2020/09/26
輝け!オレの30代
レコード会社も事務所も飛び出して、新たに自分たちで模索していく日々。
そんな中、おもちゃ会社が新しくレコード会社を作るとのことで声がかかり、制作したのが「輝け!オレの30代」。
当時の僕らはまだ30代になるということを前面に推す頃ではなかったとは思うが、ロックバンドとして今のリアルを伝えることに重点をおくとなんら問題はなかった。
「輝け!オレの30代」
歌入れの直前まで「立派になれなくてもいい 憧れになれなくてもいい」の後の歌詞が出てこなかった。
どうしようか、、、と悩みながら車を走らせる、
どうしようかも何も今日歌を入れるというのに、この度胸。我ながらどつきたい。
何度もなんどもオケを流しながら走らせる。
次の瞬間。
勝手に口が「今はまだ長い旅路の途中」と走り出した。
これだ。こういうのを待っていたんだ、降りてくるってやつだ。←ギャンブル。でなかったからどうするつもりだったんだろう。
この歌を聴いていたファンの人のほとんどが10代20代だった。やがてその方々も歳を重ねこの歌に追いつき、そして沢山感謝された歌だ。
「面倒くさい」
デビューしている人としていない人はそこに大きな線引きがある。
わかりやすくいうとこの人に賭けてみたいと出資する人がいたということだ。
そしてデビューすると、それはお遊びではなくなるし、日々頑張ってくれるスタッフを思うと自分のエゴだけを貫くのが正義でないとわかる。我慢することも増える。
そんな中、様々なプレッシャーをかけられながらそれらの思いを書いた歌。
当時の社長に「お前これオレへのあてつけか?」といわれたが、その通りである。
ちなみにこの曲、某ソウルバンドのボーカルにプロデュースしてもらうという話もあった。
「ちびとふとっちょ」
はじめて渋谷WESTで歌った瞬間から受け入れられた歌。
のちに誰も知らない泣ける歌などに取り上げられたが、根本はパンとピストルと同じ。
僕らしい歌であり、僕にとっては特別な歌でもなんでもなく、いつものニュートラルの歌だった。
つまりどの歌でも勝負できんぞ!おら!!と常に思っていたので、それを証明・確認しただけのことだった。
「初めての恋じゃないから」
ピアノで作った歌。
フレーフレー 製作時にできていた歌だ。
清正くんはワウという機材を使うのがうまい。
なぜあんなにうまくなったのかは知らないがうまい。
ロックバンドが歌うバラード。今でもテーマに置いているが、それに清正くんのワウが重なったニュートラルらしいバラードだ。
「カナリア」
久しぶりに地元に帰ったとき、中学の友達から電話があった。
私店開いたから飲みにきて!キャバクラやるねん。
飲みにきてと言われても僕はこの今でも酒はほぼ飲まない。
だが昔からの知り合い、顔を出すかと飲みに行き、そのあともいろんな話をしてそのあとすぐにできた歌。
ちなみにこのハーモニカは独自のチューニングで吹いている。
「向かい風の中のあなた」
代谷が入院した。
ワンマンライブが一本飛んだ。
その後の復帰戦で謝罪ソングとしてかいたネタの歌だった。
ただそんなコントで終わらせるのはもったいなくて、みんながそのメロディーを忘れた頃に改めて出した歌。
なんでもつくってみるもんだ。
「nanana〜親父とオレとタバコとハナ歌〜」
この歌を書いた頃、親父は生きていた。
その後、渋谷EASTに見にきてくれた親父の前でこの歌を歌った。
感想は聞けないままだった。
僕は、、、僕はこの日々を泥にまみれ必死で生きているが、、、親父には到底追いつけない。
お金とかそういうことだけではなく、、、泥にまみれ感でも追いつけていない様な気がする。
今の僕を見て欲しい、その思いは毎日ある。
だから怠けそうな日も、親父に見てもらうまではと膝を泥につけて頑張っている。
そしてオレは40代に突入した。
様々なものが変わり、変わらなことは少なくなった。
それでも日曜日になると、こんな情勢でもギターを抱えて家を出る。
君の心を動かしてやる。
そんな思いを変わらずに抱いて。
そんな中、おもちゃ会社が新しくレコード会社を作るとのことで声がかかり、制作したのが「輝け!オレの30代」。
当時の僕らはまだ30代になるということを前面に推す頃ではなかったとは思うが、ロックバンドとして今のリアルを伝えることに重点をおくとなんら問題はなかった。
「輝け!オレの30代」
歌入れの直前まで「立派になれなくてもいい 憧れになれなくてもいい」の後の歌詞が出てこなかった。
どうしようか、、、と悩みながら車を走らせる、
どうしようかも何も今日歌を入れるというのに、この度胸。我ながらどつきたい。
何度もなんどもオケを流しながら走らせる。
次の瞬間。
勝手に口が「今はまだ長い旅路の途中」と走り出した。
これだ。こういうのを待っていたんだ、降りてくるってやつだ。←ギャンブル。でなかったからどうするつもりだったんだろう。
この歌を聴いていたファンの人のほとんどが10代20代だった。やがてその方々も歳を重ねこの歌に追いつき、そして沢山感謝された歌だ。
「面倒くさい」
デビューしている人としていない人はそこに大きな線引きがある。
わかりやすくいうとこの人に賭けてみたいと出資する人がいたということだ。
そしてデビューすると、それはお遊びではなくなるし、日々頑張ってくれるスタッフを思うと自分のエゴだけを貫くのが正義でないとわかる。我慢することも増える。
そんな中、様々なプレッシャーをかけられながらそれらの思いを書いた歌。
当時の社長に「お前これオレへのあてつけか?」といわれたが、その通りである。
ちなみにこの曲、某ソウルバンドのボーカルにプロデュースしてもらうという話もあった。
「ちびとふとっちょ」
はじめて渋谷WESTで歌った瞬間から受け入れられた歌。
のちに誰も知らない泣ける歌などに取り上げられたが、根本はパンとピストルと同じ。
僕らしい歌であり、僕にとっては特別な歌でもなんでもなく、いつものニュートラルの歌だった。
つまりどの歌でも勝負できんぞ!おら!!と常に思っていたので、それを証明・確認しただけのことだった。
「初めての恋じゃないから」
ピアノで作った歌。
フレーフレー 製作時にできていた歌だ。
清正くんはワウという機材を使うのがうまい。
なぜあんなにうまくなったのかは知らないがうまい。
ロックバンドが歌うバラード。今でもテーマに置いているが、それに清正くんのワウが重なったニュートラルらしいバラードだ。
「カナリア」
久しぶりに地元に帰ったとき、中学の友達から電話があった。
私店開いたから飲みにきて!キャバクラやるねん。
飲みにきてと言われても僕はこの今でも酒はほぼ飲まない。
だが昔からの知り合い、顔を出すかと飲みに行き、そのあともいろんな話をしてそのあとすぐにできた歌。
ちなみにこのハーモニカは独自のチューニングで吹いている。
「向かい風の中のあなた」
代谷が入院した。
ワンマンライブが一本飛んだ。
その後の復帰戦で謝罪ソングとしてかいたネタの歌だった。
ただそんなコントで終わらせるのはもったいなくて、みんながそのメロディーを忘れた頃に改めて出した歌。
なんでもつくってみるもんだ。
「nanana〜親父とオレとタバコとハナ歌〜」
この歌を書いた頃、親父は生きていた。
その後、渋谷EASTに見にきてくれた親父の前でこの歌を歌った。
感想は聞けないままだった。
僕は、、、僕はこの日々を泥にまみれ必死で生きているが、、、親父には到底追いつけない。
お金とかそういうことだけではなく、、、泥にまみれ感でも追いつけていない様な気がする。
今の僕を見て欲しい、その思いは毎日ある。
だから怠けそうな日も、親父に見てもらうまではと膝を泥につけて頑張っている。
そしてオレは40代に突入した。
様々なものが変わり、変わらなことは少なくなった。
それでも日曜日になると、こんな情勢でもギターを抱えて家を出る。
君の心を動かしてやる。
そんな思いを変わらずに抱いて。
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