2009/09/18
しげるのパンツ史2
高校生にもなるとヤンチャな男子は基本トランクスをはくようになった。
こちとら中学1年からトランクスよ!年期がちゃうっちゅーねん!!とイキがっていたのもつかの間。
僕はラグビー部に所属する事になるのだが、ラグビーは基本短パンなのである。
しかもかなり短め。
まだスパッツもなかった時代。
短パンの下はパンツ様なのである。
トランクスをはこうもんならハミチン間違いなし!なのである。
それでも格好つけてトランクスをはく部員もいたが、女子マネージャーも意識する年頃。ハミチンを見られたらもうお婿にいけないのである。
ここで僕は泣く泣く高校生にもなってブリーフに逆戻りするのである。
時は流れ、高校3年のある日。
隣町である加古川の百貨店でウィンドウショッピングを決め込んでいたら、なんとも見た事のない格好良ヒロなパンツが飛び込んできた。
そう、言わずもがな「ボクサーパンツ」である。
トランクスのような、いや、それ以上のかっこよさを持ちながら、ハミチンもしない,夢のパンツ。もう従来のパンツとはフィジカルが違うように思えた。
まさに黒船襲来。
ペリー来航。
文明開化の音がしたのである。
忘れもしない、友人と2人で「Calvin Klein」のパンツを買った。
どれくらいそのパンツの魅力に魅せられたかと言うと、つい先日の引っ越しの際まで僕はそのパンツを愛用していたという事実を語れば事足りるだろう。
それほどボクサーパンツは素敵だったのだ。
で、今はと言うと面白いものでまたトランクスに戻っているし、世の中的にもトランクスが主流になってきている。
ただ、今でも少しだけ、あのブリーフの感覚を味わってみたいなと思ってはいる。
だから何やねんという日記だったが、男として書いておきたかった。
パンツは人を表す。
最後にこの格言を作って終わらせたいと思う。
読んでくれてありがとう。
追記、昔、今の40,50代の人は女子の誕生日プレゼントや、バレンタインの返しに下着をプレゼントしていたと言う話を聞くが。。。
昭和の男はなんともハートが強いものだと感心する。
2009/09/17
しげるのパンツ史
女子の皆さんは男のパンツを見る時、何をどう感じますか?
その昔、「パンツは男のロマンだ!」と語ってくれたディレクターもいましたが、なかなかどうして的を得ている言葉であり、人に歴史有り、人のパンツに歴史有りなのである。
僕らが子供の頃、決まって履かされているのはおむつが少しだけ進化したような白のブリーフだった。
生まれてきた意味を探す子供がいないように、僕らもブリーフを当然のごとく受け止めていた。
ただ、身体測定の時、ブリーフの前が黄色くなっていないかだけが僕ら男子の悩みの種だったが、それ以外はブリーフはまさに「肌身離さない」存在だった。
中学校に入った頃、友達が「トランクス」なるものを履いてきた。
蒙古襲来である。
「なんじゃこりゃーーー!!」である。
格好良男である。
あまりのショックに僕らは口を「あわわ・・・」とさせて腰が砕けたのを覚えている。
早速親におねだりである。
あれほど「肌身離さず、忠義を重ねてきた」ブリーフ君を一蹴、神風を起こせってなもんである。
ようやく買ってもらった僕の初のトランクスの柄は英字新聞であった。
このときばかりは親のセンスに感謝した(今思うとめちゃダサイが、当時はそんなもんだった)。
しぶい!しぶすぎる!
はじめてのトランクスとの出会いに頭が軽くなったのか、僕は短パンと勘違いして、少々の近所の買い物ならトランクスで出かけていたほどだ。
今、東京でこれをすると間違いなく変質者扱いで職務質問へGo!である。
ここでもう一つ、恥ずかしい告白をするならば、トランクスに目覚め、魅了された僕ら中学一年5人組は「これやったら水着でもいけるんちゃうか?」という話になり、トランクスで市民プールで泳いだ記憶がある。
アホ丸出しである。
いや、アホとチ○コ丸出しである。
すっかりトランクスがパンツのゴールだと思っていた僕らにさらなる衝撃が走る事になるのだが、それはまた次回。
その昔、「パンツは男のロマンだ!」と語ってくれたディレクターもいましたが、なかなかどうして的を得ている言葉であり、人に歴史有り、人のパンツに歴史有りなのである。
僕らが子供の頃、決まって履かされているのはおむつが少しだけ進化したような白のブリーフだった。
生まれてきた意味を探す子供がいないように、僕らもブリーフを当然のごとく受け止めていた。
ただ、身体測定の時、ブリーフの前が黄色くなっていないかだけが僕ら男子の悩みの種だったが、それ以外はブリーフはまさに「肌身離さない」存在だった。
中学校に入った頃、友達が「トランクス」なるものを履いてきた。
蒙古襲来である。
「なんじゃこりゃーーー!!」である。
格好良男である。
あまりのショックに僕らは口を「あわわ・・・」とさせて腰が砕けたのを覚えている。
早速親におねだりである。
あれほど「肌身離さず、忠義を重ねてきた」ブリーフ君を一蹴、神風を起こせってなもんである。
ようやく買ってもらった僕の初のトランクスの柄は英字新聞であった。
このときばかりは親のセンスに感謝した(今思うとめちゃダサイが、当時はそんなもんだった)。
しぶい!しぶすぎる!
はじめてのトランクスとの出会いに頭が軽くなったのか、僕は短パンと勘違いして、少々の近所の買い物ならトランクスで出かけていたほどだ。
今、東京でこれをすると間違いなく変質者扱いで職務質問へGo!である。
ここでもう一つ、恥ずかしい告白をするならば、トランクスに目覚め、魅了された僕ら中学一年5人組は「これやったら水着でもいけるんちゃうか?」という話になり、トランクスで市民プールで泳いだ記憶がある。
アホ丸出しである。
いや、アホとチ○コ丸出しである。
すっかりトランクスがパンツのゴールだと思っていた僕らにさらなる衝撃が走る事になるのだが、それはまた次回。
2009/09/16
小銭を埋める
高校生くらいまで僕は、初めて行った場所で気に入ったらそこにお金を埋めて帰ると言うわけの分からない癖があった。
おそらくは犬のマーキングのようなものだと思う。
飾磨港の近くの公園の花壇。
二見のダイエーのちかくのマンションの庭。
とにかく、もう一度来たいなと思った場所に小銭を一枚埋めて、またいつか取りに来ると言う野望を立てると言う、癖と言うかもはや奇行とも言える行動をとっていた。
ちなみに何回か埋めたが、その場所にもう一回行ってその小銭を取り出した記憶はまったくない。
けど、想像する。
あの小銭達は今どこにあるのだろうか?
浅く埋めたもんだから、きっと誰かの手に渡っているだろう。
ひょっとしたら一枚くらいは今も僕との再会を待っているかもしれない。
昔日記でも書いたが、縁のある街って自然とまた訪れるようになっているものだ。
いつか、偶然何かのきっかけでそれらの場所に行き、僕が好きな場所なんて基本的には変わっていないだろうから、どこに埋めたかなんて覚えていないけど、適当にほじくったら当時僕が埋めた小銭と再会するかもな、そんな事を真剣に考えたりもする。
2009/09/14
大阪、新潟のライブを終えて
大阪城公園にある野外音楽堂でライブでした。
関西にゆかりのある人たちが集まるイベントでした。
結果、沢山の人に歌を届ける事が出来て嬉しかったです。
昨日の出会い大切にしたいと思います。
それはそうと、昨日はそう言うイベントだけ会って関西弁だらけの楽屋。
その中で感じたのが、自分はもう東京よりのバンドマンになったのかなと。
東京に出てもう8年目。
昨日の出演者の中ではもちろん、関西で活動していた時期よりも東京の方が長くなっていしまい知名度のもはや東京の方がある感じだ。
それでも本番前に主催者の方から「姫路代表として頑張ってな!」と言われ、ハッとさせられたり嬉しかったり。
まぁ、音楽は「どこでやっているか?」と言うよりも「何をやっているか?」なのですが、それでも故郷があると言う事はモノを創る上でそれだけで強みになったり、今の僕を作る上でのバックボーンになっているので、やはり大切な事のように思います。
そして時間は遡り新潟。
新潟で待ったくれている人がこんなにいるんだ。
そう思った夜だった。
ライブ終演後、CDにサインを頼まれ、「お名前は?」と聞き、その名前を書いている最中に僕は大切な事を思い出した。
そう、僕は4年前、半年間ほど新潟のラジオFM PORT『ARTIST JAM』という番組で一人で1時間しゃべるというのをやっていた。
東京で収録していたとはいえ、それを今の今まで忘れていたのだ。
で、なぜ思い出したかと言うと、サインをする際に聞いた名前が、そのラジオに毎回メッセージを送ってくれていた方だったからだ。
心の引き出しを開けたと言う感覚よりも、今日まで歩いてきた道の過程に自分が作っておいてきた目印を思い出すと言う感覚が近いかな?
手探りで、最初は不細工でも、粘土をこねるように自分の思い描く形にして置いていく。
納得のいく事も行かない事もあったけど、この道はゆっくりとした動く歩道のようなもの。
途中であろうが置いてこなければいけないものもある。
新潟のFMは確かのあの時代、色んな事に巻き込まれて心が塞ぎかかっていたあの頃に僕がなんとか作ってきた財産。
それを思い出せて良かった。
この道の上、たくさんの財産を、出来るだけ納得のいく形で残していきたいと思う。
結果はすぐには返ってこないときがある。
それでもこの一本道にはたくさんの僕が残したものがある。
死ぬまでにもっともっと残したい。
うん、がんばろう。
2009/09/11
母、兄上京2009
母が泊まる日に親父から入電。
「いろいろ面倒くさいと思うけどお母さんをよろしくな!」
優しいのか優しくないのか分からないが、頼まれた以上は精一杯の親孝行を。
というわけで温泉好きの母の為、群馬県の伊香保温泉まで行ってきた。
石階段のある素敵な温泉街。
なんて言うんだろう。
お世辞にも賑やかな街とは言いがたいが、温泉街特有の雰囲気をまとう素敵な街だった。
移動時間は往復4時間ほどに対し、滞在時間は1時間ほどであったが楽しいひとときだった。
その後は品川駅まで母を送る事に。
さらにそこで兄貴をピックアップ。
一瞬だけ、母、兄貴、僕が東京で合流した。
母を見送り、今度はラーメン狂の兄貴の為、横浜ラーメン博物館へ。
なかなか体力のいる一日だったけど、楽しかった。
家族って不思議なもんだなぁと思った。
兄貴は結婚し、僕は東京。
もう昔のように僕らが同じところで寝て、「おはよう」と朝を迎えることはなくなった。
なくなったからこそ、こうして泊まりにきてくれる時間を愛おしく思う。
家に人を招くのが嫌いな僕も、さすがに家族だとなんの違和感もない。
母の為に温泉に、兄の為に横浜に、と書いたが、やはり僕は僕の心の休日の為にとった行動だったのかもなと思った。
さぁ、今日は新潟、一日空けて大阪!
気合い入れていこう。
2009/09/06
母上京2009 秋
今、となりで母が布団に入っている。
なんでも東京で仕事があったらしく、ついでに泊まるとの事で。
僕の作業部屋に布団を敷いてあげたため、今この日記を書いている横にいるわけだ。
深夜の0時前にパソコンに向かい日記を書く僕に「あんたはゴ○ブリ」みたいやな。夜に動いて!」との言葉を吐きながら横になっている。
例え害虫のようであろうが、あなたの息子である。
そこんとこよろしくなのである。
そう、今日は恵比寿駅まで迎えにいった。
リキッドルームの前を通り、懐かしいなぁと思ったのと、いくら恵比寿で仕事があったとはいえ、オカンはよく一人でリキッドルームを探してこの間のワンマンに来てくれたもんだなぁと感慨深くなった。
そんな彼女の今日の一日は、2件仕事先を廻り、その後渋谷パルコで視察、の途中のタクシーで携帯電話を忘れ大慌てと、濃密な一日を過ごしたらしい。
そんな忙しかったにもかかわらず、晩ご飯を作ってもらった。
実は僕は姫路に帰った際、色んないきさつを経て兄貴夫妻のところで寝泊まりしているので、母の手料理を食べるのは何年ぶり。
ちなみに数年前に東京に来た際に、親孝行と思い「かあさんの手料理が食べたいなぁ」とそれほど思ってもなかったけど言ってみたところ。あっさり断られ外食。
その次の日にもお願いしてみたところ、八幡焼きと言う今まで作った事も食べた事もない料理を披露。
おふくろの味言うたら思い出の味やろっ!とツコッッミどころ満載だった。
そこんとこは今回は大丈夫。
炊き込みご飯と姫路おでん。
おいしかった。
当たり前だけど僕の舌のストライク。
これが他人から見てどうかは知らないし、知る気もないが、この味で僕は育ち、この味を今食べて感動しているのだ。
普段僕は自分の歳を意識する事は少ないが、歳を重ねていく両親を見るたびに背中に鞭を入れたれた感覚になる。
家族をテーマに素敵な歌を書きたいな。
そう思った。
で、面白い事に明日は兄貴が仕事で東京に来てこれまた泊まりに来るらしい。
三木家、久々の再会が東京。
本当に人生って面白い。
追記、宇都宮に来てくれた皆さん!楽しかった!
また宇都宮、年内には行けるように!うっす!!
2009/09/05
漢字が書けなくてもいい
もう今から10年ほど前、漢字検定を受けようと思い立った事がある。
当時、銀髪でぎらついている僕が試験会場に行ったらさぞかし浮いていただろうなと思う。
結局ツアーだなんだで行けなかった。
そして時は流れ、今ではDSなんかで漢字検定の練習が出来るようだ。
昔とった杵柄ではないけど、どれいっちょやってみっか!とトライ。
撃沈。
僕めちゃくちゃアホやん!!
びっくりしました。
いや、ひきました。
アホな男って僕は嫌いなのですが、僕はまさしくアホの標本。
なんせ書けないのです。
パソコン歴が長いのも関係しているんだろうな。
でもね、僕は漢字を練習しようとは思わない。
読めるのであれば書けなくても良い。
アホだと笑われても良い。
僕が選んだ道をはそういうところ。
ヤクザな道。
漢字に費やす時間があれば僕は音楽に捧げたい。
格好つけるでもなく、脇見している暇も時間もない。
今はもっとどん欲に、僕が生まれた意味は、僕にはこれしか出来ない。
そういう作品を残したいと思う。
一生に使える時間には限りがある。
もう十分ある程度の人生経験は他の人よりもしたはず。
作品にだけ、僕は身を切り裂き、その血と息を吹き込み生を宿すのだ。
2009/09/04
言葉のテクニック
はっきり言って僕は。
ぶっちゃけて。
正直に言って良いですか?
上の3つの言葉を言われれば「ドキっ」っとする。
これはいわゆる言葉のフックだと思う。
他にも「極論を言うと」なんていうのもそう。
特にこうやって誰かに何かを発する事をやっていると言葉のフックをどう使うかが腕の見せ所だったりもする。
ただ昨今クレームが多くなり、「極論言えばアホは一回どついたったらええねん!」なんて言うと非難囂々だが、これもこの後の話を聞いてもらう為のフックなのである。
ちなみにうちのダイスケ氏は「大変申し訳ないんやけど」というのをよく用いて、そのあとに「大変申し訳ないんやけど、そこの窓を閉めて」と「大変申し訳ない」という大風呂敷を広げておいて、小さなお願いごとをすると言うテクニックを頻繁に使う。これは上級者である。ただ、何回も同じ人に使うと大げさととられるので簡単には真似ない事をおすすめする。
これの応用編がデートの誘い文句。
「金曜日空いている?」
相手「いや無理なの」
「じゃ、土曜は?」
相手「土曜も無理」
「じゃ日曜」
相手「日曜なら・・・」
古いテクニックだが、言い続ければ相手も断りにくいという心理に陥るというもの。
言葉を上手に使う人は心理戦にも長けていると言う事かも。
心理に長けていると言う事は相手の気持ちがわかると言う事。
日本語は奥が深い。
せっかくなので、いつもしゃべっている言葉じゃないもので今日は会話をスタートさせてみては?
ぶっちゃけて。
正直に言って良いですか?
上の3つの言葉を言われれば「ドキっ」っとする。
これはいわゆる言葉のフックだと思う。
他にも「極論を言うと」なんていうのもそう。
特にこうやって誰かに何かを発する事をやっていると言葉のフックをどう使うかが腕の見せ所だったりもする。
ただ昨今クレームが多くなり、「極論言えばアホは一回どついたったらええねん!」なんて言うと非難囂々だが、これもこの後の話を聞いてもらう為のフックなのである。
ちなみにうちのダイスケ氏は「大変申し訳ないんやけど」というのをよく用いて、そのあとに「大変申し訳ないんやけど、そこの窓を閉めて」と「大変申し訳ない」という大風呂敷を広げておいて、小さなお願いごとをすると言うテクニックを頻繁に使う。これは上級者である。ただ、何回も同じ人に使うと大げさととられるので簡単には真似ない事をおすすめする。
これの応用編がデートの誘い文句。
「金曜日空いている?」
相手「いや無理なの」
「じゃ、土曜は?」
相手「土曜も無理」
「じゃ日曜」
相手「日曜なら・・・」
古いテクニックだが、言い続ければ相手も断りにくいという心理に陥るというもの。
言葉を上手に使う人は心理戦にも長けていると言う事かも。
心理に長けていると言う事は相手の気持ちがわかると言う事。
日本語は奥が深い。
せっかくなので、いつもしゃべっている言葉じゃないもので今日は会話をスタートさせてみては?
2009/09/02
関西共和国
前にも書いたけれど、関西と言う町は独特の文化である。
関西共和国という別文化があると言っても良いくらい。
子供の頃、甲子園に行った際に、阪神スタンドにいると原選手(現ジャイアンツの監督)の写真が地面に置いてあり、「この中に巨人ファンはおらへんはずや!その証拠にこれを踏んでいけ!」と申す大バカ野郎もいたりもした。踏み絵って。
その他にも関西は基本的におもしろくなかったらのけ者にされる。
ネタを振られて拒んだりしたら寒いとこれまたのけ者にされたりする。
みんながみんなとは言わないが男の世界はそうであった。
アホと言われれば喜ぶ。
アホは最高の褒め言葉のである。
先生から「アホやなぁ」なんて言われると、関西の子供達はみな「いやぁ」と照れ笑いをする。
あと、親しい人にこそ悪態をつくと言うバカな文化もある。
僕は見ていないのだが、何やら県民性を取り上げた番組でやっていたらしいが、友達のオカンの事を「あの、お前んとこのブサイクなオカンなぁ」と冗談を言う。
よそではあり得ない話だと思うが、よくある話。
「お前んとこのブサイクなオカンなぁ」と言われりゃ、基本的に「誰がやねん!」と返すのがセット。
時によっては「そうそうあのブサイク。。。。ってしばくぞ!」とノリ突っ込みしたり、「あれでもお前に見せてる顔は女の顔やぞ!」とさらにボケてみたりというヘンテコな人種なのである。
これで本気で怒ると「寒い」とされるのだ。
時折、東京のライブでメンバーのオカンをいじると「失礼だ!」と言われたりもするが、これこそが文化の違い。
当のいじられたメンバーはおいしいと思っているのだから。
こんなにも情報が飛び交い、どの家にもテレビがほぼある時代に、いまだ根強く残る方言、土地土地の文化があるってすごい事だと思う。
やはり人の歴史は、情報だけではなく、生活の中にあるのだと感じずにはいられない。
追記、日曜日は千葉ルックで2マンライブです!
長い時間のライブです!ぜひ!
関西共和国という別文化があると言っても良いくらい。
子供の頃、甲子園に行った際に、阪神スタンドにいると原選手(現ジャイアンツの監督)の写真が地面に置いてあり、「この中に巨人ファンはおらへんはずや!その証拠にこれを踏んでいけ!」と申す大バカ野郎もいたりもした。踏み絵って。
その他にも関西は基本的におもしろくなかったらのけ者にされる。
ネタを振られて拒んだりしたら寒いとこれまたのけ者にされたりする。
みんながみんなとは言わないが男の世界はそうであった。
アホと言われれば喜ぶ。
アホは最高の褒め言葉のである。
先生から「アホやなぁ」なんて言われると、関西の子供達はみな「いやぁ」と照れ笑いをする。
あと、親しい人にこそ悪態をつくと言うバカな文化もある。
僕は見ていないのだが、何やら県民性を取り上げた番組でやっていたらしいが、友達のオカンの事を「あの、お前んとこのブサイクなオカンなぁ」と冗談を言う。
よそではあり得ない話だと思うが、よくある話。
「お前んとこのブサイクなオカンなぁ」と言われりゃ、基本的に「誰がやねん!」と返すのがセット。
時によっては「そうそうあのブサイク。。。。ってしばくぞ!」とノリ突っ込みしたり、「あれでもお前に見せてる顔は女の顔やぞ!」とさらにボケてみたりというヘンテコな人種なのである。
これで本気で怒ると「寒い」とされるのだ。
時折、東京のライブでメンバーのオカンをいじると「失礼だ!」と言われたりもするが、これこそが文化の違い。
当のいじられたメンバーはおいしいと思っているのだから。
こんなにも情報が飛び交い、どの家にもテレビがほぼある時代に、いまだ根強く残る方言、土地土地の文化があるってすごい事だと思う。
やはり人の歴史は、情報だけではなく、生活の中にあるのだと感じずにはいられない。
追記、日曜日は千葉ルックで2マンライブです!
長い時間のライブです!ぜひ!
2009/09/01
違い
20代ってどんな大人になりたいかを目指す頃だと思う。
30代はどんなに大人になったのを実感する頃だと思う。
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