2008/03/05
卒業式をしませんか
ココロランドリーのミーティングをする今日この頃。
今回のテーマは3月という事で『〜卒業したい事は何ですか〜』と、4月1日のエイプリフールに乗っ取り『〜ココロに残るウソは何ですか〜』。
まずは卒業。
先日代谷が「大人になったらもう卒業式ってないもんなぁ」と良い発言をしていた。
この男、さすが偏差値は高いだけある。なかなかバカに出来ないバカだ。
確かにそうだ。
ボクの最後の卒業式は大学生の時。
千葉ルックでライブしてちゃっかり打ち上げに参加し、店長の世界サイトウさんに帰してもらえず遅刻し、さらにはスーツをルックの楽屋に忘れ私服で参加した、ある意味涙の卒業式。
それ以降は当然味わってない。
小学の頃はあまり何とも思わなかったが、中学生ともなると、親しき仲間やサボりまくっていたとはいえ慣れ親しんだ校舎、好きな人と別れる事に必要以上に感慨深くなり、その一週間前からレンタル屋さんに駆け込み「卒業特集!」みたいなオムニバスのCDを借りてきて、わざわざ気持ちを「切なさ、哀」に持っていっていた。
思えば卒業式は隠れたイベントもたくさんあった。
部活の後輩たちからのサプライズプレゼント。(威張り倒していた自分が恥ずかしくなる瞬間でもあるが・・・)
そして恋の告白。
学生服のボタンや、名札、その他諸々、同級生、後輩、名前も知らないような女子からも。
「あぁ、オレの事を見ていてくれた人がいたんだなぁ」と嬉しくなったものだった。
今思うとそれらのプラスなものがあるからこそ切なさを少し消してくれるのかもしれない。
昨日までに別れを告げて少しずつ階段を上っていく。
それが卒業。
てんで遠いものになってしまったが、大人になった今こそ、卒業が必要なのではないだろうか。
引きずっている恋、引きずっちゃいないが立ち止まっているモノ、時折風のように流れてくる淡い想い。
諦めなきゃいけないモノ、ケジメを付けなきゃいけない事。
歳を重ねれば重ねるほど、それらは増えてくる。
歳を取るという事は、人生という時間に余裕がなくなると言う事でもある。
きっと今ボクと同じ歳くらいの人は、結婚、仕事、夢、恋、選べる選択肢も減り道も細くなる思いをしているだろう。
とはいえ、10代や20代前半の人がこれを読んで「大人になるってつまらねぇー!」とは思わないでほしい。
大人には大人の楽しさが待っている。
それは何か知りたいだろうけど、それはあえて今は教えてあげない。
これは意地悪でもなんでもなくて、君たちが大人になった時に知れば良い。
それを楽しみに生きていってほしい。
話が少しそれたが、卒業したい事は何も夢を諦めろ!というものだけでもない。
むしろ夢に生きるのなら、うじうじ悩んでいる今を卒業しよう!でもいいのだ。
もうすぐ、恒例のアンケートがホームページ上で募集されるだろう。
どうか、来られる方は書き込んでやってほしい。
上記のようなものから、日々のささやかな事。おもしろおかしいものまで何でも。
ボクも当日、思いを書いていこうと思う。
では、ココロランドリーで初日は「卒業式」をしましょう。
待っています!
今回のテーマは3月という事で『〜卒業したい事は何ですか〜』と、4月1日のエイプリフールに乗っ取り『〜ココロに残るウソは何ですか〜』。
まずは卒業。
先日代谷が「大人になったらもう卒業式ってないもんなぁ」と良い発言をしていた。
この男、さすが偏差値は高いだけある。なかなかバカに出来ないバカだ。
確かにそうだ。
ボクの最後の卒業式は大学生の時。
千葉ルックでライブしてちゃっかり打ち上げに参加し、店長の世界サイトウさんに帰してもらえず遅刻し、さらにはスーツをルックの楽屋に忘れ私服で参加した、ある意味涙の卒業式。
それ以降は当然味わってない。
小学の頃はあまり何とも思わなかったが、中学生ともなると、親しき仲間やサボりまくっていたとはいえ慣れ親しんだ校舎、好きな人と別れる事に必要以上に感慨深くなり、その一週間前からレンタル屋さんに駆け込み「卒業特集!」みたいなオムニバスのCDを借りてきて、わざわざ気持ちを「切なさ、哀」に持っていっていた。
思えば卒業式は隠れたイベントもたくさんあった。
部活の後輩たちからのサプライズプレゼント。(威張り倒していた自分が恥ずかしくなる瞬間でもあるが・・・)
そして恋の告白。
学生服のボタンや、名札、その他諸々、同級生、後輩、名前も知らないような女子からも。
「あぁ、オレの事を見ていてくれた人がいたんだなぁ」と嬉しくなったものだった。
今思うとそれらのプラスなものがあるからこそ切なさを少し消してくれるのかもしれない。
昨日までに別れを告げて少しずつ階段を上っていく。
それが卒業。
てんで遠いものになってしまったが、大人になった今こそ、卒業が必要なのではないだろうか。
引きずっている恋、引きずっちゃいないが立ち止まっているモノ、時折風のように流れてくる淡い想い。
諦めなきゃいけないモノ、ケジメを付けなきゃいけない事。
歳を重ねれば重ねるほど、それらは増えてくる。
歳を取るという事は、人生という時間に余裕がなくなると言う事でもある。
きっと今ボクと同じ歳くらいの人は、結婚、仕事、夢、恋、選べる選択肢も減り道も細くなる思いをしているだろう。
とはいえ、10代や20代前半の人がこれを読んで「大人になるってつまらねぇー!」とは思わないでほしい。
大人には大人の楽しさが待っている。
それは何か知りたいだろうけど、それはあえて今は教えてあげない。
これは意地悪でもなんでもなくて、君たちが大人になった時に知れば良い。
それを楽しみに生きていってほしい。
話が少しそれたが、卒業したい事は何も夢を諦めろ!というものだけでもない。
むしろ夢に生きるのなら、うじうじ悩んでいる今を卒業しよう!でもいいのだ。
もうすぐ、恒例のアンケートがホームページ上で募集されるだろう。
どうか、来られる方は書き込んでやってほしい。
上記のようなものから、日々のささやかな事。おもしろおかしいものまで何でも。
ボクも当日、思いを書いていこうと思う。
では、ココロランドリーで初日は「卒業式」をしましょう。
待っています!
2008/03/02
ブラックホールを覗いた日
死はいつでも隣り合わせ。
生を受けた瞬間から死はいつも隣にいる。
ボクがその事を実感したのは中学生の時。
ふとマンションの屋上から下を見下ろした時、「オレ今ここから飛び降りたら死ぬんだなぁ」と思った。
死のうと思えば今すぐにでも死ねるという事に気が付いてしまったのだ。
それから数日、何かあればいつでも屋上から下を見下ろし同じ事を考えていた。
といっても、何か悩みがあった訳ではない。
むしろ充実していた。
それでも自殺願望とは違う、もっと根源的なモノを覗いてしまい、触れそうになっていたのだ。
その矢先、友人が自ら命を絶った。
常に隣にあると気が付いた「死」が実際にボクの前に形をあらわにした。
ボクが考えていたものよりもっともっと深いブラックホールだった。
あまりのショックにボクは「死」をうまく受け止められなかった。
それ以降、ボクは屋上から下を見るのをやめた。
ただ、最近思う。
あのときの彼はボクになりうる事でもあったのじゃないか?と。
常に屋上から下を見ていたボク。
「死」というブラックホールに手招きされ、誰かに背中を押された瞬間、ふっと飛び込んでいたのかもしれない。
ただ、ボクはその前にそのブラックホールの本当の恐ろしさを知ってしまっただけだったのでは?と。
漠然と「死」に興味を持ち、首根っこを掴まれる事は誰にでもある。
でも、絶対にその誘いに乗っちゃいけない。
両手を最後まで地面に貼付けて、死神の誘いを蹴っ飛ばすのだ。
中学生の頃からもうずいぶんと経ったが、ボクはあの頃よりも色んな経験をしてその事に満足しているし、やはり生きて来て良かったなぁと思う事ばかりだ。
くそったれな事の反動は必ずある。
その反動こそが幸せであり、くそったれな事は幸せのチャイムなのだ。
生きて生きて、生きまくり、僕はやがて来る死を迎えよう。
その際にも最後の最後までもがいてやろう。
死神を蹴っ飛ばしながら。
生を受けた瞬間から死はいつも隣にいる。
ボクがその事を実感したのは中学生の時。
ふとマンションの屋上から下を見下ろした時、「オレ今ここから飛び降りたら死ぬんだなぁ」と思った。
死のうと思えば今すぐにでも死ねるという事に気が付いてしまったのだ。
それから数日、何かあればいつでも屋上から下を見下ろし同じ事を考えていた。
といっても、何か悩みがあった訳ではない。
むしろ充実していた。
それでも自殺願望とは違う、もっと根源的なモノを覗いてしまい、触れそうになっていたのだ。
その矢先、友人が自ら命を絶った。
常に隣にあると気が付いた「死」が実際にボクの前に形をあらわにした。
ボクが考えていたものよりもっともっと深いブラックホールだった。
あまりのショックにボクは「死」をうまく受け止められなかった。
それ以降、ボクは屋上から下を見るのをやめた。
ただ、最近思う。
あのときの彼はボクになりうる事でもあったのじゃないか?と。
常に屋上から下を見ていたボク。
「死」というブラックホールに手招きされ、誰かに背中を押された瞬間、ふっと飛び込んでいたのかもしれない。
ただ、ボクはその前にそのブラックホールの本当の恐ろしさを知ってしまっただけだったのでは?と。
漠然と「死」に興味を持ち、首根っこを掴まれる事は誰にでもある。
でも、絶対にその誘いに乗っちゃいけない。
両手を最後まで地面に貼付けて、死神の誘いを蹴っ飛ばすのだ。
中学生の頃からもうずいぶんと経ったが、ボクはあの頃よりも色んな経験をしてその事に満足しているし、やはり生きて来て良かったなぁと思う事ばかりだ。
くそったれな事の反動は必ずある。
その反動こそが幸せであり、くそったれな事は幸せのチャイムなのだ。
生きて生きて、生きまくり、僕はやがて来る死を迎えよう。
その際にも最後の最後までもがいてやろう。
死神を蹴っ飛ばしながら。
2008/03/01
ボクの実家へ
小学校に入学する前、我が家は県営住宅から引っ越した。
引っ越し先のマンションを見た時、兄貴もボクもはしゃぎにはしゃぎ回った。
はしゃぎすぎて、オ○ナミンCの容器に入れていた洗剤を、オ○ナミンCだと思い込んで飲み干し、嘔吐しまくりえらい事になったが、嬉しさの方が勝っていた。
少しだけ広くなったお風呂。
かなり広くなった台所。
3部屋もある事。
夢の国のようだった。
今振り返ると、それほど立派なマンションでもない。
今となっては買い手も見つからないほどだろう。
それでも僕ら家族4人は新しい家の広さに喜んだ。
その実家が今度人手に渡る事になった。
寂しい事だ。
今では両親は別の家に住み、ボクはこの家に戻る事もなくなるのだろう。
恋をしてドキドキしていたあの日も。
親にウソをついて苦しんだあの日も。
友達と喧嘩して悩んだあの日も。
この先について悩んだあの日も。
初めてギターを触ったあの日も。
ボクは日々の喜怒哀楽をいつもあの家に持ち帰っていた。
あの家はボクのすべてが詰まっている気がする。
時は流れていく。
サビも汚れも引き連れて、ただただ目の前を流れていく。
ボクのその流れの中にいるにもかかわらず、変わらないものにばかり目を当てている。
ボクだってずいぶんと変わったのに。
それほど立派ではないマンション。
でも、それを買うほどの財力もまだないボク。
今は「ただいま」ではないのだろう。
だから、「行ってきます!」。
引っ越し先のマンションを見た時、兄貴もボクもはしゃぎにはしゃぎ回った。
はしゃぎすぎて、オ○ナミンCの容器に入れていた洗剤を、オ○ナミンCだと思い込んで飲み干し、嘔吐しまくりえらい事になったが、嬉しさの方が勝っていた。
少しだけ広くなったお風呂。
かなり広くなった台所。
3部屋もある事。
夢の国のようだった。
今振り返ると、それほど立派なマンションでもない。
今となっては買い手も見つからないほどだろう。
それでも僕ら家族4人は新しい家の広さに喜んだ。
その実家が今度人手に渡る事になった。
寂しい事だ。
今では両親は別の家に住み、ボクはこの家に戻る事もなくなるのだろう。
恋をしてドキドキしていたあの日も。
親にウソをついて苦しんだあの日も。
友達と喧嘩して悩んだあの日も。
この先について悩んだあの日も。
初めてギターを触ったあの日も。
ボクは日々の喜怒哀楽をいつもあの家に持ち帰っていた。
あの家はボクのすべてが詰まっている気がする。
時は流れていく。
サビも汚れも引き連れて、ただただ目の前を流れていく。
ボクのその流れの中にいるにもかかわらず、変わらないものにばかり目を当てている。
ボクだってずいぶんと変わったのに。
それほど立派ではないマンション。
でも、それを買うほどの財力もまだないボク。
今は「ただいま」ではないのだろう。
だから、「行ってきます!」。
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