2021/06/14
思い出巡り「ひめじ手柄山遊園・姫路市民プール」
我が家は貧乏だった。
団地に住み、雑誌に載ってあるおもちゃを兄貴と見て「5秒以内に指差したもん全部もらえるんやで!」というドラえもんのような夢物語を兄弟で語り合い、突き指するほど雑誌を押しまくったあの日。
手柄山遊園地は市営ということもあり、値段も安かったので何度も連れて行ってもらった。
家族で、ばあちゃんと、親父と。
ここでの思い出話は過去も書いたので止めるが、何度書いてもトランクスを海パンと見立てて履いてチンコほぼ丸出しで泳いでいた自分と仲間3人のヤバさは際立つ。
姫路にいるころ、この遊園地が20万くらいで貸し切れることを知った。
まだフラッシュモブなんて言葉を知らない頃だったが、僕は結婚する時はこの場所を貸し切って、互いの仲間をこっそり呼んでパーティーをするとうっすら決めていた。
駅前に住んでいるガキどもで手柄山遊園・市民プールに行ったことのない奴はない。
ランドマークだ。
その手柄山遊園地が46年の歴史に終わりを告げ閉店する。
本来ならば惜しまれながら、当時ガキだった奴らが今度は自分たちのガキを連れてその最後を見届ける予定だっただろうに。
コロナでその時は静かに終わりを迎えた。
やはりそのことだけとってもコロナは罪深い。
団地に住み、雑誌に載ってあるおもちゃを兄貴と見て「5秒以内に指差したもん全部もらえるんやで!」というドラえもんのような夢物語を兄弟で語り合い、突き指するほど雑誌を押しまくったあの日。
手柄山遊園地は市営ということもあり、値段も安かったので何度も連れて行ってもらった。
家族で、ばあちゃんと、親父と。
ここでの思い出話は過去も書いたので止めるが、何度書いてもトランクスを海パンと見立てて履いてチンコほぼ丸出しで泳いでいた自分と仲間3人のヤバさは際立つ。
姫路にいるころ、この遊園地が20万くらいで貸し切れることを知った。
まだフラッシュモブなんて言葉を知らない頃だったが、僕は結婚する時はこの場所を貸し切って、互いの仲間をこっそり呼んでパーティーをするとうっすら決めていた。
駅前に住んでいるガキどもで手柄山遊園・市民プールに行ったことのない奴はない。
ランドマークだ。
その手柄山遊園地が46年の歴史に終わりを告げ閉店する。
本来ならば惜しまれながら、当時ガキだった奴らが今度は自分たちのガキを連れてその最後を見届ける予定だっただろうに。
コロナでその時は静かに終わりを迎えた。
やはりそのことだけとってもコロナは罪深い。
2021/06/13
思い出巡り「姫路大劇シネマ」
通称「ダイゲキ」。
姫路に3つしかない映画館の一つであり、上はボーリング場。
のちに清正君がバイトするカラオケなどがあった。
中学の頃はここに入り浸っていた。
なるべくガラの悪そうに見える開襟のシャツを着てボーリングや映画を見る。金がない時はボーリングしている友達を見る。
しばきたいわ、当時の俺。。。
大人になり、僕は18歳からニュートラル2年目まで、こっそりソロでこのカラオケ横にあるステージでカウントダウンライブイベントに参加していた。
ライブ後、当時20代のお姉さんに「あれ君の歌?すごく泣いちゃった。」っていわれ「ありがとうございます」と答えたけど、本当は「染谷俊」さんの歌だったけど、僕の歌ってことにしていた卑劣さを思い出す。
あのお姉さん、少し寂しそうだった。
振られたばっかりやったのかもな。
冒頭でも触れたように、ニュートラルで人気が出てきているにも関わらず時給に跳びついて清正君はここでバイトをする。
当時チェキを持っていき「みなさまの思い出の写真を一枚何百円で撮りませんか?」という阿漕な商売をやっていたらしいのだが、店長に言われ人見知りの清正君も各部屋に営業に。
「みなさまの思い出の写真を、、、」の段階で「あ、清正さん」と言われ、その後、清正との写真タイムに変更。圧倒的な売上を出して店長は清正のポテンシャルにビビる。
その後、一部のファンの間で知れ渡り、清正くんはホストのようになり部屋に行くと帰ってこないとバイト仲間間でも嫉妬心が芽生え、やもなく退社。
そんなダイゲキももうない。
いつかここでもっかいカウントダウンライブ、、、そう思ってたんだけどな。
姫路に3つしかない映画館の一つであり、上はボーリング場。
のちに清正君がバイトするカラオケなどがあった。
中学の頃はここに入り浸っていた。
なるべくガラの悪そうに見える開襟のシャツを着てボーリングや映画を見る。金がない時はボーリングしている友達を見る。
しばきたいわ、当時の俺。。。
大人になり、僕は18歳からニュートラル2年目まで、こっそりソロでこのカラオケ横にあるステージでカウントダウンライブイベントに参加していた。
ライブ後、当時20代のお姉さんに「あれ君の歌?すごく泣いちゃった。」っていわれ「ありがとうございます」と答えたけど、本当は「染谷俊」さんの歌だったけど、僕の歌ってことにしていた卑劣さを思い出す。
あのお姉さん、少し寂しそうだった。
振られたばっかりやったのかもな。
冒頭でも触れたように、ニュートラルで人気が出てきているにも関わらず時給に跳びついて清正君はここでバイトをする。
当時チェキを持っていき「みなさまの思い出の写真を一枚何百円で撮りませんか?」という阿漕な商売をやっていたらしいのだが、店長に言われ人見知りの清正君も各部屋に営業に。
「みなさまの思い出の写真を、、、」の段階で「あ、清正さん」と言われ、その後、清正との写真タイムに変更。圧倒的な売上を出して店長は清正のポテンシャルにビビる。
その後、一部のファンの間で知れ渡り、清正くんはホストのようになり部屋に行くと帰ってこないとバイト仲間間でも嫉妬心が芽生え、やもなく退社。
そんなダイゲキももうない。
いつかここでもっかいカウントダウンライブ、、、そう思ってたんだけどな。
2021/06/12
思い出巡り「二葉製菓」
小学校の近くにあったかりんとうの有名なお店。
ごっつい近くらしいけど、正確には場所を知らない。
というのも、同級生の女の子の実家でよくクラスで配られていたからだ。
買ったことはほとんどなく、いつももらっていた。
子供だったのでかりんとうの美味しさにさほど気づくこともなく、当たり前のように施しをうけ、トレーナーの袖で青鼻を拭いてバットにグローブ差し込んで走りまわっていた。
時は過ぎ、なんかのCD発売の時に凱旋ライブ。
ショッピングモールでの販売会では何百人もの人が並んでくれていた。
買ってくれた人にサインと握手を繰り返していると、久しぶりに会うその子の姿が。
その子はあの頃と変わらずにかりんとうを差し入れしてくれた。
サイン会が終わり、機材車で10数年ぶりに食べてみた。
ごっついうまいやん。
大人になればよくわかる。
ちょうどいい甘さとコク。
二葉製菓がなくなったらしい。
美味しいものがなくなったのと、同級生の顔が浮かぶ。
やはり胸に穴が空き風が通っていく。
ごっつい近くらしいけど、正確には場所を知らない。
というのも、同級生の女の子の実家でよくクラスで配られていたからだ。
買ったことはほとんどなく、いつももらっていた。
子供だったのでかりんとうの美味しさにさほど気づくこともなく、当たり前のように施しをうけ、トレーナーの袖で青鼻を拭いてバットにグローブ差し込んで走りまわっていた。
時は過ぎ、なんかのCD発売の時に凱旋ライブ。
ショッピングモールでの販売会では何百人もの人が並んでくれていた。
買ってくれた人にサインと握手を繰り返していると、久しぶりに会うその子の姿が。
その子はあの頃と変わらずにかりんとうを差し入れしてくれた。
サイン会が終わり、機材車で10数年ぶりに食べてみた。
ごっついうまいやん。
大人になればよくわかる。
ちょうどいい甘さとコク。
二葉製菓がなくなったらしい。
美味しいものがなくなったのと、同級生の顔が浮かぶ。
やはり胸に穴が空き風が通っていく。
2021/06/11
思い出巡り「ヤマトヤシキ」
ステーキ館が懐かしくなり、色々調べていたらいろんな店が閉店していることに気がついた。
どれも思い出の場所なのに。
少し思い出巡りをしていこうと思う。
ヤマトヤシキ姫路店が111年の歴史に終わりを告げたようだ(1907〜2018年2月28日)。
姫路の巨大デパート。伊勢丹と松坂屋と合体させたようなもの。
姫路市にいてここに行ったことのない奴はいない。
・小学2年生の時、夏休みで描いた絵が佳作となりここに掲示された。
・買って欲しいものがあり、エスカレーター前で全力で駄々をこねてみたところ母親に「2度としげると二人で買い物にいかない!」と言わしめた場所。
・中学の頃は特攻服を着た奴らがいる中、ビビりながらも6Fのゲームセンターに行っていた。
・鶏卵饅頭も昔はここにあった。
・清正君の昔の彼女がバイトしていて、よくただでパンをもらっていた。
・高校生の時にはすでに元気を無くしていたが、一周回っていいんじゃない、とデートによく使っていた。
ガキの頃から大人になっても思い出のある場所。
コンビニができ、ショッピングモールができて、ネットで買える時代が来た。
天下のみゆき通りは歩いている若者が減った。
そして僕は東京に住み、東京の暮らしはいいななんてほざきながらも勝手に思い出して懐かしんでいる。
ヤマトヤシキは故郷そのもののように思える。
やはりなくなったことは残念だ。
どれも思い出の場所なのに。
少し思い出巡りをしていこうと思う。
ヤマトヤシキ姫路店が111年の歴史に終わりを告げたようだ(1907〜2018年2月28日)。
姫路の巨大デパート。伊勢丹と松坂屋と合体させたようなもの。
姫路市にいてここに行ったことのない奴はいない。
・小学2年生の時、夏休みで描いた絵が佳作となりここに掲示された。
・買って欲しいものがあり、エスカレーター前で全力で駄々をこねてみたところ母親に「2度としげると二人で買い物にいかない!」と言わしめた場所。
・中学の頃は特攻服を着た奴らがいる中、ビビりながらも6Fのゲームセンターに行っていた。
・鶏卵饅頭も昔はここにあった。
・清正君の昔の彼女がバイトしていて、よくただでパンをもらっていた。
・高校生の時にはすでに元気を無くしていたが、一周回っていいんじゃない、とデートによく使っていた。
ガキの頃から大人になっても思い出のある場所。
コンビニができ、ショッピングモールができて、ネットで買える時代が来た。
天下のみゆき通りは歩いている若者が減った。
そして僕は東京に住み、東京の暮らしはいいななんてほざきながらも勝手に思い出して懐かしんでいる。
ヤマトヤシキは故郷そのもののように思える。
やはりなくなったことは残念だ。
2021/06/10
ステーキ館と親父
親父とランチに行った夢を見た。
いろんなところにランチに行ったが、ステーキ館(すてーきかん、ではなく、すてーきやかたと呼ぶ)は特に俺と親父の思い出の場所にように思う。
親父はいろんな人ともランチに行ったが、この館はとくに僕と二人で行くのが好きだったようだ。
秋になると京都から取り寄せた「大和柿」一個まるまるがデザートに出る。
俺たちはこれを目当てに秋はよく通った。
そのステーキ館に親父といる。
俺は親父に聞く「今日は大和柿あるかな?」
「なんて?」と聞き返してきたのでもう一度、「今日は大和柿あるかな?」ときく。
親父は笑いながら「おぉ、あれな!」と答えてくれた。
そこで目が覚めた。
ともて嬉しかった。
ステーキ館も親父ももう今はいない。
閉店が決まった時も親父と最後のランチをした。
ステーキ館の支配人が親父に「買い取って欲しいです」と冗談を言っていた。
親父は笑っていた。
とても嬉しい夢であり、そのあととても寂しくなった。
いろんなところにランチに行ったが、ステーキ館(すてーきかん、ではなく、すてーきやかたと呼ぶ)は特に俺と親父の思い出の場所にように思う。
親父はいろんな人ともランチに行ったが、この館はとくに僕と二人で行くのが好きだったようだ。
秋になると京都から取り寄せた「大和柿」一個まるまるがデザートに出る。
俺たちはこれを目当てに秋はよく通った。
そのステーキ館に親父といる。
俺は親父に聞く「今日は大和柿あるかな?」
「なんて?」と聞き返してきたのでもう一度、「今日は大和柿あるかな?」ときく。
親父は笑いながら「おぉ、あれな!」と答えてくれた。
そこで目が覚めた。
ともて嬉しかった。
ステーキ館も親父ももう今はいない。
閉店が決まった時も親父と最後のランチをした。
ステーキ館の支配人が親父に「買い取って欲しいです」と冗談を言っていた。
親父は笑っていた。
とても嬉しい夢であり、そのあととても寂しくなった。
2021/06/09
子供ファースト
昭和は子供にとって大変な時代だった。
大人が一番偉い。
だったのだ。
子供のいうことを聞いてる親はバカだの風潮があり、子供は我慢。
躾という名の下に気に入らないことがあれば平気で怒鳴られた。
小さい頃親父と寝ていると親父がタバコを一服。
もはや令和では子供の就寝中にすぐ隣でタバコを吸う親は児童相談所リストなのかもしれないが、昭和はどすこい!!あたりまえ。
僕も煙たさでおきて「けむたいよー」と至極当然の状況を伝えたところ、親父の疳の虫が騒いだのか「じゃかましいわー!」と一喝され、まさかの「ご、ごめん」と布団に包まり無理くり就寝。
書いていて泣けてくるがこんなの当たり前だった。
だが、今は子供ファーストの時代。
大人は我慢の時代となった。
そんなばかな。。。
あの頃我慢しまくった僕たち世代は、、、せめて、、、せめて多少のわがままを許してくれないだろうか。
切にそう願う。
大人が一番偉い。
だったのだ。
子供のいうことを聞いてる親はバカだの風潮があり、子供は我慢。
躾という名の下に気に入らないことがあれば平気で怒鳴られた。
小さい頃親父と寝ていると親父がタバコを一服。
もはや令和では子供の就寝中にすぐ隣でタバコを吸う親は児童相談所リストなのかもしれないが、昭和はどすこい!!あたりまえ。
僕も煙たさでおきて「けむたいよー」と至極当然の状況を伝えたところ、親父の疳の虫が騒いだのか「じゃかましいわー!」と一喝され、まさかの「ご、ごめん」と布団に包まり無理くり就寝。
書いていて泣けてくるがこんなの当たり前だった。
だが、今は子供ファーストの時代。
大人は我慢の時代となった。
そんなばかな。。。
あの頃我慢しまくった僕たち世代は、、、せめて、、、せめて多少のわがままを許してくれないだろうか。
切にそう願う。
2021/06/08
やさしかった
子供の頃、熱が出ると母が優しかった。
風邪をひくと母がやさしくなることを知って、風邪引かないかなぁなんて思っていた。
不意にそんなことを思い出した。
風邪をひくと母がやさしくなることを知って、風邪引かないかなぁなんて思っていた。
不意にそんなことを思い出した。
2021/06/07
いい傘
傘がダサい。
家にある傘全て見てみたがダサい。
ビニール傘が多い。
40歳を超えてビニール傘はさすがにすこし恥ずい。
その点、清正くんは若くしてビニール傘を持っていなかった。
代谷はビニール傘の中でもお前それ100円やな?ってのを堂々とかざしてくる。
いい傘を持ってみたいと思う。
家にある傘全て見てみたがダサい。
ビニール傘が多い。
40歳を超えてビニール傘はさすがにすこし恥ずい。
その点、清正くんは若くしてビニール傘を持っていなかった。
代谷はビニール傘の中でもお前それ100円やな?ってのを堂々とかざしてくる。
いい傘を持ってみたいと思う。
2021/06/06
悪童
高校時代の仲間と電話をしていて思い出した話。
昔この日記にも書いた、とある駅前に必ずいた森田の話。
森田は一つ上のヤンキー。
ちなみに僕は森田と面識はない。中学が違うからだ。
でもみんながいう〇〇駅には行かない方がいい。森田がいるから。
それでも〇〇駅は便利だから使わない手はない。
僕らはビビりながらも〇〇駅を利用していた。
この森田。
森田より人が1学年年上の屈強なラグビー部の先輩も覚えるほどの人物。
そんなに喧嘩が強いのか!?と思うかもしれないがそうではない。
単純に、単純ではなく「やばい奴」なのだ。
森田は駅前の「うかいや」にほぼいるらしい。
アルバイトのやつよりもいるらしい。
陳列してある本をベッドにして寝そべっている。
誰も注意できない。
だって「やばい奴」だから。
それを面白いと思ってやっているわけでも、ワルぶっているわけでもなく、眠いからやっているのだ。
運悪く、僕の友達がその場所で遭遇。
虎は眠っている。
そーっとジャンプを取ってカウンターに行こうとした時。
虎は目覚め、一言。
「おい!金払わんかい!!」
「え?」
「お前知らんのか、今度この店のジャンプの金は俺に払うことになったんじゃ」
新しいカツアゲ。
このくらいの金額で済むならとお支払い。
友達も賢いのでそのままゲートを通らず、カウンターでもう一度支払い。
インフレ万歳。
森田は今何をしているのだろうか。
堅気の仕事はできないと思う。
森田の実家?のうかいやももうない。
森田が相手にしていた高校生は大人になり、森田もいい歳だ。
あの頃はアホやったなぁと振りかえっているとは到底思えない。
どっかの組で鉄砲玉にでもなっているのか。
わからないが、平成という時代はまだそんな危ない匂いがしていたことは確かだ。
昔この日記にも書いた、とある駅前に必ずいた森田の話。
森田は一つ上のヤンキー。
ちなみに僕は森田と面識はない。中学が違うからだ。
でもみんながいう〇〇駅には行かない方がいい。森田がいるから。
それでも〇〇駅は便利だから使わない手はない。
僕らはビビりながらも〇〇駅を利用していた。
この森田。
森田より人が1学年年上の屈強なラグビー部の先輩も覚えるほどの人物。
そんなに喧嘩が強いのか!?と思うかもしれないがそうではない。
単純に、単純ではなく「やばい奴」なのだ。
森田は駅前の「うかいや」にほぼいるらしい。
アルバイトのやつよりもいるらしい。
陳列してある本をベッドにして寝そべっている。
誰も注意できない。
だって「やばい奴」だから。
それを面白いと思ってやっているわけでも、ワルぶっているわけでもなく、眠いからやっているのだ。
運悪く、僕の友達がその場所で遭遇。
虎は眠っている。
そーっとジャンプを取ってカウンターに行こうとした時。
虎は目覚め、一言。
「おい!金払わんかい!!」
「え?」
「お前知らんのか、今度この店のジャンプの金は俺に払うことになったんじゃ」
新しいカツアゲ。
このくらいの金額で済むならとお支払い。
友達も賢いのでそのままゲートを通らず、カウンターでもう一度支払い。
インフレ万歳。
森田は今何をしているのだろうか。
堅気の仕事はできないと思う。
森田の実家?のうかいやももうない。
森田が相手にしていた高校生は大人になり、森田もいい歳だ。
あの頃はアホやったなぁと振りかえっているとは到底思えない。
どっかの組で鉄砲玉にでもなっているのか。
わからないが、平成という時代はまだそんな危ない匂いがしていたことは確かだ。
2021/06/05
いつかのその日
先日リハーサルで3曲歌っただけで若干声が枯れていた。
コロナ前では考えられない。
以前の僕なら3曲歌うなんて靴の紐を結ぶようなもの。
準備体操にもならない。
声帯は筋肉ってナカノさんが歌っていたのを思い出す。
俺は体の筋肉と同時に喉の筋肉も落ちたようだ。
コロナに入ってよかったこともある。
少しだけ耳がよくなった。
気がする。
清正様の、俺の、バンドの爆音を聞く機会が減ったからだ。
でもいつかのその日のためにもろもろ戻した行かねばと思う今日この頃。
そのいつかのその日はいつになるのか。。。
コロナ前では考えられない。
以前の僕なら3曲歌うなんて靴の紐を結ぶようなもの。
準備体操にもならない。
声帯は筋肉ってナカノさんが歌っていたのを思い出す。
俺は体の筋肉と同時に喉の筋肉も落ちたようだ。
コロナに入ってよかったこともある。
少しだけ耳がよくなった。
気がする。
清正様の、俺の、バンドの爆音を聞く機会が減ったからだ。
でもいつかのその日のためにもろもろ戻した行かねばと思う今日この頃。
そのいつかのその日はいつになるのか。。。
Recent Diary
Recent Photo

2017/06/19 :: アコースティックCD
!!$photo1!!
!!$photo1!!

2016/04/13 :: ありがとう親父
!!$photo1!!
!!$photo1!!

2016/03/19 :: 千葉LOOKの楽屋にて
!!$photo1!!
!!$photo1!!

2014/12/25 :: ソロワンマンを終えて
!!$photo1!!
!!$photo1!!

2014/10/27 :: SONYのMDR-CD900ST
!!$photo1!!
!!$photo1!!

2013/02/14 :: 大阪青春物語「女優魂」
!!$photo1!!
!!$photo1!!

2013/02/11 :: 大阪青春物語
!!$photo2!!
!!$photo2!!

2012/07/02 :: 侠気には侠気を!だろ?

2012/02/17 :: 路上ライブは新宿から渋谷に変更です。
!!$photo1!!
!!$photo1!!

2011/12/06 :: Gibsonハミングバード
!!$photo1!!!!$photo2!!
!!$photo1!!!!$photo2!!
all photo
