ってみてはいかがでしょうか?
ちなみに僕は出演しませんのであしからず。
2009/11/18
お洋服
今年に入って僕は服をほとんど買っていない事に気が付く。
CDのジャケットの写真に映っているカットソーくらいだろうか?
それもネットで。
後はスタイリストさんが用意してくれたものをたまに買い取ったり、兄貴にもらったり、兄貴のをパクったり。
こう見えても僕は服屋のせがれ。
服屋のせがれと言うと皆さん勘違いするのが、よくある地方都市独特の「この店どうやって経営成り立ってんねん!何年も同じ服置いてんのとちゃうか?」という巣鴨的な服屋を想像されるみたいだけれども、これが違うのだ。
ガチでアパレルなのだ。
セレクトショップをやっているのだが、誰でも知ってるようなメーカーを取り扱っていたり。
そんなもんだから、服屋の息子には服屋の息子にしか分からない悩みがあるのだ。
今日まで生きてきて、同じような境遇で育った人と会った事がないので、この悩みなり葛藤が伝わるかは分からないけど、服に関しては一般に感じるようなものと僕はちょっと違う。
僕も大学生の頃はアホみたいに服に命をかけていた。
全財産は服に。
靴はDirk Bikkembergsを大学生にして履いていたり、服はギャルソンを愛していた。
ミナミの街を歩いていて何回か雑誌なり個人的趣味なりで写真を取られたりもしていた。
もっと言えば逆ナンパなんかも普通にあった。(おっと、自慢ではないので読むのをやめないでね。)
おしゃれじゃないヤツは嫌いだった。
オシャレじゃないバンドマンはセンスが悪い証だと思っていた。
大学で講義を受けていても「この教室で一番オシャレなんは俺やな」と発想的にはセンスのかけらもない事をよく思っていた。
前にも書いたけど、そんなある日、大学のオシャレな女友達が「もうあたしらオシャレはどうでもええねん。ユ○クロとかでええねん。で、一枚だけギャルソンなり何なりええもの着てたらええんや」と言っていて、猛烈に衝撃を受け、一生懸命オシャレをしようとしていた自分に急に冷めた。
いまでは、何年も着れるものじゃないといらないやと思うようになった。
むしろ、服をがっつり過ぎるほど気合い入れている人を見ると、満腹の時に人がご飯を食べているのを見て「ガチやん。必死やん」と思うのと同じような感覚になってしまった。
僕はもう服は本当にどうでも良い。
幸いな事に、アパレルのせがれである僕は、子供の頃から買ってきた服を親にチェックされ、ダサイだの何だの言われまくって育ち、もはや適当に買っても失敗はしないし、自分に似合うものをだいたい分かっていて、それなりに何を着ても特別ダサクもならないようになっている。
まぁ、だからどうでも良いと言えるのだろうけど。
とはいえ、こういう職業、センスは磨いとくべきだ。
オシャレに興味と言うよりは、オーラをいつでもギラギラにしておきたいと思う。
ここまで書いておきながら、あまりに着る服がないので22日のリハーサル終わりに買いにいこうと思う。
CDのジャケットの写真に映っているカットソーくらいだろうか?
それもネットで。
後はスタイリストさんが用意してくれたものをたまに買い取ったり、兄貴にもらったり、兄貴のをパクったり。
こう見えても僕は服屋のせがれ。
服屋のせがれと言うと皆さん勘違いするのが、よくある地方都市独特の「この店どうやって経営成り立ってんねん!何年も同じ服置いてんのとちゃうか?」という巣鴨的な服屋を想像されるみたいだけれども、これが違うのだ。
ガチでアパレルなのだ。
セレクトショップをやっているのだが、誰でも知ってるようなメーカーを取り扱っていたり。
そんなもんだから、服屋の息子には服屋の息子にしか分からない悩みがあるのだ。
今日まで生きてきて、同じような境遇で育った人と会った事がないので、この悩みなり葛藤が伝わるかは分からないけど、服に関しては一般に感じるようなものと僕はちょっと違う。
僕も大学生の頃はアホみたいに服に命をかけていた。
全財産は服に。
靴はDirk Bikkembergsを大学生にして履いていたり、服はギャルソンを愛していた。
ミナミの街を歩いていて何回か雑誌なり個人的趣味なりで写真を取られたりもしていた。
もっと言えば逆ナンパなんかも普通にあった。(おっと、自慢ではないので読むのをやめないでね。)
おしゃれじゃないヤツは嫌いだった。
オシャレじゃないバンドマンはセンスが悪い証だと思っていた。
大学で講義を受けていても「この教室で一番オシャレなんは俺やな」と発想的にはセンスのかけらもない事をよく思っていた。
前にも書いたけど、そんなある日、大学のオシャレな女友達が「もうあたしらオシャレはどうでもええねん。ユ○クロとかでええねん。で、一枚だけギャルソンなり何なりええもの着てたらええんや」と言っていて、猛烈に衝撃を受け、一生懸命オシャレをしようとしていた自分に急に冷めた。
いまでは、何年も着れるものじゃないといらないやと思うようになった。
むしろ、服をがっつり過ぎるほど気合い入れている人を見ると、満腹の時に人がご飯を食べているのを見て「ガチやん。必死やん」と思うのと同じような感覚になってしまった。
僕はもう服は本当にどうでも良い。
幸いな事に、アパレルのせがれである僕は、子供の頃から買ってきた服を親にチェックされ、ダサイだの何だの言われまくって育ち、もはや適当に買っても失敗はしないし、自分に似合うものをだいたい分かっていて、それなりに何を着ても特別ダサクもならないようになっている。
まぁ、だからどうでも良いと言えるのだろうけど。
とはいえ、こういう職業、センスは磨いとくべきだ。
オシャレに興味と言うよりは、オーラをいつでもギラギラにしておきたいと思う。
ここまで書いておきながら、あまりに着る服がないので22日のリハーサル終わりに買いにいこうと思う。
2009/11/15
トランシーバに憧れた少年時代
まだ携帯電話なるモノがなかった時代の話。
僕ら子供がやたらと欲しがったモノといえばトランシーバーだった。
なぜだか分からないけど、トランシーバーにやたらと憧れた。
元来、男は秘密が大好きである。
「秘密基地」に始まり、「隠れ家」におさまると言おうか。
少し趣向がずれれば秘密クラブか?
とにかくそのたぐいが好きなのは性だと思う。
金持ちの友達がトランシーバを買うとやたらと遊びにいった。
なんせトランシーバーは相手あってのもの。
絶対にこっちも遊ぶ事が出来るのだ。
ちなみに電話じゃないから会話の切れ際には「〜どうぞ!」といって相手にバトンを渡す。
相手を呼び出すときはブザーを鳴らす。
とはいえ、所詮はおもちゃのトランシーバー。
顔の見えるような範囲でしか遊べなく、僕らは無理矢理壁に隠れたりして話をしていた。
そんなある日、我が家の近くの怪しげな安売りの店で、本格的トランシーバーが激安価格で販売されていた。
子供ながらに、このルックスは今までのトランシーバーではない事は分かった。
メジャー級である。
子供の草野球にイチロー参加である。
僕は今まで何度使った一生のお願いを親父にしてそのトランシーバーを買ってもらった。
これがまたシャレにならない代物で、何百メートルと通信出来るのである。
もはや完全なる軍隊の備品並みの機能である。
早速僕らはこれを使って、「ケイドロ」(地方によって言い方は違うだろうけど、警察チームと泥棒チームに分かれて行うチーム戦の鬼ごっこ。捕まった泥棒も、仲間がタッチすれば助け出す事が出来る)を実行。
完全なるスパイ大作戦である。
小学生がビルのあちこちに隠れ、屋上から覗き込み「今公園は誰もいない、どうぞ!」「了解!突入はまだするな。コードネーム虎虎虎」と暗号まで駆使してゴルゴ13も顔負けの行動をしているのだから、近所の大人は気持ち悪そうな顔で僕らを見ていたっけ。
やがて時代は進み、僕も大人になり携帯電話を手に入れた。
そういえば、僕の使っている携帯会社が携帯でトランシーバーみたいな事が出来るというのをやっていたが、さすがにもはやなんの興味もなくなっていた。
し、僕の見解では流行らなかったと思う。
が、きっとあれを企画した人も、あの頃の僕らのようにトランシーバーに憧れた草のにおいを知る少年だったのだろう。
トランシーバーで遊んだあの日々は、大切な大切な、胸の温度を保つ思い出だ。
今でも目を瞑れば聞こえてくる。
「しげ!あいつらを助けにいくぞ!どうぞ!!」
「りょうかい!いくぞ!GO!」
僕ら子供がやたらと欲しがったモノといえばトランシーバーだった。
なぜだか分からないけど、トランシーバーにやたらと憧れた。
元来、男は秘密が大好きである。
「秘密基地」に始まり、「隠れ家」におさまると言おうか。
少し趣向がずれれば秘密クラブか?
とにかくそのたぐいが好きなのは性だと思う。
金持ちの友達がトランシーバを買うとやたらと遊びにいった。
なんせトランシーバーは相手あってのもの。
絶対にこっちも遊ぶ事が出来るのだ。
ちなみに電話じゃないから会話の切れ際には「〜どうぞ!」といって相手にバトンを渡す。
相手を呼び出すときはブザーを鳴らす。
とはいえ、所詮はおもちゃのトランシーバー。
顔の見えるような範囲でしか遊べなく、僕らは無理矢理壁に隠れたりして話をしていた。
そんなある日、我が家の近くの怪しげな安売りの店で、本格的トランシーバーが激安価格で販売されていた。
子供ながらに、このルックスは今までのトランシーバーではない事は分かった。
メジャー級である。
子供の草野球にイチロー参加である。
僕は今まで何度使った一生のお願いを親父にしてそのトランシーバーを買ってもらった。
これがまたシャレにならない代物で、何百メートルと通信出来るのである。
もはや完全なる軍隊の備品並みの機能である。
早速僕らはこれを使って、「ケイドロ」(地方によって言い方は違うだろうけど、警察チームと泥棒チームに分かれて行うチーム戦の鬼ごっこ。捕まった泥棒も、仲間がタッチすれば助け出す事が出来る)を実行。
完全なるスパイ大作戦である。
小学生がビルのあちこちに隠れ、屋上から覗き込み「今公園は誰もいない、どうぞ!」「了解!突入はまだするな。コードネーム虎虎虎」と暗号まで駆使してゴルゴ13も顔負けの行動をしているのだから、近所の大人は気持ち悪そうな顔で僕らを見ていたっけ。
やがて時代は進み、僕も大人になり携帯電話を手に入れた。
そういえば、僕の使っている携帯会社が携帯でトランシーバーみたいな事が出来るというのをやっていたが、さすがにもはやなんの興味もなくなっていた。
し、僕の見解では流行らなかったと思う。
が、きっとあれを企画した人も、あの頃の僕らのようにトランシーバーに憧れた草のにおいを知る少年だったのだろう。
トランシーバーで遊んだあの日々は、大切な大切な、胸の温度を保つ思い出だ。
今でも目を瞑れば聞こえてくる。
「しげ!あいつらを助けにいくぞ!どうぞ!!」
「りょうかい!いくぞ!GO!」
2009/11/14
しょーもない技
先日この日記でも書いたが、浪人回し(シャーペンを指差ではじいて手の中でぐるっと回すというしょーもない技)のように、本当に誰が考えたねん!というような技が僕らの周りには沢山あり、僕らの青春はそう言ったものを一つ一つマスターする事に生き甲斐を感じていた。
今思うとその努力を、英単語の一つか部活動にぶつけていれば良かったのだが、なんせ無駄であればあるほど燃えると言うのが人の性。
まったくアホなシステムが遺伝子に組み込まれているようだ。
例えば、人差し指と中指をくっつけて、小指と薬指をくっつけて、中指と薬指は間を空けて、パッと手を開いた時に2対2でうまく開けるかと言う技。
意外と難しい。
出来たら今度はそれを両手で出来るか?
あとは、足の親指と人差し指の間を開ける事が出来るか?
これがはじめは出来ないけど、出来るようになるもんである。
意識すればそこに神経がある事に気が付くようだ。
親からしたら、自分の子供が熱心に足の指先を見つめてわけの分からぬ力を入れている姿を見たらいたたまれないだろうが。
その他にも、僕がいまだに出来る技が、舌を大きな音で「タン」とならす事(携帯がなかった時代、深夜に友達を呼び出す時に活躍)。
あとはガムを舌と歯を使って「パチンパチン」と連続でならす技。
ほんとうにしょーもない事を僕らは必死でマスターした。
でもそれは今でも僕らの生活に、、、、、、まったく関係ない。
残念ながらこれっぽちも。
ただのガラの悪さを象徴するだけ。
勉強出来ひんの丸出しである。
まったく時間を返してほしい。
当時の俺のアホ。
ただ、僕はじじいになって死ぬ間際。
これらの技を連続で披露して周りを困惑させてやろうと思う。
何か意図があるんだろうと思わせて。
ちなみに今は変な弾き方でギターを弾くと言う技に熱心に取り組んでいる。
やっぱりアホは死ぬまで変わらないようである。
ん〜、来世に期待!
今思うとその努力を、英単語の一つか部活動にぶつけていれば良かったのだが、なんせ無駄であればあるほど燃えると言うのが人の性。
まったくアホなシステムが遺伝子に組み込まれているようだ。
例えば、人差し指と中指をくっつけて、小指と薬指をくっつけて、中指と薬指は間を空けて、パッと手を開いた時に2対2でうまく開けるかと言う技。
意外と難しい。
出来たら今度はそれを両手で出来るか?
あとは、足の親指と人差し指の間を開ける事が出来るか?
これがはじめは出来ないけど、出来るようになるもんである。
意識すればそこに神経がある事に気が付くようだ。
親からしたら、自分の子供が熱心に足の指先を見つめてわけの分からぬ力を入れている姿を見たらいたたまれないだろうが。
その他にも、僕がいまだに出来る技が、舌を大きな音で「タン」とならす事(携帯がなかった時代、深夜に友達を呼び出す時に活躍)。
あとはガムを舌と歯を使って「パチンパチン」と連続でならす技。
ほんとうにしょーもない事を僕らは必死でマスターした。
でもそれは今でも僕らの生活に、、、、、、まったく関係ない。
残念ながらこれっぽちも。
ただのガラの悪さを象徴するだけ。
勉強出来ひんの丸出しである。
まったく時間を返してほしい。
当時の俺のアホ。
ただ、僕はじじいになって死ぬ間際。
これらの技を連続で披露して周りを困惑させてやろうと思う。
何か意図があるんだろうと思わせて。
ちなみに今は変な弾き方でギターを弾くと言う技に熱心に取り組んでいる。
やっぱりアホは死ぬまで変わらないようである。
ん〜、来世に期待!
2009/11/13
僕の方言
僕には方言と言う方言がない。
といっても標準語と言う訳ではない。
僕がしゃべっているのを東京の人が聞いたら「関西人」だと分かるだろう。
でも、僕のしゃべる関西弁は関西の人から似非に聞こえて、僕のしゃべる標準語は関東の人から聞いたら似非丸出しなのだ。
東京生活8年目を迎えるにあたり僕はどっち付かずの方言になってしまった。
思えば、僕の言葉が狂いだしたのは高校を出てから。
大学で初めて出会った友達が和歌山の友達2人。
向こうは和歌山弁で会話するもんだから、うつるってもんである。
いや、むしろ真似したかったと言うのが正直なところだろうか。
そもそも初めて出会う生の方言。
そりゃ憧れもする。なんでも憧れる頃である。浪人回しと言うシャーペンを指でくるくる回すと言う、勉強そっちのけのアホ丸出しのテクニックに憧れる頃である。
とくに和歌山弁は、優しい関西弁でとても好印象だった。
基本語尾に「ね」がつく。
「おれね、昨日ね、野球してたんよ。ほいたらね、なんかね」とまるで敬語のよう。
僕は大学で一番最初に学んだのは間違いなく和歌山弁だった。
ところが、関東でこの言葉を話すと、特に目上の人には怒られた。
そう、「ね」がため口に聞こえるらしいのだ。
エーーー!関西弁の延長だと敬語に聞こえるのにーーーーっ!
関西弁を嫌う人も結構いる。
あまりきつい方言だとラジオ等では困られたりする。
次第に僕の関西弁は削られていき、やはり長い東京生活の中で時折、自分でも気づくくらいのイントネーションの違う標準語を話したりするようになった。
幸い、僕らは同じ姫路出身のメンバーなので、基本的には関西弁を守っているが、うちのメンバーでさえ、時折、標準の域を超えたイントネーションの違う標準語を話す。
その際にいつも僕の腕には鳥肌が立ち、なぜだか恥ずかしくなるから不思議なものだ。
ただどこの地域も同じだろうが、故郷以外の言葉をしゃべるとなんだか感じ悪く見えるらしいが、流されているわけでもなく、ただうつるのである。
子供が外国に行くと英語を覚えるのと同じ。
よっぽど意思があってうつらないようにしようと思わない限り、うつると思う。
故郷のへの思いはいつだって胸にある。
故郷とは忘れるものである。
故郷を出て戦っている奴らは忘れるべきである。
そして、時折感情が爆発した時に不意に出る故郷の言葉に、優しさと暖かみと笑いを感じ取り、また戦っていけばいい。
そう思う。
僕は今日もmixされた言葉で話をする。
おかしなイントネーションで。
でも、確かに僕の言葉で。
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