2007/08/28
THE 日記「3本+1本のライブを終えて」
神戸、姫路、東京とライブが続きました。
各会場に来てくれたみんな、そして来れなくても応援してくれたみんな、本当にありがとう。
久しぶりの神戸、ロックンロールな夜でした。
まわりがどうであろうが、僕らは僕らは歌を。
気持ちよく歌えました。
姫路は的形海岸。
地元の海と空のもとで歌う歌はとても気持ちよかったです。
この時の潮風がやや喉をいじめてくれましたが、地元の海に乾杯。
そして東京は全力投球。
僕の7th floorでの一人ライブ。
沢山の人が来てくれて、入場制限がかかったとか!?
嬉しい事です。
『君のそばに』という古い歌も歌いました。
そして、バンドでは渋谷O-EASTでのライブ。
こういう事を書くのは反則なようで少し後ろめたいのですが、喉が完全ならな・・・、というのがないと言えば嘘になります。
それでも、僕は今出来る限りの事のベストを尽くしました。
絞り出すように歌った歌。
それでも最後の握手の際に「初めて見ましたが、感動しました!」というお声を沢山頂き、本当に嬉しく思います。
僕が一人で出演すると言うこれまた反則技のような事も(他のアーティストが真似したらえらい事になりますもんね・・・)、僕が10000人と握手という企画をやっていると言う事を踏まえ、それを応援する意味で今回特別に出演させてくれたイベンターの方にも感謝です。
ぜひ、この3日間で出会った人たちとまた会える日を楽しみにしています。
本当にありがとう。
各会場に来てくれたみんな、そして来れなくても応援してくれたみんな、本当にありがとう。
久しぶりの神戸、ロックンロールな夜でした。
まわりがどうであろうが、僕らは僕らは歌を。
気持ちよく歌えました。
姫路は的形海岸。
地元の海と空のもとで歌う歌はとても気持ちよかったです。
この時の潮風がやや喉をいじめてくれましたが、地元の海に乾杯。
そして東京は全力投球。
僕の7th floorでの一人ライブ。
沢山の人が来てくれて、入場制限がかかったとか!?
嬉しい事です。
『君のそばに』という古い歌も歌いました。
そして、バンドでは渋谷O-EASTでのライブ。
こういう事を書くのは反則なようで少し後ろめたいのですが、喉が完全ならな・・・、というのがないと言えば嘘になります。
それでも、僕は今出来る限りの事のベストを尽くしました。
絞り出すように歌った歌。
それでも最後の握手の際に「初めて見ましたが、感動しました!」というお声を沢山頂き、本当に嬉しく思います。
僕が一人で出演すると言うこれまた反則技のような事も(他のアーティストが真似したらえらい事になりますもんね・・・)、僕が10000人と握手という企画をやっていると言う事を踏まえ、それを応援する意味で今回特別に出演させてくれたイベンターの方にも感謝です。
ぜひ、この3日間で出会った人たちとまた会える日を楽しみにしています。
本当にありがとう。
2007/08/23
THE 日記「山梨→東京」
先日から山梨県にあるレコーディングスタジオに閉じこもり、音を創っていました。
空に夢をまぶしたような星空を見ながら、地球は球体である事を実感したり、スタジオの木の匂いを感じたり、肺の奥まで新鮮な空気を吸い込み、最高の環境のもと、とても良い録音を終えました。
さすがに自分が一週間も過ごした場所から離れる時は切なくなります。
人は生活していくとにその場所場所に残り香のようなものを残していっているのだなぁ。
レコーディングは色んなものを録りました。
新曲も沢山録りました。
我ながら良い作品が出来そうな予感がします。
作曲家・三木茂としての仕事は終わりましたが、まだまだアレンジ、作詞、そして何よりも魂とも言うべき歌入れが残っています。
最高の作品にするために、今の僕の持てるものをすべて出します。
楽しみにしていてください。
今日は、もう少し日記を。
今日、山梨から帰ってきて、早速打ち合わせ。
そして明日は東京のスタジオでレコーディング。
夜には関西に移動して、翌日、神戸でライブ。
その次の日は、姫路でのイベントに参加(ちなみに飲食店の方々が集まるらしく、おいしいもの沢山ありそうなのでかなり期待しています。姫路はおいしいものが多いのです)。
そして、さらにその次の日には東京で全力投球というイベント。ありがたい事に、錚々たるメンバーの中で大トリをやらせてもらう。ちなみに、今回は僕の10000万人握手を応援してくれているスタッフの後押しもあり、僕は一人でもこの日歌う事になった。せっかくなのでTHE NEUTRALで演奏する曲とは違うものをやろうと思う。(バンドは渋谷O-EAST、僕一人ライブは渋谷7th floorです)
レコーディングにライブにと、休み間もありません。
でも、面白い事に僕にとっての栄養補給はやはり音楽なのです。
ライブに来られる方、僕は会えるのを楽しみに待っています。
楽しみましょうね!
空に夢をまぶしたような星空を見ながら、地球は球体である事を実感したり、スタジオの木の匂いを感じたり、肺の奥まで新鮮な空気を吸い込み、最高の環境のもと、とても良い録音を終えました。
さすがに自分が一週間も過ごした場所から離れる時は切なくなります。
人は生活していくとにその場所場所に残り香のようなものを残していっているのだなぁ。
レコーディングは色んなものを録りました。
新曲も沢山録りました。
我ながら良い作品が出来そうな予感がします。
作曲家・三木茂としての仕事は終わりましたが、まだまだアレンジ、作詞、そして何よりも魂とも言うべき歌入れが残っています。
最高の作品にするために、今の僕の持てるものをすべて出します。
楽しみにしていてください。
今日は、もう少し日記を。
今日、山梨から帰ってきて、早速打ち合わせ。
そして明日は東京のスタジオでレコーディング。
夜には関西に移動して、翌日、神戸でライブ。
その次の日は、姫路でのイベントに参加(ちなみに飲食店の方々が集まるらしく、おいしいもの沢山ありそうなのでかなり期待しています。姫路はおいしいものが多いのです)。
そして、さらにその次の日には東京で全力投球というイベント。ありがたい事に、錚々たるメンバーの中で大トリをやらせてもらう。ちなみに、今回は僕の10000万人握手を応援してくれているスタッフの後押しもあり、僕は一人でもこの日歌う事になった。せっかくなのでTHE NEUTRALで演奏する曲とは違うものをやろうと思う。(バンドは渋谷O-EAST、僕一人ライブは渋谷7th floorです)
レコーディングにライブにと、休み間もありません。
でも、面白い事に僕にとっての栄養補給はやはり音楽なのです。
ライブに来られる方、僕は会えるのを楽しみに待っています。
楽しみましょうね!
2007/08/20
「人は出会った人としか恋に落ちないものである」
先日とっても当たり前の事に気が付いた。
でも、それは革命的な発見のようにも思えた。
「人は出会った人としか恋に落ちないものである」。
基本的に、人が恋に落ちるのは自分と会った事のある人。
例えば、小学生で言えば好きな人はクラスの中で。
中学くらいになると同じ学校の中で。
高校生くらいになると他校や、バイトで知り合った人と。
それ以降は、飲み会で知り合ったり、職場であったり。
出会いの少ない人は、自分の所属する共同体の中で恋をするというパターンが多いような気がする。
そんな狭い範囲で恋愛してていいのか?と突っ込まれようが、出会いが少なければその中で恋をしていかなきゃいけないのだからしかたがない。まだ見ぬ人とは恋愛のしようがないのである。
もし、恋をしたいならば多くの人と会う事だ。
会った瞬間から恋の窓口は広がる。
ただ、無意味に広げすぎても自分のキャパシティを超えてしまうので気をつけなければならない。それに多くの人と出会うには、まずは自分がそれなりの人格でなくては、多種多様の性格の人と渡り合う時に誤解されたりしてマイナスになりかねない。
もし、今片思いをしているならばチャンスかもしれない。
なぜなら出会った人としか恋をしないのであれば、相手にとってのあなたも出会った人なのだから。
ただ、それを恋に持っていけるかどうかは自分次第。
恋愛は何も出会い頭ばかりではない。
気が付けばこの人と一緒にいるんだよなぁというのも大いにあり得る。
人生で出会える人数は限られている。
その中で、恋をして一生のうちの大切な時を共に分かち合う人はもっと限られている。
「人は出会った人としか恋に落ちないものである」。
この言葉を頭の隅っこのどっかに置いておけば、これから人と出会う度に素敵な思いになるかもしれない。
恋心をたくさん持とうと言っているのではない。
ただ、出会った瞬間、その人と自分は恋する可能性が生まれるのだ。
とてもロマンチックだと思う。
そして、それを知っておけば、優しくなれるような気がする。
最後に、今、もしフラれて哀しいという人は、今すぐ誰かと出会う事だ。
「この人しかいなかった。もう恋なんて出来ないかもしれない。」と思っていても、また新たな恋をするのは出会うからである。
出会っても恋になんてならないと思っていても、出会いは恋の可能性を含むものだから、数が多ければ多いほど次の恋に発展すると僕は思う。
その事は、とても素晴らしい事だと思う判明、やっぱり心のどこかにすきま風が吹くような切なさを感じてしまう。
でも、人間の素晴らしさは切なさと不条理の中にこそあるモノかもしれないな。
でも、それは革命的な発見のようにも思えた。
「人は出会った人としか恋に落ちないものである」。
基本的に、人が恋に落ちるのは自分と会った事のある人。
例えば、小学生で言えば好きな人はクラスの中で。
中学くらいになると同じ学校の中で。
高校生くらいになると他校や、バイトで知り合った人と。
それ以降は、飲み会で知り合ったり、職場であったり。
出会いの少ない人は、自分の所属する共同体の中で恋をするというパターンが多いような気がする。
そんな狭い範囲で恋愛してていいのか?と突っ込まれようが、出会いが少なければその中で恋をしていかなきゃいけないのだからしかたがない。まだ見ぬ人とは恋愛のしようがないのである。
もし、恋をしたいならば多くの人と会う事だ。
会った瞬間から恋の窓口は広がる。
ただ、無意味に広げすぎても自分のキャパシティを超えてしまうので気をつけなければならない。それに多くの人と出会うには、まずは自分がそれなりの人格でなくては、多種多様の性格の人と渡り合う時に誤解されたりしてマイナスになりかねない。
もし、今片思いをしているならばチャンスかもしれない。
なぜなら出会った人としか恋をしないのであれば、相手にとってのあなたも出会った人なのだから。
ただ、それを恋に持っていけるかどうかは自分次第。
恋愛は何も出会い頭ばかりではない。
気が付けばこの人と一緒にいるんだよなぁというのも大いにあり得る。
人生で出会える人数は限られている。
その中で、恋をして一生のうちの大切な時を共に分かち合う人はもっと限られている。
「人は出会った人としか恋に落ちないものである」。
この言葉を頭の隅っこのどっかに置いておけば、これから人と出会う度に素敵な思いになるかもしれない。
恋心をたくさん持とうと言っているのではない。
ただ、出会った瞬間、その人と自分は恋する可能性が生まれるのだ。
とてもロマンチックだと思う。
そして、それを知っておけば、優しくなれるような気がする。
最後に、今、もしフラれて哀しいという人は、今すぐ誰かと出会う事だ。
「この人しかいなかった。もう恋なんて出来ないかもしれない。」と思っていても、また新たな恋をするのは出会うからである。
出会っても恋になんてならないと思っていても、出会いは恋の可能性を含むものだから、数が多ければ多いほど次の恋に発展すると僕は思う。
その事は、とても素晴らしい事だと思う判明、やっぱり心のどこかにすきま風が吹くような切なさを感じてしまう。
でも、人間の素晴らしさは切なさと不条理の中にこそあるモノかもしれないな。
2007/08/19
THE 日記「8月前半戦のライブを終えて」
江坂、横浜、渋谷、六本木とライブが続いていました。
各会場、足を運んでくれたみんな、来れずとも声援を送ってくれたみんな、本当にありがとう。
それだけです。
ありがとう。
僕らの歌を聴きにきてくれたありがとう。
それしか言う事は出来ません。
でも、やはりそれは書き残しておくべきだと思います。
もちろん、各会場ごとの思い出なども書きたいところですが、思いは胸に潜めておきます。
また会いましょうね。
その時にはさらに良いライブになるよう日々に身を削って成長しておきます。
追記、今はまたレコーディングに来ています。
音楽が衣食住のようにある生活です。
最高です。
各会場、足を運んでくれたみんな、来れずとも声援を送ってくれたみんな、本当にありがとう。
それだけです。
ありがとう。
僕らの歌を聴きにきてくれたありがとう。
それしか言う事は出来ません。
でも、やはりそれは書き残しておくべきだと思います。
もちろん、各会場ごとの思い出なども書きたいところですが、思いは胸に潜めておきます。
また会いましょうね。
その時にはさらに良いライブになるよう日々に身を削って成長しておきます。
追記、今はまたレコーディングに来ています。
音楽が衣食住のようにある生活です。
最高です。
2007/08/16
乱雑な言葉を拾い集めて
「僕の日記はブログでないものでありたい。」
この言葉に賛同してくれる方がたくさんいる。
例えば、とあるアーティストのライブスタッフの話。
「最近ブログでツアー中のセットリストを書かれたり、「今日のライブはあんまりだった」とか書かれて困る。本当に良くないライブだったならまだしも、本人の気持ちの問題でそれをそのまま書かれて世の中に発表されたらアーティストがかわいそうだ」と。
確かにそう思う。
恋をしている時にラブソングを聴けばグッとはまるだろうが、恋なんて言葉も聴きたくもない時にラブソングを歌われても退屈な時がある。
それを家に帰り「今日のライブはなんだか退屈だった」と書かれては、まいったもんである、きっとそう言うことを言いたかったんだと思う。
それでも僕ら演奏側は一回でもそういうライブをしないよう、心がけて緊張感を持ってやっているのだが・・・。さすがに来てくれている人全員の当日の心の状態までは読めないなぁ。
これはなにもブログだけではない。
いわゆる巨大掲示板。
すべてを否定する訳ではないが、僕は基本的に見ない。
無記名で自由にある事ない事を書き、言葉に責任を持たずに誹謗中傷だけを書いているのを見ると本当に心に墨が染み渡っていくような暗い気持ちになってしまうのだ。
僕の友人の何人かもいろんなことを書かれているらしい。
ご丁寧に「こんな事を書かれてありましたよ」と教えてくれる人もいるらしい。
その度に胸を痛めているらしい。
書かれる側にならないときっと分からないのだろうな。
学生の時に授業中にまわしている紙に悪口を書かれるというのを体験した人はいるだろうか?それを世界規模でやられているようなものだ。しかも、全くのデマもあれば、微妙に事実も書かれてあるが、やはり尾ひれがついて事実とは離れていっているものもあるようだ(ある意味こっちの方が厄介だったりする)。
でも、どんなにそれが事実と違うといったところで、書かれた側はそれを否定する場所がない。無視するしかない。
なんだか哀しくなってくる。
その昔、大先輩がこんな言葉をくれた。
「いいか、バッシングとか気にするな。そんなのこれから先いくらでも言われる。そんなのを気にしていたらやってられないぞ!」
そして最後にこう付け加えられた。
「でも、いちいちそういうのを気にするからこそアーティストなんて職業をやっているんだけどな」と。
SNSをはじめ色んなところでブログというものが溢れ、誰もが発言する機会を与えられた。今までは友達と電話で話していたような内容も表現となり世の中に放り出される時代。
僕は覚悟のない表現には関心がない。
誰しも心の奥底で思う事はある。
でも、言葉にして「良いもの」と「良くないもの」はあるのだ。
どれもこれも「ぶっちゃけ」で垂れ流してはいけない。
情報社会とは僕は思わない。
情報ではない。
言葉がそこここに散らかっているだけだ。
もちろん、日記を書く事はいい事だ。
ただ、言葉というものはうれし涙を流させる事も出来るし、悲しみの涙を流させる事も出来る諸刃の剣のようなものだと分かっていてほしいなと思う。
これから先、もっとシビアにこの問題はピックアップされるだろう。
大人が解決する前に、僕らは自らの左胸に手を当てて考え、それでも発言したい時はある程度の覚悟を持って言葉にしないといけない。
言葉も姿勢と同じく凛と背筋を伸ばしていなければいけないのだ。
僕はその事を強くここに書き記しておく。
この言葉に賛同してくれる方がたくさんいる。
例えば、とあるアーティストのライブスタッフの話。
「最近ブログでツアー中のセットリストを書かれたり、「今日のライブはあんまりだった」とか書かれて困る。本当に良くないライブだったならまだしも、本人の気持ちの問題でそれをそのまま書かれて世の中に発表されたらアーティストがかわいそうだ」と。
確かにそう思う。
恋をしている時にラブソングを聴けばグッとはまるだろうが、恋なんて言葉も聴きたくもない時にラブソングを歌われても退屈な時がある。
それを家に帰り「今日のライブはなんだか退屈だった」と書かれては、まいったもんである、きっとそう言うことを言いたかったんだと思う。
それでも僕ら演奏側は一回でもそういうライブをしないよう、心がけて緊張感を持ってやっているのだが・・・。さすがに来てくれている人全員の当日の心の状態までは読めないなぁ。
これはなにもブログだけではない。
いわゆる巨大掲示板。
すべてを否定する訳ではないが、僕は基本的に見ない。
無記名で自由にある事ない事を書き、言葉に責任を持たずに誹謗中傷だけを書いているのを見ると本当に心に墨が染み渡っていくような暗い気持ちになってしまうのだ。
僕の友人の何人かもいろんなことを書かれているらしい。
ご丁寧に「こんな事を書かれてありましたよ」と教えてくれる人もいるらしい。
その度に胸を痛めているらしい。
書かれる側にならないときっと分からないのだろうな。
学生の時に授業中にまわしている紙に悪口を書かれるというのを体験した人はいるだろうか?それを世界規模でやられているようなものだ。しかも、全くのデマもあれば、微妙に事実も書かれてあるが、やはり尾ひれがついて事実とは離れていっているものもあるようだ(ある意味こっちの方が厄介だったりする)。
でも、どんなにそれが事実と違うといったところで、書かれた側はそれを否定する場所がない。無視するしかない。
なんだか哀しくなってくる。
その昔、大先輩がこんな言葉をくれた。
「いいか、バッシングとか気にするな。そんなのこれから先いくらでも言われる。そんなのを気にしていたらやってられないぞ!」
そして最後にこう付け加えられた。
「でも、いちいちそういうのを気にするからこそアーティストなんて職業をやっているんだけどな」と。
SNSをはじめ色んなところでブログというものが溢れ、誰もが発言する機会を与えられた。今までは友達と電話で話していたような内容も表現となり世の中に放り出される時代。
僕は覚悟のない表現には関心がない。
誰しも心の奥底で思う事はある。
でも、言葉にして「良いもの」と「良くないもの」はあるのだ。
どれもこれも「ぶっちゃけ」で垂れ流してはいけない。
情報社会とは僕は思わない。
情報ではない。
言葉がそこここに散らかっているだけだ。
もちろん、日記を書く事はいい事だ。
ただ、言葉というものはうれし涙を流させる事も出来るし、悲しみの涙を流させる事も出来る諸刃の剣のようなものだと分かっていてほしいなと思う。
これから先、もっとシビアにこの問題はピックアップされるだろう。
大人が解決する前に、僕らは自らの左胸に手を当てて考え、それでも発言したい時はある程度の覚悟を持って言葉にしないといけない。
言葉も姿勢と同じく凛と背筋を伸ばしていなければいけないのだ。
僕はその事を強くここに書き記しておく。
2007/08/14
僕、一人のライブ
僕が一人でやるライブも少しずつ形になってきたと思う。
改めて思う事は「シンプル」、そう思う。
一度でも見られた方は、いつもよりも歌の届き方が違う事に気づいているのではないかと思っている。
よく「THE NEUTRALはライブが良いね」と言われるが、僕はその言葉に首を傾げていた。
ライブが良いの前に楽曲が良いのである。
ごくまれに曲はいまいちだけどライブが良いというタイプのバンドもいる。
でも、やはり限度がありどこかで行き詰まってしまう。
僕が長年ライブをやってきて思う事は、楽しいだけのライブは続かない。
やはりそのわずかな限られた時間の中で人の心を打つ事が出来るかどうか、が「本当の意味での良いライブの条件」だと思う。
THE NEUTRALというバンドは楽しいバンドであり、メンバーのキャラクターも強い。
だからこそ、見るところが多すぎて、楽曲の良さがほんの少しピントがぼけているのかもしれない。
でも、僕一人でのライブはまさに裸の状態。
歌そのものの、もっといえば「詩」が「言葉」がダイレクトに届いているような気がする。
もちろんバンドの中では僕の言葉は聴きやすい方だろうけど、より一層。
だから僕は一人でのライブは、極力楽曲だけを聴いてもらうように、余分な話はせず、楽しまそうという前に、一曲一曲を丁寧に届けるよう心がけている。ガチンコ勝負。
それによってアクの強い歌が重なるが、それで良いと思っている。
「なんか濃い歌ばっかりで嫌い」と言われる事があっても良いと思う。
きっと、それは成功と言えるのだろう。
敢えて書いておくが、THE NEUTRALはTHE NEUTRALで最高のバンドである。
僕一人で出来ないことを叶えてくれる。だからこそ、ソロライブでは歌えない歌が多い。
僕はソロでやっていこうとは思ってもいない。
ただ、僕一人でやる場合は、また違った角度で歌を届けているという事。
ここで学んだ事はきっとTHE NEUTRALにかえる。
こう言う機会があった事に感謝している。
改めて思う事は「シンプル」、そう思う。
一度でも見られた方は、いつもよりも歌の届き方が違う事に気づいているのではないかと思っている。
よく「THE NEUTRALはライブが良いね」と言われるが、僕はその言葉に首を傾げていた。
ライブが良いの前に楽曲が良いのである。
ごくまれに曲はいまいちだけどライブが良いというタイプのバンドもいる。
でも、やはり限度がありどこかで行き詰まってしまう。
僕が長年ライブをやってきて思う事は、楽しいだけのライブは続かない。
やはりそのわずかな限られた時間の中で人の心を打つ事が出来るかどうか、が「本当の意味での良いライブの条件」だと思う。
THE NEUTRALというバンドは楽しいバンドであり、メンバーのキャラクターも強い。
だからこそ、見るところが多すぎて、楽曲の良さがほんの少しピントがぼけているのかもしれない。
でも、僕一人でのライブはまさに裸の状態。
歌そのものの、もっといえば「詩」が「言葉」がダイレクトに届いているような気がする。
もちろんバンドの中では僕の言葉は聴きやすい方だろうけど、より一層。
だから僕は一人でのライブは、極力楽曲だけを聴いてもらうように、余分な話はせず、楽しまそうという前に、一曲一曲を丁寧に届けるよう心がけている。ガチンコ勝負。
それによってアクの強い歌が重なるが、それで良いと思っている。
「なんか濃い歌ばっかりで嫌い」と言われる事があっても良いと思う。
きっと、それは成功と言えるのだろう。
敢えて書いておくが、THE NEUTRALはTHE NEUTRALで最高のバンドである。
僕一人で出来ないことを叶えてくれる。だからこそ、ソロライブでは歌えない歌が多い。
僕はソロでやっていこうとは思ってもいない。
ただ、僕一人でやる場合は、また違った角度で歌を届けているという事。
ここで学んだ事はきっとTHE NEUTRALにかえる。
こう言う機会があった事に感謝している。
2007/08/08
灯火
昨日はお通夜だった。
仕事関係の繋がりではあるのだが、一緒に仕事をした事はなく、それでも神戸で一緒にお酒を飲んだ事のある方の息子さんが亡くなられた。
わずか16歳でこの世を去った。
式場では闘病生活の事が少し書かれてあり、辛い事にも弱音を吐かず頑張っていたらしい。
僕は亡くなった彼に直接会った事はない。
それでも、16歳でこの世を去った少年の事を思うと、この世の理不尽さに顔を背けてしまい、同じく若くして命の灯火を消した友達の事を思い出し、涙が込み上げ、ずっと昔から彼の事を知っていたような気持ちになった。
彼の倍近く生きている僕は、この命を燃やし続けているのだろうか?
しけた炎を細々と燃やし、僕は日々に何を残しているのだろうか?
限りあるこの命。
僕はいずれ訪れる、すぐ隣にある「死」を前に、何が出来、何を残せるのだろうか。
若い命の最後の光は、僕の胸に一直線に突き刺さった。
目を背けず歩いていこう。
仕事関係の繋がりではあるのだが、一緒に仕事をした事はなく、それでも神戸で一緒にお酒を飲んだ事のある方の息子さんが亡くなられた。
わずか16歳でこの世を去った。
式場では闘病生活の事が少し書かれてあり、辛い事にも弱音を吐かず頑張っていたらしい。
僕は亡くなった彼に直接会った事はない。
それでも、16歳でこの世を去った少年の事を思うと、この世の理不尽さに顔を背けてしまい、同じく若くして命の灯火を消した友達の事を思い出し、涙が込み上げ、ずっと昔から彼の事を知っていたような気持ちになった。
彼の倍近く生きている僕は、この命を燃やし続けているのだろうか?
しけた炎を細々と燃やし、僕は日々に何を残しているのだろうか?
限りあるこの命。
僕はいずれ訪れる、すぐ隣にある「死」を前に、何が出来、何を残せるのだろうか。
若い命の最後の光は、僕の胸に一直線に突き刺さった。
目を背けず歩いていこう。
2007/08/04
ど真ん中で鳴り響いた音
僕が初めてヘッドフォンで音楽を聴いたのは小学6年生の時だった。
音楽に関心があり、自宅の音響機器も真空管のアンプを使っていると言う担任の先生がウォークマンを持ってきて、自慢げに僕らに見せてくれた。
「お前ら、これがウォークマンや!これで音楽を聴いてみてみ!ビックリするぞ!!」
僕は言われるがまま、教卓まで行き、生まれて初めてヘッドフォンをして音楽を聴いた。
それは衝撃だった。
頭のど真ん中で音楽が鳴ったのだ。
今まで何度も音楽を耳にしてきたが、ヘッドフォンで両耳を塞ぎ、脳に流し込むように音を出すと、頭のど真ん中で音が鳴るのだ。
そのとき僕は分かった。
今まで僕は音楽を耳で聴いていたのだ。
でも、本当の正しい音楽の聴き方は耳ではなく、頭のど真ん中で聴くのだと。
今大人になって、これは間違っていないなと思う。
形ばかり気にとられていてはいけない。
そのモノの本質を知るには、頭の、体の、心の、ど真ん中で受け入れなければいけないような気がする。
そしてど真ん中で受け入れるのは覚悟がいる。
それでも受け入れた瞬間、今までと違った世界が待っているのだ。
今日からレコーディング。
小学6年生の時、ど真ん中で受け入れた音楽は、今も僕の心に垂直に背筋を伸ばして立っており、僕を前へと導いてくれている。
音楽に関心があり、自宅の音響機器も真空管のアンプを使っていると言う担任の先生がウォークマンを持ってきて、自慢げに僕らに見せてくれた。
「お前ら、これがウォークマンや!これで音楽を聴いてみてみ!ビックリするぞ!!」
僕は言われるがまま、教卓まで行き、生まれて初めてヘッドフォンをして音楽を聴いた。
それは衝撃だった。
頭のど真ん中で音楽が鳴ったのだ。
今まで何度も音楽を耳にしてきたが、ヘッドフォンで両耳を塞ぎ、脳に流し込むように音を出すと、頭のど真ん中で音が鳴るのだ。
そのとき僕は分かった。
今まで僕は音楽を耳で聴いていたのだ。
でも、本当の正しい音楽の聴き方は耳ではなく、頭のど真ん中で聴くのだと。
今大人になって、これは間違っていないなと思う。
形ばかり気にとられていてはいけない。
そのモノの本質を知るには、頭の、体の、心の、ど真ん中で受け入れなければいけないような気がする。
そしてど真ん中で受け入れるのは覚悟がいる。
それでも受け入れた瞬間、今までと違った世界が待っているのだ。
今日からレコーディング。
小学6年生の時、ど真ん中で受け入れた音楽は、今も僕の心に垂直に背筋を伸ばして立っており、僕を前へと導いてくれている。
2007/08/02
明日からレコーディング
明日からいよいよレコーディングです。
今回は久しぶりにハードスケジュールです。
目紛しい時間の流れの中、僕は必死に自分と向き合い鼓動を聴き今一番書きたいものを形にしました。
まだまだ完成されてはいないものばかりですが、合宿レコーディングなのでその中で出来ればと。
それにしても、よくよく考えると、レコーディングなんて普通に話しているけどすごい事だよなぁと。
初めてバンドを組んだ時の事を少し思い出していました。
僕が初めてバンドを組んだのは高校3年生の時。
前から目をつけていた姫路で2番目にドラムが上手いと言われていたビート・ダイスケ(ちなみに2007年現在でも、一番が誰かは分かっていない)を修学旅行のスキー場のゴンドラの中で口説き落とし、同じく清正君とどっちが上手いかと言われていた同じラグビー部の野郎をギターに招き、同じく学校で1・2の腕前のベースをメンバーに招き結成された最強バンド。
その名も音楽の神様から頂いた名前「muses」。
ベタベタでダサダサの名前であるが、世界史の時間に辞書を調べ回って見つけた名前。
はじめのバンドでのリハーサルスタジオは、駅前にある楽器屋の奥のスタジオだった。
ガラス越しで外から丸見えのスタジオだったのだが、僕からしたら「おう!みんな見ろよ!最強バンドやで!!羨ましいやろ!!」ってなもんである。
もちろん、誰も僕らには興味はない。
自意識過剰も良いところである。
そしていよいよバンドで一斉に音を出した瞬間。
僕は笑ってしまった。
す・すごい!
カラオケなんて目じゃない!!オレの為にみんなが演奏してくれている!!
もちろん、オレの為ではない。勘違いも甚だしい。しかし、駆け落ちさえも出来てしまうほどの年齢、世界のルールはオレだと思っているオバカなお年頃、そう思うのも無理はない。
初めてはっきりと認識したベースの音。
いつもCDで聴いていたギターのフレーズを弾く友人。
初めてバンドを入る僕に変わり、バンドを仕切りながら進めていくビート・ダイスケ(当時はもちろんビートではないが)。そしてダイスケのその巧みなプレイ。
耳鳴りがするような爆音の中、僕は気を抜くと天井まで浮いてしまうようような感覚でいた。
僕は今日までリハーサルスタジオに入った回数を計算すると、半人前のすし職人が一人前に成長しのれん分けをしてもらえるほどであるが、それでも初めてバンドでリハーサルスタジオに入った時のあの感動は今でも昨日の事のように覚えている。
初めてスタジオに入ったときのメンバーと今も一緒にやっているっていうのは素晴らしい事だなと改めて思う。
ダイスケをはじめ、高校時代からの仲間である清正・代谷、この4人で出す今の音はどんなものだろう。
我が事ながら明日が楽しみである。
今回は久しぶりにハードスケジュールです。
目紛しい時間の流れの中、僕は必死に自分と向き合い鼓動を聴き今一番書きたいものを形にしました。
まだまだ完成されてはいないものばかりですが、合宿レコーディングなのでその中で出来ればと。
それにしても、よくよく考えると、レコーディングなんて普通に話しているけどすごい事だよなぁと。
初めてバンドを組んだ時の事を少し思い出していました。
僕が初めてバンドを組んだのは高校3年生の時。
前から目をつけていた姫路で2番目にドラムが上手いと言われていたビート・ダイスケ(ちなみに2007年現在でも、一番が誰かは分かっていない)を修学旅行のスキー場のゴンドラの中で口説き落とし、同じく清正君とどっちが上手いかと言われていた同じラグビー部の野郎をギターに招き、同じく学校で1・2の腕前のベースをメンバーに招き結成された最強バンド。
その名も音楽の神様から頂いた名前「muses」。
ベタベタでダサダサの名前であるが、世界史の時間に辞書を調べ回って見つけた名前。
はじめのバンドでのリハーサルスタジオは、駅前にある楽器屋の奥のスタジオだった。
ガラス越しで外から丸見えのスタジオだったのだが、僕からしたら「おう!みんな見ろよ!最強バンドやで!!羨ましいやろ!!」ってなもんである。
もちろん、誰も僕らには興味はない。
自意識過剰も良いところである。
そしていよいよバンドで一斉に音を出した瞬間。
僕は笑ってしまった。
す・すごい!
カラオケなんて目じゃない!!オレの為にみんなが演奏してくれている!!
もちろん、オレの為ではない。勘違いも甚だしい。しかし、駆け落ちさえも出来てしまうほどの年齢、世界のルールはオレだと思っているオバカなお年頃、そう思うのも無理はない。
初めてはっきりと認識したベースの音。
いつもCDで聴いていたギターのフレーズを弾く友人。
初めてバンドを入る僕に変わり、バンドを仕切りながら進めていくビート・ダイスケ(当時はもちろんビートではないが)。そしてダイスケのその巧みなプレイ。
耳鳴りがするような爆音の中、僕は気を抜くと天井まで浮いてしまうようような感覚でいた。
僕は今日までリハーサルスタジオに入った回数を計算すると、半人前のすし職人が一人前に成長しのれん分けをしてもらえるほどであるが、それでも初めてバンドでリハーサルスタジオに入った時のあの感動は今でも昨日の事のように覚えている。
初めてスタジオに入ったときのメンバーと今も一緒にやっているっていうのは素晴らしい事だなと改めて思う。
ダイスケをはじめ、高校時代からの仲間である清正・代谷、この4人で出す今の音はどんなものだろう。
我が事ながら明日が楽しみである。
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