2008/02/29
『間』
ボクの独断と偏見だが、多くの男子が生まれて初めて女子とデートした際、「だるーーーぅ」「しんど」「寒っっ!」「昨日寝てないねん」等と嘘くさいあくびの一つをしながら気だるそうにした事があるはずだ。恥ずかしながらボクもその一人だ。
女子の中でも、中学・高校時代彼氏にこういう態度を取られた事があるかもしれない。
どうか女子の皆さん気を悪くしないでやってほしい。
これらのほとんどの理由は『間』にやられているのである。
とにかく『間』が持たなくて発する言葉がこのような形になるのである。
恋愛経験も少ない、でもそれを見透かされたくない。照れくさく恥ずかしいけどバレたくない。そうなった時こそ、この「だるーーーぅ」「しんど」「寒っっ!」「昨日寝てないねん」+ウソあくびなのである。
女子には理解しがたい言動かもしれないが、基本男はバカで分かりやすい。
浅ーーい引き出しの中で導きだす答えが、この「気だるそうにする」なのだ。乾杯!!
しかしこれも大人になってくると違ってくる。
今度は『間』を楽しめるようになるのだ。
沈黙の中にこそ相手とのシンクロを求めたり、この『間』の使い方がうまければうまいほどモテると言う事になる。
同じように「昨日寝てないねん」と言うにしても「昨日寝てないねん・・・夜しか」などと軽いジャブをお見舞いする事も出来るようになってくる。
ここまでくると恋愛マスター!と思ったそこのあなた!!まだまだ道は遠いですぞ。
それほどの『間』のスペシャリストを持ってしても、やはり自分が心底惚れ込んでしまった相手に対しては今日まで培って来たテクニカルなものがすべてなくなってしまうのだ。
沈黙していると相手が退屈しているような気がして無理してしゃべるが、無理矢理なテンションは当然空回り。なんとかしようと得意の「昨日寝てないねん・・・夜しか」という鉄板ネタを披露するも、当然空気も出来ていない中の発射となれば油拭きの後の廊下のごとくすべるすべる。時によっては「夜寝てれば良いんじゃないですか?」と真顔で返され赤面する事も。
事、恋に関しては「好きになったもんが負け」という理論はその通りなのかもしれない。
『間』を楽しめるような大人にもなりたいが、『間』の使い方を忘れ、相手と自分との間合いも分からなくなるほどの恋愛にも憧れる。
ただ、『間』を楽しめる恋愛は何度も出来るが、『間』が持たなくなるほどの恋愛は10年に1度くらいではないかとボクは思う。
どちらの方が良いとは言えないが、10年に1度の波が来た際には、逃げずに例え溺れても良いから飛び込んでみたいと思う。
『間』の恐怖にあたふたとしながら。
そんな大人でありたいな。
女子の中でも、中学・高校時代彼氏にこういう態度を取られた事があるかもしれない。
どうか女子の皆さん気を悪くしないでやってほしい。
これらのほとんどの理由は『間』にやられているのである。
とにかく『間』が持たなくて発する言葉がこのような形になるのである。
恋愛経験も少ない、でもそれを見透かされたくない。照れくさく恥ずかしいけどバレたくない。そうなった時こそ、この「だるーーーぅ」「しんど」「寒っっ!」「昨日寝てないねん」+ウソあくびなのである。
女子には理解しがたい言動かもしれないが、基本男はバカで分かりやすい。
浅ーーい引き出しの中で導きだす答えが、この「気だるそうにする」なのだ。乾杯!!
しかしこれも大人になってくると違ってくる。
今度は『間』を楽しめるようになるのだ。
沈黙の中にこそ相手とのシンクロを求めたり、この『間』の使い方がうまければうまいほどモテると言う事になる。
同じように「昨日寝てないねん」と言うにしても「昨日寝てないねん・・・夜しか」などと軽いジャブをお見舞いする事も出来るようになってくる。
ここまでくると恋愛マスター!と思ったそこのあなた!!まだまだ道は遠いですぞ。
それほどの『間』のスペシャリストを持ってしても、やはり自分が心底惚れ込んでしまった相手に対しては今日まで培って来たテクニカルなものがすべてなくなってしまうのだ。
沈黙していると相手が退屈しているような気がして無理してしゃべるが、無理矢理なテンションは当然空回り。なんとかしようと得意の「昨日寝てないねん・・・夜しか」という鉄板ネタを披露するも、当然空気も出来ていない中の発射となれば油拭きの後の廊下のごとくすべるすべる。時によっては「夜寝てれば良いんじゃないですか?」と真顔で返され赤面する事も。
事、恋に関しては「好きになったもんが負け」という理論はその通りなのかもしれない。
『間』を楽しめるような大人にもなりたいが、『間』の使い方を忘れ、相手と自分との間合いも分からなくなるほどの恋愛にも憧れる。
ただ、『間』を楽しめる恋愛は何度も出来るが、『間』が持たなくなるほどの恋愛は10年に1度くらいではないかとボクは思う。
どちらの方が良いとは言えないが、10年に1度の波が来た際には、逃げずに例え溺れても良いから飛び込んでみたいと思う。
『間』の恐怖にあたふたとしながら。
そんな大人でありたいな。
2008/02/28
誕生日を迎えて
誕生日をふるさとでたくさんの人に祝ってもらいました。
こんな幸せな事ってあるのでしょうか?
ボクが生まれ、そして君もどこかで生まれ、恋をしたり夢を見たり、裏切られたりウソをついたり、色んな経験を経てどこかのタイミングで僕らは音楽を通じて出会い、こうして今に至る。
これは本当に素晴らしい事だと思うし、この出会いを大切にしないといけないなと常々思っています。
今年の誕生日は、生まれて来た喜びに浸るというよりは、生まれてきてからいろいろあった結果である今、こんなにたくさんの仲間たちに囲まれ祝ってもらっているという事にただただ感謝する一日でした。
いつかは消えゆくこの命。
ではなぜ僕らは生まれて来たのだろうか?
生まれて来た意味は何なのだろうか?
時に考え込む日もあっていいとは思いますが、やはりボクは生まれて来た意味を探すよりは、生きて行く中で導きだされる答えこそが、最後の最後くたばっていくその瞬間、ボクの「生まれて来た意味」になれば良いと思っています。
ただ、ボクはこうして君と出会っている中で、すでに生まれて来た意味の尻尾はつかんでいるような気がします。
さぁ、この一年、激しく熱く生きていきたいと思っています。
応援よろしくお願いします!!
こんな幸せな事ってあるのでしょうか?
ボクが生まれ、そして君もどこかで生まれ、恋をしたり夢を見たり、裏切られたりウソをついたり、色んな経験を経てどこかのタイミングで僕らは音楽を通じて出会い、こうして今に至る。
これは本当に素晴らしい事だと思うし、この出会いを大切にしないといけないなと常々思っています。
今年の誕生日は、生まれて来た喜びに浸るというよりは、生まれてきてからいろいろあった結果である今、こんなにたくさんの仲間たちに囲まれ祝ってもらっているという事にただただ感謝する一日でした。
いつかは消えゆくこの命。
ではなぜ僕らは生まれて来たのだろうか?
生まれて来た意味は何なのだろうか?
時に考え込む日もあっていいとは思いますが、やはりボクは生まれて来た意味を探すよりは、生きて行く中で導きだされる答えこそが、最後の最後くたばっていくその瞬間、ボクの「生まれて来た意味」になれば良いと思っています。
ただ、ボクはこうして君と出会っている中で、すでに生まれて来た意味の尻尾はつかんでいるような気がします。
さぁ、この一年、激しく熱く生きていきたいと思っています。
応援よろしくお願いします!!
2008/02/23
誕生日の前に
明日になるとボクはまた一つ歳を重ねます。
いや、明日になるとボクの新しい1年が始まります。
「この1年どうだったのかな?」と振り返ろうと思ったけれど、本能的にそれを拒みました。
今は振り返っている暇もないのです。
常に新しい1日を作り出さなきゃいけない日々。
後ろを向いていると前から来るものにぶつかってしまいます。
戦っている証拠でしょう。
前進している証拠でしょう。
良い事です。
そう、明日は姫路BETAでライブです。
故郷でもあり、原点とも言えるライブハウスで誕生日を迎えられる喜びを噛み締めたいと思います。
ぜひみなさん、祝いにきてやって下さいね!
最後に、歳をとる度に何かを失うような気がしますが、本当は歳をとる度に何かを得る事の方が多いと思います。
むしろ「何か失っているかも」と思う事こそが、大切な何かを置いていっているような気がします。
ボクはもっと歳をとっていきたい。
その中で、何かを失って何かを得るのではなく、何も捨てずに得るものだけをしっかりと増やしていきたいです。
さぁ、この1年の締めくくり。
今日は今日でしっかりと足跡を付けて行こうと思います。
いや、明日になるとボクの新しい1年が始まります。
「この1年どうだったのかな?」と振り返ろうと思ったけれど、本能的にそれを拒みました。
今は振り返っている暇もないのです。
常に新しい1日を作り出さなきゃいけない日々。
後ろを向いていると前から来るものにぶつかってしまいます。
戦っている証拠でしょう。
前進している証拠でしょう。
良い事です。
そう、明日は姫路BETAでライブです。
故郷でもあり、原点とも言えるライブハウスで誕生日を迎えられる喜びを噛み締めたいと思います。
ぜひみなさん、祝いにきてやって下さいね!
最後に、歳をとる度に何かを失うような気がしますが、本当は歳をとる度に何かを得る事の方が多いと思います。
むしろ「何か失っているかも」と思う事こそが、大切な何かを置いていっているような気がします。
ボクはもっと歳をとっていきたい。
その中で、何かを失って何かを得るのではなく、何も捨てずに得るものだけをしっかりと増やしていきたいです。
さぁ、この1年の締めくくり。
今日は今日でしっかりと足跡を付けて行こうと思います。
2008/02/21
ホームラン代谷 誕生日企画「梅田駅前事件」
今日は代谷の誕生日です。
それに伴い、『ホームラン代谷伝説』を書こうかと思ったのですが、ダイちゃんが初めて代谷と出会った時の事をチラっと書いていたので、その場に居合わせたボクが後に語られる「梅田駅前事件」を書こうと思う。
時は1997年、THE NEUTRALを結成する一ヶ月前の事。
当時のベーシストが辞める事になり途方に暮れた僕らは代谷に助っ人を頼んだ。
当時ボクは東大阪の大学、代谷とダイちゃんは神戸の方の大学。
間をとって梅田駅で待ち合わせという事になった。
そこで代谷に電話「待ち合わせはどないしよ」の「しよ」にかかるくらいクイ気味で「噴水前しかないやろ」の一言。
ちなみに当時の僕らは噴水前で待ち合わせというとダサいというイメージがあったのだが(東京で言えばハチ公前だろうか)、彼はそれを通り越して「しかないやろ」とまさかの決め付けで噴水前集合になる事に。
ここでボクはTHE NEUTRALのこれからを担う曲と楽譜を持って行き、そこで少し色んな話をしようと思っていたのだが、まず当然のように代谷は遅刻。
ダイちゃんに至っては彼女を連れてくる始末。
このバカ二人を3文字で表すならば「トホホ」だろう。
しかし、当時ボクにはそれを注意する勇気も気力もなく、ただひたすら代谷大明神が来るのを待っていたら、今と変わらぬ「10分以内なら遅刻にならない」という本人以外誰も許していないルールで現れた。
しかも友人を連れて。
さぁ、ボク、ダイスケ、代谷、ダイスケの彼女、代谷の友人。
3人集まれば文殊の知恵だが、5人集まっても烏合の衆。
共通の話題もないのにバンドのこれからの話なんて出来るはずもなく、ボクは代谷に音と譜面だけを渡した。
一応「代谷、コードだいたい分かる?」と訪ねたところ、「Gが3フレット、Aが5フレットってか?」と「んな事いちいち聞くなよ」と言わんばかりににっこり笑って帰って行った。
この時の代谷はやけに格好良く頼もしく見えた。
以上が「梅田駅前事件」である。
ちなみに後日談だが、代谷はこのときダイちゃんに対し「彼女を連れてくるって・・・」と思ったらしいが、友人連れて遅刻のあなたもなかなかのものですよと教えてげるのにボクは3年も費やしてしまった。
追記、みなさん代谷にたくさんのメッセージを送ってやって下さいね。
それに伴い、『ホームラン代谷伝説』を書こうかと思ったのですが、ダイちゃんが初めて代谷と出会った時の事をチラっと書いていたので、その場に居合わせたボクが後に語られる「梅田駅前事件」を書こうと思う。
時は1997年、THE NEUTRALを結成する一ヶ月前の事。
当時のベーシストが辞める事になり途方に暮れた僕らは代谷に助っ人を頼んだ。
当時ボクは東大阪の大学、代谷とダイちゃんは神戸の方の大学。
間をとって梅田駅で待ち合わせという事になった。
そこで代谷に電話「待ち合わせはどないしよ」の「しよ」にかかるくらいクイ気味で「噴水前しかないやろ」の一言。
ちなみに当時の僕らは噴水前で待ち合わせというとダサいというイメージがあったのだが(東京で言えばハチ公前だろうか)、彼はそれを通り越して「しかないやろ」とまさかの決め付けで噴水前集合になる事に。
ここでボクはTHE NEUTRALのこれからを担う曲と楽譜を持って行き、そこで少し色んな話をしようと思っていたのだが、まず当然のように代谷は遅刻。
ダイちゃんに至っては彼女を連れてくる始末。
このバカ二人を3文字で表すならば「トホホ」だろう。
しかし、当時ボクにはそれを注意する勇気も気力もなく、ただひたすら代谷大明神が来るのを待っていたら、今と変わらぬ「10分以内なら遅刻にならない」という本人以外誰も許していないルールで現れた。
しかも友人を連れて。
さぁ、ボク、ダイスケ、代谷、ダイスケの彼女、代谷の友人。
3人集まれば文殊の知恵だが、5人集まっても烏合の衆。
共通の話題もないのにバンドのこれからの話なんて出来るはずもなく、ボクは代谷に音と譜面だけを渡した。
一応「代谷、コードだいたい分かる?」と訪ねたところ、「Gが3フレット、Aが5フレットってか?」と「んな事いちいち聞くなよ」と言わんばかりににっこり笑って帰って行った。
この時の代谷はやけに格好良く頼もしく見えた。
以上が「梅田駅前事件」である。
ちなみに後日談だが、代谷はこのときダイちゃんに対し「彼女を連れてくるって・・・」と思ったらしいが、友人連れて遅刻のあなたもなかなかのものですよと教えてげるのにボクは3年も費やしてしまった。
追記、みなさん代谷にたくさんのメッセージを送ってやって下さいね。
2008/02/19
本日一歩前進
今日は朝から夜までとにかく一日を濃く生きた。
近道も遠回りも、同じ道の上。
この道は誰のものでもなく、ボクの道。
ボクの未来への道。
辛い時も、一歩でも歩みを前へ。
倒れる時は笑って倒れたい。
望んで選んだこの道。
どう歩くか。
答えはボクの足しか生み出さない。
答えはボクの足しか生み出さないのだ。
本日、一歩前進。
2008/02/17
簡単に見える事、難しく見える事
簡単に見える事ほど難しく、難しく見える事こそ簡単だったりする。
簡単に見える事は積み重ねたものがあるからこそ、簡単に見える。
難しく見えるのは、何もはじめていないからこそ難しく見える。
ここまで書いて手が止まりました。
ここで終わりのような気がします。
でも、まだその奥に答えがあるような気がします。
今のボクにはここまでです。
人生にはこうやって時間をかけて解く問題がたくさん残っています。
答えを焦らず、答えを放り投げず、体験の中から導いていきたいです。
簡単に見える事は積み重ねたものがあるからこそ、簡単に見える。
難しく見えるのは、何もはじめていないからこそ難しく見える。
ここまで書いて手が止まりました。
ここで終わりのような気がします。
でも、まだその奥に答えがあるような気がします。
今のボクにはここまでです。
人生にはこうやって時間をかけて解く問題がたくさん残っています。
答えを焦らず、答えを放り投げず、体験の中から導いていきたいです。
2008/02/16
オオカミ友人
中学から高校時代、最も遊んだ仲間の一人にとてつもないウソをつく奴がいた。
彼と出会う前に友達から「あいつはウソつきやから気をつけろ」と助言を受けるほどの生粋のウソつき。
鮮やかとも言え、むしろ清々しいほどのウソっぷり。
ウソがばれていないと思っているのは当人のみ、僕らはいつもその恐れ多いウソを半ば楽しみに聞いていた。
いくつか例えを挙げよう。
●とにかく広い家は自分の家だと言い張る。
もう一度確認するが、中学から高校時代の仲間である。小学生のエピソードではない。ちなみに自分の家だと言い張る大きな家の前でキャッチボルをしていたらボールがその家に入ってしまったのだが、彼はこそ泥のようにこっそり入って取りにいっていた。
●東京大学の理系の赤本の下に、もっと気楽に入れる大学の文系の本が置いてあった。
東大と地方の大学の学歴の差はもちろん、文系と理系の本は一緒やったらあかんやろという話である。
●中学卒業時には「イギリスに留学する」という大ウソを突き通し、卒業アルバムにも「イギリス言っても忘れるなよ!!」とコメントされるが、こっそりと大阪の高校に通う。
●駅前でジャニーズの人に声をかけられたと言い張る。
ちなみに姫路駅にジャニーズ関係の人がいる事はまずない。
しかし、彼はとにかく面白い奴だった。
そして良くモテた。
高校生で何股もかけている奴を見たのは彼が初めてだった。
ここでは書けないが、このほかにも彼はとんでもない嘘をたくさんついていた。
でも、それは彼の周りの環境を見ればそうなるのも分かる気がした。
彼は誰かに対してウソをついていたのだが、付き過ぎてそれが当人には本当に思えているくらいの重傷だった。
彼は彼自身を認めようとせず、自分を否定するようにウソを突き通していた。
それでもボクは彼が大好きだった。
でも、彼はきっと本当の本当に僕らに心を開いてはくれなかったのだろう。
ある日の夏祭り、僕らと彼は些細な事で喧嘩してそれ以来になってしまった。
未だにボクは心残り。
どうしてあの時にもっともっと、彼を認めて肯定してあげなかったのだろうか?
ボクは彼のお笑いが大好きで、彼の優しさも大好きだったのに。
今でも時々、彼クラスのウソをつく人を見かける事がある。
人には色んな事情があるのだろう。
でも、自分を大きく見せるウソはいつだって悲しくなる。
みんなが見ているところはそんなところじゃないのに。
死ぬまでの間、付き合っていく自分自身。
良さもずるさも駄目なところもすべて知っている自分自身。
せめて自らが愛してやれなければ。
ウソで守っていくのではなく、悔しさや恥ずかしさが襲う時も、唇を噛んで、その度に立ち上がっていく自分を愛してやらねば。
それは、強さだとか弱さという問題ではない。
それが生きているという事なのだから。
彼と出会う前に友達から「あいつはウソつきやから気をつけろ」と助言を受けるほどの生粋のウソつき。
鮮やかとも言え、むしろ清々しいほどのウソっぷり。
ウソがばれていないと思っているのは当人のみ、僕らはいつもその恐れ多いウソを半ば楽しみに聞いていた。
いくつか例えを挙げよう。
●とにかく広い家は自分の家だと言い張る。
もう一度確認するが、中学から高校時代の仲間である。小学生のエピソードではない。ちなみに自分の家だと言い張る大きな家の前でキャッチボルをしていたらボールがその家に入ってしまったのだが、彼はこそ泥のようにこっそり入って取りにいっていた。
●東京大学の理系の赤本の下に、もっと気楽に入れる大学の文系の本が置いてあった。
東大と地方の大学の学歴の差はもちろん、文系と理系の本は一緒やったらあかんやろという話である。
●中学卒業時には「イギリスに留学する」という大ウソを突き通し、卒業アルバムにも「イギリス言っても忘れるなよ!!」とコメントされるが、こっそりと大阪の高校に通う。
●駅前でジャニーズの人に声をかけられたと言い張る。
ちなみに姫路駅にジャニーズ関係の人がいる事はまずない。
しかし、彼はとにかく面白い奴だった。
そして良くモテた。
高校生で何股もかけている奴を見たのは彼が初めてだった。
ここでは書けないが、このほかにも彼はとんでもない嘘をたくさんついていた。
でも、それは彼の周りの環境を見ればそうなるのも分かる気がした。
彼は誰かに対してウソをついていたのだが、付き過ぎてそれが当人には本当に思えているくらいの重傷だった。
彼は彼自身を認めようとせず、自分を否定するようにウソを突き通していた。
それでもボクは彼が大好きだった。
でも、彼はきっと本当の本当に僕らに心を開いてはくれなかったのだろう。
ある日の夏祭り、僕らと彼は些細な事で喧嘩してそれ以来になってしまった。
未だにボクは心残り。
どうしてあの時にもっともっと、彼を認めて肯定してあげなかったのだろうか?
ボクは彼のお笑いが大好きで、彼の優しさも大好きだったのに。
今でも時々、彼クラスのウソをつく人を見かける事がある。
人には色んな事情があるのだろう。
でも、自分を大きく見せるウソはいつだって悲しくなる。
みんなが見ているところはそんなところじゃないのに。
死ぬまでの間、付き合っていく自分自身。
良さもずるさも駄目なところもすべて知っている自分自身。
せめて自らが愛してやれなければ。
ウソで守っていくのではなく、悔しさや恥ずかしさが襲う時も、唇を噛んで、その度に立ち上がっていく自分を愛してやらねば。
それは、強さだとか弱さという問題ではない。
それが生きているという事なのだから。
2008/02/15
もっともっともっと前へ 音楽に対して謙虚に
昨日は急遽決まったボクの一人ライブ。
にもかかわらず、たくさんの人が聴きに来てくれてとても嬉しかったです。
ここ最近、自分の一人ライブについて考えていました。
どうしてもバンドの時のような良さが表現できず、いくら握手のためとはいえ、やめた方が良いのでは?と。
ソロライブとしてはボクはまだまだ新人です。
出来ない事だらけ。
それでも、ボクは今まで目を瞑ってきました。
「ソロの練習している暇があったらバンドの為に曲を書こう!」と自分に言い聞かせていました。
でもそれは言い訳でした。
やろうと思えば曲作りをしながらでもソロの練習は出来ます。
「基本はバンドの曲でソロをやる!バンドの代表なんだから!」それも言い訳でした。
ボクはソロアーティストとして将来やるつもりはありません。
その気持ちさえあれば、ソロ用の曲があっても何もブレません。おかしくないのです。
それよりも、ココロランドリーで出来るようなあの空気感を一人でも出来るように精進すべきだったのです。
すべては甘え。
もちろん、スケジュールは厳しいです。
やるべき事はたくさんあります。
それでもやるのです。
どんな形であろうが、ボクがステージに上がる以上、最高のパフォーマンスを見せるため一生懸命でなければなりません。
20歳の頃のボクに笑われそうです。
口だけ番長にならないよう、ボクはもっと音楽に対して謙虚であり続けます。
もっと楽器を愛し、練習し、詩を深く掘り下げ、メロディーの流れを時には手で掴み確かめるような日々を送っていきます。
もっともっと。
もっと前へいく為に。
なんとかしたい。
何かになりたい。
その思いを大切に、音楽を愛し、音楽にすべてを捧げます。
甘えそうな自分が、流されやすい自分がこれを読んで気を引き締められるよう。
誓いをここに。
追記、たくさんのチョコレートありがとうございました。
渋谷からの帰り道、両手いっぱいでも収まりきれないチョコの量に街中の人が振り返っていました(笑)。
高校時代の卒業式の後、花束だらけで帰った時の事を思いました。
あの時も街中の人に見られたなぁ。
幸せな事です。
にもかかわらず、たくさんの人が聴きに来てくれてとても嬉しかったです。
ここ最近、自分の一人ライブについて考えていました。
どうしてもバンドの時のような良さが表現できず、いくら握手のためとはいえ、やめた方が良いのでは?と。
ソロライブとしてはボクはまだまだ新人です。
出来ない事だらけ。
それでも、ボクは今まで目を瞑ってきました。
「ソロの練習している暇があったらバンドの為に曲を書こう!」と自分に言い聞かせていました。
でもそれは言い訳でした。
やろうと思えば曲作りをしながらでもソロの練習は出来ます。
「基本はバンドの曲でソロをやる!バンドの代表なんだから!」それも言い訳でした。
ボクはソロアーティストとして将来やるつもりはありません。
その気持ちさえあれば、ソロ用の曲があっても何もブレません。おかしくないのです。
それよりも、ココロランドリーで出来るようなあの空気感を一人でも出来るように精進すべきだったのです。
すべては甘え。
もちろん、スケジュールは厳しいです。
やるべき事はたくさんあります。
それでもやるのです。
どんな形であろうが、ボクがステージに上がる以上、最高のパフォーマンスを見せるため一生懸命でなければなりません。
20歳の頃のボクに笑われそうです。
口だけ番長にならないよう、ボクはもっと音楽に対して謙虚であり続けます。
もっと楽器を愛し、練習し、詩を深く掘り下げ、メロディーの流れを時には手で掴み確かめるような日々を送っていきます。
もっともっと。
もっと前へいく為に。
なんとかしたい。
何かになりたい。
その思いを大切に、音楽を愛し、音楽にすべてを捧げます。
甘えそうな自分が、流されやすい自分がこれを読んで気を引き締められるよう。
誓いをここに。
追記、たくさんのチョコレートありがとうございました。
渋谷からの帰り道、両手いっぱいでも収まりきれないチョコの量に街中の人が振り返っていました(笑)。
高校時代の卒業式の後、花束だらけで帰った時の事を思いました。
あの時も街中の人に見られたなぁ。
幸せな事です。
2008/02/14
バレンタインデー
今日はバレンタインデーですね。
ボクはこの日が大好きです。
男で生まれて良かったと思う唯一の日かも知れません。
「所詮、チョコレート会社の作った・・・なんちゃら・・・・」なんてナンセンスです。
バレンタインデーは、ボクが生まれた時からこの日は女性が告白するという、片思いの女の子の背中をそっと押してあげる素晴らしき日なのです。おせっかいな友達がしゃしゃり出てきて、でもそれが妙にココロ強く見える素晴らしき日なのです。ストーカーばりに好きなこの家を調べ上げる素晴らしき日なのです。
大人になると義理チョコが多くなります。
大人になると恋に落ちにくくなります。
恋する相手がいるだけでもうらやましいものです。
チョコレートのように恋もタイミングを逃すと溶けちゃいます。
女子のみなさん、みんなの頑張りはボクが知っています。
結果よりも動いた自分を褒めてやってください。
では、ハッピーバレンタイン!!
ボクはこの日が大好きです。
男で生まれて良かったと思う唯一の日かも知れません。
「所詮、チョコレート会社の作った・・・なんちゃら・・・・」なんてナンセンスです。
バレンタインデーは、ボクが生まれた時からこの日は女性が告白するという、片思いの女の子の背中をそっと押してあげる素晴らしき日なのです。おせっかいな友達がしゃしゃり出てきて、でもそれが妙にココロ強く見える素晴らしき日なのです。ストーカーばりに好きなこの家を調べ上げる素晴らしき日なのです。
大人になると義理チョコが多くなります。
大人になると恋に落ちにくくなります。
恋する相手がいるだけでもうらやましいものです。
チョコレートのように恋もタイミングを逃すと溶けちゃいます。
女子のみなさん、みんなの頑張りはボクが知っています。
結果よりも動いた自分を褒めてやってください。
では、ハッピーバレンタイン!!
2008/02/07
清正君の誕生日、笑っていた僕ら
今日は清正君の誕生日だった。
だからというわけなのかどうかは分からないけど、ライブ中も後もとにかく楽しかった。
ボクはずっと笑っていた。
ライブが始まって、「せーの」で音を出した瞬間笑っていた。
気がつくとみんな笑っていた。
メンバーも楽しそうだった。
僕らがバンドを始めた頃ずっとこんなだった。
楽器を握り、アンプを通して音出す。
それだけでも砂漠で水を飲むような快感があるのに、そこに他の音が加わりバンドとなった時、自然と顔がにやけ、それを誤摩化すように顔を無理に引きつらせてイキがったものだった。
あれからいろんなことがあった。
バンドを続けて行くために頭を働かせ、職業となればなったでまた悩み、楽しいだけじゃすまない事も沢山あった。
それでも、やはりこれなのだ。
いつも言っているけど、4人で出す音が好きであればそれでいいのだ。
1年に一回でも良い、「せーの」で音を出した時に自然と笑みが出るような4人であればこの先もずっと続いて行くだろう。
清正君の誕生日、「10年間頑張ったね」と神様からのプレゼントをもらったように、僕ら4人は笑っていた。
バンドの楽しさを、この道で行こうと決めた事の原点に帰れた気がした。
今日は良い1日だった。
明日にこれをつなげるのだ。
実はその事こそが一番大切なのだろう。
清正君、お誕生日おめでとう!
だからというわけなのかどうかは分からないけど、ライブ中も後もとにかく楽しかった。
ボクはずっと笑っていた。
ライブが始まって、「せーの」で音を出した瞬間笑っていた。
気がつくとみんな笑っていた。
メンバーも楽しそうだった。
僕らがバンドを始めた頃ずっとこんなだった。
楽器を握り、アンプを通して音出す。
それだけでも砂漠で水を飲むような快感があるのに、そこに他の音が加わりバンドとなった時、自然と顔がにやけ、それを誤摩化すように顔を無理に引きつらせてイキがったものだった。
あれからいろんなことがあった。
バンドを続けて行くために頭を働かせ、職業となればなったでまた悩み、楽しいだけじゃすまない事も沢山あった。
それでも、やはりこれなのだ。
いつも言っているけど、4人で出す音が好きであればそれでいいのだ。
1年に一回でも良い、「せーの」で音を出した時に自然と笑みが出るような4人であればこの先もずっと続いて行くだろう。
清正君の誕生日、「10年間頑張ったね」と神様からのプレゼントをもらったように、僕ら4人は笑っていた。
バンドの楽しさを、この道で行こうと決めた事の原点に帰れた気がした。
今日は良い1日だった。
明日にこれをつなげるのだ。
実はその事こそが一番大切なのだろう。
清正君、お誕生日おめでとう!
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