2007/12/17
THE 日記「先輩のライブを見に行った」
今日は先輩のライブに行って来た。
『ブラワーエンジン』
『太陽の塔』
『スキップカウズ』
最高だった。
昔、ブラワーエンジンのアリトモさんや太陽の塔の井垣さんを見るたび、どうしてこんなに堂々と歌えるのだろうと不思議に思っていた。
当時のボクは、手前味噌で申し訳ないけど、確かにライブの評価は良かったが、ものすごくムラがあった。
今日、先輩方のライブを見て思った。
やはり年期なのだ。
年期という言葉で片付けるにはおしいが、年期だ。
漬け物のように音楽が体に染み込んでいくには時間がかかるのだ。
一般人に毛が生えたようなアーティストもいるが、今日見たバンドのようにこの人を音楽の世界から遠ざけてはいけない!という人も少ないが確かにいる。
ボクが言えた事ではないが、もっと日の目を浴びて良いのになぁといつも思う。
だからこそ、今日はこの事を書き記しておこうと思う。
そして、ボクもその魂を受け継ぐロック小僧として、もっともっとたくさんの人に歌を届けるべく、日々に汗を流すのだ。
『ブラワーエンジン』
『太陽の塔』
『スキップカウズ』
最高だった。
昔、ブラワーエンジンのアリトモさんや太陽の塔の井垣さんを見るたび、どうしてこんなに堂々と歌えるのだろうと不思議に思っていた。
当時のボクは、手前味噌で申し訳ないけど、確かにライブの評価は良かったが、ものすごくムラがあった。
今日、先輩方のライブを見て思った。
やはり年期なのだ。
年期という言葉で片付けるにはおしいが、年期だ。
漬け物のように音楽が体に染み込んでいくには時間がかかるのだ。
一般人に毛が生えたようなアーティストもいるが、今日見たバンドのようにこの人を音楽の世界から遠ざけてはいけない!という人も少ないが確かにいる。
ボクが言えた事ではないが、もっと日の目を浴びて良いのになぁといつも思う。
だからこそ、今日はこの事を書き記しておこうと思う。
そして、ボクもその魂を受け継ぐロック小僧として、もっともっとたくさんの人に歌を届けるべく、日々に汗を流すのだ。
2007/12/16
千葉のストリートで日々に感謝を
今日は千葉のストリートで歌ってきました。
寒い寒い中、たくさんの人が来てくれ感謝感激。
またもや、テレビの方が来てくれたり、風はやはり静かながら吹いているようです。
ストリートと言えば思い出す事がある。
まだ、世界はオレを中心に回っていると信じて疑わなかった頃。(つまり、21・2歳)。
姫路でストリートライブをやっていると酔っぱらいのガラの悪そうなおっちゃんが乱入。
大切なギターに触ったり、見に来てくれている人に絡んだりの暴れっぷり。
空気も悪くなるので、ここは一発笑わそうと「怖いよ〜」と言ったところ、場の空気は少し穏やかになった。
が、後日、見に来てくれた人から「おじさんも悪気があってやってるんじゃない!みんなの前で『怖いよー』なんていうとおじさんが可哀想。ひどいです!」と、かなりおじさんよりの目線で怒られた事があった。
もちろん、数年経った今でもボクは間違ってはいなかったと思う。
自分の大切にしているギターを触られたり、見に来てくれている人に絡んだりはもってのほか。
若い時は、その正義感故についつい一つの方向から物事を見てしまいがちだ。
とはいえ、あれからずいぶんと経っているのに、いまだにストリートでやるとその事がいつも頭を過る。
で、今日、何年かぶりに同じような事に出くわした。
ライブ中、酔っぱらいのおっちゃん乱入。
見てくれている人に絡みだす。
このとき、僕ら歌い手が止めにいくと火に油で余計にややこしくなるケースが多々。
しかも、ボクのような導火線の短い奴が行くと話はややこしくなる。
スタッフも近くにいない。
どうしようか、火に油となってもしかたがない、見に来てくれている人に絡んでいるし・・・、「話つけに行くか」、そう思った瞬間。
「大丈夫!」と目配せをしておっちゃんを穏便に輪の外に連れ出す男の人が。
「えちうら」というバンドの長柄君だった。
おそらく偶然通りかかって見てくれていたのだろう。
彼は本当にうまくおっちゃんをなだめて、「続けて!」と言わんばかりの顔で笑ってくれた。
ナイスガイである。
こういう事が出来る男はカッコいい。
前に一緒にライブした時に楽屋で「ボク生意気って言われるんですよね〜」と言っていたのをふと思い出した。
きっとそれは、男気が溢れすぎているからなんだろうなと解釈した。
本当にたくさんの人に支えられ、今日も無事に歌う事が出来た。
いつだって忘れちゃいけないな。
僕らが歌っていけるのも、聴いてくれる君がいたり、支えてくれるスタッフがいたり、今日の長柄君のように自分たちの知らないところでもきっといろんな事が廻っているおかげなのだろう。
そう思えば、ボクも自分の気が付かないところで誰かの為の一部になれているだろうな、きっと。
この日々に感謝である。
寒い寒い中、たくさんの人が来てくれ感謝感激。
またもや、テレビの方が来てくれたり、風はやはり静かながら吹いているようです。
ストリートと言えば思い出す事がある。
まだ、世界はオレを中心に回っていると信じて疑わなかった頃。(つまり、21・2歳)。
姫路でストリートライブをやっていると酔っぱらいのガラの悪そうなおっちゃんが乱入。
大切なギターに触ったり、見に来てくれている人に絡んだりの暴れっぷり。
空気も悪くなるので、ここは一発笑わそうと「怖いよ〜」と言ったところ、場の空気は少し穏やかになった。
が、後日、見に来てくれた人から「おじさんも悪気があってやってるんじゃない!みんなの前で『怖いよー』なんていうとおじさんが可哀想。ひどいです!」と、かなりおじさんよりの目線で怒られた事があった。
もちろん、数年経った今でもボクは間違ってはいなかったと思う。
自分の大切にしているギターを触られたり、見に来てくれている人に絡んだりはもってのほか。
若い時は、その正義感故についつい一つの方向から物事を見てしまいがちだ。
とはいえ、あれからずいぶんと経っているのに、いまだにストリートでやるとその事がいつも頭を過る。
で、今日、何年かぶりに同じような事に出くわした。
ライブ中、酔っぱらいのおっちゃん乱入。
見てくれている人に絡みだす。
このとき、僕ら歌い手が止めにいくと火に油で余計にややこしくなるケースが多々。
しかも、ボクのような導火線の短い奴が行くと話はややこしくなる。
スタッフも近くにいない。
どうしようか、火に油となってもしかたがない、見に来てくれている人に絡んでいるし・・・、「話つけに行くか」、そう思った瞬間。
「大丈夫!」と目配せをしておっちゃんを穏便に輪の外に連れ出す男の人が。
「えちうら」というバンドの長柄君だった。
おそらく偶然通りかかって見てくれていたのだろう。
彼は本当にうまくおっちゃんをなだめて、「続けて!」と言わんばかりの顔で笑ってくれた。
ナイスガイである。
こういう事が出来る男はカッコいい。
前に一緒にライブした時に楽屋で「ボク生意気って言われるんですよね〜」と言っていたのをふと思い出した。
きっとそれは、男気が溢れすぎているからなんだろうなと解釈した。
本当にたくさんの人に支えられ、今日も無事に歌う事が出来た。
いつだって忘れちゃいけないな。
僕らが歌っていけるのも、聴いてくれる君がいたり、支えてくれるスタッフがいたり、今日の長柄君のように自分たちの知らないところでもきっといろんな事が廻っているおかげなのだろう。
そう思えば、ボクも自分の気が付かないところで誰かの為の一部になれているだろうな、きっと。
この日々に感謝である。
2007/12/15
きちんとしよう
部屋がずいぶんと散らかっている。
恐ろしいほどに。
この12月は師匠も走るほど忙しいものである。
ボクだって例外じゃないさ。
今、ボクはくたばるわけにはいかない。
もしボクが事故かなにかにあって、入院するという事になり、誰かがこの部屋に入るなんて事があるくらいなら、ボクは体を引きずってでも病室を抜け出すか、豆腐の角で頭をぶつけようと思う。
それくらい、今のこの部屋は誰にも見せれるもんじゃない。
どんだけ散らかっているんだ?
と、思われる方もいるだろうが、分かりやすく言えば、ボクが事件を起こせば間違いなく「変質者の部屋」として紹介されるほどである。
とはいえ、自分の擁護するが、散らかっているのは譜面と、本と、服、あと小物である。
基本的に食べ物と水回りはいつも奇麗にしている。
「物が捨てれない」という、典型的な女々しいボクの部屋はいつでも散らかっている。
でもね、物にはいつだって、その時の思い出が残っているんだ。
物を手にした時に、記憶の片隅から思い出が引っ張りだされるというのがよくある。
その瞬間がたまらなく僕は好きなのだ。
だが、いい加減整理しなくては。
きちんとしよう。
そう思う。
きちんとしよう。
いろんな事を。
ひとつずつ。
家政婦さんにお金を払って掃除してもらおうという考えを捨て。
きちんとしよう。
恐ろしいほどに。
この12月は師匠も走るほど忙しいものである。
ボクだって例外じゃないさ。
今、ボクはくたばるわけにはいかない。
もしボクが事故かなにかにあって、入院するという事になり、誰かがこの部屋に入るなんて事があるくらいなら、ボクは体を引きずってでも病室を抜け出すか、豆腐の角で頭をぶつけようと思う。
それくらい、今のこの部屋は誰にも見せれるもんじゃない。
どんだけ散らかっているんだ?
と、思われる方もいるだろうが、分かりやすく言えば、ボクが事件を起こせば間違いなく「変質者の部屋」として紹介されるほどである。
とはいえ、自分の擁護するが、散らかっているのは譜面と、本と、服、あと小物である。
基本的に食べ物と水回りはいつも奇麗にしている。
「物が捨てれない」という、典型的な女々しいボクの部屋はいつでも散らかっている。
でもね、物にはいつだって、その時の思い出が残っているんだ。
物を手にした時に、記憶の片隅から思い出が引っ張りだされるというのがよくある。
その瞬間がたまらなく僕は好きなのだ。
だが、いい加減整理しなくては。
きちんとしよう。
そう思う。
きちんとしよう。
いろんな事を。
ひとつずつ。
家政婦さんにお金を払って掃除してもらおうという考えを捨て。
きちんとしよう。
2007/12/14
夜明け
今日は何か書いておかねばと思い、結局朝に。
ただ、僕は元気です。
そしてやる気がみなぎっています。
やりたい事がたくさんあります。
やるべき事もたくさん出来ました。
歌う事。
その為だけに、僕はすべてを捧げようと思います。
他のものはまだいいや。
さぁ、夜明けだ。
何から始めようか。
ただ、僕は元気です。
そしてやる気がみなぎっています。
やりたい事がたくさんあります。
やるべき事もたくさん出来ました。
歌う事。
その為だけに、僕はすべてを捧げようと思います。
他のものはまだいいや。
さぁ、夜明けだ。
何から始めようか。
2007/12/13
フレーフレーフレー!
今日は日本有線大賞でした。
ボクは少しだけ見て、すぐにテレビを消しました。
6月10日から「10000人と握手」をはじめ、年末の日本有線大賞に向け動き出しました。
たくさんの人の前で公言してきました。
レコーディングなどいろいろありましたが、ボクはボクなりに一生懸命やりました。
それでも、結果だけを言えばダメでした。
まずは、その事を報告します。
10000人握手も、年末までに達成出来ず、現在4193人。
もちろん、無理矢理やろうと思えば出来たのですが、やはり最初のコンセプト通り、「歌を聴いてくれた人とする」というのを守るとこういう結果になりました。
もっとやれたかな?というのはあるものの、ズルをせずに堂々とやった結果がこれなのでボクは恥じる事なく、今は受け止めています。
ここからは少し胸の思いを。
10000人と握手して、その人たちがリクエストしてくれれば、そう考えて動き出しましたが、リクエストは加盟店でないといけない等の壁もあり、握手した人数と比例するという
事にはなりませんでした。
それでも、直接リクエストには繋がらなかったにしても、今日まで握手してくれた人たちはボクに力をくれました。「頑張ってください!」その一言がいつだって折れそうな心を支えてくれました。
本当に感謝しています。
ありがとうございます。
そして、親衛隊をはじめ、応援してくれたみんなには申し訳ないとしか言えません。
たくさんの人が支えてくれました。
たくさんの人が応援してくれました。
たくさんの人がボクに握手の場を提供してくれました。
いろんな事があった半年でした。
ボクの戦いは終わりました。
ボクは負けたのです。
長いバンド生活で初めて負けたのです。
と言いたいところですが、まだ終わらせません。
あと一年、もう一年、ボクに、ボクらに力を貸してくれませんか?
実のところ、惜しかったのです。
9月にはJPOPリクエストチャートの30位台までいっていたのです。
半年では追いつけなかったのですが、一年かけてやれば出来るはず。
2008年一月から、もう一度、日本有線大賞に向け走っていこうと思います。
この姿がかっこ悪いと映るかもしれませんが、それは来年の年末に分かる事。
まだ、負けちゃいない。
あきらめが悪いんだ、ボクは。
「君が望んだ場所に行くまで 君は何度もつまずけば良い」
ボクは自分の歌に真っすぐに、どんな状況からも立ち上がってみせます。
10000人握手も、来年一年かけてゆっくりやっていきます。
やってみて分かった事。
ボクがデビューしてから手放したものは、6月からの半年では埋まらなかったんだなぁ、ってこと。
そりゃそうだ、世の中をひっくり返そうとしているんだもの。
あと一年、一生懸命ボクはやります。
だから、もう少しだけおつきあいください。
そして、今一度ボクに力を貸してください。
追記、12月15日放送と言ってきたのに、今日が放送日でした。
どうなってるんだ??
その連絡が来ないほど、こちらの内部はむちゃくちゃでした。
ボクもボクで調べる力が残っていませんでした。
ギリギリまで信じていましたから。
それでも、15日を期待してくれたみなさん、ごめんなさい。
ボクは少しだけ見て、すぐにテレビを消しました。
6月10日から「10000人と握手」をはじめ、年末の日本有線大賞に向け動き出しました。
たくさんの人の前で公言してきました。
レコーディングなどいろいろありましたが、ボクはボクなりに一生懸命やりました。
それでも、結果だけを言えばダメでした。
まずは、その事を報告します。
10000人握手も、年末までに達成出来ず、現在4193人。
もちろん、無理矢理やろうと思えば出来たのですが、やはり最初のコンセプト通り、「歌を聴いてくれた人とする」というのを守るとこういう結果になりました。
もっとやれたかな?というのはあるものの、ズルをせずに堂々とやった結果がこれなのでボクは恥じる事なく、今は受け止めています。
ここからは少し胸の思いを。
10000人と握手して、その人たちがリクエストしてくれれば、そう考えて動き出しましたが、リクエストは加盟店でないといけない等の壁もあり、握手した人数と比例するという
事にはなりませんでした。
それでも、直接リクエストには繋がらなかったにしても、今日まで握手してくれた人たちはボクに力をくれました。「頑張ってください!」その一言がいつだって折れそうな心を支えてくれました。
本当に感謝しています。
ありがとうございます。
そして、親衛隊をはじめ、応援してくれたみんなには申し訳ないとしか言えません。
たくさんの人が支えてくれました。
たくさんの人が応援してくれました。
たくさんの人がボクに握手の場を提供してくれました。
いろんな事があった半年でした。
ボクの戦いは終わりました。
ボクは負けたのです。
長いバンド生活で初めて負けたのです。
と言いたいところですが、まだ終わらせません。
あと一年、もう一年、ボクに、ボクらに力を貸してくれませんか?
実のところ、惜しかったのです。
9月にはJPOPリクエストチャートの30位台までいっていたのです。
半年では追いつけなかったのですが、一年かけてやれば出来るはず。
2008年一月から、もう一度、日本有線大賞に向け走っていこうと思います。
この姿がかっこ悪いと映るかもしれませんが、それは来年の年末に分かる事。
まだ、負けちゃいない。
あきらめが悪いんだ、ボクは。
「君が望んだ場所に行くまで 君は何度もつまずけば良い」
ボクは自分の歌に真っすぐに、どんな状況からも立ち上がってみせます。
10000人握手も、来年一年かけてゆっくりやっていきます。
やってみて分かった事。
ボクがデビューしてから手放したものは、6月からの半年では埋まらなかったんだなぁ、ってこと。
そりゃそうだ、世の中をひっくり返そうとしているんだもの。
あと一年、一生懸命ボクはやります。
だから、もう少しだけおつきあいください。
そして、今一度ボクに力を貸してください。
追記、12月15日放送と言ってきたのに、今日が放送日でした。
どうなってるんだ??
その連絡が来ないほど、こちらの内部はむちゃくちゃでした。
ボクもボクで調べる力が残っていませんでした。
ギリギリまで信じていましたから。
それでも、15日を期待してくれたみなさん、ごめんなさい。
2007/12/12
THE 日記「2日に一回はライブ」
今月は2日に1回の割合で歌うスケジュールになっている。
月の半分がライブ。
こんなこと長いバンドの中で初めてだ。
一人でいろんな地方に行き、人と出会い、バンドに戻り自分の居場所を確認し、また前を見る。
充実している。
そんな中だからこそ、今やりたいこと。
やってみたいこと。
たくさん頭の中にある。
それもイメージではなくかなり具体的に。
こんなガッツあふれる月も久しぶりだ。
ボクはきっと今、走っているのだろう。
もう前のように闇雲ではない。
自分で見つけたその場所のため、きっとボクは今走っているのだ。
年末までのライブ。
すべて丁寧に、大切にやっていこうと思う。
出来るだけ、今のボクを、今の僕らを感じてください。
そして、なによりも1月19日の結成記念ライブ。
たくさんの人に見てほしいです。
そこに向けて、今はGO!
月の半分がライブ。
こんなこと長いバンドの中で初めてだ。
一人でいろんな地方に行き、人と出会い、バンドに戻り自分の居場所を確認し、また前を見る。
充実している。
そんな中だからこそ、今やりたいこと。
やってみたいこと。
たくさん頭の中にある。
それもイメージではなくかなり具体的に。
こんなガッツあふれる月も久しぶりだ。
ボクはきっと今、走っているのだろう。
もう前のように闇雲ではない。
自分で見つけたその場所のため、きっとボクは今走っているのだ。
年末までのライブ。
すべて丁寧に、大切にやっていこうと思う。
出来るだけ、今のボクを、今の僕らを感じてください。
そして、なによりも1月19日の結成記念ライブ。
たくさんの人に見てほしいです。
そこに向けて、今はGO!
2007/12/10
その時歴史が動いた「ゴンドラで告白」
一日経ってしまいましたが、今日はドラムのダイスケの誕生日でした。
誕生日はいくつになっても嬉しいものです。
みなさん、祝ってやってください。
僕とダイスケの出会いは、前にも書きましたが最悪のでした。
互いに有名なヤンキー中学出身。
特に僕の通っていた中学はヤンキー界ではエリートで、泣く子も笑うほどの極悪中学。
当然、僕も高校入学早々いろんなやつらに目をつけられ、10数人のガラの悪そうな連中が「あの中学のやつはどんなやつだと」僕を偵察に来る始末。
僕も僕で、「ここで根性見せなくてはなめられる」と、常に机に足を上げ、臨戦態勢。
大馬鹿である。
その敵対するグループにダイスケがいたのだからおもしろいものである。
それでも、本当に自然に僕はその連中とも仲良くなり、ダイスケとも2年生のときに同じクラスになり、席の順が前と後ろになったときに共通の趣味が音楽だと知り一気に急接近した。
当時、僕はまだギター一本で弾き語りをしていた。
が、そのころ、友人がバンドをしているのを見て僕はバンドにあこがれていた、
ただ、やるからにはうまいやつとやりたい。
そうダイスケのような。
そのころダイスケは「姫路で2番目にドラムがうまい」と噂され、いろんなところで引っ張りだこ。
なかなか「俺とバンドをやらないか?」と切り出せなかった。
まるで片思いの女のことを考えるように、僕は夜な夜なダイスケを口説くことばかりを考えていた。
そして、今日のその時。
修学旅行はスキーだった。
僕とダイスケは同じ班。
なかなかそんな空気は出来ず、「俺とバンドをやろう」の一言が切り出せなかったが、ついにそのときがきた。
ゲレンデの天辺まで上るときに僕らはゴンドラに乗った。
「ここしかない」
僕は全身全霊かけて思いを打ち明けたんだ〜♪である。
「ダイちゃん、俺とバンドやらへんか?」
言ったーーーーーー!
ここ数ヶ月の僕の思いをすべて乗っけて告白した。
するとダイスケは軽〜く、食事のときに割り箸を取ってもらった時に言う「ありがとう」くらい軽〜く、「ええで」の一言。
こんなに簡単にいくならもっと早く言っておけばよかったと、後に後悔したが、今思うと、ダイスケという人間は意外と良い意味で「てきとう」なのである。
それから15年ほどの付き合いを経て今日に至る。
でも、すべての始まりはあのゴンドラの中なのだ。
まさか、あの時、東京に出てきてデビューをし、10年も同じバンドをやるだなんて思ってもいなかっただろう。
あのときの僕の勇気と、ダイスケの適当さには感謝である。
ゴンドラからはじまった僕らのバンド人生。
今も続いている。
すごいことだと思う。
今も続いているのだ。
ダイちゃん、誕生日おめでとう!!
追記、12月28日、江坂museで一人ライブ。
1月6日は渋谷o-crestで一人ライブをします。
追記2、1月5日、山口でライブします!!と先日ライブ発表しましたが、次の日が昼からのライブだったため、いけなくなってしまいました。申し訳ありません。
でも、2月に行く予定です!しばしお待ちを!
誕生日はいくつになっても嬉しいものです。
みなさん、祝ってやってください。
僕とダイスケの出会いは、前にも書きましたが最悪のでした。
互いに有名なヤンキー中学出身。
特に僕の通っていた中学はヤンキー界ではエリートで、泣く子も笑うほどの極悪中学。
当然、僕も高校入学早々いろんなやつらに目をつけられ、10数人のガラの悪そうな連中が「あの中学のやつはどんなやつだと」僕を偵察に来る始末。
僕も僕で、「ここで根性見せなくてはなめられる」と、常に机に足を上げ、臨戦態勢。
大馬鹿である。
その敵対するグループにダイスケがいたのだからおもしろいものである。
それでも、本当に自然に僕はその連中とも仲良くなり、ダイスケとも2年生のときに同じクラスになり、席の順が前と後ろになったときに共通の趣味が音楽だと知り一気に急接近した。
当時、僕はまだギター一本で弾き語りをしていた。
が、そのころ、友人がバンドをしているのを見て僕はバンドにあこがれていた、
ただ、やるからにはうまいやつとやりたい。
そうダイスケのような。
そのころダイスケは「姫路で2番目にドラムがうまい」と噂され、いろんなところで引っ張りだこ。
なかなか「俺とバンドをやらないか?」と切り出せなかった。
まるで片思いの女のことを考えるように、僕は夜な夜なダイスケを口説くことばかりを考えていた。
そして、今日のその時。
修学旅行はスキーだった。
僕とダイスケは同じ班。
なかなかそんな空気は出来ず、「俺とバンドをやろう」の一言が切り出せなかったが、ついにそのときがきた。
ゲレンデの天辺まで上るときに僕らはゴンドラに乗った。
「ここしかない」
僕は全身全霊かけて思いを打ち明けたんだ〜♪である。
「ダイちゃん、俺とバンドやらへんか?」
言ったーーーーーー!
ここ数ヶ月の僕の思いをすべて乗っけて告白した。
するとダイスケは軽〜く、食事のときに割り箸を取ってもらった時に言う「ありがとう」くらい軽〜く、「ええで」の一言。
こんなに簡単にいくならもっと早く言っておけばよかったと、後に後悔したが、今思うと、ダイスケという人間は意外と良い意味で「てきとう」なのである。
それから15年ほどの付き合いを経て今日に至る。
でも、すべての始まりはあのゴンドラの中なのだ。
まさか、あの時、東京に出てきてデビューをし、10年も同じバンドをやるだなんて思ってもいなかっただろう。
あのときの僕の勇気と、ダイスケの適当さには感謝である。
ゴンドラからはじまった僕らのバンド人生。
今も続いている。
すごいことだと思う。
今も続いているのだ。
ダイちゃん、誕生日おめでとう!!
追記、12月28日、江坂museで一人ライブ。
1月6日は渋谷o-crestで一人ライブをします。
追記2、1月5日、山口でライブします!!と先日ライブ発表しましたが、次の日が昼からのライブだったため、いけなくなってしまいました。申し訳ありません。
でも、2月に行く予定です!しばしお待ちを!
2007/12/07
THE 日記「野村義男さんの番組に出演させていただきました!」
九州ツアーを終え、姫路でワンマン、すぐさま広島、千葉、渋谷と続く毎日。
歌えば歌うほどのどの調子が上がって行っているような気がする。
オレ、生きてるなぁ。
今日はオフかと思いきや、USENでやっている、野村義男さんの番組「野村義男のフレッシュミュージシャン」 に出演させて頂きました。
野村義男さんといえば「よっちゃん」という相性で親しまれているお方。
もちろん僕がそんなに軽々しく呼べるはずもなく・・・(笑)。
最近では浜崎あゆみさんのライブでギターを弾かれている姿をよくテレビで拝見する。
個人的には楽器屋で何度もお見かけしたのだが。
とにかく、気さくで、音楽が大好きで、そしてやはりロックな方だった。
ROCKな先輩と会ったときのあの独特の感覚。
久しぶりに味わった。
番組に送られてくるアマチュアバンドの音を聴き、それに対してアドバイスするという番組なのだが、きっちりその音楽に耳を傾けておられた。
僕の経験上、メディアって結構いい加減で、こういう場合、聴いているようで実は聴いていなくて(もしくは早送り、途中で切って)、コメントするというのも全然あり得る話なので、そうするのかなと思いきや、しっかり聴き、優しいコメントをしておられた。
その姿に、僕は素直に感動した。
当たり前と言われればそれまでなんだけど、こういう丁寧な仕事をすると必ず後に生きるんだよなぁと、自分の兜の緒を締めなおした。
とても楽しい時間を過ごせました。
さぁ、明日と言うか、もう今日か。
初の山口県でのライブです。
しっかりと足跡を残してきます。
追記、少し写真がぼやけていますが・・・。
「野村義男のフレッシュミュージシャン」
1月14日〜20日放送
http://www.usen-cs.com/fresh/index1.html
追記2、昨日の日記、大切なところで誤字脱字がありました。直しましたが。
訂正文「今いるみんな『を』笑っている自分」
改正分「今いるみんな『と』笑っている自分」
一字違うだけでも意味合いが大きく変わります。
気をつけなければ。
歌えば歌うほどのどの調子が上がって行っているような気がする。
オレ、生きてるなぁ。
今日はオフかと思いきや、USENでやっている、野村義男さんの番組「野村義男のフレッシュミュージシャン」 に出演させて頂きました。
野村義男さんといえば「よっちゃん」という相性で親しまれているお方。
もちろん僕がそんなに軽々しく呼べるはずもなく・・・(笑)。
最近では浜崎あゆみさんのライブでギターを弾かれている姿をよくテレビで拝見する。
個人的には楽器屋で何度もお見かけしたのだが。
とにかく、気さくで、音楽が大好きで、そしてやはりロックな方だった。
ROCKな先輩と会ったときのあの独特の感覚。
久しぶりに味わった。
番組に送られてくるアマチュアバンドの音を聴き、それに対してアドバイスするという番組なのだが、きっちりその音楽に耳を傾けておられた。
僕の経験上、メディアって結構いい加減で、こういう場合、聴いているようで実は聴いていなくて(もしくは早送り、途中で切って)、コメントするというのも全然あり得る話なので、そうするのかなと思いきや、しっかり聴き、優しいコメントをしておられた。
その姿に、僕は素直に感動した。
当たり前と言われればそれまでなんだけど、こういう丁寧な仕事をすると必ず後に生きるんだよなぁと、自分の兜の緒を締めなおした。
とても楽しい時間を過ごせました。
さぁ、明日と言うか、もう今日か。
初の山口県でのライブです。
しっかりと足跡を残してきます。
追記、少し写真がぼやけていますが・・・。
「野村義男のフレッシュミュージシャン」
1月14日〜20日放送
http://www.usen-cs.com/fresh/index1.html
追記2、昨日の日記、大切なところで誤字脱字がありました。直しましたが。
訂正文「今いるみんな『を』笑っている自分」
改正分「今いるみんな『と』笑っている自分」
一字違うだけでも意味合いが大きく変わります。
気をつけなければ。
2007/12/06
「努力は報われると思いますか?」
今ボクは頑張っていると思う。
一昨日には広島にいて昨日には千葉、今日は東京で歌った。
それでも、ふとした時に思う。
これは繋がっていくのだろうか?
もし道ばたで「努力は報われると思いますか?」と聞かれればボクはなんて答えるのだろう。
きっと報われるよ。
努力は嘘をつかない。
信じていれば。
いろんな言葉が飛び交う中、実際に動いているボクは努力を信じているのだろうか?
それは分からない。
でも、努力は報われると思ってボクはやっていない。
ただ、今やっている事の先にボクは明日が見えるのだ。
特別まぶしくはなくても、今いる仲間たちと笑っている自分がいるのだ。
ただ、そのほんの少し見える明かりの方向を目指し、ボクは今歌っている。
まだまだ、長い長い種まきの季節。
いつかでっかい花よ咲け!!
ボクの汗と涙を吸い込んで!
明るく大きな花よ咲け!
不格好でも良いから、見ていて笑ってしまうような明るい花よ!!
一昨日には広島にいて昨日には千葉、今日は東京で歌った。
それでも、ふとした時に思う。
これは繋がっていくのだろうか?
もし道ばたで「努力は報われると思いますか?」と聞かれればボクはなんて答えるのだろう。
きっと報われるよ。
努力は嘘をつかない。
信じていれば。
いろんな言葉が飛び交う中、実際に動いているボクは努力を信じているのだろうか?
それは分からない。
でも、努力は報われると思ってボクはやっていない。
ただ、今やっている事の先にボクは明日が見えるのだ。
特別まぶしくはなくても、今いる仲間たちと笑っている自分がいるのだ。
ただ、そのほんの少し見える明かりの方向を目指し、ボクは今歌っている。
まだまだ、長い長い種まきの季節。
いつかでっかい花よ咲け!!
ボクの汗と涙を吸い込んで!
明るく大きな花よ咲け!
不格好でも良いから、見ていて笑ってしまうような明るい花よ!!
2007/12/04
広島再出発の一発目は
今日は広島でライブでした。
アマチュア時代、何度も通ったこの街。
デビューをしてから足が遠のいたこの街。
ワンマンが出来るくらいになっていたっけ。
広島の人はいつも裏までびっしりのアンケートを書いてくれた。
足が遠のいて数年。
この広島も、僕らがデビューしてから手放した大切なモノのひとつだった。
でも、いつだって遅すぎるなんて事はない。
もう一度再出発しようと決めた。
この街でもう一度こつこつと。
講演表をよく見ていなかったのだが、急に決まったこともあり、僕の持ち時間は周りの人の半分。
なので3曲を入魂することに。
歌い始めても「騒がしいな」というのはあった。
それでも進めた。
2曲目は少し静かな『年の取り方』。
途中で半端ではない笑い声が入り、少し笑い話にしながらもう一度頭から歌いなおし。
それでも曲中、ずっと聞こえる大きな笑い声、話し声、そちらに目を向ける人もしばしば。
気がつくと歌い終わった後、「うるせーよ」と言っていた。
「一生懸命歌ってんだ。話すなら常識内でやってくれ」。
音楽に好き嫌いはあるだろうが、邪魔をして良い権利は誰にもない。
人によってはこれを否定する人もいるだろう。
ステージ言うのはどうかとか、歌で言いくるめればいいじゃない。とか。
でも、僕は思うのだ。
僕らはピエロではない。
お客さんは大切だけど、商売ではない。
あくまで僕らは表現者である。
サービスが目的ではない。
どんなときでも笑顔は、時と度を越えればそうではない。
歌で言いくるめれば、という意見もたまに聞くが、聴く気のない人にはどうやっても難しい事があることを僕は知っている。
良いライブというのはアーティストのパワーはもちろん、音響、照明、そして、聴く側の姿勢も重なってはじめて良いライブとなるのだ。
広島で毎月歌って行こうと決めた初日はこんなはじまりだった。
それでも、CDを買ってくれた人がいた。
次回のチケットを買ってくれた人がいた。
だから、終わってみて思うのはやってよかった。
僕は間違ってはいないと思う。
自分のルールの中では間違っていない。
それでも
それでも、胸の中を風が通る。
あの人たちに、もう一度きちんと歌を聴いてもらいたいなと思っている僕がいるのだ。
未来に続くこの道。
僕はどれほどの足跡を今日刻めたのだろうかな?
わからないけど、終わったあとに再開した関係者の方とご飯を食べていたら、少しだけでも前に進んだんだなと思えた。
今はまだ長い旅路の途中だ。
こつこつと、地に足をつけて歌っていこう。
今日は広島に旗を立ててきました。
はじめの一歩です。
追記、次回の広島が決まりました。
一人ライブですが、1月の4日です。
アマチュア時代、何度も通ったこの街。
デビューをしてから足が遠のいたこの街。
ワンマンが出来るくらいになっていたっけ。
広島の人はいつも裏までびっしりのアンケートを書いてくれた。
足が遠のいて数年。
この広島も、僕らがデビューしてから手放した大切なモノのひとつだった。
でも、いつだって遅すぎるなんて事はない。
もう一度再出発しようと決めた。
この街でもう一度こつこつと。
講演表をよく見ていなかったのだが、急に決まったこともあり、僕の持ち時間は周りの人の半分。
なので3曲を入魂することに。
歌い始めても「騒がしいな」というのはあった。
それでも進めた。
2曲目は少し静かな『年の取り方』。
途中で半端ではない笑い声が入り、少し笑い話にしながらもう一度頭から歌いなおし。
それでも曲中、ずっと聞こえる大きな笑い声、話し声、そちらに目を向ける人もしばしば。
気がつくと歌い終わった後、「うるせーよ」と言っていた。
「一生懸命歌ってんだ。話すなら常識内でやってくれ」。
音楽に好き嫌いはあるだろうが、邪魔をして良い権利は誰にもない。
人によってはこれを否定する人もいるだろう。
ステージ言うのはどうかとか、歌で言いくるめればいいじゃない。とか。
でも、僕は思うのだ。
僕らはピエロではない。
お客さんは大切だけど、商売ではない。
あくまで僕らは表現者である。
サービスが目的ではない。
どんなときでも笑顔は、時と度を越えればそうではない。
歌で言いくるめれば、という意見もたまに聞くが、聴く気のない人にはどうやっても難しい事があることを僕は知っている。
良いライブというのはアーティストのパワーはもちろん、音響、照明、そして、聴く側の姿勢も重なってはじめて良いライブとなるのだ。
広島で毎月歌って行こうと決めた初日はこんなはじまりだった。
それでも、CDを買ってくれた人がいた。
次回のチケットを買ってくれた人がいた。
だから、終わってみて思うのはやってよかった。
僕は間違ってはいないと思う。
自分のルールの中では間違っていない。
それでも
それでも、胸の中を風が通る。
あの人たちに、もう一度きちんと歌を聴いてもらいたいなと思っている僕がいるのだ。
未来に続くこの道。
僕はどれほどの足跡を今日刻めたのだろうかな?
わからないけど、終わったあとに再開した関係者の方とご飯を食べていたら、少しだけでも前に進んだんだなと思えた。
今はまだ長い旅路の途中だ。
こつこつと、地に足をつけて歌っていこう。
今日は広島に旗を立ててきました。
はじめの一歩です。
追記、次回の広島が決まりました。
一人ライブですが、1月の4日です。
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