2007/08/16
乱雑な言葉を拾い集めて
「僕の日記はブログでないものでありたい。」
この言葉に賛同してくれる方がたくさんいる。
例えば、とあるアーティストのライブスタッフの話。
「最近ブログでツアー中のセットリストを書かれたり、「今日のライブはあんまりだった」とか書かれて困る。本当に良くないライブだったならまだしも、本人の気持ちの問題でそれをそのまま書かれて世の中に発表されたらアーティストがかわいそうだ」と。
確かにそう思う。
恋をしている時にラブソングを聴けばグッとはまるだろうが、恋なんて言葉も聴きたくもない時にラブソングを歌われても退屈な時がある。
それを家に帰り「今日のライブはなんだか退屈だった」と書かれては、まいったもんである、きっとそう言うことを言いたかったんだと思う。
それでも僕ら演奏側は一回でもそういうライブをしないよう、心がけて緊張感を持ってやっているのだが・・・。さすがに来てくれている人全員の当日の心の状態までは読めないなぁ。
これはなにもブログだけではない。
いわゆる巨大掲示板。
すべてを否定する訳ではないが、僕は基本的に見ない。
無記名で自由にある事ない事を書き、言葉に責任を持たずに誹謗中傷だけを書いているのを見ると本当に心に墨が染み渡っていくような暗い気持ちになってしまうのだ。
僕の友人の何人かもいろんなことを書かれているらしい。
ご丁寧に「こんな事を書かれてありましたよ」と教えてくれる人もいるらしい。
その度に胸を痛めているらしい。
書かれる側にならないときっと分からないのだろうな。
学生の時に授業中にまわしている紙に悪口を書かれるというのを体験した人はいるだろうか?それを世界規模でやられているようなものだ。しかも、全くのデマもあれば、微妙に事実も書かれてあるが、やはり尾ひれがついて事実とは離れていっているものもあるようだ(ある意味こっちの方が厄介だったりする)。
でも、どんなにそれが事実と違うといったところで、書かれた側はそれを否定する場所がない。無視するしかない。
なんだか哀しくなってくる。
その昔、大先輩がこんな言葉をくれた。
「いいか、バッシングとか気にするな。そんなのこれから先いくらでも言われる。そんなのを気にしていたらやってられないぞ!」
そして最後にこう付け加えられた。
「でも、いちいちそういうのを気にするからこそアーティストなんて職業をやっているんだけどな」と。
SNSをはじめ色んなところでブログというものが溢れ、誰もが発言する機会を与えられた。今までは友達と電話で話していたような内容も表現となり世の中に放り出される時代。
僕は覚悟のない表現には関心がない。
誰しも心の奥底で思う事はある。
でも、言葉にして「良いもの」と「良くないもの」はあるのだ。
どれもこれも「ぶっちゃけ」で垂れ流してはいけない。
情報社会とは僕は思わない。
情報ではない。
言葉がそこここに散らかっているだけだ。
もちろん、日記を書く事はいい事だ。
ただ、言葉というものはうれし涙を流させる事も出来るし、悲しみの涙を流させる事も出来る諸刃の剣のようなものだと分かっていてほしいなと思う。
これから先、もっとシビアにこの問題はピックアップされるだろう。
大人が解決する前に、僕らは自らの左胸に手を当てて考え、それでも発言したい時はある程度の覚悟を持って言葉にしないといけない。
言葉も姿勢と同じく凛と背筋を伸ばしていなければいけないのだ。
僕はその事を強くここに書き記しておく。
この言葉に賛同してくれる方がたくさんいる。
例えば、とあるアーティストのライブスタッフの話。
「最近ブログでツアー中のセットリストを書かれたり、「今日のライブはあんまりだった」とか書かれて困る。本当に良くないライブだったならまだしも、本人の気持ちの問題でそれをそのまま書かれて世の中に発表されたらアーティストがかわいそうだ」と。
確かにそう思う。
恋をしている時にラブソングを聴けばグッとはまるだろうが、恋なんて言葉も聴きたくもない時にラブソングを歌われても退屈な時がある。
それを家に帰り「今日のライブはなんだか退屈だった」と書かれては、まいったもんである、きっとそう言うことを言いたかったんだと思う。
それでも僕ら演奏側は一回でもそういうライブをしないよう、心がけて緊張感を持ってやっているのだが・・・。さすがに来てくれている人全員の当日の心の状態までは読めないなぁ。
これはなにもブログだけではない。
いわゆる巨大掲示板。
すべてを否定する訳ではないが、僕は基本的に見ない。
無記名で自由にある事ない事を書き、言葉に責任を持たずに誹謗中傷だけを書いているのを見ると本当に心に墨が染み渡っていくような暗い気持ちになってしまうのだ。
僕の友人の何人かもいろんなことを書かれているらしい。
ご丁寧に「こんな事を書かれてありましたよ」と教えてくれる人もいるらしい。
その度に胸を痛めているらしい。
書かれる側にならないときっと分からないのだろうな。
学生の時に授業中にまわしている紙に悪口を書かれるというのを体験した人はいるだろうか?それを世界規模でやられているようなものだ。しかも、全くのデマもあれば、微妙に事実も書かれてあるが、やはり尾ひれがついて事実とは離れていっているものもあるようだ(ある意味こっちの方が厄介だったりする)。
でも、どんなにそれが事実と違うといったところで、書かれた側はそれを否定する場所がない。無視するしかない。
なんだか哀しくなってくる。
その昔、大先輩がこんな言葉をくれた。
「いいか、バッシングとか気にするな。そんなのこれから先いくらでも言われる。そんなのを気にしていたらやってられないぞ!」
そして最後にこう付け加えられた。
「でも、いちいちそういうのを気にするからこそアーティストなんて職業をやっているんだけどな」と。
SNSをはじめ色んなところでブログというものが溢れ、誰もが発言する機会を与えられた。今までは友達と電話で話していたような内容も表現となり世の中に放り出される時代。
僕は覚悟のない表現には関心がない。
誰しも心の奥底で思う事はある。
でも、言葉にして「良いもの」と「良くないもの」はあるのだ。
どれもこれも「ぶっちゃけ」で垂れ流してはいけない。
情報社会とは僕は思わない。
情報ではない。
言葉がそこここに散らかっているだけだ。
もちろん、日記を書く事はいい事だ。
ただ、言葉というものはうれし涙を流させる事も出来るし、悲しみの涙を流させる事も出来る諸刃の剣のようなものだと分かっていてほしいなと思う。
これから先、もっとシビアにこの問題はピックアップされるだろう。
大人が解決する前に、僕らは自らの左胸に手を当てて考え、それでも発言したい時はある程度の覚悟を持って言葉にしないといけない。
言葉も姿勢と同じく凛と背筋を伸ばしていなければいけないのだ。
僕はその事を強くここに書き記しておく。
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