2008/03/31
エイプリルフール企画、ココロランドリーを終えて
ココロランドリーが無事終了しました。
本当に楽しいひとときでした。
アコースティックライブなので、いつものと違う、ゆったりまったりとした時間でやりたい!というコンセプトのもと、企画満載でお届けしました。
初日は少しばたつきましたが、2日目はあのステージであそこまで出来るライブはそうないんじゃないか?と自画自賛出来るものだったのではないかと思います。
一番近い、昨日のライブから。
昨日はエイプリルフール。
少しくらいのウソは許される日なのです。
あまり詳しくは書きませんが、昨日僕らはライブ中に大きなウソをつきました。
きっとみんな気付いていなかったと思います。
でも、最後にその答えが分かる、ヒントとなりうるものをプレゼントとして持って返ってもらいました。
なぜ、あれがプレゼントされたのか。
あのプレゼントの品がライブ中に使用されたのはいつか?
では、なぜその急遽使用されたモノが最後のプレゼントとして前もって用意されていたのか?
答えを言うのはナンセンスなので、後は想像に任せます。
プレゼントだけはなかなかピンと来にくかったみたいなので。
ほんとは、そのまま思い出になっても良かったのですが、やはりウソをばらしてこそのエイプリルフールだと思うので。
ライブ中は思った以上にいい空気になったので、それを大切にしたくて言いませんでした。
あぁ言うウソも一年に一回くらいはいいのではないでしょうか?
騙される事ってなかなかないでしょうし(笑)。
そういうところから考えても、あのステージであそこまで企画して出来るのはそういないのじゃないかと自画自賛しているのです(笑)。
でも、そんなの関係なくても、暖かい、終わりたくない良いライブになりました。
本当にありがとう!!
本当に楽しいひとときでした。
アコースティックライブなので、いつものと違う、ゆったりまったりとした時間でやりたい!というコンセプトのもと、企画満載でお届けしました。
初日は少しばたつきましたが、2日目はあのステージであそこまで出来るライブはそうないんじゃないか?と自画自賛出来るものだったのではないかと思います。
一番近い、昨日のライブから。
昨日はエイプリルフール。
少しくらいのウソは許される日なのです。
あまり詳しくは書きませんが、昨日僕らはライブ中に大きなウソをつきました。
きっとみんな気付いていなかったと思います。
でも、最後にその答えが分かる、ヒントとなりうるものをプレゼントとして持って返ってもらいました。
なぜ、あれがプレゼントされたのか。
あのプレゼントの品がライブ中に使用されたのはいつか?
では、なぜその急遽使用されたモノが最後のプレゼントとして前もって用意されていたのか?
答えを言うのはナンセンスなので、後は想像に任せます。
プレゼントだけはなかなかピンと来にくかったみたいなので。
ほんとは、そのまま思い出になっても良かったのですが、やはりウソをばらしてこそのエイプリルフールだと思うので。
ライブ中は思った以上にいい空気になったので、それを大切にしたくて言いませんでした。
あぁ言うウソも一年に一回くらいはいいのではないでしょうか?
騙される事ってなかなかないでしょうし(笑)。
そういうところから考えても、あのステージであそこまで企画して出来るのはそういないのじゃないかと自画自賛しているのです(笑)。
でも、そんなの関係なくても、暖かい、終わりたくない良いライブになりました。
本当にありがとう!!
2008/03/29
私を海に連れてかないで、九死に一生
ボクの持論ではあるが、陸上競技の得意な人は基本的に泳ぐのが苦手だったりする。
まぁ、言い訳じみたイントロから入ったが、ようはボクはカナヅチだと言う事だ。それも言うならば巨大ハンマークラスのカナズチである。キング・ザ・100tクラス。テリーマンもミート君もびっくりである。
だから、子供の頃から海にいくのは嫌だった。
親からしたら夏休みの子供へのサービスのつもりなのだろうが、なんせこちとら泳げないときたものだ。海で溺れると死にますからね。はい。
親のエンジョイサマーも、ボクから言わせれば命がけのDead or Aliveである。
何が悲しくて夏休みに命をかけなきゃいけないのだろうか?
小学2年生の時点でプールで三回溺れて死にかけてたらあかんやろ、と思うし、親の監視の目はどこにあったんやと今更ながら心配になる。
小学3年生の夏休み、その年も相変わらずのんきな顔で両親は僕を海に誘って来た。
「あんた、今日は親戚の家に行くでーーー!みんなで海でバーベキューや!!」
子供に断る権利なんてありゃしない。
「今日も無事に生きて返って来れますように!」と願いを込めて海に出かけた。
その日はもう何がなんだか分からないような一日だった。
海に行くのにわざわざ山登りからスタートするのだ。
今思うと、父親達の「oh!my sonよ!!この父の姿が見えるかい!?たくましいだろ?これが父というものだぞ!」という匂いがぷんぷんしたイベントだった。
勘弁してください。
そんな事よりも、ファミコンのカセットを買って、ボクよりも早く攻略してくれた方が幾分格好良く見えると事か・・・。子の心、親知らずである。
その山道がまた険しいのナンノの吐息でキッス。
すぐ下は崖であれど、ガードレールなんてミルキーなものはないのだ。
当然のように足を踏み外し、ボクと親戚の男の子がまず死にかける。
もう一度確認しよう、すぐ下は崖である。
あかん!
あかんあかん!!!
そう思いかけた矢先、親戚のおじさんが大慌てで僕らの手を握り、「つかまれーーーー!」と大声でsay。
リアル「ファイト一発」である。
命からがら崖に落ちずにすんだ僕らはようやく海へ到着。
といっても浜辺ではない。
山の真横が海だったのだが、一カ所だけその山からぴょんと飛び降りれば足のつくナチュラルな5m四方くらいの足のつく岩場があった。当然その岩場を踏み外せばそこなしの海が待っている。
デリカシーのない親戚のガキどもは「おりゃーーー!」と飛び込んでいく。
当然、都会っ子のボクはもじもじしている。
すると「しげる君もおいで!!ここは浅いから!!」とのお誘いの声。
さっきのファイト一発でドロドロになっていたし、しかたがなくボクも飛び込んだ。
ドッポーーーン。
あれ、
あれれ、
あかん!!
あかんぞ!!
まぁ、なんと運のない事でしょう。
ボクの飛び込んだところだけ岩場がなく、深ーーーい海の底。
完全溺れた。
足が届く届かないのレベルではなく、下からひっぱられるような感じ。
子供心に「こりゃだめかも」と思った。
すると先ほどの「ファイト一発」で株を上げた親戚のおじさんがすかさず飛び込んで助けに来てくれた。
あぁ、この人は神様か。
と思った矢先、そのおじさんsay!
「あかん!やばい!!うをぉこさおsvかおvksv!!」
はい、運動神経抜群のおじさんも溺れだす始末。
神様でもなんでもなく、ややメタボリックな中年のおじ様だった。
はい、ゲームオーバー。
おじさんもごめんね。ボクと一緒におぼれちゃって。
諦めかけたその時、もう一人の大人が足ひれをつけて飛び込んでくれて、なんとか助けてくれた。
今でもあの感覚は忘れられない。
そして今でも海が大嫌いだ。
この間からこういう話を書いていて、今生きている事が本当に奇跡のように感じる。
でも、人って一つや二つこういう話を持っているのではないだろうか?
それともボクだけなのだろうか?
ぜひ、他の人の九死に一生の話を聞いてみたいものだ。
まぁ、言い訳じみたイントロから入ったが、ようはボクはカナヅチだと言う事だ。それも言うならば巨大ハンマークラスのカナズチである。キング・ザ・100tクラス。テリーマンもミート君もびっくりである。
だから、子供の頃から海にいくのは嫌だった。
親からしたら夏休みの子供へのサービスのつもりなのだろうが、なんせこちとら泳げないときたものだ。海で溺れると死にますからね。はい。
親のエンジョイサマーも、ボクから言わせれば命がけのDead or Aliveである。
何が悲しくて夏休みに命をかけなきゃいけないのだろうか?
小学2年生の時点でプールで三回溺れて死にかけてたらあかんやろ、と思うし、親の監視の目はどこにあったんやと今更ながら心配になる。
小学3年生の夏休み、その年も相変わらずのんきな顔で両親は僕を海に誘って来た。
「あんた、今日は親戚の家に行くでーーー!みんなで海でバーベキューや!!」
子供に断る権利なんてありゃしない。
「今日も無事に生きて返って来れますように!」と願いを込めて海に出かけた。
その日はもう何がなんだか分からないような一日だった。
海に行くのにわざわざ山登りからスタートするのだ。
今思うと、父親達の「oh!my sonよ!!この父の姿が見えるかい!?たくましいだろ?これが父というものだぞ!」という匂いがぷんぷんしたイベントだった。
勘弁してください。
そんな事よりも、ファミコンのカセットを買って、ボクよりも早く攻略してくれた方が幾分格好良く見えると事か・・・。子の心、親知らずである。
その山道がまた険しいのナンノの吐息でキッス。
すぐ下は崖であれど、ガードレールなんてミルキーなものはないのだ。
当然のように足を踏み外し、ボクと親戚の男の子がまず死にかける。
もう一度確認しよう、すぐ下は崖である。
あかん!
あかんあかん!!!
そう思いかけた矢先、親戚のおじさんが大慌てで僕らの手を握り、「つかまれーーーー!」と大声でsay。
リアル「ファイト一発」である。
命からがら崖に落ちずにすんだ僕らはようやく海へ到着。
といっても浜辺ではない。
山の真横が海だったのだが、一カ所だけその山からぴょんと飛び降りれば足のつくナチュラルな5m四方くらいの足のつく岩場があった。当然その岩場を踏み外せばそこなしの海が待っている。
デリカシーのない親戚のガキどもは「おりゃーーー!」と飛び込んでいく。
当然、都会っ子のボクはもじもじしている。
すると「しげる君もおいで!!ここは浅いから!!」とのお誘いの声。
さっきのファイト一発でドロドロになっていたし、しかたがなくボクも飛び込んだ。
ドッポーーーン。
あれ、
あれれ、
あかん!!
あかんぞ!!
まぁ、なんと運のない事でしょう。
ボクの飛び込んだところだけ岩場がなく、深ーーーい海の底。
完全溺れた。
足が届く届かないのレベルではなく、下からひっぱられるような感じ。
子供心に「こりゃだめかも」と思った。
すると先ほどの「ファイト一発」で株を上げた親戚のおじさんがすかさず飛び込んで助けに来てくれた。
あぁ、この人は神様か。
と思った矢先、そのおじさんsay!
「あかん!やばい!!うをぉこさおsvかおvksv!!」
はい、運動神経抜群のおじさんも溺れだす始末。
神様でもなんでもなく、ややメタボリックな中年のおじ様だった。
はい、ゲームオーバー。
おじさんもごめんね。ボクと一緒におぼれちゃって。
諦めかけたその時、もう一人の大人が足ひれをつけて飛び込んでくれて、なんとか助けてくれた。
今でもあの感覚は忘れられない。
そして今でも海が大嫌いだ。
この間からこういう話を書いていて、今生きている事が本当に奇跡のように感じる。
でも、人って一つや二つこういう話を持っているのではないだろうか?
それともボクだけなのだろうか?
ぜひ、他の人の九死に一生の話を聞いてみたいものだ。
2008/03/26
バカのスピン、九死に一生
これはボクの知人の話である。
けっしてボクではない。
彼は18歳になってすぐに車の免許を取った。
今まで自転車で動ける範囲で遊んでいたのが、急に世界が広がった、らしい。
彼の18歳と言えば本当に駅前の中心で愛を叫んでしまうほどのおバカな頃である。外国人の男の人とストリートファイトを行うほどのバカな頃である。
とにかくバカな頃である。
バカが車という道具を手にするとバカな使い方しか知らない。
ゲタで運転してゲタがアクセルに挟まってしまい事故りかけたり、何秒間目をつぶって運転出来るか?などという、いっその事そのまま永遠に閉じててくださいと言いたくなるような一人度胸試しをやってみたり。
ここではとても書けないが、光よりも早いんじゃないかという程のスピードを出してみたり、ちなみに後少し踏み込めばタイムトラベルしたかもしれないと思うほどである。
書いていてこれは本当にオレの・・・いや、これは本当に知人の話か?と思うほどのバカっぷりである。
そんなバカが友達3人を乗せて高速道路を運転中、隣の車を追い越しにかかった。
すると少しだけとなりの車が近寄って来た。
あわててハンドルを少し切った。
高速でハンドルを切ったものだから車体が揺れて片輪走行に。
すぐさま逆方向にハンドルを切ったら今度は逆側が浮いてまたもや片輪走行に。
それを2度ほど繰り返して、猛スピードで反対車線のガードレールに突っ込んでいった。
ボク・・・いや、彼は死んだと思った。
ドラマのようにゆっくりとしたスピードでガードレールに突っ込んでいった。
その最中、色んな事が頭の中を駆け巡った。
「お父さん、お母さんごめんなさい。車ダメにしちゃった。きっと助手席の友人もダメだろうな。友人の両親は良い人だけど、きっとお父さんもお母さんも彼らから責められるだろうな。後ろにいるみんなもごめん。短い人生だったな。」
時間にして0.1秒。(日常でこれほど頭の回転が速ければ、もっといろいろと役立と思うのだが、人の体は本当に良く出来ている。)
どっからどうみても絶対に駄目。
それでも必死でハンドルは切っていた、らしい。
ギュルルルルッルルルルルルルルルルルル、キーーーーーーーーーーーィ!!!!!!
プシューーー。
・・・。
・・・・・・。
あれ?
あれ?
あれ、生きている。
気が付くと車はスピンして反対車線に止まっていた。
一車線分しかない反対車線にスピンして止まるなんて、二階から目薬を差すような難しさである。
それでもボ・・・彼は、見事その目薬をドンピシャ黒目で受け止めた。
車は奇跡的に傷一つない。
オートマなのにエンストしている以外は何一つおかしいところはない。
高速道路でスピン、反対車線は一車線。反対車線から車が来ていてもアウトである。アウトどころかチェンジである。
運というものがあるならば、彼は一生分の運をそこで使い切ったのかもしれない。
それ以来、彼を含め、同乗者4人の口癖は「一度死んだこの命!今更怖いものはない!」になった。
それだけでもボク・・・、いや、彼は救われたと思うしかないよな。
本当に死はいつも隣り合わせ。
あの時くたばっててもおかしくない。というか、むしろ生きていた方が不思議だ。
彼はふと思うときがあるそうだ。
人間一つや二つこんなエピソードを持っているのではないだろうか?
今日まで生きている方が本当に奇跡なのではないか?
いつか、自分に子供が出来た時、こんな隣り合わせの死の中の生をどう見守っていくのだろうかと。
生きているってことの喜びを、せめて一年に一回くらいは噛み締めないとな。
って、彼は言ってた。
けっしてボクではない。
彼は18歳になってすぐに車の免許を取った。
今まで自転車で動ける範囲で遊んでいたのが、急に世界が広がった、らしい。
彼の18歳と言えば本当に駅前の中心で愛を叫んでしまうほどのおバカな頃である。外国人の男の人とストリートファイトを行うほどのバカな頃である。
とにかくバカな頃である。
バカが車という道具を手にするとバカな使い方しか知らない。
ゲタで運転してゲタがアクセルに挟まってしまい事故りかけたり、何秒間目をつぶって運転出来るか?などという、いっその事そのまま永遠に閉じててくださいと言いたくなるような一人度胸試しをやってみたり。
ここではとても書けないが、光よりも早いんじゃないかという程のスピードを出してみたり、ちなみに後少し踏み込めばタイムトラベルしたかもしれないと思うほどである。
書いていてこれは本当にオレの・・・いや、これは本当に知人の話か?と思うほどのバカっぷりである。
そんなバカが友達3人を乗せて高速道路を運転中、隣の車を追い越しにかかった。
すると少しだけとなりの車が近寄って来た。
あわててハンドルを少し切った。
高速でハンドルを切ったものだから車体が揺れて片輪走行に。
すぐさま逆方向にハンドルを切ったら今度は逆側が浮いてまたもや片輪走行に。
それを2度ほど繰り返して、猛スピードで反対車線のガードレールに突っ込んでいった。
ボク・・・いや、彼は死んだと思った。
ドラマのようにゆっくりとしたスピードでガードレールに突っ込んでいった。
その最中、色んな事が頭の中を駆け巡った。
「お父さん、お母さんごめんなさい。車ダメにしちゃった。きっと助手席の友人もダメだろうな。友人の両親は良い人だけど、きっとお父さんもお母さんも彼らから責められるだろうな。後ろにいるみんなもごめん。短い人生だったな。」
時間にして0.1秒。(日常でこれほど頭の回転が速ければ、もっといろいろと役立と思うのだが、人の体は本当に良く出来ている。)
どっからどうみても絶対に駄目。
それでも必死でハンドルは切っていた、らしい。
ギュルルルルッルルルルルルルルルルルル、キーーーーーーーーーーーィ!!!!!!
プシューーー。
・・・。
・・・・・・。
あれ?
あれ?
あれ、生きている。
気が付くと車はスピンして反対車線に止まっていた。
一車線分しかない反対車線にスピンして止まるなんて、二階から目薬を差すような難しさである。
それでもボ・・・彼は、見事その目薬をドンピシャ黒目で受け止めた。
車は奇跡的に傷一つない。
オートマなのにエンストしている以外は何一つおかしいところはない。
高速道路でスピン、反対車線は一車線。反対車線から車が来ていてもアウトである。アウトどころかチェンジである。
運というものがあるならば、彼は一生分の運をそこで使い切ったのかもしれない。
それ以来、彼を含め、同乗者4人の口癖は「一度死んだこの命!今更怖いものはない!」になった。
それだけでもボク・・・、いや、彼は救われたと思うしかないよな。
本当に死はいつも隣り合わせ。
あの時くたばっててもおかしくない。というか、むしろ生きていた方が不思議だ。
彼はふと思うときがあるそうだ。
人間一つや二つこんなエピソードを持っているのではないだろうか?
今日まで生きている方が本当に奇跡なのではないか?
いつか、自分に子供が出来た時、こんな隣り合わせの死の中の生をどう見守っていくのだろうかと。
生きているってことの喜びを、せめて一年に一回くらいは噛み締めないとな。
って、彼は言ってた。
2008/03/24
命あってのものだね、九死に一生
僕は母親に命を奪われそうになった事が何度かある。
何ともおぞましい書き出しだが、言い方は違えど、命からがらになった事か何度かある。
少し思い返そう。
子供の頃、朝、目覚めると親父の怒声が響き渡る。
「あほか!お前!!家族を殺す気かっっっ!」
「おはよう」を聞く前にこの声で目覚める奴はそういないだろう。
親父say!
「ガス元栓開きっぱなしやろ!!」
はい。
うちの母親はよくやっていました。
ガス漏れ。
ペットボトルの蓋をきっちり閉めない人っていると思うが、あんな感覚でガスを扱っていたのではないかと推測する。
もちろんタバコ好きの親父がガスに気が付く前にライターで火をつけていたら、我が家はビックバンである。
火をつけなくてもガス中毒で我が家はコンテニューのないゲームオーバ。
絶対に起きてはいけないガス漏れと言う事故が、我が家ではオリンピックよりも多い回数で起きていた。
その中でも思い出深いのは、中学生の時、部活終わりに家に帰るとドアを開ける前からガスの匂いがしていた事があった。
もう一度確認するが、ドアを開ける前からである。
ちなみにうちのマンションのドアは分厚い鉄板だったのだが、それをもろともせずガスの匂いがするのだ。
僕だって男の子。君たち女の子ヘヘヘイ!である。
覚悟を決めた。
僕はおそるおそる完全ガス漏れの部屋に突入。
気分はダイハード。
案の上、おでんを煮込んでいたのが吹きこぼれ、火が消えガスだけが出ている状態。レッドゾーンである。しかも振り切っている。
未来ある中学生の男子がそんな戦線の前線に立つ事があるだろうか?
なんとなくテレビで見た知識を何度も頭の中で確認した。
まず換気扇は付けてはいけない。付けると火花でビックバン!
次に、窓を開けるときも優しくあける事。しくじるとビックバン!
僕はまずひねりを元に戻し、元栓を締め、ゆっくりと窓を開けた。部屋中の窓もあけた。
今思うといつ死んでもおかしくなかったかもしれない。
部活で搾り取るように汗をかいたはずなのに、プールに飛び込んだような汗をかいていた。
そんなこんなでミッションインポッシブルを見事にこなし、無事生還した時には今まで以上に大人になった気がしたもんだ。
まぁ、今思うとそんな危険を冒すよりもがガス屋さんに連絡した方が絶対に良かったのだが。
で、一昨日の話になるのだが・・・。
うっし、お湯でも湧かすか!と東京の自宅のガスコンロに向かうと、ガスのまわすところが中火のところで火は消えたままの状態・・・。
はい、蛙の子は蛙なのです。
やってしまっていました。
ただ最近のはよく出来ていて、ガス漏れが起きると自然に止まるようになっているようで・・・。そのおかげで僕は助かった。
おっちょこちょいではすまない。
本当に死はいつも隣り合わせ。
普段から気をつけなくては。
ところで、やっぱりこう言う事故が起きるのって我が家だけ?
追記、今日中にはいろんなライブ情報がアップされると思います。
何ともおぞましい書き出しだが、言い方は違えど、命からがらになった事か何度かある。
少し思い返そう。
子供の頃、朝、目覚めると親父の怒声が響き渡る。
「あほか!お前!!家族を殺す気かっっっ!」
「おはよう」を聞く前にこの声で目覚める奴はそういないだろう。
親父say!
「ガス元栓開きっぱなしやろ!!」
はい。
うちの母親はよくやっていました。
ガス漏れ。
ペットボトルの蓋をきっちり閉めない人っていると思うが、あんな感覚でガスを扱っていたのではないかと推測する。
もちろんタバコ好きの親父がガスに気が付く前にライターで火をつけていたら、我が家はビックバンである。
火をつけなくてもガス中毒で我が家はコンテニューのないゲームオーバ。
絶対に起きてはいけないガス漏れと言う事故が、我が家ではオリンピックよりも多い回数で起きていた。
その中でも思い出深いのは、中学生の時、部活終わりに家に帰るとドアを開ける前からガスの匂いがしていた事があった。
もう一度確認するが、ドアを開ける前からである。
ちなみにうちのマンションのドアは分厚い鉄板だったのだが、それをもろともせずガスの匂いがするのだ。
僕だって男の子。君たち女の子ヘヘヘイ!である。
覚悟を決めた。
僕はおそるおそる完全ガス漏れの部屋に突入。
気分はダイハード。
案の上、おでんを煮込んでいたのが吹きこぼれ、火が消えガスだけが出ている状態。レッドゾーンである。しかも振り切っている。
未来ある中学生の男子がそんな戦線の前線に立つ事があるだろうか?
なんとなくテレビで見た知識を何度も頭の中で確認した。
まず換気扇は付けてはいけない。付けると火花でビックバン!
次に、窓を開けるときも優しくあける事。しくじるとビックバン!
僕はまずひねりを元に戻し、元栓を締め、ゆっくりと窓を開けた。部屋中の窓もあけた。
今思うといつ死んでもおかしくなかったかもしれない。
部活で搾り取るように汗をかいたはずなのに、プールに飛び込んだような汗をかいていた。
そんなこんなでミッションインポッシブルを見事にこなし、無事生還した時には今まで以上に大人になった気がしたもんだ。
まぁ、今思うとそんな危険を冒すよりもがガス屋さんに連絡した方が絶対に良かったのだが。
で、一昨日の話になるのだが・・・。
うっし、お湯でも湧かすか!と東京の自宅のガスコンロに向かうと、ガスのまわすところが中火のところで火は消えたままの状態・・・。
はい、蛙の子は蛙なのです。
やってしまっていました。
ただ最近のはよく出来ていて、ガス漏れが起きると自然に止まるようになっているようで・・・。そのおかげで僕は助かった。
おっちょこちょいではすまない。
本当に死はいつも隣り合わせ。
普段から気をつけなくては。
ところで、やっぱりこう言う事故が起きるのって我が家だけ?
追記、今日中にはいろんなライブ情報がアップされると思います。
2008/03/21
THE 日記「頭の中をアウトプット」
断片的な日記。
新しい歌の断片がいくつか出来た。
この瞬間があるからこそ、ボクは音楽を続けているのだろう。
もちろん産みの苦しみもある。
髪の毛をかきむしる事もしばしば。
それでも、こうやって表現したい事が思ったように形になってくると心が跳ね上がる。
物事が続いていくのってこういう喜びがあるからなんだろうな。
仕事も恋も、いつだって喜びを忘れちゃいけないな。
ナポリタンにはまっている。
昔はケチャップべたべたの、細かい調整してるのか分からないような代物を毎日のように食べていたため、大人になってからは単品で頼んだ事もなかったし、ハンバーグなんかの横についているナポリタンにも「なんでやねん!」と突っ込んでいた。
でも、ひょんな拍子においしいナポリタンを紹介してもらい、それ以来すっかりはまっている。
昔ながらの味がやっぱりいい。
鉄板で運ばれて来て下に卵があれば最高だ。
自分でも作ってみようと思っている。
まずはレシピを調べねば。
ちなみにナポリタンはイタリアンスパゲティーとも言うらしい。
ボクは早い段階から電子マネーを使っている。
もともと財布を持ちたくないボクにはぴったり。
ただ、アナログがかっこいいと信じきっている、いや、アナログに人間に見られたいというワケの分からぬ美学を持っているボクとしては少々引っかかるが、やはり便利だ。
何が便利って小銭を払わなくてもいいところだ。
が、さっきレジで会計をすましながらふと思った。
小銭が出なかったら募金出来ひんがな。
今は他社多様であるが、これから先、電子マネーは一つになるような気がする。
みんな財布を持たずに、現金を持たずに生活する日がきっとくるだろう。
募金はどうなるのだろう。
今でも、電話をかければ募金になるという便利なものもあるが、あれの延長のようにここにアクセスして募金をとなるのだろうか?
各募金グループが革命的な電子マネー募金方法を考えないと、やはり今よりも落ちるような気がする。
携帯電話の予算内でやりくりする時代。
商売をしているものはいろいろと考えていかねば。
そうこう考えると、人の進歩の具合は凄まじい。
もうすぐネットも携帯電話並みにどこでもワイヤレスで使えるようになるだろう。
一昔前までインターネットをしている人も少なかったし、ポケベルで騒いでいたのに。
研究し、今よりも前を目指すと人はどこまでもいけるんだなぁ。
やっぱりどんな時も立ち止まっちゃいけないし、現状に満足しちゃいけないんだな。
そう思う。
さぁ、夜が明けた。
もう少し曲を煮詰めよう。
もう一歩前にいく為に。
新しい歌の断片がいくつか出来た。
この瞬間があるからこそ、ボクは音楽を続けているのだろう。
もちろん産みの苦しみもある。
髪の毛をかきむしる事もしばしば。
それでも、こうやって表現したい事が思ったように形になってくると心が跳ね上がる。
物事が続いていくのってこういう喜びがあるからなんだろうな。
仕事も恋も、いつだって喜びを忘れちゃいけないな。
ナポリタンにはまっている。
昔はケチャップべたべたの、細かい調整してるのか分からないような代物を毎日のように食べていたため、大人になってからは単品で頼んだ事もなかったし、ハンバーグなんかの横についているナポリタンにも「なんでやねん!」と突っ込んでいた。
でも、ひょんな拍子においしいナポリタンを紹介してもらい、それ以来すっかりはまっている。
昔ながらの味がやっぱりいい。
鉄板で運ばれて来て下に卵があれば最高だ。
自分でも作ってみようと思っている。
まずはレシピを調べねば。
ちなみにナポリタンはイタリアンスパゲティーとも言うらしい。
ボクは早い段階から電子マネーを使っている。
もともと財布を持ちたくないボクにはぴったり。
ただ、アナログがかっこいいと信じきっている、いや、アナログに人間に見られたいというワケの分からぬ美学を持っているボクとしては少々引っかかるが、やはり便利だ。
何が便利って小銭を払わなくてもいいところだ。
が、さっきレジで会計をすましながらふと思った。
小銭が出なかったら募金出来ひんがな。
今は他社多様であるが、これから先、電子マネーは一つになるような気がする。
みんな財布を持たずに、現金を持たずに生活する日がきっとくるだろう。
募金はどうなるのだろう。
今でも、電話をかければ募金になるという便利なものもあるが、あれの延長のようにここにアクセスして募金をとなるのだろうか?
各募金グループが革命的な電子マネー募金方法を考えないと、やはり今よりも落ちるような気がする。
携帯電話の予算内でやりくりする時代。
商売をしているものはいろいろと考えていかねば。
そうこう考えると、人の進歩の具合は凄まじい。
もうすぐネットも携帯電話並みにどこでもワイヤレスで使えるようになるだろう。
一昔前までインターネットをしている人も少なかったし、ポケベルで騒いでいたのに。
研究し、今よりも前を目指すと人はどこまでもいけるんだなぁ。
やっぱりどんな時も立ち止まっちゃいけないし、現状に満足しちゃいけないんだな。
そう思う。
さぁ、夜が明けた。
もう少し曲を煮詰めよう。
もう一歩前にいく為に。
2008/03/19
当たり前の日々に正座を
その昔、付き合っていた彼女とデートをしていた。
といっても行く宛もなく街をぶらついていたら急に彼女が「ゲームセンターに行きたい!」と言い出した。
ゲームセンターなんて中学生以来行っていないし、20歳を超えた大人が行くものでもないと思っていたが、希望が出た事と、他に代わる案が見つけ出せなかったので行く事にした。
久しぶりに行くゲームセンターはやはりボクの知っているものとは少し違っていた。
ボクは彼女に色んなコインゲームの楽しみ方を教えてもらった。
「へぇ・・・そうやってやるんや。よく知ってるな〜」と感心するたび、ボクは彼女の事を何も知らない事に気が付いた。
彼女はボクの知らないところでたまにこうやって遊んでいたのだろう。
彼女なりのふるさとを離れて生きていく為の息抜きの場所となった事もあるのだろう。
友達との絆を深める場所ともなったのだろう。
ボクは彼女の事を何も知らなかった。
知ろうともしていなかったのかもしれない。
ボクは彼女を抱きしめたくなった。
ゲームセンターを出て、彼女は満足そうに笑っていた。
ボクはというとなぜか涙がこぼれていた。
「ごめんね、もっと大切にするから」
「そしてオレなんかといてくれてありがとう」
本当にココロからそう思った。
涙が止まらなかった。
付き合っている真っ最中に、こんなにも今横にいる人が大切なんだって気付いた事はなかった。
大概は別れてから気が付くものなのに。
それでも愛はいつだって永遠をちらつかせ、くだけていく。
だけど、だけど、だけど、あの日のように、気が付く事が出来たならそれは幸せな事だと思う。
当たり前の日々というのは明日もくるとは限らない。
当たり前の日々が終わるときこそ、一番辛いのだ。
だからこそ、当たり前の日々の中で、大切なものに愛を注いでいかねばならない。
愛は永遠ではなかったけど、その事を教えてもらっただけでもボクは彼女に感謝している。
といっても行く宛もなく街をぶらついていたら急に彼女が「ゲームセンターに行きたい!」と言い出した。
ゲームセンターなんて中学生以来行っていないし、20歳を超えた大人が行くものでもないと思っていたが、希望が出た事と、他に代わる案が見つけ出せなかったので行く事にした。
久しぶりに行くゲームセンターはやはりボクの知っているものとは少し違っていた。
ボクは彼女に色んなコインゲームの楽しみ方を教えてもらった。
「へぇ・・・そうやってやるんや。よく知ってるな〜」と感心するたび、ボクは彼女の事を何も知らない事に気が付いた。
彼女はボクの知らないところでたまにこうやって遊んでいたのだろう。
彼女なりのふるさとを離れて生きていく為の息抜きの場所となった事もあるのだろう。
友達との絆を深める場所ともなったのだろう。
ボクは彼女の事を何も知らなかった。
知ろうともしていなかったのかもしれない。
ボクは彼女を抱きしめたくなった。
ゲームセンターを出て、彼女は満足そうに笑っていた。
ボクはというとなぜか涙がこぼれていた。
「ごめんね、もっと大切にするから」
「そしてオレなんかといてくれてありがとう」
本当にココロからそう思った。
涙が止まらなかった。
付き合っている真っ最中に、こんなにも今横にいる人が大切なんだって気付いた事はなかった。
大概は別れてから気が付くものなのに。
それでも愛はいつだって永遠をちらつかせ、くだけていく。
だけど、だけど、だけど、あの日のように、気が付く事が出来たならそれは幸せな事だと思う。
当たり前の日々というのは明日もくるとは限らない。
当たり前の日々が終わるときこそ、一番辛いのだ。
だからこそ、当たり前の日々の中で、大切なものに愛を注いでいかねばならない。
愛は永遠ではなかったけど、その事を教えてもらっただけでもボクは彼女に感謝している。
2008/03/15
ホワイトデーですね!
もうすでに0時を回り、現在は3月15日になりましたが、ボクの中ではまだ寝てないので14日です。
そういえば0時を回った時点で、さっきまで「今日」だった事を「昨日」と呼ぶ人いますよね。
学生の頃にそんなことを言うと「お前細かいねん!」と突っ込まれたものだし、言う方も、「現実的には昨日やけどね」なんて注釈を付けたものだ。けど、大人になったら、厳密には社会人は0時を回っただけで、たった1分前でさえも「昨日」と呼んだりする。
ボクの中では、やはり寝ないと明日は来ないのだ。
寝れば色んな事を忘れられる。
でも寝なければ引きずったまま。
寝るという行為によって一度リセットされるからやはり寝ない限りは今日は続いていくのだ。
明日への希望はそう言うものであって欲しい。
長いイントロでしたが、要は今日はホワイトデーですね!という事を伝えたかったのです。
バレンタインの日にたくさんのチョコレートをもらいました。
本当に感謝感激です。
社会人とはほど遠い生活をしているボクは、ホワイトデーにお返しをした事があまりないのだけれども、チョコレートではないけどここに言葉として、そして、次に出会った時に歌でお返しする事を約束します。
本当にありがとう!
追記、広島&山口ツアー終了!ありがとう!楽しかった!!
そういえば0時を回った時点で、さっきまで「今日」だった事を「昨日」と呼ぶ人いますよね。
学生の頃にそんなことを言うと「お前細かいねん!」と突っ込まれたものだし、言う方も、「現実的には昨日やけどね」なんて注釈を付けたものだ。けど、大人になったら、厳密には社会人は0時を回っただけで、たった1分前でさえも「昨日」と呼んだりする。
ボクの中では、やはり寝ないと明日は来ないのだ。
寝れば色んな事を忘れられる。
でも寝なければ引きずったまま。
寝るという行為によって一度リセットされるからやはり寝ない限りは今日は続いていくのだ。
明日への希望はそう言うものであって欲しい。
長いイントロでしたが、要は今日はホワイトデーですね!という事を伝えたかったのです。
バレンタインの日にたくさんのチョコレートをもらいました。
本当に感謝感激です。
社会人とはほど遠い生活をしているボクは、ホワイトデーにお返しをした事があまりないのだけれども、チョコレートではないけどここに言葉として、そして、次に出会った時に歌でお返しする事を約束します。
本当にありがとう!
追記、広島&山口ツアー終了!ありがとう!楽しかった!!
2008/03/13
感に身を任せ、15日に姫路で歌います
大人になってくると色んな経験をして勘が冴えるようになる。
良い話のように聞こえる何かひっかかる時がたまにある。
「あれ、何だろうこの感じ。上手く説明出来ないけどなにかひっかかる。何かは分からないけど、乗り切れない自分がいる」って事、ないだろうか?
そう言うときは何かしらの危険信号を自ら発しているのだと思う。
それは今日までの日々で培ってきたもの。その中にはもちろん失敗もあり、その経験上シグナルが出るのだ。これは本能のようなもの。アレルギー反応のようなもの。
逆に「あっ、今これやっとかないといけないかも」という信号が出るときもある。
この時、人は意外と動かなかったりする。
で、後で後悔する。
「あっ、今これやっとかないといけないかも」という事は、まずやっておいて良いだろう。
そんなこんなで今回はこの心の声に従う事にしようと思う。
バタバタの日々ではあるが、せっかく関西に帰ってきたので、明後日、15日(土)のお昼の2時から姫路駅前の山陽百貨前で歌おうと思う。(場所がなければ、同じく山陽のミスド前、それでもならJrから御幸通りに入る直前の花壇前で)
姫路でのストリートライブ。
今この故郷でストリートする事がきっと未来の僕に返って来るだろう。
ぜひ見に来てやって欲しい。
勘に身を任せ。いや、勘ではなく感覚で感じる「感」の方が正しいのかもな。
感じるままに。
「嬉しさ」や「悔しさ」、感情で培った感を頼りに。
良い話のように聞こえる何かひっかかる時がたまにある。
「あれ、何だろうこの感じ。上手く説明出来ないけどなにかひっかかる。何かは分からないけど、乗り切れない自分がいる」って事、ないだろうか?
そう言うときは何かしらの危険信号を自ら発しているのだと思う。
それは今日までの日々で培ってきたもの。その中にはもちろん失敗もあり、その経験上シグナルが出るのだ。これは本能のようなもの。アレルギー反応のようなもの。
逆に「あっ、今これやっとかないといけないかも」という信号が出るときもある。
この時、人は意外と動かなかったりする。
で、後で後悔する。
「あっ、今これやっとかないといけないかも」という事は、まずやっておいて良いだろう。
そんなこんなで今回はこの心の声に従う事にしようと思う。
バタバタの日々ではあるが、せっかく関西に帰ってきたので、明後日、15日(土)のお昼の2時から姫路駅前の山陽百貨前で歌おうと思う。(場所がなければ、同じく山陽のミスド前、それでもならJrから御幸通りに入る直前の花壇前で)
姫路でのストリートライブ。
今この故郷でストリートする事がきっと未来の僕に返って来るだろう。
ぜひ見に来てやって欲しい。
勘に身を任せ。いや、勘ではなく感覚で感じる「感」の方が正しいのかもな。
感じるままに。
「嬉しさ」や「悔しさ」、感情で培った感を頼りに。
2008/03/07
ココロの辞書
「あいしている」って言う言葉を知らなければ、ボクは愛しい人に「好きだ」と伝え、友達にも「好きだ」と同じ言葉で伝えるだろう。
「愛おしい」という言葉を知らなければ、ボクはきっとその切なさを勘違いして「なぜ好きなのにこんなに苦しいのだろう」と悩み、ココロのバランスが崩れるだろう。
だからボクは本を読む。
言葉はいつだって薄っぺらで、ココロをうまく表してはくれないとボヤキながらも、相手に思いを伝えるため、ボクのココロに一番近い言葉があった時に、それをすぐに引き出しから取り出して使えるように、ボクは本を読む。
知らない言葉は使えない。
知ってる言葉も行間を読めなければ使えない。
ココロを表したければ本を読むのだ。
本はココロの辞書なのだ。
「愛おしい」という言葉を知らなければ、ボクはきっとその切なさを勘違いして「なぜ好きなのにこんなに苦しいのだろう」と悩み、ココロのバランスが崩れるだろう。
だからボクは本を読む。
言葉はいつだって薄っぺらで、ココロをうまく表してはくれないとボヤキながらも、相手に思いを伝えるため、ボクのココロに一番近い言葉があった時に、それをすぐに引き出しから取り出して使えるように、ボクは本を読む。
知らない言葉は使えない。
知ってる言葉も行間を読めなければ使えない。
ココロを表したければ本を読むのだ。
本はココロの辞書なのだ。
2008/03/06
「変わった子」
ボクは昔から「変わった子」だった。
幼稚園を何度も脱走したり、小学校に上がる際に面接を受けさせられ「好きな食べ物は?」の問いに「かしわ(関西地域では鳥肉の事をこう呼ぶ)」と素材を答えたり、大人はいつだってボクを見て「あの子は変わった子だ」と、時には陰口のように話していた。
ボクは何もわからないフリをしてその言葉を聞き流していた。
学校の先生もボクを「変わった子」と言っていた。
大きくなっても知人の女の子がボクを誰かに紹介する時に「しげる君てどんな子かって聞かれたら、う〜ん、変わってるかな」と言っていた。
もうそこに悪意はなかったが、それでもひっかかるものはいつもあった。
「変わっている」はいつだってボクの代名詞。
大人になれば誰もが憧れる「個性」となるのだが、子供の頃にこれを言われても嬉しくも何ともないものだ。
ボクとしては普通にやっているのに、みんなと同じ事が出来なかっただけなのだ。
みんなと見ている世界が少し違うかったり、興味を持つ事が少しずれていただけだったのだ。
ただこの世界に入り、それが「オリジナルだ」と言う事になり、それこそがボクの武器となっているのだから少しは救われてはいるが、子供の頃に「変わっている」と言われて嬉しいヤツなんていないとボクは思う。
今日、母が仕事で東京に来ており、我が家に泊まりに来ていた。
いろんな話をしている時に「結婚」というキーワードが出て来た。
母は「まぁ、別に急げとも思わんけど・・・」というイントロをはさんで、続けて「歳とって家族もおらんかったら寂しいで」とつぶいやいた。
なるほどな。
さらに「歳とって家族もおらんかったら、あんたは変な人にみられるで。変なおじさんや!って言われるで」と付け足した。
ん〜、まぁ言われん事もないな。
ボクは黙ってお茶を一つすすった。
すると母は特に何も気にする事なく「だから結婚さえして家族がおれば、『あぁ、あの人変わってるけど大丈夫なんかな』って思ってもらえるで」と締めくくった。
・・・・・・。
・・・。
結局、ボクは変わったヤツらしい。
結婚をしたところで変わったヤツらしい。
むしろ変わっているからこそ結婚をしてごまかせ!的な発想に驚いた。
実の息子をすっかり変人扱いするあなたも、FAXって電線をとって紙が相手側に届くと思っていたところをみるとかなりの変わり者ですよ!という事は飲み込んでおいた。
おかあさん、良い言葉教えてあげるね。
蛙の子は蛙。
なのである。
幼稚園を何度も脱走したり、小学校に上がる際に面接を受けさせられ「好きな食べ物は?」の問いに「かしわ(関西地域では鳥肉の事をこう呼ぶ)」と素材を答えたり、大人はいつだってボクを見て「あの子は変わった子だ」と、時には陰口のように話していた。
ボクは何もわからないフリをしてその言葉を聞き流していた。
学校の先生もボクを「変わった子」と言っていた。
大きくなっても知人の女の子がボクを誰かに紹介する時に「しげる君てどんな子かって聞かれたら、う〜ん、変わってるかな」と言っていた。
もうそこに悪意はなかったが、それでもひっかかるものはいつもあった。
「変わっている」はいつだってボクの代名詞。
大人になれば誰もが憧れる「個性」となるのだが、子供の頃にこれを言われても嬉しくも何ともないものだ。
ボクとしては普通にやっているのに、みんなと同じ事が出来なかっただけなのだ。
みんなと見ている世界が少し違うかったり、興味を持つ事が少しずれていただけだったのだ。
ただこの世界に入り、それが「オリジナルだ」と言う事になり、それこそがボクの武器となっているのだから少しは救われてはいるが、子供の頃に「変わっている」と言われて嬉しいヤツなんていないとボクは思う。
今日、母が仕事で東京に来ており、我が家に泊まりに来ていた。
いろんな話をしている時に「結婚」というキーワードが出て来た。
母は「まぁ、別に急げとも思わんけど・・・」というイントロをはさんで、続けて「歳とって家族もおらんかったら寂しいで」とつぶいやいた。
なるほどな。
さらに「歳とって家族もおらんかったら、あんたは変な人にみられるで。変なおじさんや!って言われるで」と付け足した。
ん〜、まぁ言われん事もないな。
ボクは黙ってお茶を一つすすった。
すると母は特に何も気にする事なく「だから結婚さえして家族がおれば、『あぁ、あの人変わってるけど大丈夫なんかな』って思ってもらえるで」と締めくくった。
・・・・・・。
・・・。
結局、ボクは変わったヤツらしい。
結婚をしたところで変わったヤツらしい。
むしろ変わっているからこそ結婚をしてごまかせ!的な発想に驚いた。
実の息子をすっかり変人扱いするあなたも、FAXって電線をとって紙が相手側に届くと思っていたところをみるとかなりの変わり者ですよ!という事は飲み込んでおいた。
おかあさん、良い言葉教えてあげるね。
蛙の子は蛙。
なのである。
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