2009/04/30
知識と経験、そして
昨日は腰を抜かすほど本を買った。
僕は本とCDを買う際はまとめ買いをする。
金額にすると2万〜3万円ほどをまとめて買う。
昨日も20冊以上買った。
新刊に文庫に、ちょっとした専門書に、ジョジョの文庫(ストーンオーシャンね)。
何になりたいねん!どこを目指したいねん!!と突っ込みたくなるようなジャンルの乱れよう。
野球のユニフォームを着て、テニスのラケットでセパタクロをやっているようなもんである。
さらに昨日はたまたまレジは一人。
それでもおかまいなしに図書カードを使い、確定申告の為に領収書をお願いし、僕の後ろは大渋滞。
毎回店員にも後ろのお客さんにも「こいつ何もんやねん」と不思議な目で見られる。
毎回行く店に至っては、新入りの店員に先輩店員が「きたきた、あいつ見ててよ、おもろいから」と言っているのが分かる時があり、こっ恥ずかしい。
さて、僕の本の出会い。
はじまりは公文の先生の一言。
「しげる君、何でもいいから本を読みなさい。漫画でもいいの。とにかく読むのよ。」
いつもピリッとしている先生の声がやけに暖かく優しかったので、僕の心には真っすぐに刺さった。
僕は本を読む人がインテリだとは思わない。
それでもなるべくなら沢山の本を読んだ方が人生は楽しいのではないかと思う。
別に小説でなくてもいい。
僕らは知らぬ間に本と出会っている。
例えるならば携帯電話や電化製品の説明書、病院で薬をもらった時の効果等の書かれた紙。
僕らで言えば「簡単!ジャズマスター!!」などの専門書。
料理のレシピ本なんかもそうだ。
本と言えば小説や哲学書なんかのイメージが強いかもしれないけど、そんな事はない。
本は僕らに知識を与えてくれる。
僕らは知らない事を本で学ぶ。
小説なんかを読んでいて、感動するシーンは誰が読んでも同じである。
これは作者が人がどこで感動するかを知っていると言うすごい事であり、僕なんかはそこできちんと感動出来るかどうかが、今の自分の心の座り方のバロメーターになる。
本は疑似恋愛であったり、なかなか経験出来ないような事を教えてくれ、やがて人の痛みが分かって来るような気がする。
ただ、これだけでは足りない。
本でたくさんの知識を得ても、頭でっかちではしかたがない。
そこには今日まで自分が歩いて来た道で経験した事もプラスされる。
が、これだけでも足りないのではないかと最近気が付いて来た。
知識と経験を得たら、最後に愛をくわえるのだと思う。
それは与えるだけの愛ではなく、愛されてきた愛。
恋人、友人。
愛するのは簡単だけど、愛されるのは自分の今日までの歩き方が反映される。
ビートルズの歌詞に「あなたが受ける愛は、あなたが与える愛と同じだ」というものがあるが、そう言う事なんだろう。
知識、経験、愛。
僕は立派な人になれなくてもいいけど、立派な人を目指そうとすることは忘れちゃいけないなと思う。
世の中にまだまだ溢れている手つかずの知識をどん欲に求め、歓喜と絶望をしみ込ませ、異性からも同性からも好かれる、上辺のぺらぺらではなく、長い付き合いの中で好かれるような、そんな人を目指したい。
僕は本とCDを買う際はまとめ買いをする。
金額にすると2万〜3万円ほどをまとめて買う。
昨日も20冊以上買った。
新刊に文庫に、ちょっとした専門書に、ジョジョの文庫(ストーンオーシャンね)。
何になりたいねん!どこを目指したいねん!!と突っ込みたくなるようなジャンルの乱れよう。
野球のユニフォームを着て、テニスのラケットでセパタクロをやっているようなもんである。
さらに昨日はたまたまレジは一人。
それでもおかまいなしに図書カードを使い、確定申告の為に領収書をお願いし、僕の後ろは大渋滞。
毎回店員にも後ろのお客さんにも「こいつ何もんやねん」と不思議な目で見られる。
毎回行く店に至っては、新入りの店員に先輩店員が「きたきた、あいつ見ててよ、おもろいから」と言っているのが分かる時があり、こっ恥ずかしい。
さて、僕の本の出会い。
はじまりは公文の先生の一言。
「しげる君、何でもいいから本を読みなさい。漫画でもいいの。とにかく読むのよ。」
いつもピリッとしている先生の声がやけに暖かく優しかったので、僕の心には真っすぐに刺さった。
僕は本を読む人がインテリだとは思わない。
それでもなるべくなら沢山の本を読んだ方が人生は楽しいのではないかと思う。
別に小説でなくてもいい。
僕らは知らぬ間に本と出会っている。
例えるならば携帯電話や電化製品の説明書、病院で薬をもらった時の効果等の書かれた紙。
僕らで言えば「簡単!ジャズマスター!!」などの専門書。
料理のレシピ本なんかもそうだ。
本と言えば小説や哲学書なんかのイメージが強いかもしれないけど、そんな事はない。
本は僕らに知識を与えてくれる。
僕らは知らない事を本で学ぶ。
小説なんかを読んでいて、感動するシーンは誰が読んでも同じである。
これは作者が人がどこで感動するかを知っていると言うすごい事であり、僕なんかはそこできちんと感動出来るかどうかが、今の自分の心の座り方のバロメーターになる。
本は疑似恋愛であったり、なかなか経験出来ないような事を教えてくれ、やがて人の痛みが分かって来るような気がする。
ただ、これだけでは足りない。
本でたくさんの知識を得ても、頭でっかちではしかたがない。
そこには今日まで自分が歩いて来た道で経験した事もプラスされる。
が、これだけでも足りないのではないかと最近気が付いて来た。
知識と経験を得たら、最後に愛をくわえるのだと思う。
それは与えるだけの愛ではなく、愛されてきた愛。
恋人、友人。
愛するのは簡単だけど、愛されるのは自分の今日までの歩き方が反映される。
ビートルズの歌詞に「あなたが受ける愛は、あなたが与える愛と同じだ」というものがあるが、そう言う事なんだろう。
知識、経験、愛。
僕は立派な人になれなくてもいいけど、立派な人を目指そうとすることは忘れちゃいけないなと思う。
世の中にまだまだ溢れている手つかずの知識をどん欲に求め、歓喜と絶望をしみ込ませ、異性からも同性からも好かれる、上辺のぺらぺらではなく、長い付き合いの中で好かれるような、そんな人を目指したい。
2009/04/29
イナズマを呼べ!
僕たちがデビューする前に出したアルバムに『チリリンGO!』というのがある。
この中に収録されている「イナズマを呼べ」の歌詞を先日ふとしたきっかけで読み返してみたのだが、いやはや若さとはやはり武器である。
少し抜粋してみよう。
「誰かの意見は聞きたくない 誰かの機嫌は取りたくない
誰にも指図はされたくない 何かにとらわれて生きたくない」
「我が道をいくぜ 思った事を口にしていくぜ
愛想笑いをして 飼いならされて生きるのはごめんだ」
まぁ、ご存知の通り、今でもこういう気質を持っているのですが(苦笑)。
今よりももっと尖っていたと思います。
誰かと戦ってでも意見を通していたあの頃。
敵も多くて。
でも、いつかみんな仲間になっていて。
ネットもそれほど普及していなくて、ライブは本当にライブでしか言えない事が言えて。
良い時代でした。
とここまで書いて、この歌の3番の歌詞。
「『オレも昔は・・・』なんて言葉 死んでも口にはしたくない。
はい。。。
すみません。。。。
猛烈に反省します。。。。
僕はデビューをきかっけに少し丸くなったと今振り返る。
デビューしてすぐの頃は、せっかく撮ってもらったPVも当初話していた内容と違う方向に進められていて(結果、僕が絶対に嫌だと言っていた内容になった)、出来上がった作品に「これは違う!」と100万円以上かけて撮った作品をお蔵入りにしたことがある。
だから僕らのデビューPVは世に出ていない。
今になればもう少し言い方はあったよなと省みるが、今でも同じ結果へとは導くと思う。
ただ、デビューするってことは何かに属する事。
するとそこで頑張っているスタッフや、やはり僕の言動一つでメンバーに迷惑をかけてしまう。
そういった事が積み重なり、僕は少し丸くなった。
それでも僕が幸せなのは、僕が厳しい意見を言うとき、スタッフもメンバーも僕の意見の真意を汲み取り、覚悟を背負ってくれて発言させてくれる。
だからこそ、『パンとピストル』は世の中に出す事が出来たのだと思う。
僕は少し丸くなった。
代わりに表現力は上がった。
腹の底で感じる事が同じであれば、それが一番良い。
表現すると言う事は、時には誰かを傷つける事も覚悟の上。
そこは避けては通れない。
そのためにも僕はいつだって、強がって生意気でいるのだ。
「むき出しの思いのままに すべてをぶちこわすほどの オレの中で眠る イナズマを呼べ」
この中に収録されている「イナズマを呼べ」の歌詞を先日ふとしたきっかけで読み返してみたのだが、いやはや若さとはやはり武器である。
少し抜粋してみよう。
「誰かの意見は聞きたくない 誰かの機嫌は取りたくない
誰にも指図はされたくない 何かにとらわれて生きたくない」
「我が道をいくぜ 思った事を口にしていくぜ
愛想笑いをして 飼いならされて生きるのはごめんだ」
まぁ、ご存知の通り、今でもこういう気質を持っているのですが(苦笑)。
今よりももっと尖っていたと思います。
誰かと戦ってでも意見を通していたあの頃。
敵も多くて。
でも、いつかみんな仲間になっていて。
ネットもそれほど普及していなくて、ライブは本当にライブでしか言えない事が言えて。
良い時代でした。
とここまで書いて、この歌の3番の歌詞。
「『オレも昔は・・・』なんて言葉 死んでも口にはしたくない。
はい。。。
すみません。。。。
猛烈に反省します。。。。
僕はデビューをきかっけに少し丸くなったと今振り返る。
デビューしてすぐの頃は、せっかく撮ってもらったPVも当初話していた内容と違う方向に進められていて(結果、僕が絶対に嫌だと言っていた内容になった)、出来上がった作品に「これは違う!」と100万円以上かけて撮った作品をお蔵入りにしたことがある。
だから僕らのデビューPVは世に出ていない。
今になればもう少し言い方はあったよなと省みるが、今でも同じ結果へとは導くと思う。
ただ、デビューするってことは何かに属する事。
するとそこで頑張っているスタッフや、やはり僕の言動一つでメンバーに迷惑をかけてしまう。
そういった事が積み重なり、僕は少し丸くなった。
それでも僕が幸せなのは、僕が厳しい意見を言うとき、スタッフもメンバーも僕の意見の真意を汲み取り、覚悟を背負ってくれて発言させてくれる。
だからこそ、『パンとピストル』は世の中に出す事が出来たのだと思う。
僕は少し丸くなった。
代わりに表現力は上がった。
腹の底で感じる事が同じであれば、それが一番良い。
表現すると言う事は、時には誰かを傷つける事も覚悟の上。
そこは避けては通れない。
そのためにも僕はいつだって、強がって生意気でいるのだ。
「むき出しの思いのままに すべてをぶちこわすほどの オレの中で眠る イナズマを呼べ」
2009/04/27
叶えられなかった夢「家庭教師」
習い事といえば、小学生の時に家庭教師がつくことになった。
いつも兄貴の後追いだった僕に、はじめて先制の先生。
熱血ママでは決っしてなかった親が率先してつけるくらいなので、よっぽど僕はバカだったのだろう。
実際に2月生まれという早生まれが仇となったのか、僕は周りの子供よりも明らかに知能が遅れていたと思う。
小学校の面接で、「好きな食べ物は?」と聞かれ「かしわ(関西で言う鶏肉のこと)」と素材を答え母を赤面させたとか。
ひらがなの読み書きが出来るようになったのも小学生になってから。
兄貴は僕と兄弟だと思われるのが嫌なくらいだったと言う。
そんないつも鼻タレまくっている僕に家庭教師。
確かに教えてもらった時には成績は伸びるが、その一瞬だけ。
ただ、先生が大好きだったので勉強にいくのは嫌ではなかった。
ちなみにこの先生、数年後、僕が何かのテレビに「THE NEUTRAL」として出演しているのを偶然見てくれ、僕の両親に連絡をくれたらしい。鼻タレ小僧だった僕を見て「格好良くなったなぁ」としみじみ言ってくれたそうだ。
音楽をやっていてこういう再会が結構あるが、嬉しいもんである。
そんなアホたれの僕もなんとか大学に潜り込む事が出来て、ちょっと教職を目指そうかと思ったりもした。
が、バンドにすべてをかけるため、他の逃げ道を作らないようにその夢を捨てた。
それでもバイトとして家庭教師くらいは良いのではないか?と考えたが、結局やらないままに終わった。
いまだに少し、家庭教師ならちょっとやってみたいなぁと思う。
この僕の淡い夢を叶えた男が身近にいる。
我らがベーシスト、ホームラン代谷だ。
人として欠陥だらけの彼が何を教える事があるのかと思うのだが、彼持ち前の「まぁ大丈夫やろ」という分けの分からぬO型特有のおおらかさで家庭教師を引き受け、大学時代はそれで生計を立てていたらしい。
とはいいつつ、代谷もそこそこの有名大学出身。
生徒さんのご両親も、彼の何も考えていない顔が真面目に見えると言う天性と、根拠のない落ち着きがはまったのだろう。
たいそう気に入ったらしい。
ところが子供とは恐ろしいもんである。
すぐさま、「あっ!こいつなんかちゃうぞ!?」と見抜いたらしく、ことあるごとに休憩を望み、「先生!ゲームしよ!!」と誘惑。
漫画とゲームが大好きな代谷先生は「もう、、、これ一回だけやぞ!」と袖をまくり上げやる気満々。
最後にはただの遊び相手となっていた。
が、この生徒は一人っ子だったらしく、ご両親は「遊び相手でも良いのです。」とまさかの代谷先生の続投を決定。
ここに歳の差を超えた友情成立。
いつも思うのだが、代谷は最後にはいつもこういうところに落ち着く。
彼の人柄とも言うのだろうか。
人徳である。
時折、僕の夢を叶えた代谷を少し羨ましく思う。
だからなのか、いまだに僕は歌を作るとき、何曲かに一曲は子供達に夢のある歌を作りたいなぁと思うのである。
いつも兄貴の後追いだった僕に、はじめて先制の先生。
熱血ママでは決っしてなかった親が率先してつけるくらいなので、よっぽど僕はバカだったのだろう。
実際に2月生まれという早生まれが仇となったのか、僕は周りの子供よりも明らかに知能が遅れていたと思う。
小学校の面接で、「好きな食べ物は?」と聞かれ「かしわ(関西で言う鶏肉のこと)」と素材を答え母を赤面させたとか。
ひらがなの読み書きが出来るようになったのも小学生になってから。
兄貴は僕と兄弟だと思われるのが嫌なくらいだったと言う。
そんないつも鼻タレまくっている僕に家庭教師。
確かに教えてもらった時には成績は伸びるが、その一瞬だけ。
ただ、先生が大好きだったので勉強にいくのは嫌ではなかった。
ちなみにこの先生、数年後、僕が何かのテレビに「THE NEUTRAL」として出演しているのを偶然見てくれ、僕の両親に連絡をくれたらしい。鼻タレ小僧だった僕を見て「格好良くなったなぁ」としみじみ言ってくれたそうだ。
音楽をやっていてこういう再会が結構あるが、嬉しいもんである。
そんなアホたれの僕もなんとか大学に潜り込む事が出来て、ちょっと教職を目指そうかと思ったりもした。
が、バンドにすべてをかけるため、他の逃げ道を作らないようにその夢を捨てた。
それでもバイトとして家庭教師くらいは良いのではないか?と考えたが、結局やらないままに終わった。
いまだに少し、家庭教師ならちょっとやってみたいなぁと思う。
この僕の淡い夢を叶えた男が身近にいる。
我らがベーシスト、ホームラン代谷だ。
人として欠陥だらけの彼が何を教える事があるのかと思うのだが、彼持ち前の「まぁ大丈夫やろ」という分けの分からぬO型特有のおおらかさで家庭教師を引き受け、大学時代はそれで生計を立てていたらしい。
とはいいつつ、代谷もそこそこの有名大学出身。
生徒さんのご両親も、彼の何も考えていない顔が真面目に見えると言う天性と、根拠のない落ち着きがはまったのだろう。
たいそう気に入ったらしい。
ところが子供とは恐ろしいもんである。
すぐさま、「あっ!こいつなんかちゃうぞ!?」と見抜いたらしく、ことあるごとに休憩を望み、「先生!ゲームしよ!!」と誘惑。
漫画とゲームが大好きな代谷先生は「もう、、、これ一回だけやぞ!」と袖をまくり上げやる気満々。
最後にはただの遊び相手となっていた。
が、この生徒は一人っ子だったらしく、ご両親は「遊び相手でも良いのです。」とまさかの代谷先生の続投を決定。
ここに歳の差を超えた友情成立。
いつも思うのだが、代谷は最後にはいつもこういうところに落ち着く。
彼の人柄とも言うのだろうか。
人徳である。
時折、僕の夢を叶えた代谷を少し羨ましく思う。
だからなのか、いまだに僕は歌を作るとき、何曲かに一曲は子供達に夢のある歌を作りたいなぁと思うのである。
2009/04/25
習い事
我が家は特別お金持ちでもなく、特別熱血お受験という家庭でもなかったけど、習い事はちょこちょこやっていた。
ほぼ優秀な兄が自主的に選んだものであり、次男坊である僕は基本的に後追いまねごと。
やっていたのは、公文(くもんと読み、いわゆる塾みたいなもの)と、少林寺拳法。
まさに文武両道。兄は率先していくのだが、基本まねごとである僕は続かない。
公文では毎回宿題が出るのだが、なんせこちとらノリでやっているので家に帰ってまでやるはずもない。
友達の付き合いで部活動見学に来たのに「お前やる気あるのか!?」と言われているようなもんである。
やる気なんてはじめからないのである。
そんなまさにニート幼稚園の僕に、母は特に手をやいていた。
ある時たまりかねた母に「そんな宿題せーへんのやったら捨てたる!!」と便所に公文のプリント10枚を流されたことがある。
トイレットペーパー以外のものは流さないで下さい。というプレートを見る度、僕は母の怒り顔を思い出す。
少林寺拳法も同等。
冬でも道着1枚、裸足なのである。
孫悟空だって孫御飯だって重ね着してるちゅーねん!靴履いてるちゅーねん!
文句ばっかりぶーたれては、さぼることばかり考えていた。
この少林寺拳法、格闘技のようで実はそうではない。と、僕は解釈する。
護身術のようなものだ。
基本的に自分から仕掛けない。
相手が仕掛けてきた時に返す、というやさしーーーい草食拳法なのである。
実戦的でないこの拳法を僕は次第になめだし、やがて反抗期になり、お世話になっている師範に悪態をつき出すと言う、なんとも恥ずかしい話。
今タイムマシーンがあったら迷わずその時代に行って、一回笑って相手の気を緩ませてからぶっ飛ばしてやりたいガキだった。
ちなみに、僕は一級という黒帯の一歩手前でやめている辺りで中途半端さが伺える。
公文に行くと計算力が上がり暗算が得意になる。
少林寺に行くと体が強くなる。
はずだが、どちらも中途半端で終わった僕はいまだに数字そのものが苦手で、格闘技をする体でもなけりゃ、しかけられても返すことも出来ない。
それでも習っていて良かったなと思う。
身に付く、付かないではなく、乾いたスポンジのようなあの頃に色んな人と接して、同じ時間を共有したことは少なからず僕の身になっていると思う。
ただ、ピアノを習ってなくて良かったなと思う。
きっと僕は音楽が嫌いになっていただろうし、ピアノはトイレに流せないから。
ほぼ優秀な兄が自主的に選んだものであり、次男坊である僕は基本的に後追いまねごと。
やっていたのは、公文(くもんと読み、いわゆる塾みたいなもの)と、少林寺拳法。
まさに文武両道。兄は率先していくのだが、基本まねごとである僕は続かない。
公文では毎回宿題が出るのだが、なんせこちとらノリでやっているので家に帰ってまでやるはずもない。
友達の付き合いで部活動見学に来たのに「お前やる気あるのか!?」と言われているようなもんである。
やる気なんてはじめからないのである。
そんなまさにニート幼稚園の僕に、母は特に手をやいていた。
ある時たまりかねた母に「そんな宿題せーへんのやったら捨てたる!!」と便所に公文のプリント10枚を流されたことがある。
トイレットペーパー以外のものは流さないで下さい。というプレートを見る度、僕は母の怒り顔を思い出す。
少林寺拳法も同等。
冬でも道着1枚、裸足なのである。
孫悟空だって孫御飯だって重ね着してるちゅーねん!靴履いてるちゅーねん!
文句ばっかりぶーたれては、さぼることばかり考えていた。
この少林寺拳法、格闘技のようで実はそうではない。と、僕は解釈する。
護身術のようなものだ。
基本的に自分から仕掛けない。
相手が仕掛けてきた時に返す、というやさしーーーい草食拳法なのである。
実戦的でないこの拳法を僕は次第になめだし、やがて反抗期になり、お世話になっている師範に悪態をつき出すと言う、なんとも恥ずかしい話。
今タイムマシーンがあったら迷わずその時代に行って、一回笑って相手の気を緩ませてからぶっ飛ばしてやりたいガキだった。
ちなみに、僕は一級という黒帯の一歩手前でやめている辺りで中途半端さが伺える。
公文に行くと計算力が上がり暗算が得意になる。
少林寺に行くと体が強くなる。
はずだが、どちらも中途半端で終わった僕はいまだに数字そのものが苦手で、格闘技をする体でもなけりゃ、しかけられても返すことも出来ない。
それでも習っていて良かったなと思う。
身に付く、付かないではなく、乾いたスポンジのようなあの頃に色んな人と接して、同じ時間を共有したことは少なからず僕の身になっていると思う。
ただ、ピアノを習ってなくて良かったなと思う。
きっと僕は音楽が嫌いになっていただろうし、ピアノはトイレに流せないから。
2009/04/24
僕は幸せです
いつも思うのですが、僕は割と人が書かないような事を書いているよな、と。
昨日の日記も誤解されやすい内容であるにもかかわらず、苦情なし。
嬉しい事だと思います。
これはフォローでもなんでもなく、僕は自分達の歌を愛してくれている人たちを信用しているからこそ、生意気とも取れるような発言が出来るんだと思います。
その関係性を築けた事を誇りに思います。
昨今、行間を読むのが下手になったなと思います。
文と文の間には、書かれていない文字、空気、感覚があります。
日本人はそう言う間を読むのが得意な人種のはず。
それがここ最近では、その行間を読まず、文を一方向からだけ見てマイナスに受け取り苦情の荒しなんて事もしばしば。
メールで返事がすぐもらえる時代ってのも少なからず関係しているのでしょうね。
すぐに答えを求めたがる。
どういう意味なのか?
ゆっくりと書かれていない部分を読み、汲み取り、楽しむのが大切なのです。
あえて添えるならば、出来るだけマイナスではなく、良い方向に文字を読んでいければ素敵だなと思いますし、僕が書く文に関しては、悪意はなく、なにかそこには意味があるので良い方向に受け取って読み取ってほしいなと。
代わりに僕は自由に表現します、って関係が素敵であり、それが築けている事を誇りに思います。
僕らはいつだって選べない。
興味がなくなれば僕らの歌は聴かれなくなる。
決定権はいつだって受け手にある。
だからこそ、こびるのではなく、緊張感を持っていきたいなと思います。
新曲、良い感じです。
この度に僕は強くなります。
この度に僕は歌う事の喜びに浸れるのです。
これからも応援よろしく!
昨日の日記も誤解されやすい内容であるにもかかわらず、苦情なし。
嬉しい事だと思います。
これはフォローでもなんでもなく、僕は自分達の歌を愛してくれている人たちを信用しているからこそ、生意気とも取れるような発言が出来るんだと思います。
その関係性を築けた事を誇りに思います。
昨今、行間を読むのが下手になったなと思います。
文と文の間には、書かれていない文字、空気、感覚があります。
日本人はそう言う間を読むのが得意な人種のはず。
それがここ最近では、その行間を読まず、文を一方向からだけ見てマイナスに受け取り苦情の荒しなんて事もしばしば。
メールで返事がすぐもらえる時代ってのも少なからず関係しているのでしょうね。
すぐに答えを求めたがる。
どういう意味なのか?
ゆっくりと書かれていない部分を読み、汲み取り、楽しむのが大切なのです。
あえて添えるならば、出来るだけマイナスではなく、良い方向に文字を読んでいければ素敵だなと思いますし、僕が書く文に関しては、悪意はなく、なにかそこには意味があるので良い方向に受け取って読み取ってほしいなと。
代わりに僕は自由に表現します、って関係が素敵であり、それが築けている事を誇りに思います。
僕らはいつだって選べない。
興味がなくなれば僕らの歌は聴かれなくなる。
決定権はいつだって受け手にある。
だからこそ、こびるのではなく、緊張感を持っていきたいなと思います。
新曲、良い感じです。
この度に僕は強くなります。
この度に僕は歌う事の喜びに浸れるのです。
これからも応援よろしく!
2009/04/20
サイン2
僕が初めてサインをもらったのは小学生の時。
親戚のおばちゃんが何やら音楽の仕事をしていたらしく、その関連で演歌歌手が営業と言うか何と言うかで、うちのお店を借りて後援会みたいなわけの分からぬ会を開いた。
名も知らぬ演歌歌手でも、こっちからしたら東京から来た芸能人である。
当然僕もいただいた。が、さほど嬉しくなかったのを覚えているし、子供ながらにいろいろ理解し、後日、友達に自慢しなかったこともはっきり覚えているし、僕に先見の目があったのが、やはりその演歌歌手はその後、ろうそくの火のように音楽人生を閉じたようだった。
あれから何年か経って、僕はサインをする側になった。
今日までいくつしただろうか?
覚えていない。
覚えきれない。
ただするようになって思いだしたのが、サインなんているか?
と言う事である。
ただ名前書くだけ。いるかよ??
もっと自分に自信を持って生きていけ!と青春パンクのような考え方までもちだしたあの頃。
ローリングストーンズのライブを見に行った。
しびれた。
もし楽屋にまでいけるならば、僕は絶対にサインが欲しいと思った。
その時、思った事。
じゃ、僕のサインをほしがる人は、僕がストーンズに抱いているような感じで僕を見てくれているのかと言う事。
これは嬉しい。
喜んでしようじゃないか!!
ただ安売りはごめんだなと思う。
いつもいつもサインをしている人の「今日、自分がライブ行った記念」みたいなのに毎回サインをするのは違うなと思う。
サインとはそう言うものではない。
憧れのもとにあるものである。
それ以外のサインを求められたとき、基本的に断っていこうと思う。
「サインしなきゃライブに来てくれないかも」なんて発想を持つ方がよっぽど怖いし、僕は終わっていくだろう。
こっちの気分一つでサインを書いたり、断ったりで良いと思う。
アーティストは憧れられてなんぼ。
わがままでなんぼ。
優等生ではロックは出来ない。
優等生では既成のものしか出来ない。
はみ出した先のものをみたいから、僕らはモノを作っているのだと思う。
親戚のおばちゃんが何やら音楽の仕事をしていたらしく、その関連で演歌歌手が営業と言うか何と言うかで、うちのお店を借りて後援会みたいなわけの分からぬ会を開いた。
名も知らぬ演歌歌手でも、こっちからしたら東京から来た芸能人である。
当然僕もいただいた。が、さほど嬉しくなかったのを覚えているし、子供ながらにいろいろ理解し、後日、友達に自慢しなかったこともはっきり覚えているし、僕に先見の目があったのが、やはりその演歌歌手はその後、ろうそくの火のように音楽人生を閉じたようだった。
あれから何年か経って、僕はサインをする側になった。
今日までいくつしただろうか?
覚えていない。
覚えきれない。
ただするようになって思いだしたのが、サインなんているか?
と言う事である。
ただ名前書くだけ。いるかよ??
もっと自分に自信を持って生きていけ!と青春パンクのような考え方までもちだしたあの頃。
ローリングストーンズのライブを見に行った。
しびれた。
もし楽屋にまでいけるならば、僕は絶対にサインが欲しいと思った。
その時、思った事。
じゃ、僕のサインをほしがる人は、僕がストーンズに抱いているような感じで僕を見てくれているのかと言う事。
これは嬉しい。
喜んでしようじゃないか!!
ただ安売りはごめんだなと思う。
いつもいつもサインをしている人の「今日、自分がライブ行った記念」みたいなのに毎回サインをするのは違うなと思う。
サインとはそう言うものではない。
憧れのもとにあるものである。
それ以外のサインを求められたとき、基本的に断っていこうと思う。
「サインしなきゃライブに来てくれないかも」なんて発想を持つ方がよっぽど怖いし、僕は終わっていくだろう。
こっちの気分一つでサインを書いたり、断ったりで良いと思う。
アーティストは憧れられてなんぼ。
わがままでなんぼ。
優等生ではロックは出来ない。
優等生では既成のものしか出来ない。
はみ出した先のものをみたいから、僕らはモノを作っているのだと思う。
2009/04/19
ワカバのライブでパワーをもらい、僕らの明日へとつなげていく
ますはじめに、今日は仙台です!!
会いに行きます、仙台の皆さん。
良い歌、歌います!!
さて、昨日はワカバのライブ。
僕は開演時間を間違えて1時間以上早く来てしまいました。
17時とか18時とか、僕苦手です。
あれやめません?
数字に弱い文系の僕はパニックになります。
ってなわけで当然開場もしておらず、ファンの方々同様待っていました。
どんだけワカバ好きやねんっっ!と後でバンドマンから突っ込まれまくりました(笑)。
知らない関係でもないので、言えば先に中に入れてもらえたでしょうが、なんかそれも違うよなーと、一人ホールの前でぽつんと待っていました。
もちろん周りはワカバファンだらけ。
しかしながら、ワカバのファンの方はさすが。
僕と分かっていながらも写真とかいうこともなく、そっとしてくれましたし、穏やかに「少しだけお話ししても良いですか?」とちゃんと聞いてから、ひとりぼっちの鍵っ子出身の僕に優しく接してくれました。
「ユ・ウ・ジョ・ウ」インプット完了。
ウォーズマンの気持ちが少しわかりました。
ライブはホールでありながらもあえて手作り感満載で、それが等身大の彼らのように素敵で、あっと言う間に終わりました。
新曲の歌うタイミングもチョイスも絶妙。
僕の中ではあっと言う間。
あとは椅子席の素晴らしさも感じ、これならまたやる事変わって来るな、といつかの自分を描いていました。
あれだけ沢山の人がいればライブに関してもいろいろ言う人がいるかも、ですが、ライブは粗捜しであったり、自分のマインドの問題で見てはいけなく、僕は今出来る精一杯の彼らを見て、明るい曲の時ほど時折じーんと涙が出そうになりました。
歌詞どうこうではないないんですよね。
涙の瞬間って。
その人の佇まい、気が伝わってくる時があって。
良いライブでした。
そして同期の僕らにも希望を与えてくれました。
僕の心に映った2009年4月18日。
心の満席、満員御礼。
素敵なライブをありがとう。
そして御互い頑張ろう。
さぁ、僕は7月20日です。
ワカバも言ってたな。
僕の歌、『風の吹く場所』にもある。
「どこまでいけるか 試してみようと思うんだ
そう 戸惑いながら 間違いながら この日々は続いていく」
会いに来てほしいなと思います。
僕は代わりに良い歌と良いライブ、そしてあなたの明日と、今日までの日々を照らします。
恵比寿リキッドルームまで後少し。
後少し。
頑張ろう。
7月に向けて怒濤のライブが増えていきますが、応援よろしくお願いします!!
こそこそ、調整もかねて新曲も歌っていくと思います。
気が付けばセットリストも変わっていくだろうな。
よし!いくぞ!!
会いに行きます、仙台の皆さん。
良い歌、歌います!!
さて、昨日はワカバのライブ。
僕は開演時間を間違えて1時間以上早く来てしまいました。
17時とか18時とか、僕苦手です。
あれやめません?
数字に弱い文系の僕はパニックになります。
ってなわけで当然開場もしておらず、ファンの方々同様待っていました。
どんだけワカバ好きやねんっっ!と後でバンドマンから突っ込まれまくりました(笑)。
知らない関係でもないので、言えば先に中に入れてもらえたでしょうが、なんかそれも違うよなーと、一人ホールの前でぽつんと待っていました。
もちろん周りはワカバファンだらけ。
しかしながら、ワカバのファンの方はさすが。
僕と分かっていながらも写真とかいうこともなく、そっとしてくれましたし、穏やかに「少しだけお話ししても良いですか?」とちゃんと聞いてから、ひとりぼっちの鍵っ子出身の僕に優しく接してくれました。
「ユ・ウ・ジョ・ウ」インプット完了。
ウォーズマンの気持ちが少しわかりました。
ライブはホールでありながらもあえて手作り感満載で、それが等身大の彼らのように素敵で、あっと言う間に終わりました。
新曲の歌うタイミングもチョイスも絶妙。
僕の中ではあっと言う間。
あとは椅子席の素晴らしさも感じ、これならまたやる事変わって来るな、といつかの自分を描いていました。
あれだけ沢山の人がいればライブに関してもいろいろ言う人がいるかも、ですが、ライブは粗捜しであったり、自分のマインドの問題で見てはいけなく、僕は今出来る精一杯の彼らを見て、明るい曲の時ほど時折じーんと涙が出そうになりました。
歌詞どうこうではないないんですよね。
涙の瞬間って。
その人の佇まい、気が伝わってくる時があって。
良いライブでした。
そして同期の僕らにも希望を与えてくれました。
僕の心に映った2009年4月18日。
心の満席、満員御礼。
素敵なライブをありがとう。
そして御互い頑張ろう。
さぁ、僕は7月20日です。
ワカバも言ってたな。
僕の歌、『風の吹く場所』にもある。
「どこまでいけるか 試してみようと思うんだ
そう 戸惑いながら 間違いながら この日々は続いていく」
会いに来てほしいなと思います。
僕は代わりに良い歌と良いライブ、そしてあなたの明日と、今日までの日々を照らします。
恵比寿リキッドルームまで後少し。
後少し。
頑張ろう。
7月に向けて怒濤のライブが増えていきますが、応援よろしくお願いします!!
こそこそ、調整もかねて新曲も歌っていくと思います。
気が付けばセットリストも変わっていくだろうな。
よし!いくぞ!!
2009/04/18
サイン
日記の前に、今日はワカバがCCレモンホールでライブです!
僕らも全員で見に行きます!
あなたの隣になるかもです(笑)。
当日券も若干出るかもと言う太っ腹!!
まだチケット取っていない人、空いていたら勢いでGO!!
そして、僕らの5月6日の語朗読とGo!Rockの一般発売も今日から開始です!!
ぜひぜひ!今、気合い入れて歌詞を書いています!
さて、でははじめよう。
今日はサインについて。
初めてサインを求められ、した時の事を今でもはっきり・・・覚えていない。
残念ながらいつだったのかどこだったのか、全く覚えていない。
きっと特別「あぁオレもサイン出来るようになったのか」と思わなかったんだろうな。
僕のサインは至って簡単。
「しげる」の文字を流れで書いているだけ。
誰でも書けるものであるので一応時間がある時は横に「一生懸命」と書くようにしている。
このサイン、実は小学生の時、家庭教師の先生が教え与えてくれたもの。
それを僕はずーっと使っている。
家庭教師の先生だけに、まさに、サイン・コサイン・タンジェントである。
小学生の時、一時だけサインをするのがブームになった。
教科書にノート、机に壁に、とにかく僕らはサインを書きまくった。
当然先生は激怒、犯人も当然名前を書いているわけだからすぐにバレる。
子供は可愛いほど馬鹿である。
サインを書く事に慣れた僕らは今度はサインが欲しくなる。
しかし、姫路に有名人はそう来ない。
しびれを切らした僕らは、姫路城を観光に来ている外国人を見つけてはサインをもらいに行くと言うボーダレスな発想で飛び込んだ。
「外国人は何かすごい」という敗戦国丸出しの感覚。
「ギブミーや、サイン!!分かるぅ?サイン!!ギブミーしてんか!!」
アホ丸出し。
青鼻水出っぱなし。
外国人もノリ良くしてくれるから恐ろしい。
当然誰やねんっっ!のサインである。
今の時代なら新手のクレジットカード詐欺にもなりかねない。
しかしブームとは終わるからブーム。
外国人の前で醜態をさらした僕らは、改めて、意味のないサインを集めてしまった日々に反省と激しい後悔と恥ずかしさを感じるのであった。
僕らはサインを書く事が普通になったけど、この業種以外の人はサインって持っているのだろうか?
やはりみんな一度は学生時代に作ってみたと思う。
なにかに落ち込んだとき、サインを書いてみて、頬を赤らめて笑い飛ばしてみるのも悪くないかも。
それこそが明日へと日々をつなげていくサインになるかも。
僕らも全員で見に行きます!
あなたの隣になるかもです(笑)。
当日券も若干出るかもと言う太っ腹!!
まだチケット取っていない人、空いていたら勢いでGO!!
そして、僕らの5月6日の語朗読とGo!Rockの一般発売も今日から開始です!!
ぜひぜひ!今、気合い入れて歌詞を書いています!
さて、でははじめよう。
今日はサインについて。
初めてサインを求められ、した時の事を今でもはっきり・・・覚えていない。
残念ながらいつだったのかどこだったのか、全く覚えていない。
きっと特別「あぁオレもサイン出来るようになったのか」と思わなかったんだろうな。
僕のサインは至って簡単。
「しげる」の文字を流れで書いているだけ。
誰でも書けるものであるので一応時間がある時は横に「一生懸命」と書くようにしている。
このサイン、実は小学生の時、家庭教師の先生が教え与えてくれたもの。
それを僕はずーっと使っている。
家庭教師の先生だけに、まさに、サイン・コサイン・タンジェントである。
小学生の時、一時だけサインをするのがブームになった。
教科書にノート、机に壁に、とにかく僕らはサインを書きまくった。
当然先生は激怒、犯人も当然名前を書いているわけだからすぐにバレる。
子供は可愛いほど馬鹿である。
サインを書く事に慣れた僕らは今度はサインが欲しくなる。
しかし、姫路に有名人はそう来ない。
しびれを切らした僕らは、姫路城を観光に来ている外国人を見つけてはサインをもらいに行くと言うボーダレスな発想で飛び込んだ。
「外国人は何かすごい」という敗戦国丸出しの感覚。
「ギブミーや、サイン!!分かるぅ?サイン!!ギブミーしてんか!!」
アホ丸出し。
青鼻水出っぱなし。
外国人もノリ良くしてくれるから恐ろしい。
当然誰やねんっっ!のサインである。
今の時代なら新手のクレジットカード詐欺にもなりかねない。
しかしブームとは終わるからブーム。
外国人の前で醜態をさらした僕らは、改めて、意味のないサインを集めてしまった日々に反省と激しい後悔と恥ずかしさを感じるのであった。
僕らはサインを書く事が普通になったけど、この業種以外の人はサインって持っているのだろうか?
やはりみんな一度は学生時代に作ってみたと思う。
なにかに落ち込んだとき、サインを書いてみて、頬を赤らめて笑い飛ばしてみるのも悪くないかも。
それこそが明日へと日々をつなげていくサインになるかも。
2009/04/16
すんな!
今日も寝るのは朝になった。
なかなか頑張っていると思う。
さっき、何でオレは頑張ってるんだ?と思った。
何の為だろう?
ファンの人の為?
自分の為?
仕事だから?
ぜーんぶピンと来ない。
好きだからの一言でもない気がする。
それでも誰に言われるでもなく「やらねば」の気持ちになる。
日々の生活の中、ふとこういう事に行き着いてしまう事がある。
普段は考えないようにしているのに。
答えのないものはたくさんある。
ただ嫌な感じは全くない。
やりたくてやっているのは確か。
それいいんじゃないかなと自分に言い聞かす。
ただいつもいつも、ここでの努力はライブや作品に残す事ですべてが救われる。
やっぱりその快感を求めてやっているのかな?
それプラス、何か見えない力に突き動かされるように僕は作品を作っている。
今この日本で、僕は、この時代に何か残しておこうと思う。
それは意識するものではない。
僕が作品を作り続ける先に、きっと僕が生きた証が残るのだろう。
僕の才能よ、枯れ果てるその時まで、精一杯吐き出せ。
出し惜しみすんな。
なかなか頑張っていると思う。
さっき、何でオレは頑張ってるんだ?と思った。
何の為だろう?
ファンの人の為?
自分の為?
仕事だから?
ぜーんぶピンと来ない。
好きだからの一言でもない気がする。
それでも誰に言われるでもなく「やらねば」の気持ちになる。
日々の生活の中、ふとこういう事に行き着いてしまう事がある。
普段は考えないようにしているのに。
答えのないものはたくさんある。
ただ嫌な感じは全くない。
やりたくてやっているのは確か。
それいいんじゃないかなと自分に言い聞かす。
ただいつもいつも、ここでの努力はライブや作品に残す事ですべてが救われる。
やっぱりその快感を求めてやっているのかな?
それプラス、何か見えない力に突き動かされるように僕は作品を作っている。
今この日本で、僕は、この時代に何か残しておこうと思う。
それは意識するものではない。
僕が作品を作り続ける先に、きっと僕が生きた証が残るのだろう。
僕の才能よ、枯れ果てるその時まで、精一杯吐き出せ。
出し惜しみすんな。
2009/04/13
第725章「シャワー事件」
創作に入るとどのタイミングで気分転換を図るかが大切である。
と書きつつ、ほとんどの創作家は気分転換という名の現実逃避をしていると思うのだが。。。
僕が昔から大切にしている気分転換はシャワーの時間である。
今やっている事の仕切り直しであったり、この日記のテーマを考えたり、自分と向き合う時間を作るのはシャワーの時。
一昨日もある程度創作を進めて、ちょっとブレイクして客観的に見てみるかとシャワーへ。
人間の構造上、汚れは上から落とす。
まずシャンプー。
そしてリンスの前に洗顔。
リンスの後だと洗顔の泡がリンス成分を落とすんじゃないかと言う心配。
する人いるはず。
はー、気持ちいい。
さぁ、顔の泡を落とそうか。
とその時。
シャワーがチロチロと葉っぱのしずくのように。
えっっっ?
あれっっ?
あかんで。。。
ついに水が止まってしまった。
洗顔の時にシャンプーも流そうと、結構いい加減に流していたので頭も顔も泡だらけ。
いや!あかんあかん!!
もしかして断水のお知らせ入ってたか?
慌てて玄関のポストを見に行った。
当然全裸である。
情けない姿だ。
もちろん、断水宣言はない。
夕方の8時に断水するほど水道局もバカではないはず。
全裸で震えながら、それでも泡を落とさねばと、ここで登場したのが、体質改善用に買っていたミネラルウォーター。
これで本当の体質改善。
言ってる場合か!!!
この後もこの日一日水は出る事がなかった。
もちろん料金未払いではない。
原因が分からぬまま、次の日には直っていた。
水道局がやって来て何やら分けの分からない説明をされたが、直ったので良しとする事にした。
で、ふと思ったのは、こういう経験も悪くないな、と言う事。
と、こんな経験した人ってこれを読んでいる中に何人いるんだろうと?
長いようで短い人生、意外と経験しないまま終わる事って多い。
しなくても良い経験もあるだろうが、なるべくなら色んな経験をして、こうしてこの日記のように自分の人生のページを増やし、それが一章となるほどのエピソードがあればその人生は良いものだったと言える気がする。
僕の人生のページにある、シャワーが止まる事件。
実はこれで2回目。
この先誰かと出会い、色んな話をしていく中でこういう話が出来るってことは素晴らしい。
しょーもない事の中に、僕が生きた証が刻まれている。
とほほな日々も輝いているのだ。
と書きつつ、ほとんどの創作家は気分転換という名の現実逃避をしていると思うのだが。。。
僕が昔から大切にしている気分転換はシャワーの時間である。
今やっている事の仕切り直しであったり、この日記のテーマを考えたり、自分と向き合う時間を作るのはシャワーの時。
一昨日もある程度創作を進めて、ちょっとブレイクして客観的に見てみるかとシャワーへ。
人間の構造上、汚れは上から落とす。
まずシャンプー。
そしてリンスの前に洗顔。
リンスの後だと洗顔の泡がリンス成分を落とすんじゃないかと言う心配。
する人いるはず。
はー、気持ちいい。
さぁ、顔の泡を落とそうか。
とその時。
シャワーがチロチロと葉っぱのしずくのように。
えっっっ?
あれっっ?
あかんで。。。
ついに水が止まってしまった。
洗顔の時にシャンプーも流そうと、結構いい加減に流していたので頭も顔も泡だらけ。
いや!あかんあかん!!
もしかして断水のお知らせ入ってたか?
慌てて玄関のポストを見に行った。
当然全裸である。
情けない姿だ。
もちろん、断水宣言はない。
夕方の8時に断水するほど水道局もバカではないはず。
全裸で震えながら、それでも泡を落とさねばと、ここで登場したのが、体質改善用に買っていたミネラルウォーター。
これで本当の体質改善。
言ってる場合か!!!
この後もこの日一日水は出る事がなかった。
もちろん料金未払いではない。
原因が分からぬまま、次の日には直っていた。
水道局がやって来て何やら分けの分からない説明をされたが、直ったので良しとする事にした。
で、ふと思ったのは、こういう経験も悪くないな、と言う事。
と、こんな経験した人ってこれを読んでいる中に何人いるんだろうと?
長いようで短い人生、意外と経験しないまま終わる事って多い。
しなくても良い経験もあるだろうが、なるべくなら色んな経験をして、こうしてこの日記のように自分の人生のページを増やし、それが一章となるほどのエピソードがあればその人生は良いものだったと言える気がする。
僕の人生のページにある、シャワーが止まる事件。
実はこれで2回目。
この先誰かと出会い、色んな話をしていく中でこういう話が出来るってことは素晴らしい。
しょーもない事の中に、僕が生きた証が刻まれている。
とほほな日々も輝いているのだ。
Recent Diary
Recent Photo