2008/11/10
魔法の言葉
行きつけでもないが割と頻繁に通うお店でご飯を食べ、たまった洗濯物を色物とそうでないものに分け柔軟剤も欠かさず入れて洗う。終わると乾燥機に掘り込み、色物をおしゃれ着洗い。
一人暮らしも慣れたもんだ。
僕の一人暮らしは18歳。
それまでは・・・。
我が家は父と母がそれぞれに部屋を持つという完全実力主義だったので、3LDKのマンションでは、父、母、そして最後には子供部屋という雑に仕切られた部屋で僕はやむを得ず兄貴と部屋を共有した。
中学生にもなると自分の部屋が欲しくてたまらなく、窓のないカビだらけの物置に無理矢理住もうする駄々っぷりを見せ、受験勉強するならと無理矢理、父の部屋を3ヶ月ほど勝ち取った覚えがある。
高校生になると、兄は大学へ進学。
我の天下である。
子供部屋の前にわざわざ文房具屋で買ってきた「社長室」というプレートを貼付け、安土城を築き上げた信長のようにその力を見せつけた(誰に?)。
しかし、自分の部屋をもっても、家族と共同生活する以上は面倒臭い事は山ほどある。
基本、デリカシーのない我が家はノックをせずに入ってくる。
「はよ、お風呂入り!!」「はよ、ご飯食べ!!」母のこの言葉に鬱陶しさを感じない子供はないだろう。
なぜ母親というのは子供の一番楽しい時間の時にこうやって声をかけるのだろうか?
謎である。
それに対し、なぜ子供は「今入ろ思てたのに〜、入る気なくしたわ〜」とウソをつくのだろう。
謎である。
そんな僕も大学進学が決まり、いよいよ夢にまで見た一人暮らし。
夢は膨らむ。
一日も早く家を出たかった。
そして一人暮らし初日。
はやくも僕は一人暮らしの壁にぶち当たり愕然とした。
えっ!ご飯も一人で作って洗濯も一人でするの?
食べた後の洗いものもオレ?
女子からしたら「お前マジか?」と言われそうだけど、これは僕が坊ちゃんなのではなく、たいがいの男はこのマリーアントワネット的な思想(※1)だと思う(※1、世間知らずの意、世界が恐慌の時に「庶民が食べるご飯がないって?ご飯がないならパンを食べれば良いじゃない」と言ったとか。)。
母の偉大さを知る事になるのだ。
恥ずかしい話だが、そのすぐ後に僕は高熱を出し、18歳にもなって親に助けてもらった記憶がある。
ガキ過ぎて恥ずかしい。
そんな僕も、いつの日かそう遠くない日に一人暮らしの方が親と過ごした年数より長くなる。
洗濯もうまくなったし、風邪の対処法だって完璧だ。
でも、時々、本当に時々、あの生活が懐かしくなる。
父がいて、母がいて、兄がいて、4人でご飯を食べ、寝て、朝を迎え、昼間はそれぞれの時間を費やし、また家に帰ってくる。
兄貴がもう結婚しているので、そんな生活を送る事はないが、それはそれで家族の不思議さを感じる。
「おかえり」
「ただいま」
家族がもつ魔法の言葉。
このやり取りが、恋しいこの頃。
冬がやってきました。
一人暮らしも慣れたもんだ。
僕の一人暮らしは18歳。
それまでは・・・。
我が家は父と母がそれぞれに部屋を持つという完全実力主義だったので、3LDKのマンションでは、父、母、そして最後には子供部屋という雑に仕切られた部屋で僕はやむを得ず兄貴と部屋を共有した。
中学生にもなると自分の部屋が欲しくてたまらなく、窓のないカビだらけの物置に無理矢理住もうする駄々っぷりを見せ、受験勉強するならと無理矢理、父の部屋を3ヶ月ほど勝ち取った覚えがある。
高校生になると、兄は大学へ進学。
我の天下である。
子供部屋の前にわざわざ文房具屋で買ってきた「社長室」というプレートを貼付け、安土城を築き上げた信長のようにその力を見せつけた(誰に?)。
しかし、自分の部屋をもっても、家族と共同生活する以上は面倒臭い事は山ほどある。
基本、デリカシーのない我が家はノックをせずに入ってくる。
「はよ、お風呂入り!!」「はよ、ご飯食べ!!」母のこの言葉に鬱陶しさを感じない子供はないだろう。
なぜ母親というのは子供の一番楽しい時間の時にこうやって声をかけるのだろうか?
謎である。
それに対し、なぜ子供は「今入ろ思てたのに〜、入る気なくしたわ〜」とウソをつくのだろう。
謎である。
そんな僕も大学進学が決まり、いよいよ夢にまで見た一人暮らし。
夢は膨らむ。
一日も早く家を出たかった。
そして一人暮らし初日。
はやくも僕は一人暮らしの壁にぶち当たり愕然とした。
えっ!ご飯も一人で作って洗濯も一人でするの?
食べた後の洗いものもオレ?
女子からしたら「お前マジか?」と言われそうだけど、これは僕が坊ちゃんなのではなく、たいがいの男はこのマリーアントワネット的な思想(※1)だと思う(※1、世間知らずの意、世界が恐慌の時に「庶民が食べるご飯がないって?ご飯がないならパンを食べれば良いじゃない」と言ったとか。)。
母の偉大さを知る事になるのだ。
恥ずかしい話だが、そのすぐ後に僕は高熱を出し、18歳にもなって親に助けてもらった記憶がある。
ガキ過ぎて恥ずかしい。
そんな僕も、いつの日かそう遠くない日に一人暮らしの方が親と過ごした年数より長くなる。
洗濯もうまくなったし、風邪の対処法だって完璧だ。
でも、時々、本当に時々、あの生活が懐かしくなる。
父がいて、母がいて、兄がいて、4人でご飯を食べ、寝て、朝を迎え、昼間はそれぞれの時間を費やし、また家に帰ってくる。
兄貴がもう結婚しているので、そんな生活を送る事はないが、それはそれで家族の不思議さを感じる。
「おかえり」
「ただいま」
家族がもつ魔法の言葉。
このやり取りが、恋しいこの頃。
冬がやってきました。
2008/11/07
活を入れて立ち続ける
もう少しだけ今回の話をひっぱって。
僕はこの歳で同級生が5人も他界している。
これはやはり多いと思う。
一番それを痛感するのが、通夜や葬式に行った時。
みんなは焼香の前であたふたしているが、僕は慣れたものだ。
この時にいつも僕はもう会えなくなった彼らを思い出す。
前にも書いたけど、なぜ僕にはこういう試練が与えられるのか?
僕は死神か?
そう考えたりもするが、「思い上がるな」と自分に活を入れる。
きっと世の中には僕よりも辛い思いをしている人もいるだろう。
もちろん人数ではないけど、もっと多くの仲間を亡くしている人。
親、兄弟、愛する人、家族の死別。
事故、事件。
僕だけが不幸のど真ん中にいるような感覚は失礼だよな、いつもそう思う。
もちろん、人は言う。
「喜び、悲しみは人それぞれ違うから」
そうだけれども、僕はそれにぼそっと言い返す。
なぜ人は自分の悲しみの時には「人それぞれ悲しみは違う。あなたからしたらたいした事なくても、僕からしたら大問題!」と言うクセに、人ごとになると「でも、世の中にはもっと辛い人がいるんだよ」というのだろう。
大方の人がそうだと思う。
もちろん僕を含めて。
宝くじがこの世にある限り、幸せにキリはない。
newsが「今日は何もない一日でした」と伝えない限り、この世に不幸はキリがない。
今日も僕より悲しい人が泣いている。
今日も僕より悲しくない人が泣いている。
幸せや不幸は比べるもんじゃない。
けど、比べてしまうものであり、確かに違いがある。
だからこそ僕は、辛い時は「思い上がるな」と自分に活を入れる。
ただ僕は、幸せなときも「思い上がるな」と自分に活を入れる。
三木茂がバランス良く立ち続けるにはこの方法が一番なのだ。
僕はこの歳で同級生が5人も他界している。
これはやはり多いと思う。
一番それを痛感するのが、通夜や葬式に行った時。
みんなは焼香の前であたふたしているが、僕は慣れたものだ。
この時にいつも僕はもう会えなくなった彼らを思い出す。
前にも書いたけど、なぜ僕にはこういう試練が与えられるのか?
僕は死神か?
そう考えたりもするが、「思い上がるな」と自分に活を入れる。
きっと世の中には僕よりも辛い思いをしている人もいるだろう。
もちろん人数ではないけど、もっと多くの仲間を亡くしている人。
親、兄弟、愛する人、家族の死別。
事故、事件。
僕だけが不幸のど真ん中にいるような感覚は失礼だよな、いつもそう思う。
もちろん、人は言う。
「喜び、悲しみは人それぞれ違うから」
そうだけれども、僕はそれにぼそっと言い返す。
なぜ人は自分の悲しみの時には「人それぞれ悲しみは違う。あなたからしたらたいした事なくても、僕からしたら大問題!」と言うクセに、人ごとになると「でも、世の中にはもっと辛い人がいるんだよ」というのだろう。
大方の人がそうだと思う。
もちろん僕を含めて。
宝くじがこの世にある限り、幸せにキリはない。
newsが「今日は何もない一日でした」と伝えない限り、この世に不幸はキリがない。
今日も僕より悲しい人が泣いている。
今日も僕より悲しくない人が泣いている。
幸せや不幸は比べるもんじゃない。
けど、比べてしまうものであり、確かに違いがある。
だからこそ僕は、辛い時は「思い上がるな」と自分に活を入れる。
ただ僕は、幸せなときも「思い上がるな」と自分に活を入れる。
三木茂がバランス良く立ち続けるにはこの方法が一番なのだ。
2008/11/06
緊張と緩和
僕は常々言っていることがある。
「この世はバランスで成り立っている」
子供の頃から無意識にこれを意識していた僕は、先生に怒られて右手で叩かれると、「左手でも叩いて!!」と懇願するほどのバランス論者だった。
バランスの最たるものが、緊張と緩和のような気がする。
昨日の日記を書いて、たくさん寄せられたメッセージに目を通していた。
中には重い内容のものもあり、なんとなく僕のココロはコーヒーのミルクなしのような感じ。
そんなとき、とあるネットのニュースにこんな記事が載ってあった。
「19歳の少年が世界で最もファンタスティックで長い名前に改名」
なんでもイギリスのロンドン在住の少年がウケ狙いで改名して、それを日本語に訳すと「スーパーマンよりも、スパイダーマンよりも、バットマンよりも、ウルバリンよりも、ハルクよりも、フラッシュよりも速い、キャプテン・ファンタスティック」という名前らしい。
まぁ、こんなの役所には通らへんやろと思っていたところ、外国特有のおおざっぱな大岡裁判なみの懐の広さでまさかの受理。
正式に彼の名前は上記のものになったらしい。
そして自分の長たらしい名前をA4の紙3枚を使って書いて笑顔で写真に載っているのだが、この顔が良い顔してるんだ、これまた。
なによりもおもしろいのが、これによって彼の祖母は口をきいてくれないそうである。
大バカやろうだ。
憎めない。
僕は嫌いではない。
だって、この先彼の人生、さっきの文を書くにしても「なによりもおもしろいのが、これによってスーパーマンよりも、スパイダーマンよりも、バットマンよりも、ウルバリンよりも、ハルクよりも、フラッシュよりも速い、キャプテン・ファンタスティックの祖母は口をきいてくれないそうである。」と書かねばいけないのである。
いやぁ、世の中は広い。
こんな良い意味でアホを見ているとそれだけで生きる希望を持たせてくれる。
彼も、もとい、スーパーマンよりも、スパイダーマンよりも、バットマンよりも、ウルバリンよりも、ハルクよりも、フラッシュよりも速い、キャプテン・ファンタスティック君も、海を隔てた島国のミュージシャンのココロを晴れさせたことなんて分かってないだろうな。
いつか機会があったら、、、いや、会いたくはないな。
名前が覚えられないもの。
緊張と緩和。
張りつめた時にこそ、ちょっと息抜きが必要。
張りつめれば張りつめるほど、その息抜きの笑いはビックバンを起こす。
生きる喜び、生きる希望はあっちこっちに落ちているようだ。
2008/11/04
ギターも泣いている
高校時代の親友がこの世を去った。
先月のことだ。
ラグビー部の仲間を除けば3年間で一番仲の良かった友達だ。
なぜ?
噂はいろいろ。
「シャブを食ってたらしい」
真相はどうか分からないけど、高校生の時からシンナーを吸ったり、友達が大麻を栽培しようかと検討しているなんてバカな話をするようなヤツだった。
ないことはない、僕はそう思う。
けど、彼はなんと言うか、悪に染まりきっていなくて、けど、いつもフワフワしてて、絵がうまく、面白く、悪い事には頭のキレる、そんなヤツだった。
以前、この日記にも書いた僕が同級生10数人を敵に回した時、ナイフをそっと貸してくれた友達でもあったし、僕が停学になりかけた時、先生に連れて行かれる前にそっと僕の鞄からナイフを抜き取ってくれた友達でもあった。
高校を出て連絡が取れなくなっても、強引に僕の母親から電話番号を聞き出し連絡をくれた。
最後にしゃべったのは2年ほど前か。
それ以降も電話がかかっては来ていたけど「また今度かければいいや」と安易に考えていた。
もう会えなくなるとも知らずに。
彼との一番の思い出は、高校3年生の時だ。
僕は当日付き合っていた彼女に振られ学校にいても居場所がなく、仮病を使って早退した。
すると彼も強引に仮病を使い一緒に早退してくれた。
「オレん家行くか」チャリンコをこぎながら真っすぐ前を向いてそう言ってくれた。
彼の家でなんの話をしたかは覚えていない。
でも、嬉しかった。
暖かかった。
そして、なぜか帰りに彼のギターを借りて帰った。
それ以降、彼のギターはずっと僕の手元にあった。
数年経ち、彼と偶然再会した時に「オレのギター返せ!」と言われた。
僕は「おまえもう弾かへんやろ。オレに使われた方がギターも喜んどるわ!」といい返した。
すると彼は「それもそうやな」といって僕にそのギターをくれた。
そのギターは、今も僕の東京の部屋にある。
作曲用の大切なギターだ。
パンとピストルも友達も腐葉土だって、すべてこのギターで造って来た。
そして・・・。
不思議なもので、主がこの世を去ったという話を知ってか、急にギターがビビる(音が割れる)ようになった。
僕にはギターが泣いているように聞こえた。
彼は自ら命を閉じた。
そのとき何を考えていたんだろう?
シャブ食って見えなくなっていたのかな。
僕のことを日々の中でどれほど思い出してくれていたのだろう。
目を閉じれば彼の声が聞こえる。
彼の顔がよみがえってくる。
頭の隅っこに整理されていた思い出が紐を解かれたように散らかっている。
もう会えない。
もう会えないのだ。
友へ。
少し疲れたよなぁ。
ゆっくり休んでくれ。
今は何も言わないよ。
責めもしない。
どっかで狂ったんやろうな。
あのときお前がオレにしてくれたように、オレもお前を助けてやりたかった。
最後に、アホ。
そしてありがとう。
オレは悲しいぞ。
お前のギター大切にするわ。
2008/11/02
THE 日記「良い歌はたくさんありますね」
今日はココロランドリー初日のリハーサルでした。
送られて来たたくさんの候補曲を聴いて、その中で、ライブの流れであったり、まず僕が歌いたい歌と言う中で模索。
いやぁ、一日ではたりませんね。
日本には良い歌がたくさんありますね。
ここ最近、邦楽を聴くことは少なくなっていたし、人の歌を歌うことなんてなかったけど、本当に勉強になります。
みなさんアプローチが違うのです。
あぁ、表現方法は無限だなぁと痛感。
なんでも手を伸ばしているものです。
メロディー勝負の人、歌詞が勝負の人。
歌詞が勝負でも、その表現方法は様々。
謎解きのような人も入れば、素直にココロに飛び込んでくる歌。
そもそもの視点が面白い歌。
時にストレートという表現を使う人がいますが、基本、プロのストレートはキレがあります。
アマチュアのそれとは違います。
野球と一緒です。
歌唱力のある人は、わざと歌詞を同じところを繰り返し、歌だけで持っていったり。
いやぁ、僕のスキルも問われますね。
でも、今回こうやって人の歌を歌うことによって、僕は勉強にもなったし、自分の良いところも改めて実感しました。
「文化祭」というタイトルにちなんでカバーライブ。
楽しみです。
最後に僕も何か一曲リクエストしておこうと持っています。
さぁ、今日は名古屋でライブです。
アコースティックな気分をロックに切り替え、でも、時間が足りないので楽屋ではアコースティックの練習をしながら楽しんできます。
2008/11/01
確率の話
ここ数年で「鬱」という言葉を耳にする機会が増えた。
僕の周りにも何人か鬱の人がいる。
重さはそれぞれ、家を出れない事があるって言う人もいれば、ちょっと気分が上がらないって人まで。
現代病ってのもあるのだろうが、昔からあった事だろう。
僕はいつだって鬱の人を目の前にして、どんな言葉を投げかけてやっていいか悩む。
ただ、一ついえるのは、鬱はココロの病気。
外傷のように一生治らないのではなく、治る可能性の方が大きいのだ。
そこで僕が言えるのは、今日までの日々を誇りに思ってください。
という事だ。
鬱になった期間と、そうじゃなかった期間。
きっとそうじゃなかった期間の方が長いと思う。
ということは、逆転の発想で、だったらそこに戻ればいい。
鬱じゃなかったのは他の誰でもないあなた。
なら、いつかきっと戻れるはず。
もちろんそう簡単じゃないのは分かるが、んな事は簡単な事さ、という人も必要だろう。
僕らの毎日はストレスの連続。
僕のやっている事も結構大変よ。
普通の人ならココロやられるかもよ(笑)。
けど、僕がいつだって強くいられるのは、その倍の楽しい事、素晴らしい事を味わっているからだ。
下を向いて耳を塞いでいたら、この日々の素晴らしさを知らないままなんだろうな。
この日々は良い事と悪い事の繰り返し。
ちょっと良い事の方が多いかな?
もっといえば、地球はぜーーんぶバランスの上で成り立っている。
数学の問題、確率。
偶然なんてそうは続かない。
バランスがない世界なら地球はとっくに太陽あたりに燃やされていただろう。
つまりは悪い事ばっかりが続いているってことは、この後びっくりするほど良い事があるってこと。
これは気休めではなく、確率の問題。
深みにはまる前に顔を上げなきゃね。
そう思う。
追記、ちなみに個人的見解なのだが、自称鬱って人も確かにいると僕は思う。
絶対そんな大げさなもんじゃないやろお前!って人。
鬱の人に失礼やで!と思ってしまう。
大概がかまってほしい症候群の方だろうが、僕はこういうのが許せない。
僕の周りにも何人か鬱の人がいる。
重さはそれぞれ、家を出れない事があるって言う人もいれば、ちょっと気分が上がらないって人まで。
現代病ってのもあるのだろうが、昔からあった事だろう。
僕はいつだって鬱の人を目の前にして、どんな言葉を投げかけてやっていいか悩む。
ただ、一ついえるのは、鬱はココロの病気。
外傷のように一生治らないのではなく、治る可能性の方が大きいのだ。
そこで僕が言えるのは、今日までの日々を誇りに思ってください。
という事だ。
鬱になった期間と、そうじゃなかった期間。
きっとそうじゃなかった期間の方が長いと思う。
ということは、逆転の発想で、だったらそこに戻ればいい。
鬱じゃなかったのは他の誰でもないあなた。
なら、いつかきっと戻れるはず。
もちろんそう簡単じゃないのは分かるが、んな事は簡単な事さ、という人も必要だろう。
僕らの毎日はストレスの連続。
僕のやっている事も結構大変よ。
普通の人ならココロやられるかもよ(笑)。
けど、僕がいつだって強くいられるのは、その倍の楽しい事、素晴らしい事を味わっているからだ。
下を向いて耳を塞いでいたら、この日々の素晴らしさを知らないままなんだろうな。
この日々は良い事と悪い事の繰り返し。
ちょっと良い事の方が多いかな?
もっといえば、地球はぜーーんぶバランスの上で成り立っている。
数学の問題、確率。
偶然なんてそうは続かない。
バランスがない世界なら地球はとっくに太陽あたりに燃やされていただろう。
つまりは悪い事ばっかりが続いているってことは、この後びっくりするほど良い事があるってこと。
これは気休めではなく、確率の問題。
深みにはまる前に顔を上げなきゃね。
そう思う。
追記、ちなみに個人的見解なのだが、自称鬱って人も確かにいると僕は思う。
絶対そんな大げさなもんじゃないやろお前!って人。
鬱の人に失礼やで!と思ってしまう。
大概がかまってほしい症候群の方だろうが、僕はこういうのが許せない。
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