2009/03/30
最後の晩餐
姫路のとある場所にステーキ屋さんがある。
ここは地元でもなかなかのhigh-priceなお店なのだが、我が家がまだまだ貧しかった頃から父親によく連れて来てもらった。
僕のお肉の概念はここで育ったと言っても過言ではない。
そのお店が休業するかも、という噂を聞きつけて、大阪のライブに向かう前に親父と行ってみた。
すると支配人が出て来て、なんと今日が最後の営業日だった。
料理を待っている間、親父は寂しそうに思い出話を語っていた。
親父も自分の親、つまり僕で言うところのおじいちゃんに連れて来てもらっていたそうだ。
なるほど、どうりで。
貧しかった頃に無理してでも連れて来てくれた理由がちょっと分かった。
親父は食べながらも「あぁ、またいいお店が一つなくなるな。行く店が一つ減ってもた」ととても切なそうだった。
店内はこのお店の最期を看取ろうと予約で埋め尽くされていた。
たまたまなのだろうがお葬式終わりで予約をしていた団体さんが入って来て、その喪服姿がなんとも今日と言う日にあっていて笑いそうになった。悲しい時も人は笑うという表現をとるようだ。
そういえばこのお店にはいつ来ても必ず顔を会わす初老の女性がいた。
憶測だが、おそらく毎日来ていたんだと思う。
「今日も来るんだろうな」そう思っていたら、やはりやってきた。
従業員に温かく見守られ、でも、彼女はいつもと変わらない感じで、それは明日も同じ一日が来るような姿勢で席につかれた。今度は泣きそうになった。
彼女の日課であったと思われるここでの昼食。
明日から彼女の生活は大きく変わるのだろう。
どこでご飯を食べるのだろうか?
一人暮らしなのだろうか?
そんな事を考えながら、このお店との最後の時を過ごした。
また一つ思い出の味になっていく。
それはまた食べる事が出来るかどうか分からない味。
過去にしがみつく傾向のある僕は、何年か経ったら無性に恋しく感じるんだろうな。
ステーキ「館」。
いつの日か休業が終わり、また再会する事を心から願う。
とりあえずお疲れさまでした。
そして、僕にお肉を教えてくれてありがとう。
追記、その後は大阪でライブでした。
いつもと違った始まりでしたが、良いライブだったと色んな方から評価してもらい嬉しい限りです。
まだまだ進歩していけているところが嬉しいです。
来てくれたみんな、ありがとう!
次回は姫路で!!
ここは地元でもなかなかのhigh-priceなお店なのだが、我が家がまだまだ貧しかった頃から父親によく連れて来てもらった。
僕のお肉の概念はここで育ったと言っても過言ではない。
そのお店が休業するかも、という噂を聞きつけて、大阪のライブに向かう前に親父と行ってみた。
すると支配人が出て来て、なんと今日が最後の営業日だった。
料理を待っている間、親父は寂しそうに思い出話を語っていた。
親父も自分の親、つまり僕で言うところのおじいちゃんに連れて来てもらっていたそうだ。
なるほど、どうりで。
貧しかった頃に無理してでも連れて来てくれた理由がちょっと分かった。
親父は食べながらも「あぁ、またいいお店が一つなくなるな。行く店が一つ減ってもた」ととても切なそうだった。
店内はこのお店の最期を看取ろうと予約で埋め尽くされていた。
たまたまなのだろうがお葬式終わりで予約をしていた団体さんが入って来て、その喪服姿がなんとも今日と言う日にあっていて笑いそうになった。悲しい時も人は笑うという表現をとるようだ。
そういえばこのお店にはいつ来ても必ず顔を会わす初老の女性がいた。
憶測だが、おそらく毎日来ていたんだと思う。
「今日も来るんだろうな」そう思っていたら、やはりやってきた。
従業員に温かく見守られ、でも、彼女はいつもと変わらない感じで、それは明日も同じ一日が来るような姿勢で席につかれた。今度は泣きそうになった。
彼女の日課であったと思われるここでの昼食。
明日から彼女の生活は大きく変わるのだろう。
どこでご飯を食べるのだろうか?
一人暮らしなのだろうか?
そんな事を考えながら、このお店との最後の時を過ごした。
また一つ思い出の味になっていく。
それはまた食べる事が出来るかどうか分からない味。
過去にしがみつく傾向のある僕は、何年か経ったら無性に恋しく感じるんだろうな。
ステーキ「館」。
いつの日か休業が終わり、また再会する事を心から願う。
とりあえずお疲れさまでした。
そして、僕にお肉を教えてくれてありがとう。
追記、その後は大阪でライブでした。
いつもと違った始まりでしたが、良いライブだったと色んな方から評価してもらい嬉しい限りです。
まだまだ進歩していけているところが嬉しいです。
来てくれたみんな、ありがとう!
次回は姫路で!!
2009/03/29
表現論1
初めて関西に来られた方はテレビをつけた時に驚かれるのではないか?と思うほど、出ているタレントの顔ぶれが違う。
お笑いの街である関西では東京では知られていないが確かに面白い芸人さんがたくさんいる。
僕らも学生時代は夢中になってみたものだ。
東京に来てそんな芸人さんを見ることもなくなったが、つい最近になってようやく全国ネットにあの学生時代僕らを笑顔にしてくれた芸人さんがテレビに出るようになって嬉しく思いながら見ていた。
やっぱり本物はいつか評価されるんだなぁと。
つい先日は、ネットのトップ記事で上記で書いたうちの一人の芸人さんが取り上げられ、「なぜその芸人さんがおもしろいのか?」というのを分析していた。
その分析結果が正しいかどうかは気にならなかったが、それよりもSNS等では、そのトップ記事に関して気になった人が日記を書けて、その一部(2、3行)が読めたりも出来るのだが、そこでは「あの芸人のどこがおもしろいのか分からない。他にも○○も何が面白いの?」と書いている人がいて脱力してしまった。
「じゃ、あなたは誰が面白いの?」否定だけして代案を出さない人はただの破壊者である。そんなのは意見ではない。
もっと言えば「あなたはどれだけおもしろいの?」と思った。
これは僕が昔からその芸人を知っているからではなく、良いモノは良いとなぜ統一の評価がされないのだろう?と。
ラーメン屋とかでもそうだ。
行列ができるほどのラーメンを「えーー!あっこ?めっちゃまずいやん!」という人もいる。
いや、まずくはないやろ。多くの人に支持されているし。
まず理解しようとしろよ。
それから表現するなら「俺的にはいまいちやったけど、合う人には合うんやろうな」という発想にならんかねぇと思う。
(まぁ、昨今ラーメン屋はサクラを使って行列だけ無理矢理作ったりするからややこしくなるんだけど)
これをいうと「人それぞれ感じ方は違うんだから、みんながみんな同じだったらおもしろくない」なんて小学校の標語のようなことを言う人もいるけど、僕はこの言葉が文化をダメにしている気がする。
じゃ、殺人者には?ひとそれぞれ感じ方が違うからいいの?
当然これは極論ではあるし、その場合は上記の標語は適用されない。「それは違うでしょー」と口を揃えて人々は言う。
そう、悪いことに関しては「人それぞれ感じ方は違うんだから、みんながみんな同じだったらおもしろくない」は通用しないのに、反対側の上質なものに対しては適用されるのである。
トコトンの悪と、究極の上質の場合は「人それぞれ感じ方は違うんだから」という発想は通用しないはずだ。
良いモノは良いのだ。
理解出来るよう自分を鍛えなさい。
と誰か言えないものか?
誰彼かまわず主観を世界中に発表出来る今。
このあたりのことを誰かが問いただしていかなければ、文化レベルは発展しないと思う。
表現の数だけが増えて、「個性」という名の鎧を着て、どれが良いのかさえも見極める力がなくなっていくと思う。
僕は訴えておきたい。
良いものは良いのだ。
それをきちんとみんながみんな認めることをするのも大切なことではないか?
民主主義とこの話は別ものである。
教育と同じ。
感性を磨く為にも、良いモノはみんなで良いと思えるよう、ベクトルを向けて欲しい。
悪いものに関してはルールが厳しいのに、良いものに関してのルールがないのはおかしいのではないだろうか?
お笑いの街である関西では東京では知られていないが確かに面白い芸人さんがたくさんいる。
僕らも学生時代は夢中になってみたものだ。
東京に来てそんな芸人さんを見ることもなくなったが、つい最近になってようやく全国ネットにあの学生時代僕らを笑顔にしてくれた芸人さんがテレビに出るようになって嬉しく思いながら見ていた。
やっぱり本物はいつか評価されるんだなぁと。
つい先日は、ネットのトップ記事で上記で書いたうちの一人の芸人さんが取り上げられ、「なぜその芸人さんがおもしろいのか?」というのを分析していた。
その分析結果が正しいかどうかは気にならなかったが、それよりもSNS等では、そのトップ記事に関して気になった人が日記を書けて、その一部(2、3行)が読めたりも出来るのだが、そこでは「あの芸人のどこがおもしろいのか分からない。他にも○○も何が面白いの?」と書いている人がいて脱力してしまった。
「じゃ、あなたは誰が面白いの?」否定だけして代案を出さない人はただの破壊者である。そんなのは意見ではない。
もっと言えば「あなたはどれだけおもしろいの?」と思った。
これは僕が昔からその芸人を知っているからではなく、良いモノは良いとなぜ統一の評価がされないのだろう?と。
ラーメン屋とかでもそうだ。
行列ができるほどのラーメンを「えーー!あっこ?めっちゃまずいやん!」という人もいる。
いや、まずくはないやろ。多くの人に支持されているし。
まず理解しようとしろよ。
それから表現するなら「俺的にはいまいちやったけど、合う人には合うんやろうな」という発想にならんかねぇと思う。
(まぁ、昨今ラーメン屋はサクラを使って行列だけ無理矢理作ったりするからややこしくなるんだけど)
これをいうと「人それぞれ感じ方は違うんだから、みんながみんな同じだったらおもしろくない」なんて小学校の標語のようなことを言う人もいるけど、僕はこの言葉が文化をダメにしている気がする。
じゃ、殺人者には?ひとそれぞれ感じ方が違うからいいの?
当然これは極論ではあるし、その場合は上記の標語は適用されない。「それは違うでしょー」と口を揃えて人々は言う。
そう、悪いことに関しては「人それぞれ感じ方は違うんだから、みんながみんな同じだったらおもしろくない」は通用しないのに、反対側の上質なものに対しては適用されるのである。
トコトンの悪と、究極の上質の場合は「人それぞれ感じ方は違うんだから」という発想は通用しないはずだ。
良いモノは良いのだ。
理解出来るよう自分を鍛えなさい。
と誰か言えないものか?
誰彼かまわず主観を世界中に発表出来る今。
このあたりのことを誰かが問いただしていかなければ、文化レベルは発展しないと思う。
表現の数だけが増えて、「個性」という名の鎧を着て、どれが良いのかさえも見極める力がなくなっていくと思う。
僕は訴えておきたい。
良いものは良いのだ。
それをきちんとみんながみんな認めることをするのも大切なことではないか?
民主主義とこの話は別ものである。
教育と同じ。
感性を磨く為にも、良いモノはみんなで良いと思えるよう、ベクトルを向けて欲しい。
悪いものに関してはルールが厳しいのに、良いものに関してのルールがないのはおかしいのではないだろうか?
2009/03/27
やる気スイッチ
清正君が「やる気スイッチ」について書いていたけど、この僕とて、やる気が全くおこんねーーー!!って日が年に何回かある。
それは決まってなーんにもないオフの日。
ひどい時になると、帰り道の途中だというのに歩くのが億劫になったり、一歩歩くのにものすごい力を要することがある。
こんな時僕はどうやってここから抜け出すのか。
どうだと思います?
「よし!」というかけ声?
それとも独自の方法?
答えは
覚えていません。
本当に覚えていないのです。
ただひたすら眠るのか?
誰か人に会うのか?
まったく覚えていない。
ただもうぜーんぶしどいや。
息するのもしんどいやって時もあるにもかかわらず、僕はチョット時間が立つとロンダートの後、バク宙決めてムーンサルトをやっちゃって、森末さんに水道のトラブルで電話するくらい元気になっているのだ。
最後には立ち直る。
色んなきっかけがあっても最後に立ち直るのは厳しくも自分なのである。
心の闇、体の見えないロープを振りほどくきっかけは意外とあっちゃこっちゃに落ちている。
気がつけば良いだけ。
そしてそのきっかけの為に行動あるのみ。
まぁ、なーんもしなくても回復するけど。
それでもお急ぎの方には僕はお笑いを見ることをおすすめする。
笑うって事は調子が良いってこと。
お金出して笑えるというのは素晴らしいことだ。
ちなみに僕はたまに「うきゃー!」と奇声を発して頭が狂ったように部屋で暴れ踊り狂うという荒行に出て、ストレス発散&「なに俺こんなしょーもないことしてんねん」と笑けてくるという方法をとるが、効き目はあるが、次の日から近隣の方の目が尋常じゃないくらい冷たいのであまりオススメは出来ない。
あっ、今んとこ僕絶好調。
ロンダートの後、バク宙決めてムーンサルトをやっちゃって、調子の乗ってしげるスペシャルをたたき出すくらい絶好調である。
それは決まってなーんにもないオフの日。
ひどい時になると、帰り道の途中だというのに歩くのが億劫になったり、一歩歩くのにものすごい力を要することがある。
こんな時僕はどうやってここから抜け出すのか。
どうだと思います?
「よし!」というかけ声?
それとも独自の方法?
答えは
覚えていません。
本当に覚えていないのです。
ただひたすら眠るのか?
誰か人に会うのか?
まったく覚えていない。
ただもうぜーんぶしどいや。
息するのもしんどいやって時もあるにもかかわらず、僕はチョット時間が立つとロンダートの後、バク宙決めてムーンサルトをやっちゃって、森末さんに水道のトラブルで電話するくらい元気になっているのだ。
最後には立ち直る。
色んなきっかけがあっても最後に立ち直るのは厳しくも自分なのである。
心の闇、体の見えないロープを振りほどくきっかけは意外とあっちゃこっちゃに落ちている。
気がつけば良いだけ。
そしてそのきっかけの為に行動あるのみ。
まぁ、なーんもしなくても回復するけど。
それでもお急ぎの方には僕はお笑いを見ることをおすすめする。
笑うって事は調子が良いってこと。
お金出して笑えるというのは素晴らしいことだ。
ちなみに僕はたまに「うきゃー!」と奇声を発して頭が狂ったように部屋で暴れ踊り狂うという荒行に出て、ストレス発散&「なに俺こんなしょーもないことしてんねん」と笑けてくるという方法をとるが、効き目はあるが、次の日から近隣の方の目が尋常じゃないくらい冷たいのであまりオススメは出来ない。
あっ、今んとこ僕絶好調。
ロンダートの後、バク宙決めてムーンサルトをやっちゃって、調子の乗ってしげるスペシャルをたたき出すくらい絶好調である。
2009/03/26
THE 日記「WBC」
こんな時事ネタを書くようなヤツにはなりたくないと思っていたんだけど、WBCの事を(笑)。
WBCが終わりましたね。
野球の楽しさが伝わる、そして、僕らはやっぱり野球が好きなんだなぁと思い出させてくれる大会でした。
今回の大会を見ていて本当に文化の違いが映し出されていました。
例えば審判がアメリカ人の場合、普通に解説者が「不服な態度を選手が取ると、アメリカの審判は急にストライクゾーンが厳しくなりますからね」と言っているし、実際そうなるし。
韓国の選手が第一次リーグで一位通過の際、国旗をマウンドに埋める行為。
いろいろと意見があるようですが、特に意味はないのでしょう。
嬉しいのだと思います。表現なのです。きっと。
日本人にはない発想なので、僕らはビックリするのですが。
文化の違いだと思います。
それを僕らは理解しないといけないし、逆に第2次リーグで一位通過したからと言って、日本の国旗をマウンドに埋めると言うやり返しをしない武士道をいろんな国の人も褒めてやってほしい。
国と国の事なんだけど、いちいち「韓国を倒す!」とかちょっと僕なんかは気になるのですが(在日の方がどういう思いになるのだろう?とか)、気になるってことはまだまだ埋めていく溝はあるってことでしょうね。
どうせなら「侍ジャパン」のようにみんなチーム名をつけてくれないだろうか?
まぁ、スポーツを通しての国と国の戦いなので、それでいいのでしょうが。
文化の違いを理解していけばもっと豊かな世界になっていくよなぁと思いつつ、ただただ野球の素晴らしさを教えてくれた今大会に拍手です。
結果優勝は嬉しい。
それだけなのです。
WBCが終わりましたね。
野球の楽しさが伝わる、そして、僕らはやっぱり野球が好きなんだなぁと思い出させてくれる大会でした。
今回の大会を見ていて本当に文化の違いが映し出されていました。
例えば審判がアメリカ人の場合、普通に解説者が「不服な態度を選手が取ると、アメリカの審判は急にストライクゾーンが厳しくなりますからね」と言っているし、実際そうなるし。
韓国の選手が第一次リーグで一位通過の際、国旗をマウンドに埋める行為。
いろいろと意見があるようですが、特に意味はないのでしょう。
嬉しいのだと思います。表現なのです。きっと。
日本人にはない発想なので、僕らはビックリするのですが。
文化の違いだと思います。
それを僕らは理解しないといけないし、逆に第2次リーグで一位通過したからと言って、日本の国旗をマウンドに埋めると言うやり返しをしない武士道をいろんな国の人も褒めてやってほしい。
国と国の事なんだけど、いちいち「韓国を倒す!」とかちょっと僕なんかは気になるのですが(在日の方がどういう思いになるのだろう?とか)、気になるってことはまだまだ埋めていく溝はあるってことでしょうね。
どうせなら「侍ジャパン」のようにみんなチーム名をつけてくれないだろうか?
まぁ、スポーツを通しての国と国の戦いなので、それでいいのでしょうが。
文化の違いを理解していけばもっと豊かな世界になっていくよなぁと思いつつ、ただただ野球の素晴らしさを教えてくれた今大会に拍手です。
結果優勝は嬉しい。
それだけなのです。
2009/03/23
THE 日記「ココロランドリー「卒業式」を終えて」
ココロランドリー「卒業式」が終わりました。
今回で2回目の卒業式。
なんだかライブの企画としての卒業式ではなく、本当に年に一回の恒例行事のように思えて来たのは僕だけではないはず。
大人になっても年に一回「卒業式」があるっていいものです。
あの7th floorの感じが姫路で出来ればなぁと思ったり。
昨日ももっと僕に時間があればな。。。
なんて終演後考えていました。
良いライブだったと思います。
でもそんな時こそ、「あぁ、もっと出来たよなぁ」と自分自身悔やまれる所を食事中もぼーと考えたり。
それにしてもアンコールの「nanana」の歌の中、みんなに歌ってもらいながら、一人ずつ帰っていくというのを実践してみたのですが、あんなに感動的になるとは。
普通なら「なんで最後しげるだけ残るの?」なんて言われそうだけど、きっちりその空気を作り、いや、それ以上の空気を作り、暖かくメンバーを歌で送ってくれるみなさんを見て、「あぁ、僕らのライブの数だけ来てくれている人もライブを感じているんだなぁ」と感じました。
昨日来られた方、あれが出来るって素晴らしいお客さんです(笑)。
どのアーティストを見に行っても誇りを持ってください。
今度はやっぱり2daysでやりたいですね。
イベンターさんは終演後、いい企画だよ!ほんと!!7daysしようよ!!!
と張り切っていました(笑)。
出来るならやってみたいですね。
7days。
もう泊まり込みで。
そうそう、もともとこの企画は「仕事終わりにちょっとライブ」の気持ちで来てもらえるよう平日の少し遅めにやっています。
さぁライブに行くぞ!というのも良いですが、仕事終わりに映画を見るように優しいアコースティックライブっていうのもいいなと。
次回のココロランドリーはいつかな?
楽しみにしていてください。
本当に最高の夜をありがとう。
2009/03/21
月と星
先日友達に話をしていて「へぇ、そんな事考えるんや」と驚かれた事がある。
例えば、好きな人が僕の家に電車で来るとする。
僕はその間にその好きな人がどんな事を考えながら来るのかがとても気になるのだ。
電車の中で本を読むのだろうか?
その本を読みながら笑ってしまいそうになったり、涙したりするのだろうか?
老人が前に立って席を譲ろうか悩んでいるだろうか?
妊婦であろう人が前にいて、でもただのぽっちゃりさんだったら悪いからと寝たフリをしたりするのだろうか?
僕の事を考えたりするのだろうか?
その時間はどれだけあるのだろうか?
昔から僕はこういう事を考えていた。
僕が絶対に入れない彼女の世界。
人にはそれぞれの物語がある。
僕は僕の、君は君の中の映画の主人公。
君の中では僕は脇役である。
どれほど愛し合っていようがやはり二人で一つではなく、一人と一人で二人なのだ。
近いようでものすごく遠い。
キスをしようが愛し合おうが、その距離は僕らの入れない領域のように一定を保っている。
その事を本能的に知ってか、夕方に感じる春の足音のような切なさで、僕はいつだって想像していた。
好きな人は今何をしているんだろうと。
今振り返ると恋とは相手を知りたいと思う所から始まるのだなぁと思う。
ちなみに同じように、ライブに来てくれた人も、どんな気持ちで会場に来て、どんな気持ちで帰っていくのか?も毎回考える。
帰り際、思わずふっと笑顔が出て、月と星の存在に気が付くような夜にしたいといつも思っている。
さぁ、宇都宮でライブ。
良い夜にします。
例えば、好きな人が僕の家に電車で来るとする。
僕はその間にその好きな人がどんな事を考えながら来るのかがとても気になるのだ。
電車の中で本を読むのだろうか?
その本を読みながら笑ってしまいそうになったり、涙したりするのだろうか?
老人が前に立って席を譲ろうか悩んでいるだろうか?
妊婦であろう人が前にいて、でもただのぽっちゃりさんだったら悪いからと寝たフリをしたりするのだろうか?
僕の事を考えたりするのだろうか?
その時間はどれだけあるのだろうか?
昔から僕はこういう事を考えていた。
僕が絶対に入れない彼女の世界。
人にはそれぞれの物語がある。
僕は僕の、君は君の中の映画の主人公。
君の中では僕は脇役である。
どれほど愛し合っていようがやはり二人で一つではなく、一人と一人で二人なのだ。
近いようでものすごく遠い。
キスをしようが愛し合おうが、その距離は僕らの入れない領域のように一定を保っている。
その事を本能的に知ってか、夕方に感じる春の足音のような切なさで、僕はいつだって想像していた。
好きな人は今何をしているんだろうと。
今振り返ると恋とは相手を知りたいと思う所から始まるのだなぁと思う。
ちなみに同じように、ライブに来てくれた人も、どんな気持ちで会場に来て、どんな気持ちで帰っていくのか?も毎回考える。
帰り際、思わずふっと笑顔が出て、月と星の存在に気が付くような夜にしたいといつも思っている。
さぁ、宇都宮でライブ。
良い夜にします。
2009/03/18
謙虚でgo!
よく見て、よく聞き、よく考える事。
これだけで良いと思う。
これが出来れば悪いようにはならない。
自分の考えを持つ事も大切。
でも、それを押し売りするのは違う。
「人それぞれ考え方は違う。」なんて言う人は思想が甘いって分かっていても、それでも相手を思いやり「考え方は違えども、やはり正解に近いものというのはあるんだよ」と優しく諭すココロも必要。
誰一人完璧な人はいない。
死ぬまで成長過程。
人の話を聞こう。
思い上がらないようにしよう。
謙虚に謙虚に。
これだけで良いと思う。
これが出来れば悪いようにはならない。
自分の考えを持つ事も大切。
でも、それを押し売りするのは違う。
「人それぞれ考え方は違う。」なんて言う人は思想が甘いって分かっていても、それでも相手を思いやり「考え方は違えども、やはり正解に近いものというのはあるんだよ」と優しく諭すココロも必要。
誰一人完璧な人はいない。
死ぬまで成長過程。
人の話を聞こう。
思い上がらないようにしよう。
謙虚に謙虚に。
2009/03/17
あっぱれ!の精神
そういえば、少し前のテレビで高速道路が1000円になるっていう事だったけど、なんでもシステムがうまくいかなくって逆に1000円+の2重取りになるらしい(詳しい事は知らないけど)。
で、2重取りの分は後日返金する考えはないとの事。
これを聞いて多くの人が怒っているようだけど、僕は逆に「ほう、返さないという態度で出たか」とあっぱれだった。
人がやる事である。
そんな事は多いにある。
メチャクチャ重要な問題ではない。
もちろん国をまかされているのだからそう言う事では困るという意見も分かるが、それはそれ。
システムを組むのは政治家ではなく、プログラマー。プログラムが出来る人がいる企業。
当然一流だろう。だからこそその業者を信用し委託したのだろう。
それでも人がやる事だから、信用しきっていてもミスはあるのだ。
政治家に文句は少し筋違いだったりもする。
この件に関しては、そう言う事もあるか、と考える人は少ないのかな。
それにこういうこと、置き換えてみると僕らの身近にも結構あると思う。
なのになんでみんな人には厳しいのだろう?
同じように、警察官に職務質問されたり、駐車違反をとられた時に発狂する人がいるけど、いざという時には頼りにするくせに、普段煙たがるのは違うと思う。
ちょっと自転車の盗難確認の為に止められようが、いつか自分が盗まれた時に返ってくるのだから、やましい事がなければ素直に受けるべきだ。
職務質問もそう。
彼らだって相手がどんなヤツかも分からないのに近寄っているのだ。怖い事もあるだろう。でも、そんな活動によって犯罪は押さえられているのだと思う。
でも、だからこそ警察官は不祥事があってはいけない。
ここでは先ほどの「人がする事だから」では許されない。
教師、警察官、医者は職業の奥には使命があるのだ。
なんか最近文句言いが多い気がする。
この世の中は不条理な事だらけだ。
そして人がやる事だから、どんな事にだってミスはある。
つまり文句を言っている側も必ずミスはするのだ。
例えあなたの意見が正しくても。
いや、正しければ正しいほど。
吉野弘さんの『祝婚歌』
「正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」
もっと寛容な心を育てる教育が必要なのじゃないだろうか?
あっぱれ!の精神を。
で、2重取りの分は後日返金する考えはないとの事。
これを聞いて多くの人が怒っているようだけど、僕は逆に「ほう、返さないという態度で出たか」とあっぱれだった。
人がやる事である。
そんな事は多いにある。
メチャクチャ重要な問題ではない。
もちろん国をまかされているのだからそう言う事では困るという意見も分かるが、それはそれ。
システムを組むのは政治家ではなく、プログラマー。プログラムが出来る人がいる企業。
当然一流だろう。だからこそその業者を信用し委託したのだろう。
それでも人がやる事だから、信用しきっていてもミスはあるのだ。
政治家に文句は少し筋違いだったりもする。
この件に関しては、そう言う事もあるか、と考える人は少ないのかな。
それにこういうこと、置き換えてみると僕らの身近にも結構あると思う。
なのになんでみんな人には厳しいのだろう?
同じように、警察官に職務質問されたり、駐車違反をとられた時に発狂する人がいるけど、いざという時には頼りにするくせに、普段煙たがるのは違うと思う。
ちょっと自転車の盗難確認の為に止められようが、いつか自分が盗まれた時に返ってくるのだから、やましい事がなければ素直に受けるべきだ。
職務質問もそう。
彼らだって相手がどんなヤツかも分からないのに近寄っているのだ。怖い事もあるだろう。でも、そんな活動によって犯罪は押さえられているのだと思う。
でも、だからこそ警察官は不祥事があってはいけない。
ここでは先ほどの「人がする事だから」では許されない。
教師、警察官、医者は職業の奥には使命があるのだ。
なんか最近文句言いが多い気がする。
この世の中は不条理な事だらけだ。
そして人がやる事だから、どんな事にだってミスはある。
つまり文句を言っている側も必ずミスはするのだ。
例えあなたの意見が正しくても。
いや、正しければ正しいほど。
吉野弘さんの『祝婚歌』
「正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」
もっと寛容な心を育てる教育が必要なのじゃないだろうか?
あっぱれ!の精神を。
2009/03/16
姫路のココロランドリーを終えて
姫路でのココロランドリーが無事終わりました。
沢山の人が来てくれ、椅子席が出せませんでした。
姫路ではあれが限界ですね。
それでも楽しく時間を過ごす事で来ました。
東京のココロランドリーとは全く別物でしたね。
僕の背がもう少し高かったらと、、、そこだけが悔やまれます(笑)。
振り返るともう僕らは何年もあそこで歌っているのですが、変わらずに沢山の人が見に来てくれている、この当たり前のようであたりまでないような事実をとても嬉しく思います。
本当にありがとう。
これからも良い歌とライブをやっていきます。
次は4月25日の2マンライブと6月20日(フライヤーには27となっていましたが間違いです)のワンマンライブです。
ぜひまた一緒に楽しい夜を過ごせれたらなと思います。
来てくれたみんな、最高の夜をありがとう。
来れなかったみんなも読んでくれてありがとう。
沢山の人が来てくれ、椅子席が出せませんでした。
姫路ではあれが限界ですね。
それでも楽しく時間を過ごす事で来ました。
東京のココロランドリーとは全く別物でしたね。
僕の背がもう少し高かったらと、、、そこだけが悔やまれます(笑)。
振り返るともう僕らは何年もあそこで歌っているのですが、変わらずに沢山の人が見に来てくれている、この当たり前のようであたりまでないような事実をとても嬉しく思います。
本当にありがとう。
これからも良い歌とライブをやっていきます。
次は4月25日の2マンライブと6月20日(フライヤーには27となっていましたが間違いです)のワンマンライブです。
ぜひまた一緒に楽しい夜を過ごせれたらなと思います。
来てくれたみんな、最高の夜をありがとう。
来れなかったみんなも読んでくれてありがとう。
6月のワンマンについて訂正を
6月の姫路のワンマンライブが決まりました。
ところが、日程を間違っていました。
ごめんなさい。
正しくは6月20日です。
ライブにお越しの方、帰り際に受け取ってもらったフライヤー(チラシ)には、6月27日となっていましたが、20日です。
お間違えのないよう(ってお前らが間違えたんやろ!という突っ込みも受け止めつつ)、よろしくお願いします!
ところが、日程を間違っていました。
ごめんなさい。
正しくは6月20日です。
ライブにお越しの方、帰り際に受け取ってもらったフライヤー(チラシ)には、6月27日となっていましたが、20日です。
お間違えのないよう(ってお前らが間違えたんやろ!という突っ込みも受け止めつつ)、よろしくお願いします!
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