2008/02/05
表現について
先日、バンドマンの友達がこんなことを言っていた。
「ボク最近自分のホームページを見るのが辛くって」。
なにやら良くない事を書かれたりしているらしい。
テレビや検索サイトのトップページのnewsなんかでも何かと話題になっている「発言」に対する問題。
今日は表現について。
これは一度誰かがはっきりと書いておくべきだと思う。
何かを表現するとき、必ず賛否分かれるものだ。
表現者たるもの、必ず反対意見が出る事が分かっていても表現しなければならない時があるはずだ。
まずは、表現者側にもの申したい。
ビビるんじゃない。
書きたい事を書くのだ。
もちろん書けない時もある。いやむしろその方が多いだろう。
でも、毎回毎回無難な事を書いてはいけない。
言葉を書いて生活が成り立っている者は、タレントとは違う。
ニックネームで書くブログとも絶対違うものであらねばならない。
ラーメンがうまいだの、服がどうだの、そんな事ばかり書いていてどうなのだろうか。
書きたい事がある時はしっかりと思想の奥底まで掘り下げてそれを書くのだ。
それが出来るものが表現者なのだとボクは思う。
そしてそれを受ける側も、言葉の真意を掴もうと努力してほしい。
言葉の表面だけを捉えていてはどんな言葉もトゲ付き毒入りになる。
よく表現者側で「こちらは名前を出してやっているんだ。インターネットで批判をするなら匿名じゃなく、実名でする覚悟を持て!」という人もいるが、それも少し違うとボクは思う。
いくら実名で批判してもその人が失うものは少ないだろう。
仕事までなくなる事はあまりないだろう。
でも、僕ら表現者はこれでご飯を食べているのだ。
その表現一つですべてをなくす事だってある。
書く時はいつだって覚悟がいる。
普通に書いても誤解される事が多々あるのだから。
表現者と受け手側は必ずしも対等とは限らない。
それでもボクらは批判されれば、それを受け止め修正する。
言われっぱなしな事もよくある。
弁解の場もなくただ一方的に向けられた刃を無理矢理少し自分の肌に斬りつけて修正する。
でも、表現するという事はそういう事なのだ。
それを背負っていくべきなのだ。
だからこそ、表現者は受け手と対等ではないと言い切れるほどのものを書いていかなければならない。
ボクはそう思うのだ。
最後に、これはフォローでもなんでもなく、ボクはこれを読んでくれている人は本当に読解力のある方々ばかりだと思う。
ボクが時々意図的に書く、トゲを入りの文を読んでも、批判どころか理解してくれている。
だからこそ、ボクはここで表現できているのだろう。
これは多くの表現者が言いたくて、言えない事かもしれない。
しかし誰かが言わなければならないのだ。
インターネットが普及し、もっともっと覚悟のない言葉がナイフよりも鋭利なモノとなり、自分や、愛する人たちに向けられてくるだろう。
その前にボクらはモラルを始め、受け手側としての質を高めていかねばならない。
もちろん、ボクだって一度バンドを離れるとテレビ・ラジオ・新聞らの受け手側だ。
まだ間に合う。
まだ間に合うぞ。
愛のない、人を平気で傷付けるような言葉の海に僕らの未来を泳がせてはいけない。
「ボク最近自分のホームページを見るのが辛くって」。
なにやら良くない事を書かれたりしているらしい。
テレビや検索サイトのトップページのnewsなんかでも何かと話題になっている「発言」に対する問題。
今日は表現について。
これは一度誰かがはっきりと書いておくべきだと思う。
何かを表現するとき、必ず賛否分かれるものだ。
表現者たるもの、必ず反対意見が出る事が分かっていても表現しなければならない時があるはずだ。
まずは、表現者側にもの申したい。
ビビるんじゃない。
書きたい事を書くのだ。
もちろん書けない時もある。いやむしろその方が多いだろう。
でも、毎回毎回無難な事を書いてはいけない。
言葉を書いて生活が成り立っている者は、タレントとは違う。
ニックネームで書くブログとも絶対違うものであらねばならない。
ラーメンがうまいだの、服がどうだの、そんな事ばかり書いていてどうなのだろうか。
書きたい事がある時はしっかりと思想の奥底まで掘り下げてそれを書くのだ。
それが出来るものが表現者なのだとボクは思う。
そしてそれを受ける側も、言葉の真意を掴もうと努力してほしい。
言葉の表面だけを捉えていてはどんな言葉もトゲ付き毒入りになる。
よく表現者側で「こちらは名前を出してやっているんだ。インターネットで批判をするなら匿名じゃなく、実名でする覚悟を持て!」という人もいるが、それも少し違うとボクは思う。
いくら実名で批判してもその人が失うものは少ないだろう。
仕事までなくなる事はあまりないだろう。
でも、僕ら表現者はこれでご飯を食べているのだ。
その表現一つですべてをなくす事だってある。
書く時はいつだって覚悟がいる。
普通に書いても誤解される事が多々あるのだから。
表現者と受け手側は必ずしも対等とは限らない。
それでもボクらは批判されれば、それを受け止め修正する。
言われっぱなしな事もよくある。
弁解の場もなくただ一方的に向けられた刃を無理矢理少し自分の肌に斬りつけて修正する。
でも、表現するという事はそういう事なのだ。
それを背負っていくべきなのだ。
だからこそ、表現者は受け手と対等ではないと言い切れるほどのものを書いていかなければならない。
ボクはそう思うのだ。
最後に、これはフォローでもなんでもなく、ボクはこれを読んでくれている人は本当に読解力のある方々ばかりだと思う。
ボクが時々意図的に書く、トゲを入りの文を読んでも、批判どころか理解してくれている。
だからこそ、ボクはここで表現できているのだろう。
これは多くの表現者が言いたくて、言えない事かもしれない。
しかし誰かが言わなければならないのだ。
インターネットが普及し、もっともっと覚悟のない言葉がナイフよりも鋭利なモノとなり、自分や、愛する人たちに向けられてくるだろう。
その前にボクらはモラルを始め、受け手側としての質を高めていかねばならない。
もちろん、ボクだって一度バンドを離れるとテレビ・ラジオ・新聞らの受け手側だ。
まだ間に合う。
まだ間に合うぞ。
愛のない、人を平気で傷付けるような言葉の海に僕らの未来を泳がせてはいけない。
2008/02/01
言葉が飛び出して
いくつもいくつも書きかけの日記が溜まっていく。
言葉が散らかるというよりは、はみ出すように枠をやぶり飛び出している。
うまくまとめられたらいいのだけれど。
足跡を今日は残しておきます。
ボクは今日も生きてたぞという証に。
おやすみなさい
言葉が散らかるというよりは、はみ出すように枠をやぶり飛び出している。
うまくまとめられたらいいのだけれど。
足跡を今日は残しておきます。
ボクは今日も生きてたぞという証に。
おやすみなさい
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