2017/03/18
講師をやる事に
親父が亡くなったとき、僕は自分のバンドが揺れに揺れている真っ最中だった。
僕の心はまるで空中にあるような、それでいてアスファルトの下に埋め込まれたようなヘンテコな感覚だった。
親父は一代で会社を大きくした。
その葬儀も誰を呼ぶかで兄貴と母と親戚はバタバタしていた。
東京で好き勝手やっている僕は蚊帳の外だった。
はじめて、、、本当に始めて僕は自分の人生を省みる事になった。
「オレは今日まで何をしてきたんだ。」
「オレバンドなくなったらどうするんだろう。。。」
「オレ食ってくだけじゃなくてもっと稼いでなきゃいけなかったのか」
今まで考えてもなかった事だった。
親父の葬儀を終え東京に帰ってきてから僕は初めてバンド以外の職業を探してみる事にした。
とはいえ長年やってきて身に付いたのはこのスキルだけ。
音楽スクールの講師募集の欄を指で追うように見ていた。
そんなある日、偶然にもその見ていた音楽スクールの方から連絡を受けライブの審査員をやってくれないか?という依頼を受けた。
すんなりと僕はそれをやってみる事にした。
僕にしてはやけにすんなりと受けたなぁと自分でも思った。
それからさらにしばらくして、同じ方から「講師をやってみないか」と誘われた。
ここにもいろんな経緯があったのだけれども、少し悩んだけれどもこれも何かの縁だなぁと思ってやってみる事にした。
これも僕にしては珍しい決断だった。
昨年いろんな事があったからなのか、それとも僕が新しい世代に突入したからなのか、自分への規律を緩めてあげたくなった。
「よくやったよお前は」親父は亡くなる前にそう言ってくれた。
でも今日までよくやったから規律を緩めているだけでもなく、もうそんな事をきつくしなくとも僕は揺るがないものを手に入れたような気がするのだ。
僕の書く歌は不変だ。
もっとはやく気づいていても良かったのかもしれないが、今だからこそ分かる事なのかもな。
後もう一つは、親父が時が亡くなった時に思った事を忘れない為にも。
40代に突入した僕は少しだけいろんな世界を見てみたくなった。
もっと言えば僕はデビューしてからバンドしかしてこなかったので、1年間で12ヶ月違う仕事についてみたいと言うなんともアホな気持ちがある。
12ヶ月違う仕事に就いてそれを作品として残したいと(現実的に厳しいが)。
一回切りの人生、色々やってみたくなった。
音楽スクールの講師かぁ、似合わなそうだけどやってみる。
個人的には作詩の講師もやってみたとも思っている。
一生懸命。
どんな事にも目の前のドアを開けてみる。
合わなけりゃ閉じれば良い。
でもビビらずに開けてみる事。
結局20代の頃に誓った事と同じところに戻ってくるのだから人生は面白い。
ドアの向こう、その先に待っている僕の作品はどんなものになるのか、我が事ながら楽しみにしている。
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